37話目
37話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
繰り上げでワクレールから帰り、翌日からはまた、王都での夏の長期休暇に戻った。
馬鹿共は連日の補修の日々に押し戻され、俺も程々の休みとバイトが連なった日々になった。
何者でも無くなってしまった事を証明する、ただ繰り返される似たような日々に。
夏休みの終わりが来週に見えてきた、ある日。
バイトに行ってやらねばならない今日が、朝に一方的に話しかけられた際の会話では確か、馬鹿共の追試の日。
科目は多いが、所詮人数は三人だ。
そのまま結果についても出されるようで、留年するかどうか、それも今日合わせて決まるらしい。
バイト中、クーシルの親から心配のため息でも聞かされるかと辟易していたが、それらしい様子は無く、取り越し苦労で終わってしまった。
肩透かしでもあったが、こちらからその訳を問う必要も無い。
理由を確かめないままバイトを終え、帰路へと着いた。
この年の夏の終わりも近くには見えてきていて、空の日暮れの早まりがそれを眼に伝えてくる。
パン屋から歩き慣れた道を徒歩で行き、しばらくすれば寮の屋根が見えてくる。
黄昏時もじきに終わり、そうすればまた一日が終わっていく。
そう考えていた時、寮の玄関先、電結晶仕掛けの出迎えのランプが点いたそこに、サイドテールを垂らした人影が見えた。
「帰ってきた!」
明らかにクーシルらしいのが玄関先で何故か俺の進んでいた道を見ていて、こちらに気付いたのか声を上げると、身体を寮の方に引っ込める。
状況が分からないまま、寮の前へと向かう。
玄関の扉は開け放たれ、玄関と廊下とを結ぶ段差には馬鹿共が塞ぐようにして横一列に腰掛けていた。
玄関にだけしか明かりは点いておらず、この暗さならば点ける筈の背後の廊下や階段の先、二階には、どれも明かりが点いていなかった。
「おかえり、ランケくん。おつかれさま」
状況を飲み込めないまま寮に入ると、腰掛けていた段差から立ち上がり、出迎えの言葉を言う担任。
「おかえりー」
「おかえりです、ランケさん」
「おつかれさん。こっちのが早かったな」
馬鹿共も真似るように、似た言葉をぞろぞろと並べてくる。
全員揃って未だに制服を着て、外用の靴を履いていた。
「…また何かするつもりか」
常日頃とは違う光景に、訝しむ眼差しを向ける。
すると、クーシルとワッフルが脇に置かれていた二つの紙袋をそれぞれ一つ掴んで、座った場所から腕が伸ばせる限界まで俺にぐいっと見せつけてきた。
「花火っ!」
「買ってきたんですっ!」
「…花火?」
紙袋の奥から期待に満ちた笑みが二つ、姉妹のように顔を出してくる。
俺が聞き返すと、その馬鹿の姉妹はタイミングを合わせて「うん!」と頭を縦に振る。
「帰りな、見つけてさ」
「やー、気付いたら買っちゃってたよね…」
自分の行動に、ともすれば感心でもするかのように腕組みをしたクーシルが言う。
「追試が済んだと思えばこれか…」
全教科追試があったというのに…不気味なまでの体力だ。
思わず口から出た呆れに、担任が嬉しそうに胸の前で自分の手をぱんと合わせた。
「あっ追試ね、全員、無事合格!」
「だろうな。留年してこんな事をしてるようなら正気を疑う」
「言ったろー?俺ら、追試からが本番だって」
話に挙がった追試の結果に、レグは俺を見上げて得意げに胸を張ってくる。
「ジス先生の授業、頭良い人って感じの話でさっぱりだったけどね!」
「ミーせんせーが説明してくれなかったらヤバかったですけどね!」
やはりそうなったか。
まぁこれで、ジス教授の授業を理解出来たと言ってくる方が、なんなら予想から外れていた。
