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貴族様の成り下がり  作者: いす
七章

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58/69

58話目

58話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

 担任の言葉にクーシルの言葉。

 その両方が俺の眠りを妨げ、翌日は目覚めた段階から既に学院には遅刻だった。

 窓から差し込む日差しは朝特有の薄い色合いを剥がし、青空と合わせたような物にすり替わっている。

 昨日と同様に、授業が全て終わるまでに登校さえしてやれば良いのだと自分にその考えを書き込み、気怠い身体を起こして朝の支度を何に追われるでもなく済ませていく。

 顔を洗い、共用スペースで朝食を取り、起きがけにし忘れていた観葉植物に水をやり、白の制服に着替える。

 昨日は着れなかった白の制服だが、今日はシワを伸ばしてきてある。

 昨日と同じくテーブルに置かれていた昼食を鞄に仕舞い、軽い荷物の確認をして玄関に向かう。

 昨日、靴箱に置かれていた玄関の鍵はまだ手元にある。

 そう言えばその鍵は渡さないままバイトに向かったが、帰った時には玄関は開いていた。スペアの鍵がもう一本あるのだろう。

 玄関のガラス扉を退けて外に出る。

 この時期にしては珍しい連日続く太陽は眩しく、頭を少し下げて目元に帽子で影を作る。

 日陰の視界で鍵を閉めながら、この後の行き先を悩む。

 学院の放課後でもそうだったように、俺にはこういった時間に()ぐに思い付くような目的地がない。

 閉めたばかりの鍵を開けて寮に戻るのも案なのだろうが、ガラス越しに見えた森閑(しんかん)とした寮に戻るのは行く宛の無い自分を認めて逃げ帰るように見え、鍵穴から抜いた鍵は鞄の一番底に放り込んだ。

 停留所までの道のりを歩きながら、しかしどうするかと頭を悩ます。

 王都にはこの俺の悩みを解決する物など、きっと(あふ)れかえるように存在しているのだろう。

 対照的に、俺がそれに触れる手段というのはあまりにも乏しい。

 馬鹿共の何かを見つけるという感度の高さを、別に誉めるわけじゃないが、そこばかりは確かな得手不得手があるものなのだと実感するものがある。

 と、気付けば学院行きの路面が来る停留所に着いてしまった。

 それどころか俺の悩みが晴れぬまま、王都の道に敷かれた線路を路面が伝ってくる。

 迫り来る車体に焦りさえ生まれた時、あの路面が連れて行った終点で起きた、昨日の奇妙な一幕が思い起こされる。

 何かに期待していたのかそれすら自分でも分からなかったが、路面が目の前で扉を開け放つとそこを目指して乗り込むしかなかった。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


