第2章 妃の部屋
いきなり異世界に召喚された杣梨の精神状態を案じて、とりあえず続く話は翌日に、と言うことになり、今、杣梨はベスに連れられて城の中の妃の部屋へ案内されている。
同じようなドアがいくつも並ぶ中、その、妃の部屋はあった。
(うわー、これ、一人じゃ迷子になるわ.........)
それくらい凄い部屋数だった。
重そうな扉の前でベスが、2本束ねられているアンティークな細工の鍵の1本を、カチリと回す。
「ソマリさま、お入り下さいませ。こちらがソマリさまのお部屋でございます」
その部屋に入ってしまうと、もう戻れないような気がして、ちょっと後ずさりしたものの、一呼吸おいて、意を決して足を踏み入れた。
そこは、花々の絵画のような分厚い絨毯のひかれた6畳くらいの部屋で、奥にもう1つづつ扉がある。
その右の扉をもう1本の鍵であける。
「左はわたくしの居室でございます」
おそらくは、はてなマークのついた顔をしていたのだろう杣梨に、ベスが微笑んだ。
「このお部屋の鍵は3組しかなく、王、侍女長、そしてお妃さまが持つ決まりでございます」
扉を開けながらベスが胸のポケットから一組の鍵を差し出した。
反射的に受け取ったその鍵は、柄の部分はアクセサリーにしてもおかしくない様な綺麗な金細工に小さなダイヤモンドが散りばめられている。
「今日からこちらでお過ごしくださいませ。左の扉に、夜はわたくしが控えております。何かございましたらベッドサイドテーブルの、ベルをお鳴らしください」
扉の中に広がっていたのは超高級ホテルのスィートルームの様な、光景だった。
天蓋付きの、見るからにふかふかに見える大きなベッドや、鍵と同様アンティークな作りのソファやオッドマン、テーブル、豪奢なカーテン、どれをとってもヨーロッパのお城のガイドブックに出てきそうな部屋だった。
(すごっ!)
しかし、中でも杣梨が一番驚いたのは、窓際に無造作に花を生けてある花瓶だった。
4、5歳の子供がいわゆる『お山座り』をしている程度の大きさの、それは、一個の、ダイヤモンドだった。
(これ、幾らするんだろ.........)
杣梨が少し前までいた世界ではそんなサイズ感のダイヤモンドなど存在しない。
もし、存在していたら途方もない価値なのだろう、と容易に想像出来る。
「すごい花瓶ですね.........」
思わず、つぶやいてしまった。
ベスは、静かに微笑むと、
「さすがにこれだけの大きさの瞳輝石はこれしかありません。代々のお妃さまの寝室を飾る王家の家宝でございます」
と、説明した。
(昔、そういえばどっかの星が星ごとダイヤモンド、って話を聞いたことがあったな)
杣梨がそんな事を思い出していると、ベスがクローゼットを開けてゆったりした部屋着を取り出した。
「ソマリさま、御召かえを」
「あ、はい」
素直に杣梨はうれしい、と思った。
衣装なので実際よりは簡素化されているとは言え、十二単はなかなか苦しい。
実は、正直なところ、一刻も早く脱ぎたかった。
受け取った鍵をテーブルの上に置くと、一人ではできない十二単を脱ぐ、と言う作業を手伝ってもらう。
着替えを手伝いながらベスが呆れた声を出す。
「ソマリさまの世界ではいつもこんなにたくさんのお召し物を身につけていらっしゃるのですか?」
「うーん、実際にこれを着ていたのは1000年くらい昔じゃないかな?」
「では、今日はたまたま身につけていらしたのですか?」
「私は」
女優なの、と言おうとして、一瞬口ごもった。
(この世界に女優、なんて職業、あるのかな?)
「いろんな役を演じて、それを皆に観てもらうお仕事をしているの。ここに来る前、1000年前の人の役を演じていたのよ」
(伝わるかな.........?)
