第五話
五話目てす
誤字・脱字があったら申し訳ありません
ハッと、目が醒めた。
背中に感じる、母の手のような温もりに満ちたベットの感触。
…あぁ、あれは夢だったのかもしれない。
ミヤシロに負けた。
最悪、それは起こった現実でもいい。受け入れ難くはあるが、それでも構わない。
だが、父に見捨てられた。そればかりはやはり悪夢だったのだろう。
寝起きでぼやけた視界が、徐々に晴れていく。
夢に沈んでいた場所は、自室だろうか。
完全にぼやけが取り除かれた時、そこで異変に気付いた。
夢の中では忠実に再現されていた、自室の蕾のようなランプがそこには垂れていない。
市販品のような、貴族用の部屋には到底相応しくない、量産型のようなランプ。それも、電気が点いていない。
電気だけが理由とは思えない、妙に暗い部屋をぐるりと見回す。
部屋の壁、天井の材質も違っている。
身体に掛けられた布団も、いつも使っていたのと明らかに肌触りが異なっていた。
その下にある自分の身体が着ていたのは、制服ではなく、野暮ったいジャージ。学院で配布されている服の一つ。
周囲の異変を餌に育っていく、嫌な予感。
見覚えのないデザインの布団をがさりと剥がし、床に足を乗せる。
と、何か物を踏んだような感触。視線を落とせば、スリッパが。
最近の、家と外の靴は分けるべきだという考えの元にぽっと作られた物。こうして見るのは、思えば初めてかもしれない。
履け、ということなのだろう。
こんな平民用の物、家で履いたことなど無いが…靴下で歩き回るよりかは、よっぽど人らしい。気の動転は醜態を見せる言い訳にはならない。
嫌悪感を残しながらもそれに足を入れ、そしてまたもう一度部屋を見回した。
最初に目が止まったのは、カーテンが掛けられた窓。
外を見れば、なにか分かるかもしれない。
これも、自室とは違う場所に設けられている。
掛けられたカーテンをしゃっと横に退け、外を見た。
見える景色は、確かに王都ではあった。
だが、あの夢の中と違い、空には灰色の雨雲が遠くまで敷かれていた。
それも、貴族寮、ついでに言えば平民と下流貴族合同の寮どちらも、学院の敷地内に設置されているというのに、窓に描かれているのは汗を流すグラウンドでも、通うべき学院でもなく民家ばかり。
その高さからして、今いる部屋は一階らしい。
自室からでは死角になっていた筈の時計塔だったが、ここからは遠くに、容易く望めた。
「どういう事だ…」
ここは、一体…まだ悪夢の続きだと言うのか?
視線が、背後の扉へと向かう。
事態を把握する為には、外に出るしかない。
恐る恐る、扉に手を伸ばし、開けた。
自室であればもう一部屋挟むのだが、扉の先は既に廊下。
正面には、また似たような部屋に繋がるのか、開けた扉と全く同じ外見の扉が構えていた。
貴族寮とは違う。
しかしここも、まるで寮のような…。
そう考えた時、左の方からたんと足音が聞こえてきた。
「なあぁぁ…疲れたぁ〜…雨ぇ…」
疲れた顔で左肩を手で払う、同年代らしく見える身長が俺と同じぐらいの女子と、視線がぶつかった。
「…」
「……」
「……灼熱生き返ってるー!」
こちらを見るなり、びしっと学院の制服に包まれた腕を突き出し、細長い人差し指で俺を指してくる。顔の横のサイドテールが大きく揺れていた。
大きく挙げられた声に目を見開いて戸惑っていると、背丈の少し低い、メガネを掛けた生真面目そうな女子と、その低いのと高いのの丁度中間ぐらいの背、やる気の感じられない目の男子が壁から顔を出してきた。
「本当…ですね。戸惑ってる感じですけど…」
「戸惑ってるな、確かに」
「せ、先生呼んだ方が良いよね!?ミー先生!?」
「その前に事情説明では?普通。多分ですけど」
「あっ、そっか!ラジャー!」
敬礼をした声の大きい女子を先頭にして、三人がこちらに向け歩いてくる。
三人…それにこの寮のような場所…まさか…いや…。
このまま奴らに捕まっては行けないと、胸が騒ぐ。
それに従い、反射的に部屋の中に逃げた。
「あーっ!ちょっとー!」
ガチャリと、部屋の鍵を閉める。
