27話目
27話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
病的なまでに続く雨音に、本格的に苛立ってきた。
予定のままであれば王都で夏の香りを混ぜた夕日を浴びていた筈なのだが、窓越しの空は、彼方まで飽きた程に見たくすんだ銀一色。
濃い苛立ちが、不機嫌となって自分の顔に滲んでいくのを実感する。
ホテルのロビーのソファに変装用の服から着替えて座り、入り口近くで一人の騎士から報告を受けるシルバレードを待っていた。
その間、担任は顎に人差し指を当てて何やら考え込んでいたが、その頭の中は小さな独り言となって耳に聞こえてきた。
「無理言っちゃったし…何か…」
「ミーせんせ、なんの話?」
クーシルの尋ねる声に引っ張られ、え?と担任が顔を上げる。
「あっ、ええと、ホテルの人にさ、本当ならもう帰ってたのにもう一泊急に頼んじゃったから…時間出来たら、お礼で何か買っとこうかなって」
「あー…そうだね…どうしよ…」
「俺には謝罪もなしでか」
ホテルの人間なんぞどうでもいいだろう。
渦巻く苛立ちに押され、テーブルとテーブルの間の細い通路を挟んだ馬鹿共を、丸ごと一括りにして睨む。
しかし揃ってさして申し訳がる様子も見せず、けらけらと呑気なトーンで言葉を返してくる。
「んもー、すねちゃって」
「ふざけるな」
「うぉぅ、マジでマジギレ?」
俺が睨みを強めると、クーシルが自分を守るように両手を胸の辺りで構える。
服も、ホテルのコインランドリーなる場所で洗われた。
ユーツでの三日目の夜は確実に進んでいっている。
防御姿勢ではあるがさして態度を変えないクーシルの身体の奥から、ワッフルが上半身を前に出して眼鏡を見せてきた。
「じゃあランケさん、ホテルに残るんですか?」
一人用のソファに凭れ、組み直した足に肘を置いて顎に手の支えをやる。
「付いて行ってはやる。暇潰しにだがな」
「ほーん…」
レグのよく分からない吐息に混じり、騎士との話が終わったのだろう、シルバレードのかつかつという澄んだ靴音が近付いて来た。
「あ、シルバレード。どうだった?」
クーシルがソファの背もたれに頭を置いて、逆さまにシルバレードを見やる。
俺も後ろに顔を運べば、丁度、騎士がホテルから雨の街へと出ていくところだった。
「他の犯人の居場所、分かったって。まだ三人いるみたい」
「三人もか…」
「あと、盗ってたお金だけど、近くのバーとかで使ってたんだって。四人で盗って四人で使う…そんな感じだったんじゃないかな」
聞くと、意思を固める為か、大きな声を出してクーシルが立ち上がる。
「うーしっ、じゃあ早いとこだね!」
「取ってくっかー」
他の馬鹿共もそれに続いて、一旦部屋に戻しておいた武器を取りに行こうと、ソファから腰を上げた。
「あ、先生」
別に用意する物も無いだろうにその中に混じっていた担任を、シルバレードが呼び止める。
「…?」
他の馬鹿共も巻き込んで担任が振り向く。
俺もそろそろ立ち上がろうとしたのだが、そのタイミングが壊された。
「流石に今回は、ここで待っててくれませんか?」
ふと居残りを言われ、担任が困り顔になる。
「え、で、でも…」
「相手、一人じゃないみたいですし、万が一がありますから」
憎たらしいシルバレードではあるが、この判断に関しては合理的だし同意も出来た。
ろくに戦えない人間が場にいては足手まといにしかならない。一人二人が相手ならまだしも、数が一人増えていくごとに確実に足手まといにはなっていく。
少なくとも、いて得するような場面はまず来ないだろう。
「せんせ。そのさ、しゃーなしじゃない?」
「クー…」
てっきり渋るかと思ったが、馬鹿の割に賢い判断だ。
担任の驚きの色に染まった瞳に見つめられると、苦味を貯めた頬を人差し指で撫でながら、クーシルは喋り出した。
