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貴族様の成り下がり  作者: いす
六章

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51/69

51話目

51話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

 目を開くと、たぬきの人形の寝ぼけた顔が真正面にあった。

 今日は合同実地訓練当日。

 普段よりも諸々の用意の為に、早く起きなければならない。

 眼前のたぬきを、眠気で力の入らない腕で退けてベットから降り立つ。

 寝る前に部屋を占拠していた夜の暗闇が、それよりは頼りになるくすんだ灰色に移り変わっていた。

 窓の外には雨の気配こそないが、連日の灰色の雲が今日も居着いたように空に(とど)まっている。

 その下、学院に寄り添って伸びる時計塔は薄く(かすみ)がかっていた。

 窓に背を向けて壁掛けの時計を確認するが、まだもうしばらくは余裕がある時間。

 とりあえず顔を洗うのを思い付き、ついでに、共用スペースまで向かうのならば途中の玄関に荷物を運んでおけば楽だろうと、三日分の着替えや歯ブラシなどの日用品が詰まったバッグを抱え、部屋を出る。

 朝の足元は実に冷え切っていて、あまり履きたくはないスリッパもこういう時には頼りになってしまう。

 ぽすぽすと軽いスリッパの音をさせて、まず玄関に荷物を置き、それから共用スペースの扉まで来たが、横に退けようとして入れた力は扉をがたりと震わすだけ。

 やけに静かな廊下だったが、まさかまだ誰も起きていないのか。

 無駄足になったと悔やんで引き返そうとすると、玄関前の階段がある辺りから、乱れに乱れたクリーム色の髪の毛に顔を隠された女が薄暗い廊下にぬっと現れた。

「…!」

 その女は頭を少し下げて玄関に置いた俺の荷物を一瞬見つめた後、自分も持ってきていた大きなバッグをくっつけて並べる。

 そして扉の前で立ち往生していた俺を、髪の隙間から出た瞳で捉えた。

「あっ、いま鍵開けるね」

「……お前か」

 恐ろしいものに出会(でくわ)してしまい息を飲んだが、髪の毛の奥の髪と同じ色の瞳とあまり覇気のなさそうな(ぬる)い声に、一人聞こえぬように安堵の息を吐く。

 重そうな瞼の担任は共用スペースの扉の前に立ち、ゆったりとした見た目の寝巻きから鍵束を取り出す。

「おはよう、ランケくん。ランケくんの方が早かったんだね」

 どれだっけと鍵束をガチャガチャ鳴らして、共用スペースの鍵を探すのに集中する担任。

「…おはよう」

「うん」

 こちらの言葉も聞いてるのか聞いてないのか分からない生返事で済ませ、尚もガチャガチャ手元を鳴らすが、一向に目的の鍵は見つからない。

「あ、あれ…?無い?」

「貸せ。俺がやる」

 担任から束を受け取り、共用スペースのを探す。

 それぞれの鍵にはどこの扉のかを示す名札が付いているが、共用スペースの文字が中々目に留まらない。

 個人個人の部屋の鍵はマスターキー含めこの束には混ざっていないようだが、それ以外の空き部屋と寮の人間が自由に使える自習室などの部屋は、思っているよりも総数としては数があるらしい。

 それでも共用スペースの名札を付けた鍵を探し出し、これだと扉に差し込む。

 捻るとガチリとロックの解ける音がして、共用スペースの扉がスムーズに開いた。

「おー」

 担任に鍵束を返してやり、顔を洗いに風呂場の前の脱衣所兼洗面室に向かう。

 担任のスリッパの音が途中まで付いてきていたが、その酷い寝癖を直しに行くのだろう。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 顔を洗い、俺にもあった後頭部の寝癖に幾らか苦戦してから共用スペースに出ると、乱れていた髪の毛をいつもの形に整えた担任がキッチンでエプロンを巻いていた。

