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貴族様の成り下がり  作者: いす
二章
9/68

第九話

九話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

「あ、ねー!このパン貰ってくよー!」

 パン屋の開店時間もようやく終わり、エプロンを疲れた身体から剥いでいると、一足先に着替えを済ませ何処かに消えていたクーシルの、そんな声が聞こえてきた。

 着替えも終わったしで入り口に歩けば、客が買ったパンを詰める茶色の紙袋に、余ったパンをがさごそ詰めているクーシル。

盗人(ぬすっと)みたいだな」

「うっさい。いっつもあんたが食べてるのも余ったのなんだよ?」

 文句ありげに、トングがこちらに指し向けられる。

「余り物を押し付けたのか」

「余っただけでしょ。失敗したとか、そういうのじゃないんだから。よーし、かんせー」

 クーシルはおおよそ詰められるだけパンを詰めると、紙袋の切られた頭を折り曲げ、そこを手で抑える。

「ママー、あたしら行くよー?」

「ちょっと待ってー!」

 駆け足で店の奥から出てくるクーシルの母親。

 その目は、いの一番に俺を捉えてきた。

「ランケくん、今日はお疲れ様。助かっちゃったわ♪」

「不本意だったがな」

「それでも助かった。お仕事はこれから少しずつ慣れていきましょう?それじゃあ、またね」

 にこやかに笑み手を振ってくるクーシルの母親から身体を背け、カラコロとドアベルを鳴らし、店の外に出た。

 空色は茜。

 街路の木をがさがさと揺らす風は、夏になりきれていないまだ涼しい風。

 なびいた自分の一直線の髪が視界を横切り、すぐに帽子を被った。

 と、またドアベルの音。

「またとかなんか、返してあげてよ」

「いいだろう、別に」

 何か言いたげな吐息は漏らしていたが、クーシルはそれを言葉に変えることなく、俺の目の前をとたとたと歩き始める。

 わざわざ前に行かずとも行きの際に寮までの道のりは覚えたのだが…まぁ、だからと今更前に出るのも幼稚な気がする。

 何よりもそれが億劫だと思わせる程に、バイトの所為(せい)で心身共に疲れていた。

 と、気に掛かっていた事があったのを思い出す。

「貴様、聞くがどっちに住んでるんだ?」

 寮から通うか、家から通うかは選択制。

 自領にのみ家を持つ貴族家ではあまり聞かない話だが、平民には王都にある家からの奴もそれなりにいるらしい。

「へ?家だよ?」

「その割にはあっちで頻繁に見掛けるが…」

 今日まで毎日、こいつをあの場所で絶えず見掛けている。

 それも、朝っぱら早く来ている訳ではなく、明らか、あそこに住み着いているのだ。それぐらいに、こいつはあの場所に頻繁に居る。

 家とそう言われても、いまいち納得は出来ない。

「やさ、(うち)から近いし、よくあっち泊まるんだよね。服とか結構置いてきちゃってるし」

「勝手に、か」

「バレてないからいーって。てゆーか、勝負事でズルしてたランケさんがそういう事言っちゃうのん?」

 (おとがい)に袋を持っていない方の人差し指を当て、とぼけるような、そんな腹の立つ声音と顔で、こちらにんー?と振り向いてくる馬鹿。

 こういう時だけ小賢しく呼び方を変えて…。

 帽子の下で一睨みすれば、くすくす笑ってまた顔を馬鹿は前に戻す。と思えば、今度は歩調を俺と合わせてきた。

「あたしも聞きたいことあるんだけどさ、貴族様なんだし、やっぱり許嫁ーとか、そういうのいたの?どうなん?」

 キラキラと期待を輝かせた目が、俺の顔に近付いてくる。何かと思えば色恋沙汰か…。

 ここばかりは令嬢だろうが平民だろうが、共通の興味なのかもしれない。

「くだらんな」

「えー。いたの?いなかったの?それだけでも!お願いっ!」

「しつこいぞ…」

 迫る馬鹿を手で退けていると、ふと街路を抜けていく風の音が聞こえた。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 寮の前に着いた頃にはもう外は薄暗く、街路に並べられた電灯が軒並み灯され、空には星を無くした暗闇が彼方まで広がっていた。