担任のように同レベルの人間の方が、こういう馬鹿には話を伝えやすいのかもしれない。
つまるところ、花火を買ってきたのは追試の合格祝いみたいな意味合いなのだろう。
しかしそれならばと、巻き込まれない為の意見が出る。
「祝いごとがしたいなら勝手にやってればいいだろう。何故こんな集まって…」
「ランケさんも一緒にやりましょうよ!思い出ですよ!」
「ねっ!夏休み、ほとんど遊べてないじゃん!このまま終わるなんて、もうそれ夏休みにちょー失礼じゃん?」
「…」
この態度…馬鹿共から譲る気は感じられない。
苛立ちと疲弊を混ぜ合わせた、心からのため息が漏れ出る。
しかしそれに目もくれず、眼鏡とサイドテールの馬鹿二人は担任に顔を向けていた。
「せんせ、しゃく来たし、も行っていいよね?」
担任がうんと頷くと、クーシルとワッフルは紙袋をそれぞれ一つずつ抱えて、段差から軽やかに立ち上がる。
「やった!」
「クー、行きましょう!レグ、バケツお願いします!ミーせんせーも、ロウソク忘れないでくださいね!」
オレンジのサイドテールと切り揃えられた黒髪が、1秒も無駄にはしたくないと俺の脇を飛び出していく。
「うーし」
濃い緑の寝癖まみれもそんな声をこぼしながら、ワンテンポ遅れて腰を上げ、玄関から出ていく。
「…何処へ行くんだ」
馬鹿共の向かった先が分からず、明かりのスイッチに向かうクリーム色の髪の毛を見やる。
声を掛けられた担任は左半分、身体をこちらに回した。
「すぐ近くにね、ちっちゃいけど公園あるの。ランケくんが来たら、みんなでそこでやろって」
公園…ここで待っていたのはそれか。
だが、聞いても思い当たる場所がない。
基本、寮から出る時はパン屋か学院かの二択。
そのどちらも路面電行車を使って行く以上、大通りに向かう道しか使う事はない。
その道の景色の中に心当たりが無いのであれば、何処にそれがあるかは分からない。
「行こーぜー」
玄関の脇から水の入ったバケツを持ってレグが顔を出すと、適当に俺を呼んでからクーシル達の後を追ってのろのろと歩いていく。
玄関の明かりを消した担任も、靴箱の上に置いてあったカップの蝋燭とマッチの箱を持って、サンダルに素足を入れると外に出る。
真っ暗な玄関に、俺一人だけがただ立ち尽くす。
「ランケくん?」
行かないの?と、担任が首を傾げる。
「俺の時間を好き勝手に荒らすな」
付き合わされる結果は、無常にも変わらない。
外に出ながら、それでも真っ当な文句を言ってみるが、扉に鍵を掛けた担任は俺の苦痛の叫びなど無視して、ぬるま湯のような柔らかな微笑みを浮かべた。
「でも…楽しいでしょ?」
「何を見てるんだ、お前は」
全く心の何処にもない言葉をまるで自覚を持っているだろうとばかりに言われ、何も分からぬ節穴の目に吐き捨てるように一言言い返した。
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担任を案内にして、件の公園に向かう。
そこは、大通りから反対方向にほんの道を数回曲がっただけの場所。歩きで数分も経たない内に着いた。
「せんせー!しゃくー!はやくー!」
段差を上がって、公園へと踏み入る。
ベンチ二つとブランコしか置かれていない、あまりにも小さく質素なその場所。
一応は誰かしらが手入れをしているようで、地面は大部分で土が露出している。
隅の方にしか生えていない草も、夏を過ごしている割には伸びていなかった。
花火入りの紙袋と水入りのバケツは、ベンチの上と足元にそれぞれ置かれている。
ブランコの周りの柵から立ち上がったクーシルが、俺と担任を急かしてくる。
ブランコでゆらゆらと遊んでいたレグとワッフルもそこから飛ぶように降り、ベンチへと集まった。