「やーさ、せんせーにケガされるのとか、あたしらヤだし…」
「わ、私だって雷、使えるよ!」
「それの流れ弾にでも巻き込まれたら、こっちとしては元も子もないがな。この天気だ、足元の水溜りでも巻き込むかもしれんな」
「うっ…」
自分の身の安全を考えて言うと、担任が続きの言葉を見失う。
目立った争いも歴史上しばらくは無く、この担任のように、そもそも魔力を使い慣れていない人間は大勢いる。
そんな人間がふとした拍子に抑えもなく使って、自分も他も巻き込んでろくでもない被害を出すなどありきたりな話だ。
加えて、今日まで嫌になるほど雨が降った。
電気対策は無論どこもされてはいるが、空から降る雨までもが対策されている訳がない。
「翌々考えると、前のランケの時のもあれ普通に危なかったのか…。せんせー、万が一あったよな…」
「慌ててて考えてませんでした…」
過去の事を思い出し、今更になって戦えない人間が同行する事に危険に気付くレグ。ワッフルもそこに同調を注ぐ。
「…へー」
…嫌な囁きが左から聞こえてきた。
「うぅ…ダ、ダメ…なの?」
受け入れられないと、付いていきたいと不満と不安で悲哀の表情を浮かべる担任。取り残された子犬の鳴き声のような声だ。
お互いに、くだらぬ不安を押し付けあっている。
「ほら、なに?せんせーが勇気出してくれたんだから、今度はあたしらの番ってこと!」
安心してと、胸を張って微笑むクーシル。
他の馬鹿もそれに鼓舞されたのか、表情から迷いを抜き取り強く頷いた。
はっきりと見せられた生徒のやる気に不安から出来た意地が溶けたのか、こちらもまた迷いを忘れて、しかし固い顔で口を開けた。
「危険な事…しちゃダメだよ?」
「俺たち犯人捕まえるんすけど…。まぁでも、やれるだけ安全にはやるんで」
「です!せんせー、安心してください!」
「…うん、分かった。私、ここで待ってるね」
逡巡していた担任だったが、ようやく話がまとまり、ソファからやっと立ち上がれる。
と、そこに、ねぇねぇと嫌な笑みを浮かべたシルバレードの声が差し込まれた。
「もしかしてなんだけどさ、前の誘拐の事件、あれって灼熱の話?」
「へ?うん、そだよ?」
「へー…」
俺への確認も無くクーシルが簡素に答えると、シルバレードの嘲笑が潜んだ眼差しが俺にするりと流れてくる。
「ふーん…へぇー…」
何か言葉を言う訳でもなく、ただ落ち着かせた顔でこちらを嘲笑ってくる。
「……」
「な、なに、なんでこっち睨んでくんの…」
「安心して。言いふらしたりとかしないよ。君のこと、今でも気にしてるとか言われたら気持ち悪いからね」
「その通りだろうに…」
付き合うのが面倒臭く、馬鹿馬鹿しくなってきた。
馬鹿共の脇を抜けそのまま一足先にで行こうとしたが、合わせたようにシルバレードも馬鹿共も歩き出してしまい、結局五人で二階へと上がっていく事になってしまった。
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「あそこかぁ…。うへー…なんか緊張してきたー…」
目的の建物のすぐ傍にした、営業時間を過ぎた店のオーニングの下。
壁から顔だけ出して道の先を覗いたクーシルは、似合わない固い面持ちで折り畳みの傘をぱさりと閉じる。
犯人の根城と言われているのは、ここから見える、街の隙間を流れる小さな川を挟んだ先の、それを目の前にした廃れたバー。
小さな川の上に少し高めの位置で掛けられた街灯に濡れる石橋を渡る者は誰もおらず、一帯には明かりの灯る民家はあれど静寂が満ちていた。
「あー…てか傘どうする?俺とクー、バッグもあっけど」
一気にあの場所に乗り込んで畳み掛けて迅速に捕まえる、というのが道中に立てた作戦。