「あ…」

 学院の前を流れ、着いた終点の停留所のベンチに腰掛けていると横から声がした。

「貴様か」

 停留所に来たのは昨日と同じ一年の男で、青空より濃い蒼の制服と鞄は変わらず、一つだけ紙袋が荷物には足されていた。

「あ、あれ?憶えててくれたんですか」

 男の開いた口を見て、自分のした発言に違和感を覚える。

「…そう、だな。何故かは知らんが」

 昨日ここで出会った男だとなんの障害もなく認識したが、実地訓練で接する騎士でも何でもない全くの他人。

 この時間にこの停留所に来る制服などこの男だけだろうという状況の推理からではなく、単純に俺は記憶にこの男を書き記していた。

 俺にとって無意味で無価値な人間の顔を、俺は何故憶えていたのだろうか。

 次に会った時は無縁の他人だと自分から言ったというのに、誰も理由の分からない面識がそこには出来てしまっていた。

 互いに悩むような顔を見せ合いながら、男は俺の使うベンチの隣、もう一つのベンチの昨日と同じ場所にゆっくりと腰を下ろす。

 鞄と紙袋が男の腹に(もた)れる形で置かれ、座るその身は小さく見えた。

「今日も遅刻か」

「まぁ…はい」

 苦い顔をして頷いた男の視線が、昨日から大きく変わった俺の白の制服に向く。

 理由を知りたそうな思いが先に表情に染み出し、ついには口からあふれた。

「制服…白のなんですね。確かコルファの人だけですよね、配られるの」

「いいだろう、別に」

「でも、その…ネカスなんですよね?クラス」

 この男は俺が誰かを知っている。

 ならば、ネカスに堕ちた事も知っていて当たり前か。

 嫌な確認をされ、返した言葉には苛立ちが()もった。

「ネカスにいるから着てはいけない訳では無い」

 何も言い返せなくなったのか、男は微妙な顔で口を閉じる。

 が、直ぐに違う質問が会話を繋いでくる。

「そう言えば、ネカスの寮ってこの辺なんですか?学院の中じゃないっていうのは、聞いたことあるんですけど」

 学院の前を素通りして終点にまで来ているなどと、自分の行動を一から全て明かすのはあまり気が進まない。

「…いや、違うな」

 一瞬の躊躇の所為(せい)で、返答がかなり質素なものになってしまった。

「…?」

 男は当然、俺から補う言葉が発せられるのを待っていたが、欠かしたまま視線を外す。

 と、男の小さな身動きに合わせて膝に置かれた紙袋がくしゃりと鳴る。その音を聞いて紙袋を顎で指した。

「それは」

「あ、これ、昨日ノート足りないの気付いて買ってきたんです。気付いたの夜だったんで、ほんとついさっき」

 男は紙袋を開けて中から一冊の簡素なデザインのノートを取り出すと、紙袋をくしゃくしゃと騒がせながら折り畳んで、ノートと共に鞄の中に仕舞い込む。

「遅刻はするくせに勉強はしてるのか」

「…そうですね。自習とか、よく(うち)でしてて」

 馬鹿共では見たことのない光景だ。

 その後も大した意図も意義もない会話が小さく広がっては静かに閉じてと繰り返され、ある程度すると停留所に箱を抱えた大荷物の客が一人増えた。

 危うげな足取りの客は男の座るベンチの脇の地面に荷物を置いてそのまま隣に腰掛ける。男と俺の間に壁が生まれ、会話に幕が掛けられた。

 そうなったのならば後は路面が来るだけだと、到着までの時間を静かにベンチで待つ。

 …待っていたのだが、一向に路面が来ない。

 停留所の脇にそびえ立つ電灯のような高さの時計は路面の到着予定時刻を10分は過ぎている。だが、王都の道先に路面は見えもしない。

 それから更に5分経ったが何も状況は動かず、ベンチから男が立って何事かと俺に顔を向けてくる。

 無論分かる訳もなく首を横に振って応えると男は時刻表に向かい上から下に、一歩下がってから果ては裏側に実は特殊な記載があるのではないかと回り込むが、この異変を解き明かす物は見つけられず、目で何かあるかと尋ねる俺に首を横に振る。