「そうだ」

 目の前を横切った俺を見て、担任が何かを閃いたと声を上げる。

 馬鹿共の閃きの声には日頃嫌な思いをさせられているが、担任の閃きの声にも同じ程、嫌な気配は(はら)んでいる。

「ランケくん、朝ごはん作ってみない?」

「あ?」

「そんなに難しいのじゃないから。ちょっと切ってみたり、盛り付けたりだけっていう感じので。どう?」

 まだ、馬鹿共は起きてきていない。

 あいつらがいれば断っても意地でもさせられる事になるが、今は担任一人だけ。

 これと言って絶対という意思も感じないし、断ればそれで終わるのだろうという様子が担任の佇まいにはあった。

 本当にただ、大した目的も無い小さな誘い。

 夜道に吹く弱い風のような誘いだからこそ、閉じるのを忘れていた俺の内から、気まぐれはふっと流され出てしまう。

「俺がやる理由が知れんな」

 キッチンに仕方なく行ってやると、いつから用意していたのか、俺用のエプロンを取り出しながら、担任が息だけの笑いをこぼす。

 俺がエプロンを巻いている間に、担任はキッチンの正面にあるテーブルにクーシルの店のあの微妙な絵が刻印された紙袋を置き、それからキッチンの背後にある冷蔵庫からレタスにミニトマト、キュウリやベーコン、リンゴと、朝食らしい食材を取り出し並べていく。

