第1章 王の居室
立ち話にも限界があるので、一行は湖からほど近い、王の居城に場所を変えた。
豪奢なその城は、広大な敷地にいくつもの城の建った、例えるならば、建物はアラビアの宮殿の様だった。
城の中にいくつもの泉が湧き、緑と花に溢れた夢の中のような素晴らしい風景だった。
幾多の建物の中の、一番奥まったひときわ壮麗な城に案内された。
暖炉のある、落ち着いた、しかし贅を尽くしたその部屋は確かに王の居室にふさわしかった。
「ソマリさま、いらっしゃいませ。お初にお目にかかります。侍女長のベスでございます。これからなんなりとお申し付けください」
丁寧にお辞儀をして、侍女長のベスと名乗った杣梨より少し歳上に見える女性は一行の前にお茶をおいた。
長い黒髪をぴっちり結い上げた、クールビューティーな長身の女性だった。
(ダージリン?かな.........?)
ポットサービスで出されたお茶は、杣梨もよく飲むダージリン紅茶に近い香りがした。
一緒に出された茶菓子は、見た目はいわゆるいちごタルトと変わらない。
ポットサービスではあったが、カップへはベスが注いでくれる。
(異世界って言っても.........食べ物は変わらないのね)
我ながら、状況のわりに呑気にそんな事を考えている。
いや、実際には思考がついていかないだけ、だったけれど。
しかし、こういう時に取り乱したりしない自身の生い立ちを、今ほど感謝したこともない。
今、この部屋には杣梨の他、王、宰相、悪代官(苦笑)、おばば、ベス、そしてまだ若い、いかにも屈強な兵士に見える男が2人、同席している。
最初に口を開いたのは、鶏ガラ悪代官だった。
「まったく!宰相どのの娘御にもあきれる!婚礼のひと月前ですぞ!」
悪代官が、呆れ返った、と言う風に、口から泡を飛ばしながら、ため息をついた。
「こんなことならお妃候補の選考の時にもっと強く我が娘、アイリンを推しておけば良かった!おめおめと宰相どのの娘御に許嫁者の座を渡したばかりに!」
(うっわ〜.........。本当に悪代官だわ.........)
その、品性の無い話し方や、表情からこの悪代官が、許嫁者に逃げられた形であるところの王の立場をおもんばかって言っているわけではないことは、伝わってくる。
要は一族の繁栄のために、お妃の座が欲しかった、けれど、なんらかの理由でそれはマリナのものになったのだろう。
苦々しく顔を歪める悪代官は、権力が欲しい、と顔に書いてあるようだった。
「私がマリナを求めたのだ。仕方あるまい」
王が、悪代官を手でなだめながら口を開いた。
「私がマリナを望んだ。それが事実だ。私は幼馴染のマリナを妃にと、欲した。これ以上の決め手となる理由はなかろう。家柄で言うならお前の家も、宰相の家もいずれ劣らぬのだから」
悪代官が口を噤んだ。しかし、それは一瞬で、すぐに宰相を睨みつけながらどなった。
「異形の奴隷と懇ろになるような罰当たりの小娘でしたがなぁ!!」
(居心地、わる.........)
あまりの暴言にムッとした顔の宰相が口を開こうとした時、小さく手を挙げて杣梨が口を挟んだ。
「あ、あの〜.........」
一斉にすべての目が杣梨に集まる。
(わ、こわっ.........)
「あ、あのっ!ちょっとお伺いしたいことが.........」
「なんだ?なんでもこたえよう」
王が優しい眼差しで杣梨を見る。まるで、空気を変えようと口を開いた杣梨の心の中を全て見透かしているようだった。
「あの、そのお妃さまになる予定だったマリナさまによく似た私が選ばれて呼ばれた.........それはわかりました。でも.........」
一同が一斉に杣梨を見る。
どんな罵詈雑言、泣き言、恨み、なによりも、「元の世界に帰せ」という言葉が出てくる、と構えている様子だった。
「あの、あのですね、皆さん見た目は西洋の方に見えますが、なぜ私の母国語である日本語を話しているのですか?」
不思議で仕方ない!と言う顔できょとんとする杣梨にまず、同じようにきょとんとした顔の、王が爆笑した。
「何を言うかと思えば!」
続いて若い兵士(?)2人、ベスが笑う。
(え?そんなに笑うこと?当然の疑問でしょ?)
杣梨は少しイラッとした。
今まで、漫画や小説を読む度不思議だったのだ。なぜ、違う世界なのに、言葉の問題が何も無いのか、が。
「すまん、どんな抗議をされるか、と覚悟していたので少し拍子抜けした」
笑いながら王が謝罪した。
「それはな.........」
「わたくしから説明致します」
おばばが口を開いた。
「わたくしたち魔術使いが召喚をするのは、何千年に1度あるかないか、の稀なことでございます。召喚は魔術使いにももちろん負担は大きいのですが、召喚された側への負担ははかりしれません」
「そりゃ、そうだろうねぇ」
うんうん、と杣梨は頷く。
とはいえ、実は特に負担は感じていない。
「召喚を行うのはなにかしら、重大な事をして頂きたく、お呼びする事が多いのですが.........。言葉が分からなくてはお互いにその重大な事項を伝えることができません」
「確かに、ね。あなた達の見た目のままに、フランス語だの、ドイツ語だので喋られたら私はなにも理解できないわ」
「なので、召喚を行うと我々は、それまでの言語を捨て、召喚された者の言語に変わるのです。だから、そのフランス語?を母国語とする方を召喚したら、私たちの言語もそのフランス語になります」
「安心するがいい。この先、次の召喚を行うまで、我らの言語はあなたの母国語だ。次の召喚が何年後かは、分からぬがな」
王がその美しい顔で、にやりとわらった。
「そして、次の召喚の時は、あなたも召喚された者の母国語が理解出来るようになる」
(なんてご都合主義な仕様!?)
