44話目
44話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
数少ない明かりが頼りなく道を照らす、暗闇ばかりが占拠した建物の内部から外に出ると、太陽の日差しが目を細めるほどに眩しかった。
「はー…怖かったですね、ランケさん!」
言葉に怖いという表現こそ付いていても、騒いで乱れた髪を直すワッフルの表情は、心からの笑みで満ちている。
「すげー良かったよな。雰囲気とかまじ出でたし」
「ね!ちょー凝ってたよね!」
出口から少し離れた場所で先に出て待っていたクーシルとレグも、俺とクマの耳が寄ると、待っていたとばかりに弾んだトーンで感じた楽しさを確かめ合う。
「さして怖くなかったな」
お化け屋敷の中は、ペアでの行動になる。
スタッフの人間に依って俺が組まされたのはワッフルで、クーシルとレグは、俺達より一つ先にペアとして内部へ進んでいた。
数分後に出発した俺と眼鏡の馬鹿には、先を行った馬鹿二人の、楽しんでいるのだろう悲鳴が実によく聞こえていた。
なんならそれの所為で、次の驚く要素があとどのくらいで待ち構えているのか、幾らか予想が出来てしまっていた。
「てか、なんならあれな、一番怖かったのお前だかんな」
「あ?」
出し抜けにレグが言ってきた事に、怪訝な声音が表に出る。
が、レグと一緒にいたクーシルは、その通りだと自分の顔を怖がらせた。
「ほんとそうだった。後ろ見たら真っ暗なとこから真顔のしゃく出てくんだもん…。あれホラー過ぎたよね…!」
「そう言えば、ちょっと一回、距離近い時ありましたね。そんな速く行ってたつもりなかったんですけど」
「お前らがモタついてたからだろう」
「や、王冠ちょっと落としちゃってさ」
自分のサイドテールに嵌まった安っぽい王冠を撫で、クーシルが恥じ入って破顔する。
理由はどうでもいいが、馬鹿二人の歩みが遅いのが原因で、お互いの影がうっすら見えるぐらいの距離感の時は確かにあった。
結局、そういう状況の対策としてなのか、一度足を止めなければならない場所が用意されており、終わる頃には出発の時と似たような距離感に戻っていたが、馬鹿二人が言っているのはその時のか。
馬鹿共の感想をただただひだすら聞かされていると、ワッフルがんっと喉を鳴らした。
「喉、かわきましたね」
「あたしもー」
「近くなんかあっかな?」
馬鹿共が飲み物を売っている店でもと周囲を見回していると、全く以て聞き覚えのない声が、前正面の人混みから飛んできた。
「お!ちょ、レグじゃん!」
全く以て見知らぬ、馬鹿共と同じ蒼の制服を着込んだ、一瞬にして忘れてしまいそうな如何にも凡人という雰囲気の男子生徒二人。
彼らの視線はレグを一直線に指し、傍らの俺や馬鹿二人を気にすることなく、気心知れた様子でそのまま近寄ってきた。
「ん?おー」
名前を呼ばれそちらを見たレグも、同じように片手を挙げ、相手の行動に応える。
お互い、関係に妙な影は無い立ち振る舞いをしていた。
「久しぶり。そのグラサンなんだよ?」
「いいだろ、似合ってんだろ」
ふっと吹き出して男の片方がサングラスを指摘すると、レグはけらっと笑いながら言い返す。
「てかなに、ラストの院祭、二人で回ってんの?」
隣を見てレグが尋ねると、その見られた片方が、言いたい事を言ってくれたとばかりに、あーと唸ってから直ぐさま理由を発した。
「それなんだけどさー。ラッツもあいつ誘ったんだけど、ラストだからっつって全部回るとかまじ意味わかんねーこと言ってんの。途中まで付き合ってやってたけど、流石にムリだし、俺らで回るかってなってな?」
「な?やべーよな。店居る時間、平均5分ぐらいだぞ?」
名前の出たそのくだらない事に時間を使う人間も、レグは知っているらしい。
聞きながら納得したようにあぁと小さく数回頷き、話の終わりには一緒になってけらけらと笑い出す。
と、視界の両端にクマの耳とサイドテールの嵌まった王冠が静かに現れ、小声で話しかけてくる。
「誰ですかね?」
「友達、っぽいよね」
「留年する前のクラスの奴らじゃないのか」
「あー」
あんな僻地にあるネカスの教室で、新しい交友関係がこの馬鹿共以外と築ける筈はない。