 最後に俺の前に包丁を乗せたまな板を用意して、準備完了を「よし」と一言で告げた。

 日頃やっている事もあり、かなりの手際の良さだった。

「一番最初は、まず手洗いね」

 シンクの蛇口を捻り、出た水で手を洗う。

 朝の水は冷たく、熱を発する指の芯が冷えていく感覚がする。

「キュウリから切ってもらおうかな」

 俺が終わると担任も手を洗い、洗われたキュウリがまな板の横に置かれる。

「こういう感じに…斜めに切ってくの」

 包丁の刃を斜めに当て、何枚かキュウリをとんとんと切っていく。

 見本として数枚切ると、担任はキュウリを抑えていた方の手を俺に見せてきた。

「指切っちゃわないように、抑える手は丸めてね?猫の手だね、よく言うやつ」

「分かった」

 初歩の初歩なのだろう説明をされるのはあまり気分として良くはないが、言われた以上はその通りにやるのが安全なのだろう。下手に反発して怪我をするのも馬鹿らしい。

 担任がまな板に置いた包丁を取り、手本の通りに包丁の刃を斜めにキュウリに当てる。

 そうそうと担任が頷くのを見て、当てた刃先を斜めのままに落とす。

 担任と同じ枚数をひとまずやってみたのだが、どうにも厚さが揃わない。

 俺の切った物のの方がどうにも分厚く、分厚い中にも差が目に見えて出てしまう。

「何故厚くなるんだ…」

「そんな気にしなくても大丈夫だよ」

 俺としては気に掛かる箇所だったが、担任はさしたる事ではないと、フライパンをコンロに乗せてベーコンを焼き始める。

 油の溶ける音がし、肉の焼けた匂いが立ち上った。

 肉の焼ける音と、包丁がまな板に落ちる音がしばらく続く。

 序盤は幾らか手間取りはしたが、所詮は同じ事の繰り返し。

 途中からは自分でも分かる程に、切るペースが上がってきた。

 最後の一本を終え、切り尽くしたかなりの数のキュウリを、担任がここに入れてと渡してきたボウルにざっと流し入れる。

「じゃあ、次はトマトだね。あんまり力入れちゃうとぐちゃってなっちゃうから、慎重にね」

 ミニトマトの表面を水で流し、まな板にとりあえず一つ置いてみる。

 直ぐ様転がり出してまな板から落ちそうになったのを、急いで手で抑える。

「これは切る必要があるのか。そのままでいいだろう」

「そう?私、切られてるトマトの方がなんか好きだなぁ。食べやすいし」

「お前の好みなど興味無い」

 真っ赤な玉の中心に刃先を当て切ろうとしたが、切るというよりも潰すようになりかけて、咄嗟に包丁を引き戻す。

「結構あれだよ、勢いが大事だよ」

「…分かった」

 担任の助言に渋々従ってやると、今度はトマトが上手く半分に切れる。

 どれぐらいの力加減でやるべきかは把握出来た。トマトを次々と切り続けていく。

 時間と天気も相まってだろう、外は実に静かで、包丁の音とフライパンで跳ねる油の音ばかりが共用スペースに重なって鳴り続ける。

 そんな状況を断ち切るように、上からばたばたと何か騒がしい音が落ちてきた。

「なんだ、今のは」

「なんだろね、今の」

 俺と担任の顔が揃って真上に釣られて数分後、扉が開き、紫がかった黒髪がいつもの四角いフレームの眼鏡を掛けながら共用スペースにふらふらと入ってきた。

「くぁぁ…おはようこざいます…」

「おはよ、ワッフル。今の音なに?」

「クーが荷物蹴っちゃったんです…」

「あー、それの音」

「朝から落ち着きが無いな、あの馬鹿は」

 スリッパをぺたぺたと鳴らして、ワッフルはキッチン前の椅子に腰を下ろす。

 睡魔に今にも閉じられそうな眼鏡の奥の瞼だったが、俺をぼんやりと捉えると桃色の目が大きく見開く。

「あれ…あれ!ランケさんが朝ごはん作ってます!」

「ふふっ、お手伝い中なの」

「ど、どうしたんですか?なんかあったんですか?」

「特に理由はない」

 本当に言葉で言えるような理由が無いのだから、答えようは無い。

 全て切り尽くしたトマトをキュウリとはまた別のボウルに移し、まな板の表面を洗い流してからレタスを切ろうとした俺を、担任が声で止めてくる。

「あ、レタスは手でお願い」

「手でか…どれぐらいの大きさにすればいい」

「え?うーん…食べやすい、ぐらいかな」

「曖昧な指示を…思ったより雑に作ってるんだな」

「毎日作るからね」

 と、キッチンを前から覗き込んでいたワッフルが、首を左右に振って何かを探す。

「ミーせんせ、お皿、無くないですか?」

「え?わ、ほんとだ…!」

 道具だけ準備して満足していたらしい。

 盛り付けの為の皿は、未だに背後の食器棚の中に仕舞われていた。

「わたしやります!」

 楽しい遊びにでも参加するみたいな声色で、椅子からぴょんと跳ねて、ワッフルもキッチンに回ってくる。

 背後の棚が、にわかにうるさく鳴り出した。

「ありがとね」

「ランケさん、サラダ用のここ置いときますね」

「狭い…ばたばた動き回るな」

 皿だなんだと左右から不意に顔を出し、時折服を(かす)らせながら後ろをちょこちょこと動くワッフルに文句を言っている間に、担任は焼き上がったベーコンをワッフルが用意した皿に乗せ、用がなくなったフライパンをシンクに置いて水で浸す。