 休日であれば時刻は多少変わるが、今日は平日。それは間違いない。

 来るべき物が来ないという予定の根幹に組んでいた物が抜け落ちると、これからの事にも途端見通しが立たなくなる。

 大荷物の客も事態に気付いている様で、(しき)りに路面が来る道の先をベンチから首を伸ばして覗いていた。

 と、その道を駅員の制服を着た一人の男が走ってくる。

 停留所にまで駆けて来ると、肩で息をしながら苦しそうに喋り出した。

「も、申し訳ありません…!路面の方で現在、機械トラブルがありまして…」

「えっ、こ、来ないんですか?」

「復旧は行っていますが、それでも午後からの見通しになりそうで…」

 呼吸もだいぶ落ち着いてきたようで、近くの時計を見上げてから駅員は午前の運行は厳しいと告げてくる。

 今まで出会(でくわ)すことは無かったが、路面電行車は未だに試験運行中。こういった事が起こるのは必然とも言えなくはない。

 しかし午後からか…授業が終わるまでとは思っていても、昨日から大きく遅れるのは周りに余計な勘繰りを与えそうで面倒ではある。

 だからと徒歩で行ける距離かと言われれば怪しく…そう一人でこれからの動向を悩んでいると、駅員が俺を見て、怯えにも写る慌て方をした。

「あっ…!よ、よろしければ、連絡などさせて頂きますが…ば、馬車の手配なども…!」

「…いい」

 駅員の目には、俺の白の制服しか目に入っていないらしい。

 貴族か何かかと思いあからさまにへりくだってくるが、並べられた提案を一言で断る。

「わ、分かりました…。それでは、急いで復旧させますので!」

 連絡係として忙しいのか、駅員は停留所を降りてまた何処(どこ)かに駆けていく。

 馬車で送られるのは妥当な提案であったが、そこまでして学院に行きたいかと言われれば別で、変な勘繰りを与えてはしまうだろうが面倒さを受け入れてやることに決めた。

「よかったんですか、断って?」

 男は駅員を見送っていた顔を、ベンチに座ったままの俺に移してくる。

「遅れるなら遅れるでそれで良い」

「でも、大丈夫ですか?寮、この辺じゃないんですよね?午後までまだありますけど…」

 男の視線を追って時計を見上げるが、午後と呼ばれる時間までは優にあった。

 路面が使えないという事は、学院よりも距離のある寮にも向かえないということ。

 時間を潰す為に来たこの場所で、俺は更に時間を潰す何かを見つけなくてはならなくなってしまった。

「…どう、するか」

「どうしましょうか」

「貴様は家に戻ればいいだろう」

「どうしよう…」

 俺の問題に俺よりも考え込む男の行動に不可解な眼差しを送っていると、もう一人の客からも困ったような声が聞こえてきた。

 午後からとなれば、誰にしても予定は大幅に狂う。ベンチ脇の地面に置いた大荷物に、客の眉根が険しく寄せられていた。

「……」

「…ん?」

 男は困った客の様子をじっと捉え、何事か言おうしているのか、小さく口が開いていた。

 だが躊躇(ためら)っているのか竦んでいるのか、言葉は発せられない。男の瞳に迷うような色が滲んできた。

「手伝いたいのか」

「その…困ってそうなので」

 俺に問われ、見抜かれた事に戸惑いながらも男は深く頷く。しかし、逆にそれが迷いを晴らすきっかけにでもなったのか、少し長く呼吸を取ってから客に声を掛けた。

「あの…だ、大丈夫ですか?運ぶのお手伝いとか、その、したりとか…」

「あ、あぁ、大丈夫です。すいません…」

「あ、いや…すみません」

 男と客、お互いしどろもどろに頭を下げて引き下がるが、どちらも本意という様子ではない。

「……」

 手伝うと言った男の姿を見て、馬鹿共もこういう時に手伝いたいと言い出すのだろうと、ぼやけながらも姿が重なる。

 重なった馬鹿共の幻に惑わされ、余計な口出しをしてしまった。

「手が必要なら素直に言ったらどうだ」

「じ、時間あるんで、お手伝いさせてください…!」

 俺の言下に男がもう一度、客に手伝いを申し出る。

「そう…?わりと歩く事になると思うんだけど…」

「へ、平気です!歩きます!」

「それじゃあ……良い?お願いしても」

 自分の躊躇を明かすようにしばらく唸った後、客は険しい顔を申し訳無さそうに崩す。

「は、はいっ!ど、どれ持ちましょうか?」

「そうだな…ちょうど箱三つだし、一人一つだよね。一番重いのは僕が運ぶから、残りは…」

「あ、か、彼は…」

 俺は無関係なのだと男が言おうとするが、客の方は厚かましくも俺を頭数として数え、重さにそれぞれ差があるのか、どの箱を誰に割り振るかにすっかり気を取られている。

 声が届いていない事に男はどうするかと目で助けを求めてくるが、不幸と呼べは適切なのか、こういう巻き込まれる形は俺にとってはむしろ自然ですらあった。

「…仕方ない」

 雑用など気には喰わないが、余っていた時間の使い道だと思ってやればいい。

 路面が来なくなり本来の機能が損なわれてしまった停留所は、建物としての存在の重量と呼ぶべきか、それが軽くなったような異質な気配があった。

 だからなのか、ベンチに預けた身体(からだ)は自分が思うよりも軽く持ち上がった。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 困っていた客の大荷物を運ぶ手伝いが始まった。

