僕はズルいんだ
君は僕のことを唯一の理解者だと言ってくれた。僕はそれがとても嬉しかった。そのポジションは僕だけのものだから。でも、今は君が僕の理解者になってくれたらいいなって思ってる。そうすれば全てが良い方向へ向かうのに。僕はズルいんだ。君を遠ざけたのは僕なのに、こんな風に甘えてる。このままでいいわけないんだ。どうにかしなきゃならない。どうしたらいい?
角野高校からバスで十五分の閑静な住宅街。その一角に麻央の家はあった。
灯りが消えて静まりかえった真夜中。
麻央は自室のベッドの上で布団を抱きしめていた。
昼間の出来事に興奮して眠れないのだ。
頭の中を弘の声がぐるぐると回る。
彼女はすんなりカミングアウトした。自分はバイセクシャルだと。
でも麻央はそんなことで興奮している訳ではなかった。
つまり、そんなことはどうでもよかった。
肝心なのは、その続きだった。
「バイセクシャル?」
「そ、知ってるバイセクシャル? バイって呼ばれてるやつ」
「両性愛者のことだよね……」
「そうそう、男でも女でも関係なく愛せる特別な存在」
弘からは羞恥心が全く感じられなかった。むしろその逆である。彼女は自分を誇り高く思っていた。
そして、今までに見せたことのない柔らかな笑顔を浮かべたのだ。
「そっか、そうなんだ」
弘の表情に麻央はまた心を揺さぶられた。そして素直に弘の言葉を受け入れた。
「篠原さんは、こういう話してもあまり驚かないんだね」
「えっ? どうして?」
麻央の返事に弘の方が驚いた。そしてクスクスと笑ってみせた。
「だって、私カミングアウトしたのに……普通引いたりするじゃん」弘は笑いながら言った。
「そういうものなの? ゴメン、私詳しくなくて」
今度は声を出して笑う弘の姿。それは今までの彼女のイメージを覆すものだった。
それでも麻央は嬉しかった。
見たことのない弘の一面を見られて、たまらなく愛しくなった。
「嬉しいな。うん、すごく嬉しいよ。篠原さんみたいに人間の本質を見抜ける人に出会えたこと。世の中、差別をなくそうとか言ってるわりに全くなくならないからさ。性の差別だけでなく、差別はもっと広範囲に存在するんだ。だって、こんなにネットが発達してるのに都市と地方とでは機能が違う。都会と地方では同じ番組を放送できないし、交通の便も違う。地方を出て東京に就職する若者が増えたことによる地方の過疎化が問題視されているけれど、それだけ地方は不便で地域差別されているってことなんだよ。だってさ、地方は買い物に行くにも病院に行くにも車が必要なんだ。家の近所に店や病院がないからね。でも、車って維持するの大変だし、年をとったら免許を返納するように言われてるだろ。老後に一番必要なものが奪われるんだ。具合が悪くなっても救急車が間に合わない。だったら初めから東京で就職して、この過ごしやすくて楽しい環境を生きた方が正解なんだ。政府は過疎化が地方差別で起こっていることに気付いていないとでも言いたいのかな。この問題は解決しないよ。人がいなくなるまで。だって人種差別は今も終わりをみせない。世の中どうにかしてるんだ」
弘はまるで踊るように饒舌に自分の思いをぶちまけた。そして麻央に対し、「ゴメン」と謝った。
「えっ、なんで? どうして謝るの?」
きょとんとしている麻央の顔を弘は真剣に見つめた。
「……君もそっち側の、差別とか軽蔑とかをする人だって勝手に決めつけてたから」
興奮から一気に落ち着きを取り戻した弘。
「どうして?」麻央は尋ねた。
「興味本位で遊ばれているように思えたから。なんていうんだろう? クラスで浮いてる存在の私を必要以上に追ってきたからかな」
「それは、嫌がらせとかじゃなくて……」
「解ってるよ。今はちゃんと解ってる」
麻央の言葉を遮るように弘は言葉を被せた。弘の瞳に真意を感じる麻央。
「一年の時、ちょっと嫌な思いをしたことがあってね、それに……」
言葉を飲み込む弘。左手に力が入った。
うつむき加減で微かに震えているようだった。
「それに、どうしたの?」麻央は心配そうに弘の顔を覗き込んだ。
「いや、何でもない。篠原さんは良い人で良かった」
「そんな、私は何も……ただ、友達になりたかっただけだよ……」
麻央は耳を真っ赤にしながら本音を言った。
「篠原さんは理解者だよ」
そう言って弘は立ち上がった。
「理解者?」
麻央もつられて立ち上がった。
「この世にたった一人の私の友達……」
どこか遠くを見て弘は言った。
そんな彼女の横顔に麻央は何故か切なさを感じた。そして同時に使命を受けた気になった。
愛おしい弘をずっと側で護ってあげなければならないと。
その日は、日が沈むまで屋上にいた。
とくに話はしなかった。
ただ、夕焼けに染まる弘の美しさを麻央は黙って見ていた。
目を閉じるとそのときの光景が浮かび上がる。
儚げで美しい手塚弘の横顔。
麻央は布団を抱きしめながら誓った。
「私がずっと側にいるよ……」
夜明けが近づく頃、麻央は夢の中へ堕ちた。