71話目
71話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
立て続く授業は一つ一つと流れ去って行き、最後が終わった頃には空を夕暮れが制していた。
「じゃーねー、せんせー」
「実地訓練の準備、ちゃんとするんだよー?」
「うーっす」
実地訓練に向けてやる仕事があるのだろう、教員室に向かうミミコ先生とは途中で別れ、他の学院生に混じって階段を降りていく。
「ワッフルの地元かぁ…」
「特別なものとか、ほんとそういうの、無いですからね?」
階段をとんとん降りながら背負ったリュックを楽しげに跳ねさせるクーシルに、あまり期待は持っていかないでほしいとワッフルが冷ました目を向ける。
「ワッフルの地元ってだけですごい特別じゃん。帰るのって、全然久しぶりだよね?」
「王都来てからは一度も帰ってなかったので、一年半ぶりぐらいになりますね」
「そんななるんだ」
階段を降りる歩調に合わせ、ふわふわと上がっては下がる自分の紫がかった黒髪の一束を、ワッフルの指先が軽く捕まえる。
「この髪のこと、友達に話さないで出てきちゃったので…帰る気、あんまりなれなかったんです」
それを聞いて、夏休みの頃を思い出す。
帰省の話もある中、彼女は地元に帰らず、王都に残っていた。
補修云々の問題が起きた事もあったのだろうが、話を聞く限り、例え無かったにしても帰ろうとはしなかったのかもしれない。
「思い出しますよ…。王都に出る前の日に切って、染めてもらって…それからはもうずっとバレないようこそこそして…。王都まで長かったですよ…」
あの時の緊迫感は凄まじかったと、ワッフルが険しい顔付きで重苦しい息を吐く。
「王都に着いてから変えれば良かったのでは…」
階段の最後の一段を降り、大扉までの廊下を進んでいく途中、思った事が口からこぼれる。
ワッフルの視線がすっと俺に流れてきて、眼鏡の奥の丸い瞳がじとりと睨んできた。
「…………ランケさんのこと、嫌いになりました」
「なっ…!」
ワッフルからぷいっと顔を背けられた俺に、レグとクーシルがへらへらと笑う。
「でもさ、それなら実地訓練どうすんだよ?うっかり会うかもしんなくね?」
「…それは」
一応そうなる場合を考えてはいたのか、全く予想外という反応は見せなかったが、未だ自信のある解決策が見つかっていない不安か、靴の音が少し乱れる。
「だ、大丈夫…ですよ。言っても広さはありますから、会わない可能性だって全然…。それに、案外あっちが気付かない可能性もありますからね!」
どこかそうなってほしいと願う調子で、そうなのだからとワッフルは一人頷く。
「会いたかったりしないの?」
「うっ…」
直感か、クーシルがワッフルの横顔を見て一言突く。
痛いところに刺さったとばかりに、紫がかった黒髪がぴくっと跳ねた。
「一緒に写真撮ってたあの二人とかな。すげー仲良さそうだったじゃん」
昨日見せてもらったあの写真一枚で、一緒に写っていた二人が、学校での生活を常日頃共にしていた、親しい友人なのだと関係性が見えてくる。
髪色を変えた自分を見せる抵抗感はあっても、それだけで友人と会いたいという気持ちが押し潰れたりはしないだろう。
「まぁ、会いたいなって気持ちもないわけじゃないですけど…」
本心を素直に明かした彼女の尖った唇は、次にはどこか無理をした様子で反論を紡ぐ。
「でも、だからって、探しに行くわけにも行かないじゃないですか。会わなかったら会わなかったで、それでいいんですっ」
気持ちは揺るがないと、ワッフルは固い口調で言って頬を丸く膨らませる。
「ふーん」
納得したのかしてないのか、クーシルは軽く息を吐いて話を終わらせる。
そして、ワッフルの丸くなった頬を人差し指でえいえいとつっつき出した。
迫ってきた大扉を出て、学院から王都に繋がる正門までの道を踏む。
夕日に照らされた石畳は枝のような分岐をしていて、大多数の生徒はその中から、学院の敷地内に建てられた寮への道を選ぶ。
「あっ、来た」
「ようやくかよ」
石畳を踏んだばかりの自分の足を、憶えのある二人の声が止めさせる。