 頂点に辿り着かない太陽を掲げる未完成の青空の下、客の一歩後ろでその足から伸びる影を挟む形で一年の男と歩いていく。

 ひとまずは本来路面で進む筈だった大通りを、車道に敷かれた線路に沿うように歩道を進んでいく。

 この抱えた荷物の目的地がどこなのかは、こちらから訊かずとも客が勝手に話し出した。

「僕ね、いま王都でピザのお店新しく始める準備してるんだ」

「そうなんですか」

 興味がある話なのか、一年の男が積極的に話へ相槌を打つ。

 それに気分良さげにして、目の前の客は更に話を続ける。

「それで色々道具買ってきたんだけど…まぁ、結構な量になっちゃって」

 その話を聞いて、揺れる箱の中からかたかたとかすかに伝わってくる硬質な音の正体が、重ねられた皿だと理解する。

 中身のありきたりさに後悔はあったが、この腕に伸し掛かる重さとは、運び切るまで付き合うしかないという思いは揺らがなかった。

「ほんとは馬車で帰る予定だったんだけど、その分のお金も使っちゃって。路面しか頼れなくてね」

 が、路面に向かったら向かったで機械のトラブルで乗ることは叶わず、ああして途方に暮れていた。しかしその不幸は、聞く限り回避のしようがあった筈だろう。

「店を開く人間が、そんな甘い金の使い方でいいのか」

「気を付けないとだよなぁ…」

 痛みが走ったように客は顔を引き攣らせたが、そうだと言うと俺と男に目を配ってきた。

「忘れてたけど、名前は?僕は『エトイ』って言うんだけど」

 客の目を受けた男が、俺に何かの意図で目配せを一つしてくる。

 こちらに先を譲る目的でかと思ったが、どうやら違うようで先に男が名乗った。

「…『セフォン』です」

「ランケ・デュード・グラントル」

「セフォンくんとランケくんか」

 手伝わせている身で軽々しい呼び方をしてくるものだ。

 だが、セフォンか。

 客の名前はいまいち記憶には刻まれなかったが、セフォンという名は今持っている一年の男という記憶と強く結び付き、更にその存在を強固な物にする。

 どうやら俺は、セフォンという名を憶えたらしい。

「二人共制服だし、学生さんなんだよね?」

「あぁ」

「白の制服って中々偉い人が多いって聞いてたけど、普通に優しい人もいるもんなんだね」

「…ふん」

「……」

「二人って、友達とかなの?」

 代わり映えしない道に面白みを見つけ出そうとしているのか、立て続けに質問がされる。

「…僕と彼は」

 セフォンが俺に顔を運んでくる。

 返した瞳を避けるようなその目の振る舞いだけで、友人ではないと言える。

「……まぁ、顔見知りか」

 当たり障りの無い、その上で無駄に間違った解釈もされない言葉で済ませると、話として十分満足したようで、客は言葉にはなっていない適当な相槌を返した。

 本来は路面で進む道だったとはいえ、店までの道のりははっきり分かっているのか、立ち止まりもせず突き進む客を追って大通りをただ歩いていき、路面が当面現れない停留所をいくつか越した所で脇の道に入った。

 路面であれば一瞬で着く距離だったろうが、徒歩で、しかも重さのある箱を抱えてとなると立派な労働だ。

「はぁ…」

 セフォンは一度の呼吸を大きくしていて、疲れが表に出てきている。

 セフォンとしてはあまり自分の疲弊は悟られたくなかったのか、俺から視線が向けられていると気付くと、気合を入れるように箱を胸の前にまで持ち上げ直した。

「手は貸さんぞ」

「…はい。自分で言ったことですから」

「分かってるならいい」

 俺とセフォンのやり取りは前を行く客にも聞こえていたようで、客の足が遅まる。

「大丈夫?一回休もっか」

「いやっ…!大丈夫です」

「そう?あ、この階段降りたらすぐだから」

 行く道に現れた長い階段。

 手すりが付けられるぐらいには勾配があり、客としても意識している箇所らしく、足元気をつけてねと俺とセフォンに注意を促すと、箱を横に退けて自らの目で足場を確認してから段差を慎重に降りていく。