「ソマリさまの世界にはそのようなお仕事があるのですね。1000年も前の人になれるなんて素敵ですね」
なんとか伝わっている、と思った。
「それに、とても綺麗で素晴らしいお召し物だと思います。でも.........」
ベスが呆れたように、わらった。
「とても、とても、重いのですね.........」
(本当に、ね。重かったよ.........)
十二単を脱いで着替えた部屋着は、シルクのような肌触りの薄いピンクのロングワンピースで、身体が開放感を満喫しているのがよくわかる。
「はぁー、楽になった!」
思い切り伸びをする杣梨に、ベスが化粧落としを始める。
「あ、自分でやります」
あわてて手を押しとどめる杣梨に、ベスが命令口調で言う。
「お妃さまの、身の回りの事はわたくしの仕事でございますので」
手出しは無用、とばかりに跳ね除けられた。
手馴れた手際の良さで、ベスは並より厚化粧の、撮影用の杣梨のメイクを完璧におとした。
肌も身体同様、開放感に満ちている。
「お肌がすべすべでお綺麗ですね。お化粧をあまり濃くなさるのはもったいないですよ?」
(いや、これは仕事用の.........)
でも、言い訳はやめて、曖昧にわらった。
そこで、ノックの音がした。
明らかに2枚目のドアから聞こえたので、廊下側のドアは自分で開けて2枚目のドアまで来たことになる。
この部屋の鍵は3組ある、とベスは言っていた。
ベスは目の前にいる。
さっき、ベスから渡された鍵はテーブルにある。
と、言うことは、ノックの主は、もう1組の鍵の持ち主、王ハインリッヒしかいない。
「落ち着いたか?」
ドアをあけたベスに手で退出するように合図すると、王は杣梨の正面に座った。
音もなく、ベスは自室に下がる。
正面に座った王は、比喩ではなく、キラキラとしていた。
(うわ.........。眩しい人だわ)
杣梨は心から思った。
光を反射するようなプラチナブロンドの髪もさることながら、透けるような白い肌、エメラルドともサファイアとも違う、独特の光を放つ蒼碧の瞳、どれをとっても、完璧な物語の中の王子さまだった。
「化粧を落としたのか。あなたはその方が美しい」
まるで言い聞かせるように、王がわらう。
「あ、あの.........」
杣梨はなんと呼べばいいのか、一瞬迷った。
それを察した王が、杣梨の目を見ながら言った。
「私のことはアルと呼べ」
「アル?」
「そう。アルベルト・ハインリッヒ。それが私の名だ。幼馴染のマリナは私をアルと呼んでいた」
(あぁ、呼び名が変わったらまずいからか.........)
「それに.........」
王は、面白そうにわらった。
「私のことを愛称で呼べるのは、この世界では妃だけだ」
(いや、私はまだお妃になる、って承諾してないけど!?)
少し、イラッとする。
それを見透かしたように、アルが頭を下げた。
「あなたには済まない、と思うよ。いきなり、こんなことになって。自分の預かり知らぬところの話だからね。理不尽だと思っているだろう」
その、真摯な態度に偽りはない、と思った。
杣梨はその生い立ち柄人の心を読むことには長けていて、今まで読み間違えたことはない。
アルは心底、杣梨に申し訳ない、と思っているようだった。
(いや、謝られても.........)
「東の大国、とやらの王さまはあなたがマリナさんと本当に結婚したら、ご自分の娘さんとの縁談はあきらめるのですか?」
「とりあえずは、ね」
アルは言葉を選ぶように、ゆっくり話し始めた。
「あなたの世界のことはわからないけれど、この世界では王族の婚礼には言い伝えがあってね」
「言い伝え?」
「そう。言い伝え」
「どんな?」
「満月の夜に執り行われる王の婚礼は、お互いが想いあっていない者同士の場合は不幸になる、とね」
(それ、身代わりにしようとしている私に言います?!)
杣梨は唖然とした。
「それと」
(まだあるの.........!?)
「満月の夜に婚礼を挙げた愛し合う者を人は、引き裂くことは出来ない」
(いやいや、ツッコミどころが多すぎて.........)