 一つ出来上がると次に新しいボウルを取り出し、調味料を何種類も入れて、かちゃかちゃとそれを混ぜていく。

 ボウルの中の液体の見た目は、サラダで見覚えがある。作っているのはどうやらドレッシングらしい。

 ボウルが立てるその音に、共用スペースの扉の開く音が混じった。

「おはよー…」

「おはようございます」

「おはよ、クー」

「足いったぁ…レグ、もひっぱってきたよ」

 共用スペースに入ってきたクーシルはぶつけたらしい足の痛みを(こら)えるような表情をしながら、レグを右手に引き擦らしていた。

「ありがと。ぶつけたとこ、ケガしてない?」

「んー。痛いけど…それぐらい」

 レグを床に擦らせて、クーシルが椅子まで運ぶ。

「うべぇ…」

 倒れそうなまでに椅子に(もた)れたレグの顔は、クーシルと同じかそれ以上に苦しそうにしている。こいつの場合、これでも眠気が勝つのだから全く馬鹿らしい。

「…お?」

 レグの隣の席に座って、背もたれに沿ってんっと身体を伸ばしていたクーシルが、俺を見てオレンジ色の瞳を丸くさせた。

「何してんの?え、めずらしー。てか初めて?」

「別にいいだろう」

 いちいち反応してくるなと落ち着かせようとするが、むしろ刺激してしまったのか、興奮した様子でクーシルはレグの肩を叩く。

「レグ、レグ見て。しゃく朝ごはん作ってる」

「……まじ、で?」

 眠気に負けていたレグがいっそ苦しそうにも聞こえる声を放つと、わずかにだけ上がった瞼から緑色の瞳を覗かせる。

 レグが見せた瞳に、ワッフルとクーシルがおぉと歓声を重ねた。

「今、ちょっと起きましたよ!」

「そんだけ珍しんだって、やっぱ!」

 全員が揃って、騒がしさに拍車が掛かり出してきた。レタスをちぎる手に力が入る。

「え、あたしもなんか手伝いたーい」

「今日、当番じゃないでしょ?」

「せんせー以外全員そうじゃん」

「それじゃあ…ランケくんが切ったのでサラダ用意してくれる?」

「はーい」

 椅子から身を乗り出して羨ましげにこちらを覗き込んでいたクーシルだったが、担任が誘うと席を立って更にキッチンを狭くしてくる。

「なんでまた狭くするんだ…」

「ランケくんも、レタス終わったらお願いね。盛り付けたらこのドレッシング掛けて」

 担任が混ぜていたドレッシングのボウルが、傍にからんと置かれる。

 丁度、レタスもちぎり終えた頃合い。

 五人分ともなると、ボウルに盛られたレタスはやはり他二つと同じく、かなりの量になっている。

 キュウリと半トマト、レタスをクーシルと共に、ボウルからワッフルが並べた皿に盛り付けていく。

 全員の皿に盛り付けていくと、最後、トマトの数に一個余りが出た。

「どうする?」

「どれでもいいだろう」

 どの皿に渡すかとなんとなくクーシルと顔を見合わせていると、担任の指が横から伸びてきて、ある一皿を選んで最後のトマトを乗せる。

「そのお皿、ランケくんのね」

 強制ではない誘いに乗った礼。

 そんなような事を言いたげに、粋な計らいでもしたみたいな得意げな表情を担任が見せつけてくる。

「トマト一個で何を喜ぶんだ」

 キッチンで四人が動き回っていれば、朝食の用意は普段よりも早く整う。

 完成した朝食を木のトレイに載せていく。

 担任が軽々と切ったリンゴも、小皿で隅を飾った。

 馬鹿共からは一緒に食べたいと文句が挙がってきたが、付き合うわけもなく、共用スペースを出る。

 通り抜けようとした玄関の前。

 俺の荷物を埋もれさせるようにして、担任と馬鹿共の荷物が大きく山を成していた。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 合同で組まされる事になったイアというクラスとは、学院のホールでの合流となった。