 階段の両脇には家々が建ち並び、その内の一軒の幅の狭い鉄の門扉(もんぴ)には、植物のつるが半分枯れながらも巻き付いていた。

 具体的に何が見えてきた訳でもないが、客が言うにはゴールは近くなってきている。

 身体(からだ)に溜まっていた疲れも到着間近と知り誤魔化され、前に出る足は力を取り戻す。

 階段を下って数分ばかり道を進むと、客が足を止めた。

「着いたよ、ここが僕のお店」

 周囲には普通の民家も並ぶ道の一箇所に、隣の家とさして変わらないサイズで客の店は建っていた。

 道具を買う段階の店とあって外観にらしい看板やメニューなどの飾りはないが、ガラスの張られた壁から覗く内装には、店らしくレジやテーブルが詰め込まれて配置されていた。

 そこまで時間の掛かる買い物だとは予定していなかったのか、無用心にも鍵の掛かっていない扉を客は身体で押し開け、入ってと俺とセフォンを店の中に招く。

「ど、どこ、置いたらいいですか?」

「その辺、適当で良いよ」

 言われた通り、近くにあった適当なテーブルに箱を置くと、セフォンも隣に並べてくる。

 その間に客は、奥に見えるキッチンの方に何事か走っていく。

 セフォンと二人、店の中に取り残されてしまった。

「お昼、もう少ししたらなりますね」

「思っていたより歩いたか」

 かすかに痛む手を振る俺の近くで、セフォンは店の中に掛けられた時計を見つけ、12時を目掛けて歩く針先を確かめる。

「もう用件は済んだ、行くぞ」

 ただここに突っ立っているのも無意味だと客の消えた店の奥に声を飛ばすと、こだまのように客の声が返ってきた。

「ちょ、ちょっと待ってくれるー!」

 帰ってきたかと思うと、客は水の揺れる二つのコップを手にしていた。

「はい、お水!ここまで結構歩いたからね」

「あ、すみません…」

 頭を下げたセフォンと共にコップを受け取る。喉は確かに乾いていた。

「折角ならなんか作ってあげたかったんだけど、まだ冷蔵庫届いてなくて。これだけになっちゃうけど、ごめんね?」

「いえ、いいんです!僕が手伝いたいって言ったんですから」

「でも、助けてもらったのは確かだから。なんかあればなぁ…」

 礼を出せず悔しそうに肩を落とす客は店内をぐるりと見回すと、レジの置かれたテーブルに顔を止める。

「……あ」

 テーブルの奥まで走ってそこにあった椅子の前で軽く腰を屈めると、一つの小さな菓子の紙箱を中を覗きながら戻ってきた。

「中身ある。ちょうど2個!」

「エトイさん?」

「セフォンくん、手出して」

「は、はい…?」

 言われるままに出されたセフォンの手に、銀紙に包まれた石ぐらいのサイズの物が置かれる。

「ちまちま食べてたチョコなんだけど、あげるよ」

「い、いやでも…」

 セフォンは物のお礼に遠慮を見せるが、客は構わずに残りの一個を俺に渡そうとしてくる。

「ランケくんにも」

「いらん」

「二人共優しいね。けど、だからお礼がしたいんだ」

 俺が断ったのは個包装されているとはいえ余り物のチョコを貰うのが嫌だったからなのだが、客は俺の言葉にも構わないでチョコを押し付けてくる。

「多分ね、結構甘いやつだったと思う、それ」

 俺とセフォンの手に銀紙に包まれたチョコが乗っかり、客は空になった箱を近くのゴミ箱に放り捨てる。

「今はこんなのだけで悪いけど、お店開けたら来てよ。絶対サービスするから!」

 俺達に向き直った客は強く言い切って、自分の決意に深く頷く。

 また来る予定など無論無い。

 しかし告げても何も変わらないだろうと貰ったチョコをポケットに仕舞い、水を一息で飲んで空のコップをテーブルに置いた。

「俺はもう行くぞ」

「じゃあ、僕も行きます」

 セフォンも一気に水を飲んで、少し苦しそうにしながらコップをテーブルに置くと、俺の後を付いてくる。

 俺が開けた扉でセフォンと店から出て、特に理由も定めぬまま、とりあえずは大通りに歩き出す。

 とその時、騒々しい客の声が背中を打った。

「ランケくん、セフォンくん、本当にありがとね!」

「…!」

 満面の笑みで大きく手を振られ反応がし辛かったが、セフォンは足を止めてわざわざ身体(からだ)の正面を客に向けると、しっかりと上半身を折り曲げて丁寧に一礼を返す。

「ふふっ…」

 頭を上げると俺の隣に並んできたが、横顔には小さくも濃い幸福の色が深く表れていた。

「人の手伝いがそんなに嬉しいか」

「あんな風にお礼言われること、今まで無かったので」

 セフォンは喜びを噛み締めるような顔でまた後ろを見て、尚も立っていた客の晴れた笑顔に今度は小さく頭を下げる。

「こういうこと出来て…良かったです。忘れない気がします」

 心情や心境が読み取れる程にこの男との関係が築かれている訳ではなかったが、発せられたその言葉が心から溢れ出た純粋な思いだったのだろう事は分かる。

 だからこそ、あまり見れはしなかった。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 まだ昼と呼ぶには早かったが、歩いた距離は十分にある。