万が一にも築いたのであれば、この二人が押し付けがましく紹介してこなければおかしい。
留年する前の元クラスメイトが、順当に行き着く考えだ。
「後ろ、友達?」
「ん?あぁ」
馬鹿共に合わせてなど嫌で声量を絞らなかったからか、その現三年の元クラスメイトと思しき友人が、レグの後ろの俺と馬鹿共に気付き、ざっくりと一纏めにして指を指してくる。
友人の友人と聞いて挨拶の一つでもするつもりなのか、一歩前に出た男の右から左に流れた視線が、見過ごせない物でも見つけたように俺で止まる。
一度、隣の友人と自分が見たものを眼差しだけで確認し合った後、レグを俺と馬鹿共から数歩分ある距離まで引き離した。
「あ、あいつ…ランケだろ?小癪…のランケ…とかなんとか呼ばれてたやつ…!」
「なんかあれじゃねっけ…?分かんねーけど、いろいろ好き勝手やってた噂あったりとかしてんじゃねっけ?やべーやつじゃねぇの?」
「聞こえてるぞ。意図してか?」
「ひっ…!」
密やかに話していたが、人間、意識を向ければある程度の声は拾えるものだ。
それとも、聞こえると分かっていて敢えてなのか。
俺が浅ましい行動に冷ややかな声を差し込むと、男二人は身体を跳ねさせ、居心地の悪さに困った色を表情に見せ、レグに手を上げた。
「あーと…うん。んじゃ俺ら、あれだ、そろそろ行くわ」
「レグ、じゃな。…頑張れよ」
「おう、それじゃ」
レグが手を上げ返すと、俺と馬鹿共の脇を足早に抜け、男二人はそそくさと去って行く。
人混みに一度紛れると、記憶に残らないそのあまりに無個性な顔立ちの所為で、どこにも姿を見つけられなくなった。
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飲み物の店を見つけはしたが、面倒にも数人のグループが前に並んでおり、注文までは待たなければいけないようだった。
それまでの時間潰しに持ち出された話はやはり、先程のレグの元クラスメイトとの事。
クーシルがなんの気もなく、あのさと口火を切った。
「レグ、さっきのって前のクラスの?」
「あぁ、ふつーに仲良かった奴ら。席も近かったしな」
「もっと腫れ物扱いでもされてるかと思ったんだがな」
さっきの場を見ての感想が、待ち時間の暇に耐えきれず口を衝いて出る。
「誰かとケンカしてとかじゃねーからな。なまけたらそのまんま留年喰らっただけだし。で、そんな俺の友達をお前は追い払ったわけだ、目一つで」
「あいつらが勝手に逃げただけだ」
糾弾するようなトーンでは別になかったが、茶化しだとしても、紛れもない事実は言っておくべきだ。
「まーでも、実際ミヤシロん時、好き勝手やってたもんねー、しゃく」
「やっぱりあれ、大きかったんですかね」
「負けたけどな、灼熱皇子」
「…ちっ」
「舌打ちも聞き慣れてきましたね」
自分達こそ好き勝手言ってくる馬鹿共の背後では、数人のグループが代金と引き換えに、飲み物のカップを順番に受け取っていた。
そろそろかと横目で窺っていると、今度は、俺と馬鹿共の後ろに新しく若い男女が並んだ。
「なんか他にも小さい積み重ねあったりすんじゃねーの?知らんけど」
「ありそー…」
「そんな憶えは無い」
言い返しはするが、馬鹿共の顔にはまるで体感でもしてきたかのような自信が、俺への不信と混合してありありと滲んでいる。
と、先にいたグループが全員、飲み物を受け取り終えた。
俺の言葉を話の終わりにして、馬鹿共は定員と向き合い、目の前のメニュー表から何を選ぼうか考え出す。
喉はそれほど渇いている訳ではないが、何か注文してやろうかと俺もメニューに目を通した時、傍で小さな騒がしさが不意に現れた。
「いっつ…!え!?ちょっ!?それ、俺のっ!」
「え?」
張り上げられた声に振り向けば、俺の目の前を駆けていった一人の男と、届かないながらも大きく手を伸ばす、後ろに並んでいた男女の内の男。
駆けていく男の方の手には抱き抱えられた一つの鞄があり、それだけで何が起きたかを察した。
「ひったくりか」
「うそっ!?」
「あ、あのっ!盗られたんですか!?」
「きゅ、急に…!どうしよ…あれ、入ってるのに…!」
あまりに突然の事に追いかけれず、立ちすくんで混乱するだけの被害者の若い男。
