第六話
六話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
窓から差し込む光。
何日の間、俺はここで月と太陽の入れ替わりを眺めていただろうか。
部屋の、貴族寮で使っていたのよりも一回り狭いクローゼットの周りには、メイドから貰ったあの着替えが少量入った鞄と、そこに被さるようにして置かれた一般生徒用の制服。
どちらも、ネカスの担任…いや、俺の担任から渡された物。鞄に関しては、どういう経緯か預かっていたらしい。
あそこまで向かう気になれず、ベットの上でただ呆然と壁を見つめていた。
と、扉の奥から何人かの足音が近付いてくる。それは俺の部屋の前で止まり、こつこつと扉を鳴らした。
「灼熱、行こーよ」
あの、女子にしては背の高い奴の声。
足音の数からして、ワッフルとレグ、そう呼ばれていた二人も傍に付いているのだろう。
「…出ませんね」
「プライド高そうな奴だったからな。やっぱ受け入れらんないだろ」
「…はぁ…行こっか」
諦めたような声の後、奴らの足音は遠ざかり、玄関を開けたような音が響かせた。
諦めたような声、だったが、かれこれ奴らはほとんど毎日ここの扉を煩く叩いてくる。
この俺を、外に連れ出して笑い者にでもさせたいのだろうか。
くくっ、と、笑い声が聞こえてきた。
誰かが俺を見て嘲笑っているのかと思った。
だが違う。笑っていたのは自分。
決闘に挑み無様に負け、父に見限られ、落ちこぼれのクラスへと転入。
醜態だ。
こんな姿、誰にも見せられはしない。服や帽子で隠せる醜さではない。
いつかは考えた窓からの逃走も、行き先が無くなったのだ、霧となって消えていった。
このまま何もせずにいたら、俺はどうなるのだろうか。
ネカスで預かる、とは言っていたが、このまま無気力でいれば、確実に俺は退学を迫られるだろう。
学院は別に、身寄りの無い人間を無条件に預かる場所ではない。
退学になったら、もうお仕舞いだ。
いや、もうとっくに俺は終わっているのかもしれない。
…けれど。
だと言うのに、胸には死への純粋な恐怖が転がっていた。
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窓の外の光は徐々に弱まりを見せ、ついには暗闇が差し込むようになった。
扉が、控えめな音で叩かれる。
「ラ、ランケ…くん?」
学院での仕事が終わったらしい担任。
こいつも奴ら同様、毎日のようにうっとおしくも扉の前に来る。それも、周りには必ず奴らを連れて。
「……」
「えっと、もう一週間…だよ?そろそろ授業とか…出てみないかな?」
授業を受けてどうなる。
俺にはもう、それを活かす先はない。
ましてやネカスの授業なぞ、聞くだけ無駄というもの。
「こ、このままだと退学になっちゃうかもなんだよ?」
「…知っている」
ここの壁はそう厚くない。
あいつらの声が邪魔くさいぐらいに聞こえるのだ。程々の声を出せば、会話には十分足りていた。
「お、灼熱返事した」
「静かにですよ、クー」
「はーい…」
クー…それがあの背の高い奴の名前か。
「い、良いの…それで?」
「………」
「ねぇ、ランケく…」
「煩い…!いい加減にしろ…!」
うだうだうだうだと小さな声で話をされ、苛立ちが明確な形を成していく。
壁をダンと殴り、扉に向かって叫ぶように声をぶつけた。
ネカスの、こんなゴミ溜め以下の担任の説教など、聞く価値もない…。
「退学になるならいっそなれば良い…!」
吐き捨てるように言えば、扉の奥には沈黙が現れた。
その沈黙から逃げるように、一人の足音が遠くへと消えていくのが耳に触れた。
あいつも、諦めたのだろうか。
治まらない苛立ちから床をジッと睨んでいると、遠くに行った筈の足音が、妙に大きくなって帰ってきた。
この感じ、少し前にもあった。
あの時は無様を晒し部屋にずけずけと入り込まれてしまったが、二度目は無い。
あれ以来、あいつらが食事を運んでくる時はきちんと警戒してきたのだ。
どんな奸計だろうが、今日だって躱してやる。
「え、ミーせんせそれ…」
クーと呼ばれた奴の、虚を突かれたような反応。
何をしてくるのか、引っ掛からないと意思は固めただったが、それでも、その声で扉に目がちらと向く。
なにか、カチャカチャと金属のような音がした。
何か起こるのか不安で、腰掛けていたベットからとんと降りる。
カチャカチャと鳴っていた扉が、静かに。
が、それもつかの間、ガチャンとまるで鍵が開くような、そんな音が部屋に広がった。
「…?」
ゆっくりと、閉めた筈の扉が動いた。
自分の目が、丸くなるのが実感できた。