振り向くと、大扉のすぐ脇にセフォンとリッドの二人が並んでいた。
「セ…セフォン、リッドも」
「あれー?どうしたの?」
クーシル達も気付いて、俺と一緒に二人の前に向かう。
「ちょっと、話したいことあって」
そう切り出したセフォンは俺を見て、提げた鞄を不安定に揺らす。
「だから…一緒に帰りませんか?路面までで良いので」
その誘いの返事に迷ってしまった。
まだ学院からは多くの人が出ている。もしも俺と彼の関係を知っている人間が見ていようものなら、彼に迷惑が掛かるかもしれない。
…しかし、セフォンもきっと、その危険性は承知の上で尚、声を掛けようと思ってくれたのだ。
「あぁ、わかった」
余計な逡巡を振り払い、せめて自分に出来る事をと、沈みかけた夕日のわずかな光さえも届かぬ程、帽子を深く被り直す。
「んじゃあたしらは…」
「ん?なんでこっち来んだよ」
クーシル達は歩き出した俺とセフォンから離れ、リッドの周りを取り囲み始める。
「えぃ」
「やめろよ」
「うぃ」
「んだよ、だから、やめろって」
ワッフルやレグに軽く肘で小突かれながら、徐々に俺達から距離を離していくリッドにセフォンはくすっと笑い、その緩んだ口元を軽く残しながら俺へ顔を回した。
「あ、話なんですけどね。実地訓練決まったんです、今週やるんですけど」
「お、俺達もだ。明後日から」
俺の驚きが伝染したように、セフォンもそうなんですか?と目を丸くさせる。
「えっ、場所って?」
「ロプトーンだ」
まさかと思い口にしてみるが、セフォンは口にするよりも先に表情で、同じではない事を告げてくる。
「あ…じゃあ、一緒とかではないんですね。僕のとこは『コタ』っていう街で」
「コタ…なら、行ったことがある。他の町に行く経由で使っただけではあるが…」
俺の知っている街と聞いて、セフォンから先程よりは小さいが驚きの息がこぼれる。
「僕の初めての実地訓練なんです。家帰ったら色々準備しないとで」
そう語るセフォンの表情には、初めての実地訓練に対する緊張の色が見えた。
「それで、なんですけど。これは持ってった方が良い…とか、そういうのってあったりするんですか?」
「持っていくと良い物…。な、なんだろうな…」
実地訓練で必要になる道具については、配布されるプリントに全て記載されてしまっている。
そうなるとそれ以外で個人的に用意すると良いものになるが…これだと言うものは俺にはない。
しかし、尋ねられたのであれば何かしら答えはしたい。
確実に役に立つ物が無いだろうかと思案していると、話が聞こえていたようで後ろから三人の声が飛び込んでくる。
「カメラっ!カメラ持ってくと思い出残るよっ!」
「お菓子もいいですよ!いつも食べてるやつと、折角だし食べたことないやつがオススメですっ!」
「マイ枕、持ってくと安心して寝れるぞ!初の実地訓練こそ、睡眠取らないとやばいからな!」
リッドにうぃうぃと絡んでいた三人が、クーシルを筆頭に競りのような勢いで候補をそれぞれ挙げていく。
「枕なんて持ってきてたのか…」
実地訓練では常に同じ部屋だったが、まるで知らない話に言葉が漏れる。
「けっこうおもむろに出してたんだけどな…。気付いてなかったか…」
やっぱりかとばかりにレグが強く歯噛みをする。
なんにしても、とりあえず案は出揃った。
「ということらしいが…どうだろうか」
セフォンにどの案を選ぶか尋ねると、眉を寄せてあれこれと検討し出す。
「結構…自由に持ってちゃっていいんですね」
「ネカスだからというのもあるんだろうが…何もかも禁止されている訳ではないだろうな」
「うーん…。じゃあ、お菓子…にしてみます」
自分の案が選ばれた事に、ワッフルが瞳をきらんと輝かせる。
「おー!やりました!わたしの勝ちです!」
「な、なんで…」
「俺らじゃダメだって言うのか…」
片や落選したクーシルとレグは、がくりと肩を落とす。
「ダ、ダメではないんですけど…!枕は無くしたりするの怖いですし…カメラもちょっと、急に買うには値段しますから…」
「真っ当な理由だぁ…」
逆転の芽もないほどに冷静に判断されていたと知り、追い打ちを食らったようにクーシルとレグが更に沈む。
