30話目
30話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
ドタドタと不躾な足音が、眠る自分の意識を強引に起こしてきた。
荒く扉を叩いてきた馬鹿に募る苛立ちが、瞼をゆっくりと押し開ける。
「おーい、起きてるー?」
このまま無視をしたかったが、こいつらがそれで望んだように帰る筈がない。
重い身体を持ち上げ、いまいち冴えない足取りで扉に近付く。
その際、ちらと壁掛けの時計を見たが、朝食を伝えてくるにはいつもより三十分は早かった。
「おはよっ!灼熱!」
「おはようございます、ランケさん!」
鍵と扉を開けると、晴れ晴れと眠気なんてないような顔を見せつけてくる制服姿の馬鹿二人。
「……」
快活を飛び越えて騒々しいだけの朝の挨拶を無視し、ひたすらに怒りを込めて二人を睨みつける。
既に出勤したのだろう担任はともかくとして、レグがいないのはどうせ今も寝こけているからに違いない。
だが、苛立つ俺が邪魔だとでも言うかのように、二人はこちらなど見ずにぐっと身体を押して部屋の中を覗き込んできた。
「ねねっ、買ったのあれどう!?」
「お花咲きました!?」
「まだ昨日の今日だぞ…」
扉を閉めるタイミングを見計らっていると、ワッフルの瞳が謎を提示された猫のように丸くなる。
「…ランケさん、ちょっと部屋さむくないですか?あんまり冷たいとダメですよ、からだ壊しちゃいます」
「あーほんと。なんか元気ない感じするもんね。もうちょいエアコン温度あげたら?」
「…出ていけ」
間抜け面に更に苛立ち強引に扉を閉めにかかると、一応の目的は達成して満足したのか、多少不満そうにしながらも馬鹿二人は廊下へと引き下がっていく。
扉が完全に閉め切られる直前、クーシルの声が隙間から滑り込んできた。
「朝ごはんすぐ作っちゃうから、冷めない内に取り来てよ?」
「…分かった」
疲れた声を聞かせた扉を、手で叩くように閉めた。
━━━━━ ━━━━━ ━━━━━
いつもの時間が近くなった頃合いで、部屋の窓の額縁に新しく居座る事になった観葉植物に水をやり、制服に腕を通して朝食を取りに部屋を出た。
「おー…あー…はよ…」
俺が廊下に出たタイミングで、視界の左側の扉が合わせたように廊下に開かれる。
その奥から随分と重そうな瞼の、頭の回っていなさそうなレグがのそのそと現れた。
俺の返事待ちなのかレグは扉を閉めても足をその前でじっと止めていたが、俺が何も返さずに共用スペースまでの道を行き始めると、そこに無許可で同道してきた。
「あー…そういや、買ったやつあれどんな感じだ?花とか咲いた?」
欠伸なのか何なのか分からない大口が漏らした言葉を頭に、さっきの馬鹿二人と全く同じ質問をレグが訊いてくる。
「咲くわけないだろう阿呆」
「朝から暴言やめろよ…くぁ…」
しかしこの言い方、まさかとは思うが。
「時期がいつか、訊いてないのか?」
横目に写るレグの定まらない表情を見て、言葉を訊くより先に察してしまった。
「あー…どうだったかな…」
「全く…」
馬鹿らしい答えに頭を痛めながら、昨日、店で呼び止めていたあの店員の意味に悩む。
いつ咲くかも知らない花を育てるなど、どうにも気分が落ち着かない…。
「ま、とりあえずあれな、自分で買ったからって捨てたりすんの無しだからな」
生まれた疑問を、レグは呑気な口調で遠く投げ捨てる。
「…今のところ、そうするつもりは無い」
捨てようと思えば捨てられる。
だが、絶対にこいつらが気付くと思った。
果たしてそれがどういうストーリーの顛末としてなのか、厚い曇が張った空で月を捜すかのように皆目見当もつかなかったか、確実にこいつらが気付くとしか思えなかった。
どうしてなのかは分からない。だが、その恐怖には得も言われぬ濃い現実味があった。
「今のところてな…」
教員として一足先に学院に向かった担任の靴を除いて、一足だけが距離を開けた、四足の靴が並ぶ玄関の前を越えてほんの僅か。
昨日までの記憶に無い、壁に掛けられていた小さな額縁に足が引き止められた。
「ここに飾ったのか」
小さな額縁に収められた、あちこちに細かい線が少しうねった形で入った一枚の絵。
俺がその正面に止まると、あーそれなとレグも遅れて止まる音がした。
「やー…昨日は激闘だったな…」
レグの方を見れば、唸るような息をこぼしながら腕を組んで感慨深そうにしていた。
耳に蘇る、昨夜の外の風に溶けた騒がしさ。
「知っている。聞こえてたぞ」
昨夜、冷房の換気で窓を開けてみれば、無遠慮に飛び込んできた馬鹿共の騒ぎ声。
節々に聞こえた言葉から、パズルで騒いでいたのは知っていた。額縁に入れる際に、何かしでかしたのだろう。
「まじ?」
「騒がしくて仕方なかった」
