世界はセピア色に染まってる
なんだかとても眠いんだ。このまま眠って消えてしまいそうだ。君の隣はいつもポカポカ温かくて陽だまりみたいで心地よかったな。僕はそこでいつも眠っていた気がする。君といた時間が遠い昔のような気がして、思い出せない。今も物理的にはこんなに近くにいるのに、世界はセピア色に染まってる。疲れた。もう、ずっと眠っていたい。
青く澄んだ空に溶けそうな雲がゆっくりと流れていく。
そよ風に乗った草木の爽やかな香りが心地よく鼻を撫でる。
日の光は柔らかく人々を輝かせた。
五月晴れとはまさにこのことか。
進級から約一ヶ月。
彼女はその日もいつもの場所に居た。
そして彼女もいつもの場所にやって来た。
「またダメか……」
麻央は屋上の柵に捕まり、正気を失った様子で呟いた。
あの日から土日を除いた毎日ここに来ている。勿論、昼と放課後の二回もだ。
さすがに友人も変態呼ばわりすることに疲れ、完全に呆れ果てている。
それでも麻央の意思は変わらなかった。
手塚弘を見付けるまで一人鬼ごっこは続くのだ。
教室では人目が気になって自由に話し掛けられない。
廊下や階段でも声を掛けるのが怖い。
そんな矛盾だらけな気持ちが積み重なり、異様な行動に走ってしまった。
後悔という気持ちすらなくなった麻央は全力を尽くすのみだった。
しかし、こんなバカなことをひと月も続けていればさすがに疲れも出る。
「もう、いやだー!」
麻央は崩れ落ちると、コンクリートにペタンとお尻を付いて大声で叫んだ。
まるで駄々をこねる子供のようだ。
「なんで! なんで居ないの? 手塚さーん!」
「……なーに?」
どこからか人の声がした。
麻央は辺りをキョロキョロ見渡すが姿はない。
「こっちこっち」
声のした方にゆっくり首を伸ばす麻央。
目が合う二人。
弘は塔屋の上から上半身を乗り出していた。
塔屋とはマンションやビルの屋上に見られる、上に突き出した部分のことだ。一般的に階段室やエレベーターの機械室、倉庫、空調や給水の設備室として使用されている。
まさに灯台もと暗し。
自分が出てきた場所の真上に居るのだから麻央が気付ける訳がなかった。
しかもその塔屋は少し変わった形をしていた。
「……手塚さん、何でそこに?」
感動ではなく驚きの方が大きかった。
「何でって? ……居心地がいいから?」
「そうなんだ……」
頭が混乱している麻央に弘はこう告げた。
「いつも教室からストーカーしてたの君だったの?」表情に悪意はない。
「あっ、解ってたの? その……ストーカーではないんだけど」
苦笑いするしかない麻央。
「誰か追いかけてくることには気付いてたけど、君だとは思わなかったよ。なんか真面目そうだし、ストーカーするように見えなかったから」
「私、真面目じゃないよ。ほら、髪も茶髪だし、スカートの丈もみんなと同じだし、一応学校でお化粧もするんだよ。それにストーカーじゃないの!」
半分ムキになって喋る麻央に弘は手を伸ばした。
「こっちおいでよ。そこだと人に気付かれるからさ」
弘の保身のための言葉だったが、麻央は胸がキュンとした。
「こっち、ここの裏に回って」指示する弘。
弘に言われた通り、塔屋の裏に回る麻央。そこにはタンクのような物が複数並んでいた。形はそれぞれ異なる。段ボールや捨てられた資材など、要らない物をまとめて置かれているようだった。
「それ階段代わりに使って」
麻央は弘に言われるがままタンクの裏のサバイバルに挑んだ。
資材やタンクに乗り移ることを繰り返し、最後は塔屋の屋根までジャンプだ。
「大丈夫。思ったより遠くないよ」そう言って弘は手を出す。
「解った……」
麻央は思いきりよくタンクを蹴り、大股一歩で宙に浮いた。