と、三人に囲まれて抑え込まれていたリッドが、セフォンと話す三人の意識が自分から離れたと見たのか、緩んだ囲いからするりと抜け出す。
そして正門に伸びる道から寮の道へと、軽くたたらを踏んで外れていった。
「んじゃ、俺こっちだから。じゃあな、カァレ。また明日な」
「うん。また明日、リッド」
セフォンに別れの挨拶を告げたリッドは、俺と三人にも躊躇いの間を作りながら顔を向ける。
「ネカスも…じゃあな。実地、ちゃんとやってこいよ」
「あぁ」
「おう、じゃな、リッド」
別れの挨拶を返し、明かりの灯る寮へ歩き出したリッドの後ろ姿を見送る。
寮のある区画への出入り口として建てられた、格子状の門扉をリッドが越えようとする。
だが、影から現れた一人の女子生徒がその道を遮った。
待ち侘びていたようにスカートをはためかせ、夕日に長い黒髪を光らせる蒼の制服の女子生徒にセフォンが首を傾げた。
「あれって…?」
「あ、ヨノミちゃんだ」
「待ってたんですかね」
リッドとそのヨノミという名の女子生徒は何やら話し込み始め、ヨノミの方が何かを面白がってくすくすと身体を震わす。
最終的には、呆れたような目付きをしたリッドと肩を並べて歩いていった。
「友達ですかね?」
「リッドのクラスメイトな。俺とランケも実地で一緒になったんだよ」
尚も首を傾げるセフォンに、レグが説明をしながら俺達の傍まで歩いてくる。
「クラスメイトの人なんですか。そういう話、リッドあんまりしないので」
セフォンがそう話す中、脇に感じた小さな衝撃。レグがこっそりと俺に腕をぶつけてきたらしかった。
「そういう事だからな」
「あぁ…憶えた」
ヨノミという女子生徒もまた、レグの話では絶対に接していたというのに、俺の記憶には残っていなかった。
表情に出てしまった初対面の様相を読み取って、セフォンに話すついでに俺にも教えてくれたのだろう。
それ以上は何も言ってこないレグに、これからは忘れないと重く頷く。
「行きましょうか」
セフォンのその言葉に止まっていた足を動かし、五人で正門から王都へと出る。
ネカスの寮とセフォンの家は、全くの別方向にある。
俺達が日頃帰りに使っている停留所とは反対の停留所がセフォンの目的地で、ちょうど路面電行車が速度を落としてそこに止まる用意に入っていた。
「じゃあ、こっちなので」
停留所の前で立ち止まったセフォンが、路面の様子を横目で窺いながら俺達へと向き直る。
「じゃあね、カァレくん」
「それじゃあです、カァレさん。お菓子、ぜひ持ってってくださいね!」
ぐっと両手を握って自分の案を勧めるワッフルに、セフォンがそうしてみますと微笑む。
「実地訓練、頑張りましょうね」
「あんまムリせずな、適度が肝心だぞ」
意気込むのも程々にとレグから言われ、頷いたセフォンの瞳が俺にも向けられる。
「じゃあ…また」
控えめに挙げられたその手に、同じ事をして良いのか迷いながらも手を挙げる。
「ま…また。また、会おう」
路面の側面に取り付けられた折り戸が、ぱたりと音を立てて開けられる。
先に停留所で待っていた学院生や帰りがけの人間が、慣れた様子で乗り込んでいく。
セフォンも別れのお辞儀をすると、その列の最後尾に駆け足で向かっていった。
「じゃあねー!」
にひーっと笑顔でセフォンを見送っていたクーシルだったが「…ん?」と一言呟くと、大きく振られていた手がスローになっていく。
「ワッフル、あのさ」
「どうしました?」
「あたしらってさ…カァレくんに名前言ってなくない?自己紹介とか…してなくない?」
「…してないですね」
徐々に焦りが侵食していく自分の顔を、クーシルがレグに回す。
「レ、レグはもう言ったんだもんね?前、ピザ食べたって言ってたもんね…!?」
「まぁな」
前の休日にセフォンとレグは挨拶を済ませていたが、クーシルとワッフルに関してはそういった時間は設けられていない。
未だ自分達の名前が知られていないと思い至った二人に、レグが面白がるような息をふっと吹いた。
「じゃあれじゃん。カァレからしたら、クーもワッフルも名前知らない謎の人間じゃん」
「な、謎の人間…!それヤなんだけど…!」
