僕は諦めない
今日も空は青くて、雲は白い。水は透明で冷たくて、勉強は面倒くさい。普通なんだ。今、僕の世界は全てが普通なんだ。勿論君の世界も。だけど、もしかしたら、その普通が奪われてしまうかもしれない。そんなこと考えたくないけど……。普通って最高なんだ。特別幸せじゃない普通が一番最高なんだと僕は思う。深爪したくらいが丁度いい。平凡がいい。僕は諦めない。
立ち止まった弘の前には四畳半ほどの空間があった。もう使われていないであろう錆びた屋根付きの自転車置き場が向かい合っていて、その間には腰の高さほどの雑草が生い茂っている。
コンクリートのゴミ捨て場が真正面にあるが、壊れたポリバケツやホコリだらけの雑誌が無造作に置かれていることから今は使われていない雰囲気がある。
「……秘密基地ってここ?」
ボーっとしている弘に麻央はそっと声を掛けた。
「あ、……ああ」
弘はガラケーをポケットに戻すと、草をかき分けてゴミ捨て場と自転車置き場の間に向かって歩き出した。
麻央も後を付いていく。
「たしか、ここら辺に……」
弘の膝にガツンと何かがぶつかった。
「あった……」
「え?」
弘は草の中からカプセルトイの機械を軽々と持ち上げた。そして草の生えていない自転車置き場の角まで運ぶ。
「それがガチャ?」
「うん……」
興奮する麻央に対して冷静な返事をする弘。
自転車置き場の角に集まる二人。外からはその姿を確認出来ない。
「おかしいな。これ、壊れてたはずなんだけど」と首をかしげる弘。
「どこが?」
「全体的に。蓋の部分も外れてたし、ガチャの中も透けて……」と言いかけて弘は急に黙り込んだ。
カプセルトイの機械を持つ弘の手が震える。
「どうしたの?」
「……飛鳥だ。これ、飛鳥が直したんだ」
機械をよく見ると蓋がガムテープで固定されている。
「このカプセル入ってるとこも外から透けて見えてたんだ」
カプセルが入っている部分も内側から白いルーズリーフが貼られていて、中身が見えなくなっていた。
そしてそこには小さい字で『見付けてくれてありがとう』と書かれていた。
自然に流れ出る弘の涙が地面を濡らす。
麻央は鞄からハンドタオルを取り出して弘に差し出した。
「ごめん……」
涙を拭う弘の側に麻央はピタっと寄り添った。
「……中に何か入ってるみたいなんだ」
機械を持ち上げたとき、カプセルのような感触があったことに気付いた弘。
「それって飛鳥くんが入れたんだよね。ガチャの中って伝えていたし」
「多分、回せば出てくる」
弘は鞄から財布を取り出し、小銭の中から百円玉をつかんだ。
「百円で回せるの?」
「うん」
弘は確信的な表情を浮かべて頷く。
コインの受け入れ口に百円をそっと置く。
そして錆びた銀色のグリップを思い切りよく回した。
ガチャン……
息を飲む弘と麻央。
受け取り口に出てきたのは真っ黒なカプセルだった。
簡単に開けられないようにガムテープで開け口が固定されていた。
カプセルを手に取る弘。
「重い?」麻央が尋ねる。
「いや、とても軽い……」
弘はカプセルを振ってみた。カタカタと小さいものが動く音がする。
弘は麻央に目で合図を送ると、ガムテープを勢いよく剥がした。
そして、カプセルのフタを開ける。
「これって……」
「マイクロSDカードだ……」弘の言葉に被さるように麻央の声が漏れた。
「飛鳥の奴、回りくどいな」
SDカードを手に取り本心ではない言葉を口にする弘。
「それだけ慎重なんだよ」麻央は微笑んだ。
「これ、中身を見ろってことだよね?」
「そうだと思うよ。何か特別なデータが入っているのかも」
「私のスマホ、充電ないや……」
「飛鳥くんのガラケーで見ればいいんじゃない? 飛鳥くんのものなんだし」
「そっか、そりゃそうだ」
麻央に言われ、ポケットからアンテナの立たないガラケーを取り出す弘。
「カードんとこ、何も入ってないや」
「元々そのカードが入っていたのかもしれないね」
飛鳥のガラケーにマイクロSDカード差し込む弘。カードの中身が見れるところまでガラケーの中を探索する。
「あった……。データは一つだけ」
「ひとつ?」
「動画が一本あるみたいだ」
弘が見つめるガラケーの画面を横から覗く麻央。見慣れた光景である。
ドキドキと再び鼓動が高まる。
弘は震える指でその動画データを開いた。
画面に映し出されたのは、弘がよく知っている部屋だった。
そして、そこには椎名飛鳥の姿があった。