ばたばたと扉の前まで迫ってくる、あの背の高い女子の声。
ドンドンと、不躾にも、扉を壊れるんじゃないかという勢いで奴は叩いてくる。
「なんで逃げんのー!」
目眩がした。
ふらふらとした足取りで、また窓に近寄る。
そこで、髪を引きちぎるような力で頭を抱えた。
平民、下流貴族用の寮も、貴族寮も、どちらも置かれているのは学院の敷地内。
だから、この場所が何処なのか、判断が出来なかった。
しかし、あるのだ。
学院に籍を置く生徒の為の寮で、唯一、街の中に建てられている物のが。
こんな所で目を醒ますなんて…いっそ、ゴミ溜めの方が心休まったかもしれない。
…ここは、ここは間違いない。
『ネカス』の寮だ。
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部屋の壁に凭れ、ずっと呆然としていた。
窓は既に夜の世界。
降っていた雨は止み、厚い雲から姿を覗かせた月は電気の点いていない部屋に金の光をしんと差し込ませていた。
いつから、俺はこうしていたのだろうか。
「…最悪だ」
これは悪夢ではない。
悪夢だってまだ、ネカスに居るなんていう残虐極まりない夢は見せたりしない。
ということは、俺はやはり、父から…。
この記憶に収められた出来事は、悪夢なのか、それとも…現実なのか。
ネカスにいるなんて、俺の身に何かとてつもない異常が起こったに違いない。
例え酷い、命にさえ影響を及ぼすような夢遊病であったとしても、ここは絶対に避けた筈だ。
ネカス。
端的に言えば、学院の落ちこぼれの集まり。
聞いた話では、出会った数と同じ、三人。
それと、同じ寮暮らしの担任がいる筈だ。
コルファはともかくとして一般的なクラスであれば二十人前後が当たり前だと言うのに、一クラス三人という少なさ。
それが意味するのはつまり、選りすぐりの馬鹿であるということ。
秀でた者で集められたコルファとは、まさしく正反対の存在。雲泥の差。
雲泥…だと言うのに…何故だ?何故俺はここにいる?…まさか、誘拐でもされたのか?
自分の意思で、とはまず考えられない。
そもそも、もしも…もしも、万が一、父からされたあの宣告が現実で本当だったとして、そこからの記憶が、俺の頭には残されていなかった。あるべき直後が見当たらないのだ。
煙に包まれた答えに、頭を抱える。
「あ、あのー…」
部屋にこつと響いた、遠慮がちなノックの音とさっきの廊下で聞いた記憶の無い、他よりかは大人びたトーンの声。
寮の最後の一人、ネカスの担任だろう。
「ラ、ランケさん…目、醒めたんですよね?先生なんだけど、色々お話したいので…で、出来れば、出てきて欲しいんですけど…」
苛立つぐらいに、おどおどとした口調。
そんな囁き染みた呼びかけに、言葉を返す気も、部屋を出る気もどちらも湧かなかった。
だが…色々、か。
夢と現実の境に立っていたあの記憶が、現実の方へと傾く。
「ミーせんせダメだって!そんな怯えた感じじゃ!もっと先生らしくさ!」
どうやら、部屋の前には他のもいるらしい。廊下で一番に聞いた煩いぐらいの声が、担任らしい小さな声を叱っていた。
「うぅ〜…でもぉ…ラ、ランケさーん…」
「絶対開かないな、これ」
「くぁぁ…眠いです…」
「ちょ、二人も真剣に考えてよ!ほらワッフル起きて!」
ワッフル…推測するに、廊下で会ったメガネの女子。そいつが、眠そうなトーンで呟く。
「…マスターキーはどうですか?先生、持ってましたよね?」
「あ、ある、けど…。そういう強引なので良いのかな…」
「じゃ、どうするんすか?」
今度は無気力そうな男子の声。
「んー…あっ!閃きっ!」
煩い声が何か閃いたらしい声を挙げた後、しばらくの静寂が場を奪い取った。
少しして、ばたばたと複数の足音が部屋の前から遠ざかっていく。
馬鹿共の案、何をするつもりか知らないが、どうせろくな事ではない。
そう、こんな馬鹿共の傍、わざわざずっといる意味はない。
あいつらが寝静まった頃にでも窓から出て…出て、それで、どうする?俺に、行くべき宛は、先はあるのか?