杣梨は少し呆れた。まぁ、許嫁者の穴埋めに異世界から人間を召喚するような話なのだから、ご都合主義なのは最初からわかりはするけれど。
「なるほど。まぁ、それは助かりますね。とても、合理的な仕様だと思います。言葉が理解できないとなにもわかりませんから」
目の前のお茶をひとくち啜る。
(あ、やっぱりダージリンだ.........)
「その、出奔されたマリナさまの身代わりとして私がよばれたのは、わかりました。でも、なぜ?あなたほどの方ならいくらでも代わりの妃はいるでしょう?なぜ、マリナさまの見た目にこだわります?」
「私がマリナの容姿を愛していたから」
「は?」
(なに?もしかしてこの王様、色ボケの、とんだバカ王?)
と、杣梨が呆れるより早く王が笑い転げた。
(見た目は超絶クールなイケメンだけど、この人、笑い上戸だわ)
めんどくさ.........と、杣梨はため息をつく。
「我国は正直、本当に小さな国なのですが、資源に恵まれ大変豊かなのですよ」
おばばが口を挟んだ。
「資源?」
「はい」
「どんな?」
(石油とか?)
杣梨の中では天然資源にめぐまれた豊かな国、というイメージでは中近東あたりの風景と資源が浮かぶ。
「ソマリさまが耳につけておられるその石、ソマリさま達はなんと呼ばれますか?」
「ああ、これ?ダイヤモンドだよ」
杣梨が唯一、生まれた時から身につけていたもので、仕事で外していても、たとえ5分でも空きがあれば着けて、また仕事の時に外す。それくらい、肌身離さず着けている大切なものだった。
「ダイヤモンド.........。我々の国では瞳輝石、『どうきせき』といいます」
(あー、確かに王の瞳の輝きはダイヤモンド級だわ)
「また、その石を止めている金属.........」
「あー、金ね。これは18金だけど」
「それは我々は輝砂、『きすな』と言います」
「へー」
「ソマリさまの世界でも、装身具にするほどですから貴重なもの、なのでしょう?」
「まぁ、ね」
「それらはこの世界でも大変貴重で、高価なものなのですが、我が国では、それらが、際限ないほどに採掘できるのです」
「はぁ?」
(んな、ばかな.........)
心の中でおもったつもりだったが、口に出ていたらしい。
「本当だよ。山で岩を割れば瞳輝石がとれ、砕けば輝砂がとれる」
王は懐から小さな剣を取り出しで鞘を抜いてみせた。
「うわっ.........」
柄や鞘も緻密な金細工だったが、なによりも剣がダイヤモンドだった。
こんなサイズ感のダイヤモンドなど、見たことがない。
「そんな我が国ではさして珍しくもないのですが、美しいので装身具に使われております。しかし、この世界でも、瞳輝石や輝砂がふんだんに採れるのは我が国だけでございます」
「当然、他の国は高価なもの、として瞳輝石や輝砂を取引しておるわけだが、国ごと欲しがるものが出てくるのは無理からぬことじゃろう?」
場所を変えてから初めて宰相が口を開いた。
「もう、何世代にも渡って、何代もの王に、他国の姫との縁談が舞い込んでいる。婚姻はなによりも強く、子を成せば何代にも渡る絆だからな」
今度は鶏ガラ悪代官がしたり顔で話す。
「なので、我が国の王は有史以来、国内の娘としか婚姻は結ばない。それが我が国の掟だ」
「しかし、このハインリッヒさまはその容姿も相まってご幼少の頃から他国からの縁談がひっきりなしでございました。まぁ、それに関しては御歳12歳のみぎりに宰相のご息女マリナさまが許嫁者にたたれてしばらくはおさまっていたのですが.........」
おばばがため息をつく。
「東に、大国がございます。その国の王は貪欲で、なにがなんでも瞳輝石と輝砂の権利を手に入れたいらしく、昨年自身の姫との縁談をねじ込んできました」
「『そんな掟はありえん』とな」
(その王様、あんたとは気が合いそうだね、鶏ガラ悪代官)
杣梨はこっそり舌を出す。
「我が王には想い人の許嫁者がいる、と言う理由で縁談は断ったのですが、3回目の満月に婚礼がなければ自国の姫との婚姻を迫ってきたのでございます」
「そんな横暴な!」
おばばが小さく頷く。
「本当に横暴な行為でございます。しかしながら、我が国は戦は好みません。資源のおかげで、国の民は皆、豊かに幸せに暮らしております。わざわざ戦いをする、そんな野蛮な考えはございません」
「なるほど。だから、マリナさまと同じ顔の代役が必要なのね?」
「はい。王の、想い人の、でございます」