 実地訓練の場所であるワルカに出発する前に、学院で一度、顔合わせを行うのだろう。

 武器の貸出を済ませてからホールに向かったのだが、担任が迷惑は掛けられないと予定時間より早めにしたのもあり、ホールにはただ、無人の静寂さだけが漂っていた。

 学院祭を彩った舞踏会がこの場所でこの前あったばかりなのだが、その時の物は全て片付けられている。残滓(ざんし)のような物は片隅にも残っていなかった。

 ホールでそのまま待たされていると、イアの担任が一人で入ってきた。

 イアの担任はホールの中央に特に意味もなく場所を取っていたこちらに気付き、かつかつと靴を鳴らし、目の前まで歩いてくる。

「お、おはようございます」

 担任が固くなりながらも真っ先に挨拶をすると、馬鹿共も同じ態度で同じ挨拶を繰り返す。

 イアの担任はそれに淡白な面持ちでおはようと返してから、俺と馬鹿共に顔を向けた。

「これから三日間、貴方達と合同で実地訓練を行うイアの担任『ルミトラ』です。よろしく」

 イアの担任の自己紹介に、馬鹿共はよろしくお願いしますと声を揃えて頭を下げる。

 そして下げた頭を元に戻すと、その顔をまじまじと見始めた。

「やっぱりあの人だよね…」

「だな…絶対そうだよな」

 学院祭の時の見回りの顔をはっきりと覚えているクーシルとレグは、イアの担任の顔のパーツを一つ一つ念入りに確かめていく。

 あの時の雰囲気と大きく違うからか、本人への直接の確認は躊躇っている様子だった。

「…なにかしら」

「あ、や!なんでもないです!」

 念入りに見られていた側のイアの担任は、面識もまともに無いクラスの生徒から向けられる謎の眼差しに怪訝そうな眉を作る。

 それで眼差しを振り払うと、ホールに少しずつ集まり出していたイアの生徒を横目で覗き、また俺と馬鹿共に顔を向けた。

「貴方達が誰と組むかは、この後の全体での挨拶の際に伝えます。それまではひとまず、私の隣に並んでいてくれるかしら」

 イアの人間は着々と集まり始め、20人近くが集まるとイアの担任が集合の号令を掛けた。

 やはり大したクラスではないようで、幾らか時間を要してから整列がされる。

 俺と担任含めた馬鹿共は事前に言われた通り、列の前に構えたイアの担任の横に並んだ。

「今回の実地訓練は、ネカスとの合同で行います」

 事前に説明してあっただろう事を今一度とばかりにイアの担任は話し、隣のネカスの担任に何か一言を求めてか視線を向ける。

 視線に応えて担任が一歩前に出ると、馬鹿共も釣られて意味もないのに一歩前に出る。

「今回の実地訓練で皆さんのお手伝いをさせて頂きます、ネカスの担任のミミコです。今まで何度か実地訓練は(おこな)ってきていますが、人数の差もあって少し勝手が違う所があるようなので、よろしければ是非、皆さんから彼らに教えて頂ければと思っています。今日から三日間、よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします!」

 ネカスでは見たことのない人数に、馬鹿共にも緊張という似合わぬ表情が浮かんでいた。

「…」

 イアの人間に向けて頭を下げる担任と馬鹿共だったが、目を向ける生徒は少なかった。

 阿呆らしくなる程に律儀にやっている人間よりも、何もせずにいた、一歩後ろの俺に視線は集まっていた。

 だがそれは、一人だけ何もしていない人間の動機を探る眼差しではなく、俺という存在の取り扱いを悩むような眼差しばかりで、どれも俺がその目に気付くのを嫌がってか、被っている帽子のつばや、白の制服の首辺りに特に人の目の熱を感じた。

 担任と馬鹿共が頭を上げると、イアの担任は自分のクラスの列の右端に顔を運んだ。

「私のクラスが18人、そしてネカスが4人。人数をある程度用意して班を作るとなると、どうしても上手く分けれなくて。申し訳ないけれど彼ら二人と合わせて、三人ずつの班で分けてほしいの。いいかしら?」

 整列した時に一列四人と人数はなっていた。これは一つの班としてだったのか。

 ネカスだけで四人の班は作れるが、それでは合同の意味がない。

 しかし、ネカスと組まされるなど選ばれた二人も哀れなものである。

 哀れな女子と男子の二人だけの列へ、イアの担任が俺と馬鹿共に入るよう促してくる。

「貴方、どこに行くつもり?」

「え…?あっ、そうですね…!そうですよねっ!」

 担任も当たり前のように俺と馬鹿共に付いてこようとしていたが、イアの担任に呼び止められ、慌てて元の位置に駆け足で戻っていく。

「あいつは何をしてるんだ」

「せんせーも緊張してんだろ」

 俺と馬鹿共が二人だけの列に加わると、時間の確認や実地訓練への心構えなど、確認しても大して何かが変わるわけではないような話がされ、ただ暇なまま、それを聞くだけでしか時間は進まない。 

「それではワルカに向かいます。各自、荷物を持って駅に向かうように」

 結局耳に何も残らずで話が終わり、それぞれがホールから外に出ていく。

 去り際にもこちらを覗く瞳はあったが、ネカスというクラスの人間が自由になってまず最初にどういう動きをするのかという興味があるのか、組まされたクラスメイトを見て哀れんでいるのか、今は俺だけに周囲の眼差しが向いているという訳でもなかった。