「行きと帰り、道が違くなかったか?」

 帰りの道中、クーシルにこっちだあっちだと言われ、その都度深く考えずに道を曲がっていたが、こうして辿り着いて、行きに使っていない道も通っていたような気がした。

 疑問に後ろ髪を引かれ、自分が通ってきた道を見て思ったことを言うと、クーシルの身体がぴくりと跳ねる。

「あーと…いや、そんな事無いんじゃない?うん、まぁほら、着いたんだから一緒一緒!」

 俺の疑問にほとんど答える事無く、クーシルは誤魔化すような笑顔で扉を開け、出迎えの明かりが点いた寮の玄関へと入っていく。

 追求はしたかったが、ただいまーという帰宅を寮に告げる馬鹿の声に遮られてしまった。

「全く…」

 帽子を脱ぎながら俺も寮へと入れば、クーシルが俺が閉めた扉の鍵をガチャリと掛ける。

「おかえりなさーい」

 共用スペースのある、部屋とは反対の廊下からエプロンを揺らしてとたとたと駆けてくる担任。…またエプロンか。

「お疲れ様。ランケくん、どうだった?」

「知ったところで貴様にはどうでもいい事だろう」

 バイトの感想なぞ、わざわざ聞いてなんになる。それともあれか、人が苦しんだ事を聞くのが趣味な奴なのだろうか。

 俺が話す気はないと口を閉ざせば、担任の困ったような目はクーシルに向かう。

「ぼちぼちかなー。接客はあれだったけど、それ以外はまぁ、一応きちんとやってくれたし」

「はぁ…良かった」

 安堵の息の後、担任は口元を緩ませた。

「それよりせんせ、準備出来た?」

「あっ、それならうん。バッチリ!」

 何やら俺には関係なさそうな話に移った二人。

 聞き耳立てる理由も無く、さっさと部屋に戻って疲れを癒やそうと、玄関から廊下への段差を上がった瞬間、後ろから「あー!」と、クーシルの大きな声が背中にぶつかってくる。