ワッフルが声を掛けると、取り乱しながらも肯定の言葉が返ってくる。
すると、馬鹿共は即座にこれからの動きを視線でのやり取りだけで済ませ、深く頷いた。
「あの!俺ら行くんで、騎士の人、呼んできてもらっていいですか?」
「え?や、で、でも君ら…」
「わたし達、学院の生徒なんです!そういうの、やってきてますので!」
被害者の男の目が、俺の腰に目立って下がる細剣を写す。
「じゃ…じゃあ、お願い!」
鞄を心配し、犯人の遠退いていく背中を絶望でもするように見つめて男は唸っていたが、そんな時間も無駄だと悟ったのか、任せる覚悟を決め、隣にいた女にそれじゃあと声を掛けて詰め所へと駆け出していく。
「これっ、邪魔だな…」
「早いとこ行かないと!」
余計なアクセサリーを外した馬鹿共は、犯人の逃げた先に大急ぎで走っていく。
見回りの時間外でこういう事が起きるのは面倒だが、馬鹿共に付き合うぐらいならば、あいつを追い込む方が良い暇潰しになる。
俺も付いて行ってやろう。
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避けきれない程の人混みを、己の身体でかき分けて走るひったくり犯。
こういう祭り事に現れるようなひったくりなど、決まった根城や仲間など無い、根無し草のようなもの。
逃げはしても、その具体的な行き先は決まっていない筈。
俺達に気付き、迷惑そうな態度を見せた男を追いかけていくと、学院祭の中心地からどんどんと離れていく。
学院から離れていくほどに学院祭という空気は薄れていき、人は減り、次第に安穏とした空気の住宅街へ景色が変わっていく。
「待てって!」
「付いてくんなよっ!ガキっ!」
レグが声を上げると、焦ったような男がそう叫んで一層速度を上げる。だが、馬鹿共もそれに負けじと食い下がる。
埒が明かないな…。
炎で壁を作って道を遮るというやり口もあるが、あの男の緩むことのない全力疾走では、作る場所次第では炎に飛び込んでしまうやもしれない。
犯人に怪我をさせれば周りがやかましくなる。
ひったくり程度でそんな風になるのは論外も論外だ。今は、違う方法を考えるのが賢い人間の行動だ。
馬鹿共が背中を追いかけるなら、回り込んだ方が良いか。
記憶が正しければ、クーシルが持っていた地図の端にこの辺りは載っていた。
あの時の図を頭に呼び起こし、目安を付けて先回りする。
このまま行くのであれば、住宅街を通る小さな川の上の橋を渡る事になる。
そこで馬鹿共を利用してやれば、上手く挟み撃ちに出来るかもしれない。
たぬきの人形が入った紙袋に邪魔くささを感じながら、細かい抜け道のような路地を選んで走っていく。
ここら近辺の住民は、ほとんど学院祭に出掛けているのだろう。走っていても、通りがかりに邪魔をされるような事はない。
余計な時間の消費もなく、犯人が通るだろう石橋が少し先に見える道に出た。
ひとまずそれとは別の橋を渡り、整備された小川を挟んでの反対側の道に向かう。
そこで走るのを一旦やめ、目的の石橋まで乱れた息を整えながら歩いていく。
橋を挟んで反対側。
石橋から伸びる道の先に、犯人とそれを追いかける馬鹿共が見えた。
「なっ…!どうやって…!」
「逃げ方が安直だな」
無気力な目が中から見上げてくる紙袋を地面に置いて石橋の上に俺が立つと、気付いた犯人は驚き、地面から伸びた手にでも掴まれたかのように竦んで足を止める。
だが、その足が乗った場所は既に橋の上。
「追いついたっ!あ、あれ…しゃく、いつの間に!」
「あいつ、さき行ってたのか…!」
「はーっ…はーっ…体力…やばい、です…」
引き返そうと後ろに身体を回すも、一人息切れしているが、走りながらバッグから抜いたボウガンと槍を構える馬鹿共が、見てくれは厄介な壁として立ち塞がる。
「しつこいっての!」
男は橋の中心で俺と馬鹿共を交互に捉え、苛立ちが語気を荒らげた戯言を叫んでくる。
挟み打ちにされた時、強引に突破しようと考えるならば、狙うべきは数の少ない方。つまりは俺の方を突破したがるだろう。
男の視線が、何かを確かめるように一瞬俺を覗いた。どうやら俺の予想が当たったらしい。