ホテルからここまで幾らか距離があった為に傘と、クーシルとレグに至っては武器をバッグの中に閉まって運んできたが、いざ目前にしてその二つは迅速の邪魔。
どうするのかと、レグの目が他を写す。
宣言した通り、作戦に参加してやるつもりは無い。
その意思の表れとしてオーニングの下には行かず、レグの視線を雨音散らす傘の下で受ける。
「ランケさんで良くないですか?」
「あー、だね。そうしよっか」
「してやるかそんなこ…お、おいっ…!」
言っている間にまだ水滴の残る閉じられた折り畳み傘と武器を抜いたバッグがあれよあれよと押し付けられ、自分が指す傘に加え、余計な荷物が手の中に収まる。
制服を濡らす傘の水滴にぞわりと鳥肌が立ち、腕に掛けるなり持ち手を手に握るなりして、即座にそれから逃げる。
「…捨てるぞ」
「そしたらせんせー怒るよ」
「ぐっ…」
いないからこそ、嘘かどうか分からない。喉で言葉が気持ち悪く詰まる。
俺が悩んでいる間に、話は作戦の確認へと移る。
「それじゃあ確認ね。どうせだろうけど一回確認して、鍵が閉まってるようだったらワッフルが扉を壊す」
「任してください!かまします!」
「あ、でもほどほどにね?周りに迷惑だし、フルパワーとかは絶対禁止」
「りょーかいです!」
揺れた黒髪の先で、電灯の小さな光を反射してピアスがぼんやりと輝く。
そんな強引なやり方、本来であれば持ち主に一言なりと通すのが当たり前なのだが、今回は少し話が違った。
シルバレードからの又聞きにはなるが、根城が分かった際に騎士団が調べ回ったらしいが、どうやらあの建物の持ち主、行方不明らしい。
しかも話からして金銭面で首が回らず夜逃げでもした可能性が高いようで、そんな人間が建てた物の後が窃盗犯の根城など、運命的ですらある。
そんな話もあり完全に捨てられた場所という事が判明し、結果こういう乗り込み方になった。
実際問題、素直に行って鍵を閉められ籠もられでもしたら、対処法は結局扉の破壊だ。
見た感じ、元バーだからか入り口に取って代わる窓やらも見えない。
中は雰囲気作りの為に、閉塞的な空間になっているのだろう。
…その方法をやろうと決めた原因は、まず間違いなくここに来るまでにされた前回の実地訓練の話だったが。
馬鹿共め、すぐぺらぺらと喋ってしまう。
「で、武器とかあるようだったら、レグ、お願いね」
言われてレグが筒をセットしたボウガンを軽く構えたが、いまいちそこには自信が見えない。
「分かった…けど、そんなスピード感ある感じで当てられっかなぁ…」
「そしたら、あたしとシルバレードでカバーするから!」
槍の柄を握るクーシルの手に、少しばかり力が入る。
「頼む」
「相手は所詮窃盗犯。だから焦らなきゃ大丈夫。みんな、いい?」
シルバレードは店のオーニングの限界まで歩いて、こちらへと踵を返す。
闇夜でも、垂れる銀の髪は輝いていた。
「せんせーの為にも頑張ろ!みんな!おー!」
「「おー!」」
馬鹿三人が、揃って握り締めた手を真上に伸ばす。
それにシルバレードはうっすらと小さな微笑みを浮かべると、またくるりと銀の髪を翻して踵を返した。
「それじゃあ、行こ」
「…うん!」
馬鹿共は頷いて、夜雨の道へと傘も指さずに駆け出していった。
その背中を、俺もかつかつと歩いて追いかけていく。
先を行く馬鹿共は石橋を駆け足で渡り、十段も無い階段を下って川に沿って伸びる道に降りると、バーの何かを封じるように閉じられた扉の前を取る。
シルバレードは一度、慎重にドアのハンドルを引いた後、開かないと首を横に振る。
そして目配せをすると、背中に盾を見せるワッフルが扉に手をかざした。他に被害が出ないよう、かなり扉に手を近付けている。
レグが一歩、力んだ横顔で前に足を進める。
「…あいつらのが強盗だな」
遠巻きの俺の感想に混じり、雷の音が多少なり広く響いた。