それはとてもゆっくりとスローモーションの世界にいるような不思議な光景だった。
「っきゃ」
屋根に付いた足が滑りそうになったところを弘が抱き寄せるように引き上げた。
「平気?」
「えっ……あっ、平気……」
そう言ってはみたものの麻央の心臓はドキドキ音を立てている。
いろんなことが積み重なって麻央は動揺を隠せないでいた。
しかし弘はいつもと変わらない冷静さを保ったままだった。
「……ここ、こんな形してたんだ」やっとの思いで麻央が声を発した。
「豆腐の入れ物みたいでしょ」
「えっ、豆腐? なんか浅いプールにも見えるよ」
「確かに。言われて見ればそんな気もする」
「屋上の上の建物にこんな屋上があるなんて思わなかった」
「この囲いみたいなコンクリートは珍しいかな」
「そうだね」
会話が続いたことが嬉しくて、麻央は思わず笑みを浮かべた。
そして、そこに置かれていたある物に目がとまる麻央。
シンプルな弁当箱と隣に置かれたガラケー。
「手塚さん、やっぱりここでお弁当食べてたんだね……」
「ああ」
いや、そっちが気になった訳ではない。
「……手塚さんって……ガラケーなの?」
そう、そっちだ。
いつも冷静な弘の顔がこわばった。
聞いてはいけないことだったのか。麻央にも緊張が走る。
「……スマホも持ってるよ」
「そ、そうなんだ。二台持ってる人もいるもんね」麻央は逃げるように応えた。
手塚弘には何かがある。明白ではないけれど、何かを隠している雰囲気が漂っている。
麻央はそう感じた。
「私も質問していいかな?」
「なに?」
「君は、何で私のことを追っていたの?」
回答しづらい質問が返ってきて、麻央は一層動揺した。
「何で、毎日、昼も放課後も」
「それは……」
弘は全部気付いていた。
もはや逃げることは出来ない。
「……手塚さんが気になって。友達から聞いたの、一年の頃も一人でお弁当食べてたって。いつも一人でいるって。……余計なお世話なのは解ってるんだけど心配になっちゃったの。だから、つい後を追いかけちゃって……。自分でもよく解らないんだけど、手塚さんの居場所が気になって仕方なかったの。ごめんね、ストーカーで」
麻央は素直に事実を全て話した。その目は涙で少し潤んでいた。
「そっか、私こそごめん。変なこと聞いちゃって」
ブンブンブンと大きく首を振る麻央。
「いいの。私、手塚さんと話せて嬉しいから」
弘はそういう麻央の頭をポンポンと優しく叩いた。
「私も、こんなに学校の人と喋ったの初めてかな」
麻央は胸が苦しくなった。それは本当に恋をしたかのような不思議な感覚だった。
「……手塚さん、コンビニのお弁当じゃないんだね」
必死に普通の会話を探す麻央。
「え、私そういうイメージ?」
「うん」
弘は腕を組んでその場に座った。
「母がいないから、父のお弁当、私が作ってるんだ。だから、そのついでに」
「お母さん、亡くなったの?」麻央も座り込む。
「いや、不倫の果てに逃げていった」
「そ、そうなんだ……大変だね」
「そうでもないよ。もともと両親好きじゃなかったし」
「お父さんも嫌いなの?」首をかしげる麻央。
「どうでもいいって感じ。父も浮気してて……今も継続中だから浮気ではないか」
顔色一つ変えないで淡々と喋る弘。
麻央は驚きながらも真剣に話を聞いた。
そうこうしている間に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「もう、そんな時間?」慌てて時計を見る弘。
「おしゃべりしているとあっという間だよ」
「先に教室戻ってていいよ」
弘は荷物を鞄に詰め込みながら言った。
「うん」
「あ、そういえば君の名前何だっけ?」弘は顔を上げた。
「篠原麻央!」
そう叫びながら麻央はタンクにジャンプした。