 大通りに出ると、途端に身体は空腹を訴えてきた。

「この後どうします?」

「昼食だな。多少早いが、まぁ良いだろう」

「僕、お弁当なんですけど…これから買ってですか?」

「いや、俺も用意がある」

 この男、時間をどう潰すか考えた時もそうだが、やけに行動を共にする前提の問いかけをしてくる。

 が、それならそれで良いのかもしれない。

 学院に遅刻をしているという繋がりはけして互いを結び付けるのに強固な理由ではないだろうが、だからこそ、そのか細い関係の糸に目くじらを立てにいくのには妙な抵抗があった。

「場所をどうするかだな。あの店に戻るのもあるが…」

 見知らぬ終点の駅から更に歩いて、周りには見知らぬ建物ばかりだ。

 落ち着いて食事の取れる場所など見当もなく、予想も出来ない。思い付くのはあの客の店だけである。

 俺達への客の態度を思い返すに、昼食の為に場所を貸りたいと言えば、存分に貸し出してくれるに違いない。

 だが俺もセフォンも、背後にある店へと続く道に振り向くと揃って微妙な表情になる。

「ご飯の為だけに借りるのは、流石に迷惑ですよね」

「というよりも、静かに食べれないな」

 あの客の調子を考えれば、昼食をただ取るだけでは済まずに、余計な会話に付き合わされるかもしれないという予感があった。

 馬鹿共ですら静かな昼食を邪魔してきた時には相応に苛立つというのに、赤の他人にそれをやられると思うと、足はあの店に続く長い階段を降りる気にはならない。

「公園とかあれば良いんですけど…」

「探すしかないな」

 違う意見だとしても、答えは同じ。

 ならばと周囲を見回すが、脇の道から大通りに出てすぐのこの場所では、セフォンの言うようなものは見当たらない。

 無いのならば探すしかないと、何も知らない地を二人で歩き出す。

 見知らぬ土地は歩いているだけでも、目が自然に右に左にと揺れ動く。

 大通りをひとまずは歩いたが求める物は見当たらず、先まで伸びる似たような景色を見て、どこか道に入るべきだろうとつま先が向きを変える。

 日々過ごしている王都の中でありながら他の街を行くような気分で散策していると、住宅地の隙間に整備された小川を見つけた。

 学院祭の時にも川はあったが、このような場所が王都には幾つも存在しているのだろう。

 鉄の柵から顔を出して覗いてみると、水量は多くないようで水面の先がやすやすと見える。流水で磨かれた石や固まって泳ぐ小魚の鱗が日に光っていた。

 川の周囲には低木や茂みで彩られた赤い石畳が遊歩道として敷かれていて、この辺りで生活を営む人間にとっての休息地の様子があった。

 そこに目的のベンチを見つけた。

 先客のように散らばった枯れ葉を手で払い除け、中央に腰を降ろす。

「あの…ぼ、僕もいいですか?他の近くに無くて」

「…はぁ」

 左右を確認するが、遠い位置にしか他のベンチは置かれていない。

 仕方なく中央から右端に移動すると、セフォンが左端に席を取る。

 互いの鞄は俺がいた中央に集まり、中からそれぞれの昼食が取り出された。

 パンの紙袋とサラダと惣菜が入った弁当箱を取り出し、口を付ける前に手を合わせる。

「いただきます」

「あっ、いただきます」

 俺よりも先に用意を済ませ昼食を食べようとしていたセフォンだったが、俺の声に反応してわざわざ手に取ったフォークを膝に置き、忘れていたと手を合わせる。

 合わせた手を離してパンの入った紙袋を傍に寄せると、レタスをフォークで刺したセフォンが興味を示してきた。

「よく行くお店なんですか?」

 紙袋の表面に印刷された店名とよく分からないキャラクターに、セフォンの目が留まる。

 食事に伴う他愛無い会話なのだろうと、紙袋に手を入れながら答えてやる。

「バイト先だ。ネカスの一人がこの店の店主の娘でな」

「バイト…僕、したことないんですよね。面接とか、あんまり自信なくて」

「する必要が無いならしなくて良いと思うがな」

 二つ入っていた内から一つを引き抜くと、出てきたパンはエビの形をしていた。