いや、駅に行って父の名前を出せば、きっと連絡して迎えを呼んでくれる。
靴じゃない足で外に出るなんて躊躇われるが、夜の暗さ、電灯の影響が小さい所を通り、向かった駅で駅員にでも用意させれば良い。
抜け出す窓の下見と傍に向かおうとしたが、身体に思うように力が入らない。
そう言えば、起きてから今の今まで食事を取っていなかった。
どれぐらい寝ていたのかも分からない。
さっきまでは溢れた疑問で動けていたが、流石にそれも限界が来ているらしい。
下がりゆく気温、自分の体温は上がることを忘れていた。
しかし、食事か…。
どうにかしようにも、頭も回らない。それを解決するには食事が必要で…あぁ、これではずっと同じ考えを巡ることになる。
呆然と凭れたままでいると、部屋に近寄ってくる誰かの足音が聞こえた。
「おーい、起きてからまだ何も食べてないでしょ?ご飯、持ってきたよ」
あの、背の高い奴の声。
扉の前でそう言うと、食事とやらを置いたのだろう音をかたりとさせた。
「扉の前、置いとくから。スープあるし、あんま冷めない内にね」
扉を荒っぽく叩く事もせずに、その声は静かにそう言ってまた足音を遠くにさせていった。
「……」
まるで、思考を読まれたかのようなタイミング。
まぁ…どれだけの馬鹿と言えど、過ぎた時間を踏まえれば到れる考えではあるかもしれない。
部屋の目の前に、食事。
貴族寮とは違って、きっと名のある料理人が作った訳ではないだろうが…いや、ネカスの食事。ろくでもない物に違いない。
奴らにとっては食事でも、俺にとっては毒の可能性もある。
どうする…それでも、取るか?
この一回を、ネカスから逃げる為だと受け入れるか?
………しょうがない。
こればっかりは、しょうがないのだ。
力の抜けていく身体を何とか動かし、ほとんど扉にのしかかるような体勢で、廊下へと、半ば脱獄でもするような気分で出た。
足元には何処かの店のなのか、妙なキャラクターが描かれた袋に半身を包まれたパンと、香りを着た湯気を上らす、バジルがまばらに浮かんだオニオンスープの皿が乗った木製のトレイ。
日頃食べていた物からはランクが落ちていたが、どちらも名も知らぬような奇天烈な料理ではない。
少なくとも、猛毒ではないだろう。
手を伸ばそうとした時、トレイ全体に大きな影が差し込んでいた事に気付いた。
「んふふ…」
はっと、視線を上げた。
目の前の部屋の扉に腕を組んで凭れた、服装をジャージに変えた、サイドテールのあいつが、そこでにんまりと口角を上げていた。
得意げな笑みで、唇に隠れていた八重歯がきらりと輝いた。
「なっ…!」
「かくほーっ!」
目の前の奴の号令で、左右から襲いかかるように飛び出てくる、二人の影。
なにがなんだか分からないまま、出てきたばかりの部屋の中へと連れ戻された。
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「お、おいっ…!離せ!何をしてる!?」
あれよあれよと部屋に押し入られ、何を考えてるのか、強引にロープで椅子に縛り付けられた。
「なーんだ、意外と元気じゃん、灼熱」
椅子の上で何とかもがいてロープを解こうとする俺を横目に、奇妙な呼び名を口にしながら、トレイをテーブルにかたんと置いた背の高い女子。
それの上で波を起こしたスープには、点けられた電気が歪んで写り込んでいる。
縛り付けてきたのはさっき廊下で声をさせていた、ワッフルと呼ばれていた女子と、無気力そうな声の男子の二人。
普通であれば、男の方はともかくこんな生真面目そうなひ弱な奴になど負けないのだが、混乱と衰弱に足を引っ張られてしまった。
「…よーし、オッケぃ」
「…ですね」
ロープを椅子の後ろで固く締めた男子が、ワッフルらしいのを連れて背の高い女子の傍に行く。
一緒に入ってきていた、見た目同年代とも見間違えそうなネカスの担任らしいのが、眉を困ったようにさせていた。
「こ、こんなやり方いいのかなぁ…」
「しょーがないよ、ミーせんせ。灼熱出てこなかったんだから」
「馬鹿共の癖に小賢しい知恵を…」
去っていったように見せかけて、潜み足で扉の前を占拠していたのだろう。
知恵が無いくせに、悪知恵が働く奴らだ…。
悪知恵の元凶を思い切り睨み付けるが、背の高い女子は怯みもせずに、むしろ嬉しそうに憎たらしく笑う。
「んふふーん♪さしものコルファさんも、食事には負けちゃうんだねぇ♪」