「どれしよっかなー」
「わたし、買うとき決めてたのあるんです!」
期待に満ちたクーシルが、がさりと開けた紙袋の中を覗く。
同じように覗く馬鹿共の所為で狭苦しいが、そこには一杯に詰められた手持ちで遊ぶ為の花火。
もう一袋、これと同じぐらいに膨らんだのが隣にある。果たして今日で使い切れるのか不安になってくる。
俺の向かいの担任も、同じような不安げな顔をしていた。
「ね、クー。追試のこと、お家に言いに行かなくていいの?」
が、気にしていたのは追試の結果の方らしい。
両親に合格を報告しなくて良いのかと担任はクーシルを見たが、呑気な笑顔がそれと向かい合った。
「だいじょーぶ!朝、追試絶対だいじょぶって言ったし!そしたらママ、じゃあ問題ないねって言ってくれたし!」
「呑気な奴らだ…」
信頼関係だとか、そんな美的に聞こえるようなもの以上の話に頭が理解を拒む。
「じゃあ…良いのかな?」
悩むような眉の担任だったがそれで良いならと何故か受け入れて、蝋燭の準備に取り掛かり出した。
質素な公園の真ん中にゆらりと火が灯ると、何にするか決めた馬鹿共が早いもの勝ちだと馬鹿らしく騒ぎながら、選んだ花火を握ってそこに走っていく。
「おぉー…!」
「ワッフルのそれなにー!?すっごいバチバチしてんじゃん!」
「俺の!なんかすっげー色変わんだけど!」
「やばー!おもしろー!」
「火、気をつけてよー?燃え移ったら大変なんだからー」
お互いの花火に不必要な程に盛り上がる馬鹿共の間を抜け、蝋燭に選んだ花火の先を近付ける。
「ランケさん、なにしたんですか?」
「知らん」
ワッフルが火花をバチバチと弾けさせる花火片手に、俺に尋ねてくる。
四角いフレームの眼鏡の奥は、花火を写しただけでは足りない理由で眩く煌めいていた。
とりあえず、紙袋に手を入れた時に間近にあっただけの花火。
その先に火が実った瞬間、小さな滝のように火の粉が吹き出した。
「…っ!……」
吹き出す火の粉の滝は暗い空では捉えにくい煙をわずかに立ち上らせながら、地面に触れると消えていく。絶え間ない火の熱と火薬の匂いが、じわりと腕を伝って頬にまで届いてくる。
黙って見ていると、クーシルが半笑いで、迷うような間を作りながらも話し掛けてくる。
「いま…今さ」
「あ?」
「まだなんも言ってないじゃん…」
「キレるまで早すぎだろ…。火使えんのになんでそんな驚くんだよ」
まさしく馬鹿が言いそうな事を口にし、押し殺した筈の一瞬の反応を拾われ気分を害しながらも、それならばと一つ問い返す。
「ならお前は、静電気に無反応か?」
「……。一発で負けた…」
「てか、えなに、花火初なん?」
一体どこから察したのか、クーシルが憎くたらしくも言い当ててくる。
「…こんな火が出るだけの物、何が面白くてしてやらねばならない」
「つまり、初めてなんですね」
「でもま、言うてあたしも久しぶりだなー…何年ぶりだろ?」
「地元いた時はけっこーやってたな、俺」
「わたしもそうですね。せんせーどうですか?」
自分も花火を選び、ベンチの足元に忘れられていたバケツを片手に、心躍らせた面持ちで蝋燭に来た担任にワッフルが話を振る。
担任のは火を実らせても特別大きな火花を起こしたりはせず、控えめにパチパチと弾けるだけだった。
「私も子供の頃かなぁ…。今だとほら、やりたくても一人じゃ変な目で見られちゃうだろうし…」
「せちがらっ…」
静かな火花を眺めながら過去を振り返る担任に、クーシルが同情するように呟く。
「…あ、終わった」
「わたしのもです」
その呟きのようにワッフルとレグの花火は静かに勢いを弱め、そして消えていき、冬の吐息のような煙のみがうっすらと立ち上る。