「これは…」

「?」

 合同実地訓練の前、試作品と言ってクーシルが持ち込んできたエビを模したこのパン。

 昨日のバイトの最中に見かけた覚えは無いが、この紙袋の中にあるということは本格的に商品化が決定したということだろうか。

「美味しそうですね…」

「……」

 食べたいと言外に伝えるような言葉に、分けてやるべきかという考えが湧いてくる。

 それが己にとっても奇異な発想であることは自覚しながらも、思った時には身体が動いてしまっていた。

「食べる…か?」

 エビパンの上の部分を半分ばかり千切って、見た目量の少ない方をセフォンに差し出してやる。

 中身のシチューはとろみが強く、切った面を上に向ければ案外垂れてはこなかった。

「い、いいんですか?」

「だからこうしてるんだ、受け取れ」

「すみません…」

 小さな弁当箱を一旦置いて、セフォンがエビパンの半分を両手で慎重に受け取る。

 同時に一口と食べると、いつかに感じたあの味が舌に再び広がっていく。

 セフォンの速く進んだ二口目を見るに、感触は良いらしい。

 俺があの時に出した商品にして問題ないという判断の正解を、この男で知るとは。

「…ネカスって、どんなクラスなんですか?」

 互いにエビパンばかりを食べ進め、セフォンが最後の一欠片に先に達した時、シチューも何も無いそれを見つめながらそう尋ねてきた。

 変な奴だとは思っていたが、馬鹿の巣窟には人並みに興味があるらしい。

「噂の通りだ、馬鹿しかいない」

 書き出しのようにそう言って、エビパンの最後の欠片を口にする。

 俺の咀嚼が終わるまでセフォンはパンも口にせず、静かに続きを待っていた。

「自分達の気の向くままに動いて、こちらの迷惑など(かえり)みもしない。常に何かに騒いで黙ることを知らないんだろう。学院祭の時など教室でかく…れんぼだとか言うのをやらされて。毎日毎日その時の気まぐれに巻き込まれて、残されるのは疲ればかりだ。担任も担任だな、良い教師ぶって押し付けがましい事ばかり言って…俺の為みたいな顔して言ってくるが、所詮は自分の面倒を減らしたいだけだろうに。花火をした事もあったが、その時も俺の思いを決めつけるようなことを言ってきた。それに…いや、まぁ…そんなぐらいだ」

 自分が思っていたよりも長く文句は口から出続け、続けようと思えばまだ続けられはしたが、途中でこの男に洗いざらい話す必要はあるのか、話したとしてなんになるのか、自分で聞いていても愚痴にしか感じられなくなってきて、言い淀んで最後には口を閉じる。

 一瞬ばかり生まれた静けさは、近くの木に隠れているのだろう鳥の誰かに届けようとした高い鳴き声が紛らわした。

「楽しそうですね…とっても」

「どう聞いたらそうなる。楽しくなんか無い、邪魔で騒がしくてうっとおしいだけだ」

 見当違いの感想に反論をして、思い出が招いた疲弊をため息として吐き出す。

「そういうの、良いなぁ…」

「うっとおしいのが好きなのか」

 羨ましがるような独り言に、怪訝な目付きを送る。

 周りで騒がれることが人から見て羨ましいものなのだろうか。渦中の身では分からない。

 しかし今の状況とこれまでに過ごしてきた状況を比較した時に、後者の方が少なくとも、多様な感情に身を接しさせていた実感があったのは確かだった。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 昼食を取り終えると、セフォンは荷物を鞄に仕舞い、ベンチを立って大して長くもない遊歩道をふらりと見物に回り出した。

 ここから窺う限り面白いものがあるようには思えないが、昼食後の軽い散歩も兼ねているのかもしれない。

 俺も中身を空にした弁当の箱と紙袋を片付け、柵の隙間で(きら)めく川の流水をベンチからぼんやりと眺める。

 直ぐにでも停留所に向かおうという思いはあったのだが、この場所の周囲に流れる穏やかな空気は空腹を満たしたばかりの微睡みのような時間と実に上手く混ざり合い、巻き付いたつるのように解くのを難しくしていた。