「…ちっ」
「だいじょーぶ。ご飯ならちゃんと取らせてあげるから。ほれ口開けて、あーん」
パンの袋を背の高い女子は掴むと、俺の口の近くまでぐいっと寄せてくる。
「自分で食える…!だからこれをさっさと解け!」
「えー、逃げるでしょ?バチッとさせて…や、メラッと?」
「…するか、そんな馬鹿なこと。貴様らじゃあるまいに…」
魔力の使用は緊急時以外は騎士団でなければ許されていない。
その緊急時に該当するか、今はまだ判断が出来ていない。
「な、なんかむかっとさせる言い方…むー…レグお願い」
「結んだばっかなんだけどなー…」
レグ。
その名前に男子が反応し、俺の後ろに微妙そうな顔で回り込んでくる。少しして、身体を締め付けていたロープがするりと解かれた。
「…ほい。せんせーから話あるし、早くね」
テーブルの上、トレイがこちらに寄せられる。
全員に見られながらで居心地は悪かったが、とにもかくにも食事を済ませる。
空っぽの胃にパンとスープの重さを感じ、わずかながらも心が休まった。
トレイの上が空になったのを見ると、ネカスの担任らしいのが怯えたような顔のまま、一箇所に集まる馬鹿共の一歩前に出た。
「え、えっと…お話、良いですか?」
「…あぁ」
苛立つような喋り方だが、話を聞くのであれば教師らしいのからが一番良いだろう。
ネカスからは一刻も早くに離れたかったが、俺の取り巻く状態を知りたいという気持ちも、確かに胸には住んでいた。
頭もゆっくりとだが回るようになり、冷静な判断を取り戻して来ているらしい。
「ていうかせんせー、なんで敬語?さっきからそうだけど」
早速話を、と思ったばかりだと言うのに、すぐに背の高い馬鹿が横槍を入れてくる。
「な、なんか緊張しちゃって…こほん。えと、ランケ…くん?ここが何処かとかは、もう分かってるかな?」
「ネカスの寮…だろう。そこの馬鹿共を見てすぐに分かった」
「馬鹿馬鹿うっさいなー…もー…」
背の高い女子の呟きに苦笑いを浮かべながら、ネカスの担任らしいのはそうと頷いて話を続けた。
「それで、私はそのネカスの担任で、寮母…みたいなのもしてる『ミミコ』って言います。何があったかとかは…覚えてる?」
「それは…」
言葉が詰まり、貯まった言葉の重さで顔が下を向いた。
悪夢と現実、その境で不安定に揺れる記憶に決着を付ける事になるのだ。
ミヤシロに負けた後、何の不幸かここで休まされた。そんなシナリオであったなら。
「……俺は…父に」
「…うん」
皆まで言い切る前に、ネカスの担任が俺の頭にあるので間違っていないと小さく頷いた。
…どうやら、俺の頭に残るこの記憶は、紛れもない現実だったらしい。
世界の全てが、色を忘れた。
「くく…くくっ…」
色のない世界を見て脳のどこが指示を出したのか、勝手に口から笑いが溢れた。
なにが面白いのか、自分でも解らないというのに。
「だ、大丈夫…?」
ネカスの担任が、心配そうな表情で俺の目を覗き込んでくる。異常な人間でも取り扱うようだった。
「灼熱壊れた…?」
「ちょっと怖いな…」
「はっ…それで?俺はどうなる?学院から追放か?」
いまいち笑いを抑えられないまま尋ねた。
父の援助が無くなるのだ。学費だ何だを考えれば、コルファ以前に、学院から出される事になったとしても可笑しくはない。
底なしの闇へと、自分を一歩前に進ませた。
「それなんだけど…先生達で話し合ったの。頼る先もない状態で除籍にしたら、色々、危ないんじゃないかって」
「なんだ?乱心して父を刺しに行くとでも?」
外に出た自分の声を聞いて、挑発でもするようなトーンで喋っていた事に気付く。
「そ、そういう事じゃなくて…。コルファからは出る事になっちゃったけど…とりあえず、何処かのクラスで、一時的にでも引き取ったらってなったの。それで……」
ワッフルと呼ばれていた奴が、視線を彷徨わせ出したネカスの担任にメガネ越しの視線を送る。
「先生、言わないとです」
「…うん」
ネカスの担任は一度息を吐くと、覚悟を決めたような顔でこちらを捉えてきた。
「あのね、今日から君は、ここネカスの、私の受け持つ生徒になります」
…あぁ、そういうことか。
ここに居た理由の全てに合点がいった。
俺が、ネカスに。
散々見下してきた最悪に、俺は居なくてはならなくなったのだ。
「ふっ…はっ、はは…ふ、くくっ…」
視界は、揺らいではくれなかった。