担任が置いたバケツに火の消えた花火を捨てた二人は、中身の減っている様子のない紙袋へわいわいと走っていく。
「ランケさん、火ください」
「あ、じゃクー、俺もいい?」
「うん、いいよー」
そして今度は違う種類らしいのを二人は持ってくると、花火の先を、クーシルと許可を出していない俺の花火に寄り添わせてくる。
それぞれのに火が燃え移ると、煌々と花火は吹き出し始める。
馬鹿共もおーと、盛り上がりにまた火を付ける。
二人のに勢いが吸われたかのように、俺の方の花火の威力が段々と弱まってきた。
火の粉が出尽くしたのを見てから、バケツの水にゴミを投げ捨てる。
「てかあたしのながっ!全然消えないんだけどー!」
そういうタイプの花火なのか、レグとワッフルとほとんど同じ時間から始めたというのに、クーシルの花火は未だ終わる様子を見せない。
俺のが終わってもなお終わらないのを見て、サイドテールは興奮に声を上げる。
それを嫌々耳にしながら、また新しい花火を取りに行く。
本格的に空の色は夜になり、だからこそ、馬鹿共が振り回す花火は眩い輝きを増していく。
無邪気に楽しむ顔が、楽しませているその物によって暴くように照らされていた。
ベンチの上でお互い支え合って立つ二つの紙袋の片方に手を入れ、指に触れてきたそれを無作為に掴んで蝋燭に向かう。
火に近付けると、バチバチと一気に弾けた火花。
「それ!さっきわたしが選んだのです!」
「適当に選んだだけだ」
はしゃいでいたワッフルが俺のを見るなりそう口にしてきて、まるで俺がやりたくて選んだかのように聞こえ、言葉を返す。
その時、不意にカシャと耳慣れない異音。
聞こえてきた方を見れば、長く輝いていた花火をいつの間にやらカメラに持ち替えたクーシルが、俺にあの小さなカメラのレンズを向けていた。それで音の意味を察した。
小さなカメラだ、制服のどこかにでも仕舞っていたのだろう。
「何も言わずに撮るな」
「えー、でも今めっちゃいい写真撮れたよ?いい感じに顔照らされててさ、雰囲気出てた」
カメラを胸に寄せ、盗撮を謝らないどころか、自分の腕に、にひっと八重歯を見せて笑うクーシル。
俺に何も言わせない為なのか、そのまま更に喋り続ける。
「夏の思い出って事でいいじゃん。実地のやつ、撮り逃しちゃってたし」
「あ、そう言えばそうだったね」
「補修だな、犯人」
前々回の実地訓練、そして前回のシルバレードが持ち込んできた忌まわしい実地訓練。
両方の終わり、特に取り決められた訳でもないのに、不意の流れでクーシルの持つ小さなカメラで写真を撮る事になっていた。
だが、三回目の実地訓練は既に一週間も前。
今更撮ってもそれの思い出とやらにはならない事は馬鹿も理解しているようだが、語る口ぶりはまるで慣例事のようである。
「だから、代わりにいま撮るの!…もう一枚撮ってやろ」
「だから撮るな」
クーシルがまた、俺にレンズを向けてくる。
咄嗟にレンズを覆おうと手を伸ばしたが、それよりも速くシャッターの音が鳴り、クーシルは満足げに笑う。
開いた手の人差し指と中指の隙間から、丁度レンズが見えてしまっていた。
「クー!わたしの、撮ってくれませんか!」
今度は、花火を振り回して踊るように回るワッフルにカメラの眼が向いた。
俺が花火に目を向けている間、この瞬間を一瞬たりとて撮り逃さないよう、シャッター音が何度も、誰かに向けて繰り返される。
つい先程までは、後はもう片手の指を数えるように、気付けば明日になっているかと思っていた。
だがこの調子ならば、この夜が終わるのは当分、先の事になってしまうのだろう。
また耳の近くで鳴った、シャッター音と馬鹿の笑い声。
視界の端にあるこちらを見るカメラのレンズに、何度言えば分かるのかと手を伸ばした。