「靴!スリッパあるでしょ!早く脱いで!」

「はぁ…」

 疲れた身体に大声は、痛みさえ感じる。

 面倒臭いが無視してもどうせ強引に引き戻されるだけだろうと仕方なく段差を逆戻りし、靴を脱ぎ、廊下に一列に並べられたスリッパへと気分悪くも足を通す。

「昨日も言ったじゃん!それと、今日こっち!」

 自分もスリッパに履き替えたクーシルが、俺の腕をぐいと取ってくる。

「おい…」

「せんせ、もう行っちゃって良いよね?」

「うん、行こっか。あ、パンの袋貸して」

 パン屋から持ってきた紙袋が、担任に渡る。

 ぐいぐいと引っ張られる先、廊下の先の共用スペースからは何か食事の匂いが漂ってきていて、それを嗅いだクーシルは「うわ、いい匂い」と、一層俺を引っ張る力を強める。

 食事の用意が出来たなら、貰うものを貰ってから部屋に戻れば良い。これまで何度もしてきた事。

 しかし、今日の雰囲気はそのこれまでと違う。

 ただ食事が出来ただけではないような、そんな胸騒ぎを感じながら、キッチンのある共用スペースの方に向かわされていく。

 廊下の先、そこに繋がる扉が目の前に来ると、途端、クーシルが俺の腕を離した。

「一分経ったら、入ってきてね?」

「何故そんな事…食事があるだけだろう」

「いーから!一分ね?」

 言うとクーシルは担任に視線をちらと送り、スライド式の扉を人一人がやっと程度、中があまり俺からは窺えないだけ開けて、担任と共に部屋の先へと消えていく。

 言ってる事はぼやけて正確に分からないが、扉の先でワッフルとレグの声を混ぜて始まり出した会話。

 一分。

 あいつらに一体全体何の恩があって、それだけの時間を与えてやらねばならないのだ。

 言われた通り待ってやる理由など俺には無い。扉をすぐにガラリと横に退けた。

「おい」

 共用スペースの、いつも食事を並べているテーブルの周りに集まっていた馬鹿共。

 二つのテーブルを組み合わせて作ったらしいそこに乗った、湯気を上らす皿やスプーンをかちゃかちゃやっていた全員が、驚いたようにびくっと身体を跳ねさせた。

 そして、最初にクーシルが間の抜けた顔で時計を見た後、荒げた声を出した。

「ちょ、バカ!まだ全然一分経ってないじゃん!?」

「どうして貴様らの為にそんな待ってやらないといけないんだ」

「や、えー…」

「クー、どうします?見られましたし、このままやっちゃった方が…」

「あー…あった。ほらこれ、クラッカー」

 レグがしゃがみ、テーブルの周りに置かれていたパンの紙袋とは違う袋をいじると、中から出されたクラッカー。 

 それが、馬鹿全員の手に渡る。

「なにをしてる?」

「はぁ…折角準備の時間稼いだのに…」

「…やろっか」

 担任が困った笑顔を三人に向けた。

 それに頷くと馬鹿共は、揃って俺に向けクラッカーの閉じられた口を見せつけてきた。

「新しい住人ランケくん、ネカスの寮に、ようこそー!」

 担任がすーっと大きく息を吸い、笑ってそう言うと、全員が手に持っていたクラッカーをパンッと破裂させた。

「いらっしゃい、灼…じゃない、ランケ!」

「ようこそです、ランケさん」

「うん、まぁうん、ようこそ、ランケ」

「…なんだ、これは」

 クラッカーから俺を目標に放たれた、弾ける音と紙吹雪。

 髪にうざったらしく降り積もった色紙(いろがみ)の切れ端を払いながら、担任に苛立ちの色が混ざった目を向ける。

「え、感動無しなの?」

「今聞いてるのはこっちだが」

 ようやく、担任がこの状況の事情を話し出した。

「歓迎パーティーをね、クー達と話し合ってやろうってなったんだけど…」

「歓迎パーティー…こんな貧相なのがか?」

 色紙で作ったらしい簡易的にも程がある飾り付けに、テーブルに並んだ料理が今までよりも数と種類を増やしただけの、随分と貧相なもの。

 こんなのが歓迎パーティー?馬鹿らしい、名前負けだな。

「言うなー…ま、実際そうなんだけどさ…」

「思い付いてから三日も経ってませんからね。まぁ、もう少し驚くか喜ぶかしてくれるかと思ってましたけど…」

「お皿とか、ランケくんの買ってからでも良かったかもね…足りてるかなぁ…」

「ぐふっ…」

 三人からそれぞれ出たこのパーティーの裏事情に、クーシルが針でも刺さったような苦しそうな顔でぎゅっと胸を抑える。長いサイドテールがぷるぷると小刻みに震えていた。

 なるほど、こいつが発案者か。

「くだらん…自分の部屋で食う。おい、用意しろ」

 もうこいつらと呆れは、切っても切れない縁なのだろう。

 一人静かに苦しむ馬鹿を無視して、担任に食事の用意を頼む。

 だがそこに、ワッフルが俺の視界に入り込もうと首を伸ばし、口を挟んできた。

「あ、部屋行けませんよ?」

「…なんだと?」

「ふっふっふっ…」

 さっきまで顔をしかめていたというのに、何か仮面でも被ったかのような早さで、俯いた顔を不敵な笑みに変えたクーシル。

「鍵、閉めてもらったんだよね」

「は…?」

「ここでご飯を食べないと、ランケさんは部屋に戻れないという事です」

 俺を引き止めるだけが目的の、咄嗟の嘘ではない事は眼鏡の先の瞳で分かった。

「貴様…」

 鍵の所有権は確実に担任にある。

 余計な事をしてくれたな…と、文句ついでに鍵の解錠を求め睨むが、担任は身体を縮こませ視線をすいっと横に逸しながらも、自分の髪を撫でると小さな声で反論をしてくる。

「私としては、出来たら出てほしいかなー…って?」

「馬鹿が…」

 そんな事を言うということは、察するに、料理か飾り付け、どちらかにこいつも加担しているのだろう。

 鍵を開ける気はさらさら無し…バイトで疲れたというのにこの仕打ちか…。

 どうせ、このまま言い合ったところで、部屋の鍵は開かないのだ。

 未だ身体を蝕んていく疲れを取る為には、確実に、確かな手を選ぶしかない。

 ここで間違えた手を打つ程、この俺は落ちぶれてはいない。

「はぁ…分かった。ここで食えば良いんだろう」


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


「なんでこんな所に連れてきたんだ…」

 他の四人のとはデザインの違う、大方余りなのだろう安物の皿に盛られたサラダを食いながら、こんな最悪の場所に来る事になった元凶、シチューで膨らんだ頬を上下させる呑気な担任に怨みを言う。