怨み言だけ言い捨ててまた歩き出すと、そろそろ近くに見えてきた共用スペースの扉が、俺が手を掛けるより先にがらりと横に開いた。
奥から出てきた赤色が混じったようなオレンジのサイドテールの馬鹿は、俺達を見ておーと眉を上げた。
「来てんじゃん。出来たよ」
鼻に香るパンの匂い。
出来ているならさっさと回収して部屋に戻ろうと、サイドテール馬鹿の脇を抜け、朝日の差し込む共用スペースのキッチンに向かう。
レグも俺を追いかけるようにスリッパの音をさせていたが、扉の閉まる音の後、それはぱたりと止み、代わりに話し声がした。
「クーさ、買ったやつアレ、いつ咲くか訊いてない?」
「…あ、忘れてた」
「……」
随分とあっけらかんとした口調の発言に、呆れが溶けた吐息が漏れる。
「今年咲かないとかもあんのかな…」
「えー、一年待つの?」
正確性の無い話をだらだらとする二人を放って、キッチンに置かれていた朝食のプレートを回収する。
あの白い鉢植えから伸びるあいつは、いつ花が咲くかも見当が付かない、凡百ある植物の内の一つなのだろう。
この俺には全く似つかわしくない植物だが、馬鹿共が選んだ物であればいっそそれは妥当とも思えた。
「お花、来年まで待たないとなんですか…!?」
一足先にテーブルで、焼けたパンを小動物かのようにほうばっていたワッフルが愕然と口を開けていた。
━━━━━ ━━━━━ ━━━━━
教室までの、俺と馬鹿共を除けば誰も人のいない長い廊下。
靴音が時に乱れ時に重なり、そうして廊下の先へと吸い込まれていく。
「もう来週かぁ…ヤバいなぁ…」
背中のリュックを揺らすサイドテールから、心の底から溢れたのだろう、自業自得としか言いようのない焦りの声が漏れ聞こえてきた。
「ランケさんだいじょぶですか?勉強してるとこ、わたし一回も見たことないですけど」
するとその話から思い至ったのか、俺の右を勝手に歩いていたワッフルがこちらを覗き込んでくる。
「誰に言っている」
「…えっ?ランケさ…あ、ランケ・デュード・グランドルさんにです!」
首を傾げ眉根を困らせたワッフルだったが、そういう事かとばかりに目を見開き、声を大にして俺の耳を騒がせてくる。
ネカスに巻き込まれてからそれなりに経ち、こういううねった返しに日常の文字が近付いてきていて、考えるだけで恐ろしくなる。
「分かっているそれぐらい…。お前達と一緒にするなと言っている」
「けどお前、授業中基本カベばっか見てんじゃん」
「ね。せんせー当てても無視するし。せんせー寂しそうにしててさ、見ててあたしちょっとモヤッとすんだけど」
「答えてやる義理など無い」
「絶対あるでしょ…」
授業には出るか、俺がしてやるつもりなのはそこまで。
そもそも聞かずとも分かるというのもあるし、もっと言えばあいつは、馬鹿共に聞いても答えが出てこないからやむを得ず俺に聞いてきている節がある。
「とにかくだ、断言してもいい。次の試験、お前ら三人の合計点よりも上回るとな」
「むっ、挑戦ですか?」
「違う、既に決まった話をしている」
馬鹿共の点数などたかが知れる。
いや、想像よりも遥かに下回る点数がこいつらだ。
「うわぁ腹立つー…も頑張ろ!ジュギョー!」
クーシルは力強く握り締めた手の中で、長続きしない一過性のやる気を燃やして、担任が準備をしていた教室へと入っていく。
レグとワッフルが続き、最後に一歩距離を空けてから俺も入る。
そして、静かになった廊下と騒がしくなり出した教室を、扉で一息に断ち切った。
━━━━━ ━━━━━ ━━━━━
来週まではそう長くはなく、その中に詰まった数日間の試験も終われば短くさえ思えた。
試験が終わってから数日経ち、時折太陽が真っ白な雲に覆い隠れる天気の日、答案用紙が纏めて一気に返された。
「どうどうどうどうどう?」
返された自分達の答案など見ずに、一目散に駆けて俺の周りを取り囲んできた馬鹿共。
一番響くクーシルの連呼に辟易しながら、入学当初から変わらない、不動の結果を見せつけてやった。
「ふっ…」
「うぉ…!」
「わ、100点ですよ…!これ!」
俺が答案を少し動かしてやれば、そこに一気に三人の目が食いつく。そして、おーと馬鹿らしく驚愕の声を一気に上げた。
先程まで眠そうにしていたレグも、目の覚めたような表情をしていた。
例え同じ場所にいようとも同じレベルの人間という訳ではない、それをようやく理解した様子だった。
「え、灼熱もしかして全部100なん!?マジで!?すごー!」
興奮した様子のワッフルが重なった答案用紙の束を自分が見やすいようにくるりと回すと、口が開きっぱなしのクーシルを傍らに一枚ずつ捲っていき、それぞれの点数を確かめていく。
「100…100…100…全部100ですよ…あ、98」
「粗を探すな」