 風で揺れた毛先が目の上の肌をくすぐってくる。思わず頭を小さく振る。

 時間は昼を越えているだろう。 

 しかし、路面が昼になって(ただ)ちに動き出すとは限らない。だから休むのだと自分に納得させて、ベンチの背もたれに深く(もた)れる。

 と、その身動きに合わせポケットに感じた小さな物の感触。そう言えば、さっき客から貰ったチョコをここに入れたままにしていた。

 取り出してみると随分と感触は柔らかい。

 このまま手にしていても溶けるだけだ。

 銀紙の包装を剥がしていると、目の前の柵から顔を出して川を覗いていたセフォンが俺の行動に気付き、こちらに向いて柵に腰を預けた。

 俺がチョコを食べる様子に、何か興味があるらしい。

「食べないのか、溶けるぞ」

「そうですよね…」

 制服のポケットからセフォンもチョコを取り出すが、手のひらに乗せるとまるで貴重な物を見つめるようにして視線を落とす。

 溶けることは分かっているらしいが、食べたくはないらしい。

 銀紙に包まれていたチョコは形こそ目に見えて崩れてはいないが、口に入れると熱だけで雪のように溶けていく。

「大して美味くないな」

 美味しさとはまた違う濃いだけの甘さを耐えるように舌に広げていると、固い食感にぶつかる。アーモンドが入っていた。

「…お手伝い、ちょっと押し付けがましかったですかね」

 銀紙が先程の時間を振り返らせたのか、少し申し訳無さそうにセフォンは呟く。

「強引ではあっただろうな」

 一度断られた上で、それでも押し切って請け負いに行った。ならばそれは、強引と評価されるものだろう。

「なのにお礼貰うのって…ちょっとズルかったですかね」

 チョコに対して注がれる慎重さには、遠慮が混ざっていたらしい。

 所詮余り物でしかないチョコに遠慮を感じるなど随分と馬鹿な考えに思えたが、セフォンにとっては自分の行動を阻害する立派な悩みになっている様子だった。

 助言などしてやるつもりはない。だが、あの場で感じた事実は伝えるべきだとも思った。

「相手は喜んでいた。それなら別に良いんじゃないのか」

「そういうもの、なんですかね」

「俺も…分かって言っている訳では無い。だから、真に受けるかは貴様次第だ」

 小難しい問題を解こうとする時のようなセフォンの固い眉や口は、もしかすれば、語る今の自分を鏡写しにしたものだったかもしれない。

「なんか…難しいですね。でも、じゃあ…真に受けてみます」

 セフォンは大事そうにしていたチョコの銀紙を剥がし、中身を口に放り込む。

「美味しいですね」

「甘いだけだ」

 同じ甘さを口にしているようには見えない幸せそうな微笑みが、セフォンの表情を包む。

 たちまちアーモンドに当たったらしく驚きで目を丸くさせ、その正体に気付くと自分の見せた反応が大袈裟だったと思ったのか、恥ずかしさに微笑みをまた少し彩らせた。

「…あ、そこ」

「ん?」

 チョコを口で溶かしていたセフォンが、景色に向けていた視線の先に歩き出す。

 少し離れた場所の茂みで立ち止まるのを見て、興味がベンチから自分を立たせる。

 セフォンの背中の奥を覗いてみると、低木の影に隠れるようにして真っ白な花が何本か寄り添って咲いていた。

「キレイですね」

 花を眺め、セフォンは微笑みを表情に広げる。

「この時期だ、すぐ枯れるだろうな」

 絹のように白い花弁は未だ鮮やかではある。

 しかし、ブランクの季節を終えて冬になれば低木や茂みの壁は凍えた風を耐えるには脆く、この小さな花畑も容赦なくうら寂しい場所へと変わり果てるだろう。

 為す術が無い自然の摂理にセフォンは悲しむ顔でも見せるかと思ったが、案外それは受け入れているのか、花を眺めたまま穏やかな声音で言葉を返してきた。

「でも、そうなる前に見れましたから」

「…そういう考えもあるか」

 ベンチに戻ると、置いたままにしていた鞄の上に時間の経過を知らせるように落ち葉が数枚積もっていた。

 そろそろ、路面を確かめに行っても良いかもしれない。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 適当な停留所を捜しに大通りを歩いていると、ふと見た背後から線路を伝う路面の姿が見えた。

「復旧したか」

「あ…」

 丁度、道の先に停留所も見えてきた。

 学院に行く算段が纏まった時、セフォンの足がその場に止まった。

「行かないのか」

「…その」

 セフォンの顔がつまらない地面に落ちる。

 どうやら今日も、この男は学院に行くつもりがないらしい。

 丸々行かないつもりなのか、それともこれから更に遅刻してからなのかは分からないが、どちらにしても言う事は決まっていた。

「貴様が学院に行かない事に何かを言うつもりはない。俺には関係が無いからな」

「……じゃあ」

 路面は俺と同じ目的地を目指して、徐々に遠くから迫ってきている。

 停留所に向けて歩き出しても、隣に並ぶ姿は無い。

 面識が出来てもセフォンは結局、あの日に取り消した『また』という言葉を喉の奥に収めたままだった。

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