第5章 お妃教育
杣梨がアルデルベルクに召喚されて数日がすぎた。
今、妃の部屋ではおばば、宰相、ベス、さらにはアル自ら、杣梨にマリナレベルまでの知識を詰め込むことに余念が無い。
しかし、どこかで聞いた様な歴史ばかりなうえ、長セリフを覚えることを得意としている杣梨にとって、それは難ないことだった。
「伝承を1回読んだだけで完璧に暗誦できるなんて!陛下以来の奇跡ですな!」
宰相が感服した、といった声を出した。
聞けばアルも、8歳の時にただ一度の黙読で伝承を諳んじたらしい。
(いや、この程度ならいつでもござれ、だわ)
とはいえ、それでも、まぁ杣梨にしても、褒められるのは悪い気分ではなかった。
「休憩にいたしましょう」
ベスがワゴンにお茶とアフタヌーンティー仕様のお茶菓子の盛り合わせを載せて、右の扉に入ってきた。
(やった〜♪︎)
杣梨は、ようやく慣れてきた「指示」を、ベスに出す。
「それではルークとカイルも呼んでください」
「御意」
ベスが軽く頭を下げる。
ルークとカイルは最初の日から同席していた若者2人で、お妃付きの護衛だった。
彼らを紹介されてからは、お茶の時間は一緒に過ごすのが常となっている。
杣梨の言葉に従い、ベスは廊下側のドアの前で警備している2人を呼んだ。
杣梨の、マリナとの入れ替わりを知るものはアル、おばば、宰相、鶏ガラ悪代官、ベス、そしてこの二人の7人のみ。
全ての事はこの7人で、計画は秘密裏に遂行されている。
これから、杣梨が密かに楽しみにしている、午後の穏やかなおやつの時間だった。
「いやいや、ソマリどのの砂が水を含んでいくような吸収の速さには驚きますな!」
宰相が驚いたように声をあげる。
「もう、私の教えて差し上げられることなどありませんぞ!」
「そなたの娘御よりも優秀なのではないか?」
鶏ガラ悪代官がまた、嫌味な物言いをした。
「このざまでは初めから娘御ではなく、ソマリどのを召喚して許嫁者に立っていただいた方が手っ取り早かったのではありませぬか?なぁ、宰相どの?」
杣梨は、鶏ガラ悪代官とムッとした顔をした宰相を交互に見比べながらにっこりわらった。
「皆様の教え方がおじょうずなのですよ。特に、宰相さまの、ね。それに」
ベスの淹れてくれた紅茶を一口、口に含むと最上級の微笑みを鶏ガラ悪代官にむけた。
「幼馴染で、陛下が妃に、と望まれたマリナさまには私は遠く及びません」
(売れっ子女優、舐めんなよ、鶏ガラ!)
ほほほ、と品良くわらう杣梨をアルが面白そうに眺めていた。
アルにしても、ここ数日の杣梨の成長ぶりには目を見張るものがある。
(芯の強い娘だ)
と、思う。
いきなり、なんの前触れもなく、見知った人間の一人もいない【異世界】に放り出されて、特に取り乱すでもなく、数日で溶け込み、宰相達の権力の張合いを軽くいなせる、その順応力に敬服する。
おそらくは、杣梨の中では、アルが想像できない程の葛藤はあるのだろう。
しかし、それをいまのところ杣梨は周りに見せることは無かった。
アルは杣梨の、元の世界での生い立ちを知りたい、と思った。
「ソマリはどんな家庭でそだったのだ?」
小さなオレンジの輪切りをひとつ、つまみながら、アルが問いかけた。
杣梨は明るく笑う。
「私には両親はいません」
「.........と、言うと?」
宰相がはて、という顔をする。
杣梨はなんの屈託もない顔で微笑んだ。
「私、捨て子だったんです。施設の前に捨てられていたんだそうです」
一同が息を飲む。
「あ、気にしないでくださいね。私、大事にされてきましたんで」
微妙な空気感に、杣梨の方が困ってしまった。
ほうーっと、ため息をつくと「やれやれ」と言う苦笑いをした。
「施設でそだった捨て子がすべからく孤独で辛い生い立ちをしているわけではありません。私は暖かい、清潔な服を着せられ、綺麗な籠に寝かされて、このピアスと、手紙と一緒に放置されていたそうです。『訳あってそだてることができません。でも、ずっと見守っています。いつも、見失うことが無いようにこのダイヤモンドを肌身離さず着けていてください』と、書かれていたそうです」
「見事な瞳輝石ですな」
鶏ガラ悪代官が、「このピアス」と言った時に触った杣梨の耳を飾る石をみながら言った。
「これほど大きく、輝きの良いものは我が国でもなかなかない」
「片方だけでも、赤ちゃんだった私の瞳よりも大きかったそうです」
杣梨がコロコロと笑う。
「そんな、何も分からない赤子と一緒に託す、なんて.........。拾った人の心根一つでもしかしたらこれだけ持って行かれて、私は捨て子のままになるかもしれないのに、私の両親は馬鹿ですね」
紅茶のおかわりをベスにそそいでもらいながら、杣梨は続けた、
「でも、施設の先生も同じ様に馬鹿だっだみたいで、手紙に従って、馬鹿正直に私の耳がこれを着けられるほどになるまで、ピアスを大切にしまい込んで、私も、他の子達と同じように、ではありますが大切にそだててくれました。でも、やはり肉親ではない大勢と生活していましたので、私は周りの人達の考えていることや、心の中を読む事に強くなりました。それに、滅多なことでは取り乱さない性格を手に入れました。その結果、人の心を読みながら、演じる役者の道を選んだんです」
それに.........と、杣梨は少し得意そうに胸を張った。
「私が役者として成功していれば、私の両親も私をいつも見守りやすいでしょ?私って、とっても親孝行ですよね」
「ソマリどの.........」
宰相が少し涙ぐんで鼻をすする。
「ご苦労されたのですなぁ.........」
杣梨は少し考え込む。
そして、今日一番の笑顔でわらった。
「んー、苦労はしてないですよ。大事にしてもらいましたから。確かに実の親と暮らすほど、親密では無かったかもしれないけれど、充分愛情を持って大切にしてもらいました」
「じゃあ、ソマリは今までずっと幸せだった?」
アルがカップに指をかけながら問うた。
杣梨は、一瞬の迷いもなく、元気にうなづく。
「はい。両親がそばに居ない、という事がそもそも不幸せ、と言ってしまえばそれまでなのですが、私はそんな事を考えた事も無いくらいに幸せにそだちましたよ」