「名前、言っといた方がいいよね?」

 ホールの出入り口が人で詰まっているのを見て、クーシルが歩調を緩め、ここだとばかりに臆面もなく距離を詰めた。

「あ、そうだよね。した方が…いいよね?」

「…いんじゃね」

 女の方が長い黒髪をなびかせ首を回すと、不機嫌そうに茶髪の男が返事をする。

 ネカスと組まされる時点で下位の方のクラスであるのは間違いないが、こうして馬鹿共と付き合わされていると比較的常識のありそうな人間に見えてきてしまう。

「じゃ、あたしから。クーシル・ラフィスです。クーって出来たら呼んで!みんなそうだから!一人違うけど」

 言われているぞとばかりに、くすっと笑ったワッフルが肩を俺の腕にぶつけてくる。

 力を入れてこれなのか分からない弱い衝撃に睨みで応えようとしたが、ワッフルは逃げるようにイアの男女に身体(からだ)を向けていた。

「ワッフル・ロロルです!この眼鏡は度入りです!」

「は、はあ…そう、なんだ…」

「で、俺がレグ・ミグア。よろしく」

「留年、言わないのか」

 俺がネカスに来てしまった時は変に隠す理由も無いとかで訊いてもないのに言ってきた筈なのだが、今回はその素振りが見えず口が訊く。

「お前…お前ん時とはまたちょっと違うだろ…」

「と、歳上なんですか?分かりました…」

「お前のせいで早速敬語になったんだけど…」

「知るか」

「んでこれが、ランケ・デュード・グランドルね」

 サイドテールがゆらゆらと揺れながら俺の名前を言い、イアの女が息だけの微妙な反応で応える。

 どう扱えばいいのかと、俺を正面に捉えたがらない瞳が物語っていた。

「俺のを勝手に言うな」

「どうせ自分で言わないじゃん」

「ちっ」

「あ?」

 クーシルに文句を言っていると、茶髪の男の方から聞こえてきた舌打ちの音。

 明らかに俺に敵意を混ぜてしてきた舌打ちに顔が向く。女の方が困ったような面持ちで男に寄った。

「リッド、どうしてそんなずっとイライラしてるの?」

「なんでもねーよ」

「ごめんね、なんかずっとこんな感じで…。それじゃ次、私だよね。『ヨノミ・ニーニュ』です。…ほら、リッド」

「はぁ…『リッド・ガータ』…!これでいいだろ」

 イアの男が投げやりに、自己紹介の最後を片付ける。

 ホールの出入り口も人が減って通りやすくなってきた。

 多少の差を空けながらもその事に全員が気付き、誰が言うこともなく緩めた歩調は元に戻っていく。

「てかだけどさ、イアの先生って結構歌とか歌う人?」

「え…う、歌?別にそんな事しない人だけど…」

 急になんの話なのかとイアの女は首を傾げる。

 知ってる?と男に目を運んだが、男は頭を左右に振った。

「でも…ね、?前、歌ってるの見たよね?」

 クーシルが俺と馬鹿二人に、そうだよねと確認をしてくる。間違いないと馬鹿二人が頭を縦に下ろした。

「すっごい楽しそうに歌ってましたよ」

「ルミトラ先生が…?えっ、違う人じゃない?それ、どこであったの?」

「院祭あったじゃん?んでね…」

「あ、あれ、ルミトラ先生…!?」

 ホールから外に出ようとした間際、背後で担任が戸惑った声を上げる。

 台風が招く風のような速さで俺と馬鹿共とイアの男女の脇を駆け抜けていった、イアの担任。

 一瞬だけ覗いた長い髪の毛の奥の表情には、絶望の色がありありと滲んでいた。

「すげー顔してたな…」

「どうやら間違いないらしいな」

「ルミトラ先生…歌、歌うんだ…」

 担任と何か今後の段取りの事でも話していた筈だったが、他に人も残っていない。

 傍聞(かたえぎ)きしていた会話の内容に心当たりがあり、耐えきれず飛び出していったのだろう。

 残された担任が待ってと、俺と馬鹿共とイアの二人の方に荷物を揺らして走ってきた。

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