そうなれば、その一縷の救いの手を断ち切ってやらねばならない。
男も立ち止まった事だ、使わない理由は消えた。
「っ、な、なんだよこれ…!?なんで火が…!?」
雪のように舞い落ちてきた火の粉。
ひったくりの男はその異常に、唖然と真っ白な雲しか無い青空を見上げる。
片足を下げ、靴の踵を地面で横に切る。
背後に感じた熱の壁。
作り上げた炎の仕切りが、俺の影を犯人の足元に伸ばしていく。
「はっ、こちらはもう通れんな?」
「このガキっ…!」
俺が意図してやった事に気付いたのかは知らないが、一縷の救いが真っ二つに断たれ、怒りと絶望がその目に滲んだのが見えた。
「だーっ!めんどくせっ!」
この状態を打破するまともな方法が他に思い付かなかったのだろう、男は盗んだ鞄を一度見下ろした後、苦渋の決断だとばかりに、橋の上から小川に向けて思い切りそれを投げ捨てる。
「カバンっ!」
クーシルが飛び出し、宙を舞った鞄を取ろうとする。
だが、手では届かないと直ぐに気付いたらしい。
欄干からそのまま川に飛び込むかのような勢いで身を出すと、手の代わりに槍を伸ばし、穂の下の柄を、鞄のベルトが作っていた輪の中心に差し込む。
「あの馬鹿…」
場も見ずに動いて…。
俺の方が容易には突破出来なくなったという事は、馬鹿共の方が次に突破の選択肢に入れられる筈だ。
「あぶなっ!」
「すげぇ、クー!」
ベルトは柄に引っ掛かり、垂れた鞄はぶらりとその真下で揺れ動く。
鞄を川に投げ捨て、どうにかして逃げ出す隙を作りたかったのだろう。
一瞬は鞄に逸れそうになった他の馬鹿の視線だったが、クーシルが強引ながらも防いた事もあり、ひったくりをまた捉えに戻る。
「くそっ…あぁっ!」
失敗した男は何か吹っ切れたように喚くと、クーシルのいる方向に自分の手を向けた。
「えっ…?」
瞬間、その手から躊躇なく放たれた稲妻。静かな住宅街に雷の音が轟き駆け巡る。
だが、ひったくり犯に魔力を扱う知恵など無い。
木の枝のように分かれた稲妻のほとんどは、クーシルの左右の石橋にぶつかって消える。
数本の枝は鞄を槍で引っ掛けたまま引き上げられずにいたクーシルに向かったが、クーシルの前に飛び出して張られた盾に、それも全てを防がれていた。
「だいじょぶですか!?クー!」
場を覆す威力も出せない、哀れにも魔力量が乏しい普通の人間だったらしい。
数本の枝とは言え直撃を受けた盾だったがこれと言った目立つ傷はなく、背後の石橋も、砕けるどころか欠けたような様子さえ無かった。
「ワッフルー…!ありがとー!」
「クー、ワッフル、だいじょぶか!?」
犯人を忘れて二人を気にかけるレグに、いま優先すべき目標を思い出させる。
「いい。撃て」
「お、おう!」
気にするべきはそちらではないと最優先を思い出させてやると、レグがボウガンを犯人に構える。
ここまでの逃走に、魔力による急激な血液消費。
地面に倒れる気力さえないのか、上半身ごと俯いて、大きな呼吸を繰り返すだけの男。
犯人の胸よりも少し下の位置を、狙いを定めるのに手間取ってから射出されたボウガンの筒が、風斬り音をほんのわずかに聞かせてとすりと刺した。
筒の刺さる衝撃にさえも耐えられないのか身体をふらふらとこちらによろめかせた後、男は背中から地面に倒れ込んだ。
「何も上手くいかなったな、この男は」
背後の炎を消して、うつ伏せに沈む男を見下ろす。
撹乱しようとして投げた鞄は拾われ、せめて怪我でもさせてやろうとした悪あがきの道連れも失敗し、これから先は真っ暗な牢屋。
「「せーのっ!」」
気絶した男の無様な姿に目を置いていた間、クーシルとワッフルはてこで重くなった槍の先端を協力して引き上げ、柄を滑ってきた鞄を回収していた。
「騎士、来たっぽいな」
俺と同じく犯人の傍に来ていたレグが、自分達が走ってきた道の方に身体を向ける。
「早いな。見回りのか」
「ど、どうしたんだ?何があった?」
馬鹿共が連絡を頼んだ被害者の姿は隣に無い。
困惑を全身に貼り付けて、晴れ空に鳴った雷を探しに来た見回りの騎士は、俺達に戸惑った様子で近付いてくる。
馬鹿共がここまでの経緯を説明している間、もう一度、倒れた男の惨めな顔を見た。
何度見てもやはり、惨めという感想は固く揺がなかった。