「が…が…がっ、学院に…来なさいっ…!!」
「なっ…!?」
扉の先に立っていたのは、顔を真っ赤にした寝間着姿の担任。
涙を瞳に貯め、ぷるぷると小さな身体を震わしながら、俺の部屋にドンドンと大きな足音で乗り込んでくる。
「く、来るな…っ!」
反射的に後ろに下がれば担任も追い立てるように詰め寄ってきて、最後には壁に自分の背中が強くぶつかった。
「ど、どうやって…!」
「…マスターキー、使ったの」
右手に持った、普通とは違う作りの鍵。
それを担任は、俺の顔でも殴るような勢いで目前までぐいと突き付けてくる。
「せんせー怒ったぁ…」
「初めて見たかもな…」
「結局使うんですね…」
担任の背後で、あの三人が驚いたような表情で扉から顔を出していた。
後ろから届く声を踏み潰すように、どんっと、担任のスリッパを履いた足が一歩。
しかしそれは、勇ましさというよりも、無様と呼べるぐらいの必死さ。
「い、いーい!?ランケくん!!私はあなたの、た、担任なの!わ、私の生徒なんですから、授業、う、受けに来なさいっ…!!」
時折裏返る、弱々しい絞り出されたような声。
だのに、そこには何故だか解らない恐ろしい迫力があった。
身体がもう壁にぶつかっているというのに、限界まで後ろに下がってしまう。
「い、いや、だが…」
俺の反論に耳を貸そうともせず、むしろ大きな声で遮ってくる。
「次っ!君が来ないなら、君の部屋をここから、きょ、教室に変えちゃいます…!」
「なっ…!?」
担任が、テーブルにとりあえずで置いておいたこの部屋の鍵をばっと奪い取る。
「おいっ!それはっ…!」
手を伸ばすが、ぺしっと、子供のつまみ食いでも止めるように上から手で叩かれる。
「これは没収です!」
スリッパでとは思えないドンドンという足音で、担任は廊下へと出ていく。
愕然と立ち尽くしていると、入れ替わりで扉に隠れていたあいつらが部屋に入ってくる。
「あーあー、ミーせんせ怒らしたー」
「な、なんなんだ、あいつは…」
もうこれ以上誰も入ってこないというのに、開けっ放しの扉から目が離せない。
「俺らの先生。あんなのは初めて見たけどな…」
「教室、来た方が良いんじゃないですか?少なくとも明日ぐらいは」
「本当に部屋、教室になっちゃうよ?」
「……行けるか」
俺の拒否を、生真面目そうな眼鏡が無許可に拾う。
「人目なら大丈夫ですよ。わたし達のクラスの部屋、他からは離れた場所にありますから」
そーそーとクーらしいのが頷きながら、馬鹿らしい楽観的な声で続いた。
「それに、今の話題はみんなあの5属性持ちの方だから。ま、灼熱のも無いわけじゃないけど」
「では、わたし達も戻りますね。…先生、自分の部屋ですかね?」
「かもね」
「じゃなー」
プライバシーを無くした俺の部屋から、三人がおやすみと言いながら立ち去っていく。
全く、寝れる気配がしなかった。
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眠りに付いた時間は遅かったというのに、目が覚めたのは学院が始まる一時間前の事。
一年間の繰り返しで、最早習慣となっているのだろう。
環境の違いでそう変わることでは無いらしい。
布団から眠気にのしかかられた身体を出し、柔らかい縁に腰を置く。
左には、鞄と一般用の制服が。
昨日の夜クローゼットを開けて分かったが、行方不明になっていたコルファ用の制服もあの中に一応掛けられていた。
誰だかが、俺をジャージに着替えさせた時に仕舞っておいたのだろう。
クローゼットの方をじっと眺める。
担任のあの、弱々しくも迫力を纏った怒り。
…思えば、俺の人生であそこまではっきりと怒られた事は、初めてだったかもしれない。
父も、怒りを見せる人ではあった。
しかしその怒りは、皆まで言わなくても自分のした罪の重さが分かるだろうと、静かながらに重い空気を呑まして伝えてくる物だった。
メイドや執事が主人に怒ることは当然あり得ず、母も、声を荒げて怒るような性格の人ではない。
だからだろう、あの未知の怒りに、何かが動いてしまったような気がしていた。
何処までいっても、どんな感情を見せても、あいつは所詮、このネカスを任されてしまった憐れな人間。耳を傾ける価値など無い筈。
「はぁ…」
深く、ため息が漏れた。
また、あんな顔で部屋にずけずけと乗り込まれて、ばかすかと子供みたく暴れられても困る。
昨日の言葉を真実であるなら、本当に俺の部屋が教室になりかねない。あいつには現に、その権利があるように思える。
明日以降はひとまず置いておくとして、今日は…あれだ、あいつの機嫌取りの日だ。