本来であればその答案の教科ごとに担当の教師が授業の時間を使って返していくのだが、ここはネカス。
主に担任一人で授業を担当している以上、答案も無論、一気に返される事になる。
断じてネカスを好意的に評価するつもりではないが、こればっかりはこっちの方が些か楽ではある。
「いやでもまじスゲェよ。100ってこの世に実在してたんだな…」
「本当にスゴイよね…ぐすっ」
「な、なんでせんせー泣いてんの?だいじょぶ?」
教卓の方から、この状況を止めもせずにかつかつと歩いてきた担任。
大きく鳴らされた鼻に、窓から差し込んだ光に輝いた目元の涙を見て、クーシルが不安と戸惑いを見せる。
「私のクラスで、こんな凄い点数見たことなかったから…。丸付けしてて…ぐすっ、途中からもう…これ夢なんじゃないのかなって…」
「あれ、一気に居心地わるくなった…」
「お前に教わったつもりなど俺は無いがな」
「じゃあ誰から教わったんですか?勉強しないでこの点数なんて、わたし信じないですよ!」
怒ったようなワッフルの顔が長机を乗り越えて俺の眼前に迫り、反射的に顔が後ろに下がる。
メガネの反射には、淡白に口を動かす自分が写っていた。
「…家庭教師に習った。それだけだ」
「いつ?」
「学院に入る前だが」
言うと、何か一本の線にでも引かれたかのように馬鹿三人の顔が揃って傾いた。
「学院入る前に…学院の授業やるの?」
「なんか違いません?それ?」
「もしかしてそれもあれか?バイオリン時みたいな感じで?」
「少し違うが…。…それで?お前達はどうなんだ」
結果は見えていたが、ひとまず探ってみる。
馬鹿共はあぁと思い出したように踵を返して自分の席に置かれた答案の所まで駆けていき、何枚かぱらぱらと捲っていく。
すると、さっきまでの熱量は何処に散ったのか、一気に馬鹿共の声と瞳に落ち着きのような酷い諦めのような凍えた色で帰ってきた。
「…あたしらのはいいじゃん。そんな、ねぇ?気にしなくて」
クーシルの何処か作ったような笑顔が横に向く。
「えぇ、とくに問題はないですから」
「あれだな…それなりぐらいだったな」
一分前までは塞ごうとしても塞がらなかっただろう滑らかに動いていた口が、突如として大きく言葉を減らした。
如何にも触れてほしくなさそうなその雰囲気、やはりろくでもない点数なのだろう。
馬鹿達の背後に立つ担任から、小さなため息が吐き出された。
「…三人とも、夏休み追試だからね」
「あぁぁ…」
三つの悲鳴が見事に重なる。
追試ならば、やはり三人合わせても俺の点数には至らない。言った通りだった。
「何教科落としたんだ?半分か?」
「……」
俺の疑問に沈黙だけを返してくる馬鹿三人。
見事に三人共、とぼけるように違う彼方に口を尖らせた顔を向けていた。
答えるつもりがないならと、唯一視線の合う担任の方に眼差しで質問を向ければ、随分と立腹した声音で桃色の唇を動かした。
「…全部」
「は?ぜん……お前ら、どうやって学院に入ったんだ…」
想像よりも下というその想像さえ下回ってくるとは…ネカスの言葉の重さ、定期的に思い知らされる時がある。
少し前にやれ帰省するのか担任に訊いたりしたが、全教科追試ともなれば、その前の補修の時間でまともな休みは無いのではないだろうか。
「お前」
「…ん、あ俺?名前呼べよ、分かりにくいだろ」
俺からの視線の先に自分がいる事に気付いたレグが、少し迷惑そうな顔で言ってくる。
「知るか。お前、一度は士官科のクラスに合格してる筈だろう。どうしてそんな悲惨な結果になる」
「あー、やま、士官科って言ってもかなり下の方のクラスだったしなぁ…。ネカスがそん時なかったからそこに居た感もあったし」
士官の訓練もろくにせず、学業も悲惨な有様。
この男、ネカスに来るには十分な理由が揃っていたんだな…。
「ま、俺らはほら、追試からが本番みたいな所あるから」
「意味が分からない…」
「…ランケさんの、名前変えたらわたしのにならないですかね」
「天才っ…!」
「やめろ」
ワッフルがちらと視線を落としてきた答案を、右手で壁の方に滑らし逃がす。
くだらない閃きをした馬鹿共に担任が「そんな事してももうダメだからね」と叱り、補修とその後の追試の日程について話すからと言葉を続けさせれば、渋々と俺の周りから離れていく。
無関係な日程の話など耳には右から左で、暇を埋める物を探す目が捉えたのは、長机の上の壁に寄せた答案の束。
滑らせた所為だろう、一番上の答案が横にズレ、二枚目の答案の半身が顔を出していた。
そこにあるのも、やはり一枚上と同じ100の数字。
試験の結果は、ネカスに来てしまう前となんら変わってはいない。
しかし、これまで見出だせていた筈のこの点数の羅列は、今の俺に果たしてどういう意味があるのだろうか。
そんな事に、悩んでしまった。