 フォークで刺すレタスにも、妙に力が入った。

「ここに呼ぼうって決めたの、あたしらだけどね」

「ん?こいつじゃないのか?」

 問いかけたタイミングで、自分の家から持ってきたパンをほうばったクーシル。

 咀嚼の間を待ってやるのも面倒だし退屈で、とりあえず答えてはくれそうなワッフルを見やる。

「先生も最初は、あなたを引き受けるつもり、そんなに無かったんですよ」

 別に引き受けて欲しかった訳ではないが、ともすれば見捨てるつもりだったとそう言われると、何とも言えない気持ちが底から湧いてくる。

 なまじ、立派な教師面をしていた奴が言っていたなら尚更。

「…」

「……」

 担任の方を一瞥(いちべつ)すれば、気付いた担任は額に汗をぽつと浮かべ、焦った様子で次のシチューを自分の口にぱくりと入れた。

 何も話すつもりはないと。

 好意的に解釈してやる訳じゃないが、現実問題、周りの目を怖がったのだろう。

 公爵家に産まれた者として、他者のも含め、周りの目という凶器に対する意識には鋭い部分があると自負がある。

「そこを説得したのが、何を隠そうあたし達!」

 食っていたパンを飲み込んだクーシルが椅子を蹴飛ばすような勢いで立ち上がって、その胸を得意げに張る。

「一人増えても二人増えてもそんな変わんないからな、ここ」

「この寮、そこそこ広いですから、なんなら増えないと寂しいぐらいです」

「ま、そんな話して、んで連れてこようってなって、その日の内にワクレール行って…そうだ…ね、あれ怖かったよね?」

「あー、あれなー…マジ怖かったよな…」

 話の途中でおずおずと椅子に戻ったクーシルからふと向けられた共感を求める声に、レグが怯えるような顔と言葉を、二人が食事を取りながら静かにこくこくと頷きを返す。

 急に折れ曲がって何の話だ?

「何かいたのか?」

 こんな事にはなってしまったが、次期ワクレールの領主になる予定だった人間として、その不気味な怪談でも始まるような話には興味があった。

 俺の所に来ていた(ちまた)の噂で、何かそういう騒ぎがあったような記憶は特段無い。

 夜の海で、ならば、嘘か真かなのが幾つかあった筈だが…。

「いや、お前の話」

「は…?」

 平民と貴族との間で来る話に違いがあるのかもしれない…そんな事を考えている時にレグに出し抜けに言われ、戸惑いが無意識に口からこぼれる。

「街ん中探して、お前見つけたの夜だったんだけどさ、なんか、あれほら…死神みたいな、そんな感じの雰囲気出しててさぁ…」

 そうそうと、クーシルが自分の頭を何度も頷かせる。

「ふらふら歩いてたんだけど、ちょー怖かった!先生とかちょっと涙目なってたし」

「い、言わなくていいの…!そういう事…!」

 シチューの中の角切りにされた人参を、クーシルの所にさりげなくぽとりと入れたワッフルがちらと横を見る。

「そう言えばクー、あの時写真撮ってませんでした?」

「あぁうん、撮った撮った。なんとなくね」

 人参は明らか目に入っていた筈なのに、特に気にせずに話を続けるクーシル。

 二つ目のが送られてようやく反応を見せたが、それをしたのは担任だった。

「ワッフル、またニンジン…」

「ミー先生いまは写真の話です」

 人参が嫌いなのか、こいつ。

「写真なら貰ってきていま部屋あるよ?…後で見る?」

 ワッフルの方を窺っていると、横からどうする?とからかうような、笑い草でも扱うようなそんな眼差しが向けられてくる。

「見るか、そんな物」

 クーシルはにやりと緩ませた自分の口を手で隠し「ビビリだー」と笑うが、軽く流し、未だ湯気を上らすシチューを一口食べた。

 しかし、こいつらと食うと食事がろくに進まないな…。

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