そういう風に決め、ベットの縁から腰を重くも上げる。
クローゼットに、嫌々ながら近寄った。
ネカスに放り込まれたからと、一般用の制服なんて着れる訳が無い。
クローゼットからコルファ専用の制服を取り出し、がさごそと着替えていく。
途中、制服の襟に付いた校章のボタンに動きを止められながらも、そう時間を掛けずに制服一式を着込んだ。
後は学院用の鞄だが…俺の周りにあるのは、家に帰る時に持っていった、それとは違う私物の鞄のみ。
その中にあるのは精々着替えぐらいで、授業用の教科書などは貴族寮に置いてきてある。
いや、貴族寮から俺の部屋が無くなっていたとすれば、それも軒並み廃棄されているかもしれない。
まぁどうせ、あいつらの授業など俺らがとうの前に済ませた所の筈。話半分で聞いて、終わるまでやり過ごせば良い。
あいつが望んだのは学院に来て、授業を受ける事。真面目に取り組めなどとは要求されていない。
制服の袖だったりを軽く引っ張って直し、クローゼットをぱたりと閉じた。
制服にスリッパ。
なんとも不釣り合いな服装で、着心地が悪い。
それでもとにかく、身支度は整えた。
窓からの日を浴びる扉の方に、スリッパの先を向けた。
扉の前にまでは立てたが、手を掛けたドアノブを、下に落とす気にならない。
…と、忘れていた、帽子。
未だ前髪も直せていないのだ。
妹は整えればもっと良くなると言ってくれたが、俺にとってはこれはあの戦いでの、恥の染みた傷。整える事はない。
クローゼットにまた戻り、一つ寂しく掛かっていた帽子を手に取った。
それを片手で持ち、また扉に。
鍵も何もあったものでは無い扉だが、妙に、開けるのに力が必要だった。
ガチャンと、ドアノブが傾く。
「…お」
開けた扉の隙間から、すぐに誰かの声が入ってきた。
扉を開けきってみれば、あのクーと呼ばれていた奴がいつかのように前の部屋の扉に背中を預けて、目を丸くさせていた。
他の二人も当然のように傍にいて、レグらしい奴はしゃがんでこちらを見上げ、間抜けな顔で大欠伸を。ワッフルらしい奴は掛けたメガネの下、ぱちぱちと驚いたように目瞬きをする。
三人とも、揃って同じ一般用の制服。
「…何故いる」
「学院までの道、分かんないでしょ?」
「まだ一時間も前だぞ…」
部屋から見た外は、明るくなる余地を十二分に残していた。
「え?や、一時間しかだよ?」
「…ん?」
互いの中にある考えが、どこか食い違っているような会話。互いの眉間が中心に寄る。
「…あぁ。ランケさんって、前は学院内の寮に住んでたんでしたよね?」
「…そうだが?」
俺が頷くと、壁を背にしゃがんていた奴が、訳知り顔のような表情を見せた。
「あ、時間感覚違うのかー」
「あーあー、なるほどねー…」
俺を除いた三人が訳知り顔になり、まるで、ネカスが分かる事を俺が分かっていない様で、腹の底から気分が悪くなってくる。
「なんだ、早く言え」
「いやだからさ、学院内の寮なら一時間前でもフツーに余裕かもだけど、こっち、学院から遠いところだからさ。路面使わないとだから、結構急がないとだよ?」
「…そ、そうなのか?」
「そ。朝ご飯せんせー用意してったからさ、早いとこ食べよ。遅刻するよ」
クーらしい奴は扉から背中を離すと、ほら早くと俺を急かして他の奴と共に廊下の先へと歩いていく。
何様なんだ、こいつは。
しかしそうか…確かに、窓から見えた時計塔までも、結構な距離があったような記憶がある。
思い返せば、これまでこいつらはそこそこ早い時間に俺の部屋の扉を叩いていた。
あれは、路面電行車の発車時刻に合わせて…なるほど、そういう事だったのか。
だが、朝食か…。
今日までも仕方なく仕方なくと自分を騙して用意された食事を食べてきていたが、本格的にこいつらと席を囲んでとなると、どんどんネカスに馴染んでいってしまっているようで悪寒がしてくる。
食事の物によっては、これまで通り部屋に運んで食べる事にしよう。折角開けた扉ではあるが、二回目はそう重くはないだろう。
そう計画し、ゆっくりながらも奴らの背中に付いていってやっていると、クーらしいのが突然振り向いて、呆れたような目を不遜にも俺に向けてくる。
「おそ…ちょ、ねっ早く!」
「…煩い。大声を出すな」
「じゃ早く来てよ…」
俺とクーらしい奴の声に反応し、ワッフルらしいのも続いて顔を後ろに向けてくる。
「というかですけど、なんで制服、もらったのじゃないんですか?ありましたよね、部屋に」
「ふん…貴様らと同じのなぞ着てられるか」
「…そうですか」
「なんだ、その目は…」
ワッフルらしいのまでもが、俺に呆れたような目を向けてきた。