「ク、クー!カァレさんが!カァレさんが連れてかれちゃいます!」
「やばっ!」
折り戸が閉められたのを見て、クーシルとワッフルはばたばたと停留所を駆け上がっていき、止めていた車輪をゆっくり回転させ出した路面を必死に追いかけていく。
幸いにも折り戸側の席を取っていたセフォンの背後に窓を隔てて近付くと、気配がしたのか、彼はそんな二人に気付いて若干肩を縮める。
「あ、あたしっ!クーシル・ラフィス!クーって!クーって呼んでー!」
「ワ、ワッフル!ワッフルです!ワッフル・ロロルでーす!」
路面に並走しながら、クーシルとワッフルがセフォンに自分の名前を叫ぶ。
セフォンとその近辺に座る一部の人間を驚かせながら、二人は停留所の端の限界に着くまで自己紹介を続けた。
夕日を染み込ませるようにゆっくりと大通りを走り出した路面の中で、二人に圧倒されていたセフォンも、最終的には名前を憶えた事を大きく頷いて伝えていた。
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目の前から放物線を描いて飛んできた洗濯ばさみ。
落ちる場所を簡単に予測して、椅子の上で構えた手でそれを受け止める。
寮の廊下に点けられた夜の暗さを跳ね返す明かりが、レグに投げ返した洗濯ばさみを、一瞬だけその目眩い光に紛れさせる。
自分の部屋の扉に背中を凭れさせていたレグは眩しさに目を凝らすが、それでも小さな影をしっかりと捉え、床に座ったまま、口のように構えた両手の中に洗濯ばさみをぱしっと収めた。
「することねーなー…別に準備明日でいいし」
今まさに暇つぶしをしながら暇そうに喋るレグは、俺にまた洗濯ばさみを投げてくる。
「明日、午後からお前どうすんの?なんか買い行くなら付いてくけど。暇だし」
かすかな衝撃を与えて、洗濯ばさみが俺の手に落ちてくる。
ロプトーンに出発するまでの日付の猶予が短い懸念もあってか、ネカスは明日、授業は午前で終わりと放課後に先生からその旨を通達された。
同じような対応はネカスに限らず割と良くある事で、レグもこれと言った特別感なく口にする。
「特にないな。必要な物は揃えてある」
「だよなー」
レグに再度洗濯ばさみを投げ返したその時、玄関から響いてきた呼び鈴の音。
「ん?…あ、やべ」
特徴的な音に顔を引っ張られたレグが、宙を落ちていた洗濯ばさみを思い出して受け止めようとするが、予測地点が外れ、手に弾かれる。
「誰だろな?夜だけど」
床を転がった洗濯ばさみに腕を伸ばしながら、レグの顔は玄関へまた向けられる。
「…出た方が良いか」
もう夜も遅い。この時間での来訪に警戒心を持ちつつ、椅子から軽く腰を浮かす。
と、共用スペースから、ミミコ先生がスリッパをぽすぽすと鳴らして歩いてくる。
「私が出るから」という表情だけの言葉を先生から受け取り、俺もレグも浮かした腰を椅子と床にそれぞれ戻す。
玄関の扉はガラスになっている、誰が来たのかは開ける前に判別が出来る。
「えっ…!?」
扉の先にいた来訪者と顔を合わせた先生は、横顔だけでもその驚愕が分かる程、大きく開けた口を手で抑え、目を瞠った。
「ちょ、ランケ、行こうぜ」
「…誰なんだ」
扉の鍵を開けに土間へ降りた先生を追って、レグと玄関に歩いていく。
鍵と扉の開く音がした玄関から入ってきた一人の男。
顔は見知らぬ顔だったが、服装だけは見慣れていた。
しっかりと着込まれた丁寧な印象を感じさせるその服は、執事用の服だった。
両手に一つずつ持たれた大きな鞄を、執事服の男は玄関に置いていく。
そして、寮に上がる事はせずに静かな所作で踵を返すと、扉の手前で止まっていた先生を越え、外に立っていた白の制服に深く頭を下げた。
「…それでは、シルバレード様」
開け放たれた玄関から流れ込んでくる、執事が仕える主の名と肌寒い王都の風。
「………」
夜のような沈黙のまま、横を通り抜けていく執事をシルバレードは何もせずに見過ごす。
不意に夜風が強く吹き付けた。
為す術もなく連れ去られそうになる、シルバレードの銀色の髪。
月明かりが暴いた彼女の苦しげな瞳は、その髪に美しくも傲慢に隠されてしまった。