杣梨はとりつくろうまもなく、げんなりする。
「あの!」
ん?と言うようにアルが杣梨を見る。
「あなたと、マリナさんは相思相愛だったかもしれないけれど!私はついさっき、あなたと初めて会ったばかりです!あなただって!私がマリナさんではないのだから、私を愛せるかどうか、わからないじゃないですか!?そんな結婚、不幸になるに決まってます!」
一気にまくしまてて、息切れまでしている杣梨をアルは優しい瞳でみつめた。
「大丈夫。婚礼までにきっとあなたは私を愛するようになる。私もあなたを愛するようなる」
(なんの予言.........!?)
「まぁ、早い話がお互いが想いあっていない者同士が満月の夜に婚礼を挙げた場合、神の怒りを買って花嫁は消滅してしまう、と言う言い伝えなのだけれど」
「はぁーーーーーーー!!??」
杣梨は呆れ果てた。
「あなたは無キズで!私だけが消滅するの?!なに、その罰ゲーム!」
つきあってらんない!と、杣梨はつぶやいた。
「無キズではないよ」
「だって、消滅するのは花嫁なんでしょ?」
「王は、民衆を欺いた罪で民衆に、処罰される」
(なに?そのわけわからん言い伝え.........)
「つまり、ね。わざわざ婚礼を満月の夜に指定してきた、これは東の大国の王の踏み絵なんだよ」
「踏み絵?」
「そう。自身の姫との縁談を断るのならば、真実愛する伴侶と満月の夜にであっても、婚礼を挙げられるだろう、と言う、ね」
「だって、ご自分の姫だって、そんな政略結婚で婚礼を挙げたら.........」
消滅するんじゃ?と言う顔をした杣梨にアルはにやりとわらった。
「おそらくは、ねじ込んだ縁談の、婚礼までには相思相愛になる、と踏んでいたのだろう。なかなか美しい姫、と聞いている」
「はぁ.........そうですか.........」
「まぁ」
アルがいたずらっぽくわらった。
「いざとなれば、私と娘御の婚礼は満月の夜にしなければ済む話だ」
「王の婚礼は満月の夜ではなくてもいいの?」
「それは、ね。実際、歴代には愛のない結婚をした王と妃もいる。そうでなくとも、わざわざ危険な賭けをするために婚礼を満月の夜にすることもない」
「歴代.........って.........。じゃあ、満月の夜に婚礼を挙げた王は?何人いるの?」
「記録では.........」
杣梨はごくりと、息を飲む。
「一人もいない」
(馬鹿なの?まじ、馬鹿なの?)
つまりは、その言い伝えの真偽も分からない、と言うこと。
でも、歴史の授業でそういう都合の良い政略結婚の話しや、意味のわからない迷信はよく聞いたなー、とも思う。
時の権力者の、無理難題、横暴な無茶振り、都合のいい逃げ道、は珍しいことではない。
(どこの世界でも同じ、ってことか)
めんどくさい.........と思った。
「マリナさまは他の男性と出奔されたのてすか?」
「ああ、そうだよ」
「なぜ?」
アルは少し考え込んだ。
「相手の男が私より魅力的だったのだろう」
(あなたより魅力的、ってそんな男性、いるの?)
アルは、ひと月後の婚礼までに自分を愛するようになる、と豪語するだけの、容姿も地位も備えている。
そんなアルと、約束された妃の座を捨ててまで走った相手に、単純に興味がわいた。
(あ、でも確か、鶏ガラ悪代官が異形のなんとか、って言ってたような.........)
「あの、どんな方なんですか?マリナさまのお相手って?」
アルがほんの少しだけ、嫌そうな顔をした。
小さなため息をつく。
「緑色の肌で」
(ピッコロ大魔王!?)
「目が3つで」
(リトルグリーンメン!?)
「小太りの、男だ」
(シュレック!?)
杣梨は唖然とした。
「あなたを捨てて走った相手が?」
「ああ.........」
アルが不快そうに首を縦に振った。