抑えろと言われていた筈だが…扉の吹き飛ぶ音も混じったのだろう。
本人もあたふたと大仰なまでに慌てていた。
捕まえた男の証言通り、犯人がいたらしい。
武器の方も合わせてあったのか、ワッフルの脇から飛び出たレグが、バーの中に差し向けられたボウガンの引き金を引く。
が、あからさまにミスした顔だ。外したなあいつ…。上手く行かない奴らだ…。
「なんだお前達!?」
怒り狂った出迎えの声が、ここからでも聞こえてくる。
シルバレードがクーシルに何かしらを短く言うと、同時に頷いて勢い良く二人は室内へと切り込んでいく。
俺が階段を降りた時にはレグも室内に入っていて、バーの軒下にいたのは魔力消費に伴う反動だろう、はふぅと軽く疲れの息を吐くワッフルだけだった。
その首筋には、ほんの小さな汗の粒が一滴浮かんでいた。
「よかった、全員きっちり揃ってくれてて」
「シルバレード…!それに学院のか…。ちっ、まさかあいつ…」
「うん、正解。…へー、窃盗犯の割には良い武器だね」
バーの中には、残りの三人全員が揃っていた。
閉塞的なバーの中に染みる、暖色の光。
それが、奥の壁に刺さったボウガンの筒を見やすくしている。
ふむ、窃盗犯程度にしては良い根城だ。
吹き飛んで室内に倒れた扉の上で、クーシルとシルバレードは男達を見捉えていた。
大まかに見て、犯人らの身長や体格には多少の差があった。
がしかし、余程と言う程の差ではない。
服装を揃え、正確には見られない状況を作れば、十分同一犯だと思われても不思議はない程度。
被害者は冷静な状態ではない。
写真ではなく言葉だけの情報で、多少の差など見抜ける訳がない。
加えて銀色の腕輪が見えようものなら、まず間違いなくあの噂の犯人と思い込む事だろう。現に今日までそうだったのだ。
そんな三人の内の二人が、似合わない剣を手にしていた。
バーカウンターには、他にも二本も転がっている。ついでに、適当に転がされた三つの銀色の腕輪も。
「おい、お前!」
素直に捕まってくれる気は無いらしい。
三人の内の一人、いまいち臆病そうな感じのする男が、他の一人に怒鳴られて慌てて自分も武器を手に取る。
…あいつか?スリなんて手口を変えた奴は。他の顔よりも幾らか年齢が低い気がする。だとしても、俺らよりは歳上だろうが。
とりあえず傘を閉じ、近くにあった立ち呑み用らしい脚の長いテーブルに、押し付けられた馬鹿共とシルバレードの傘、自分のもバッグと一纏めにして投げ置く。
そしてそのまま、近くの壁に背を預けた。
暇潰しに、シルバレード達の行く末を見てやることにした。
と、そのシルバレードがこちらに視線だけを向けてくる。
「灼熱、それちょっと貸して」
シルバレードの目が捉えるのは、俺の腰に掛けられた細剣。
なるほど、流石に蹴りでは分が悪い。これで対抗するつもりなのだろう。
「断る。貴様になぞ貸してやるものは無い」
「ランケさん…」
「もう…」
だが、シルバレードへの協力など真っ平だ。
俺が貸さないと顔を逸らせば、傍のワッフルがひんやりと冷たい声を耳に送ってくる。
シルバレードも文句ありげにしながら、じゃあとクーシルの方向を向いた。
「クー、槍貸して」
「えっ、あ、うん。でも使える?」
おずおずとクーシルが槍を渡せば、シルバレードはきゅっとそれの柄を握る。
「下がって」
丸腰になったクーシルにシルバレードは下がるよう指示し、剣を構える男三人の正面に来るように立つ。
「一人で相手かよ、お嬢様」
「ほんとは二人で相手したかったんだけどね。面倒なのが一人いて」
器用に遊ぶようにして槍を回し、小さな暖色の光を滲ませる切っ先を犯人達に向ける。
銀の髪に、怯えの色は一切として窺えない。
「おわー…カッコいい…」
如何にも使い慣れた、ともすれば自分よりも磨かれ研ぎ澄まされた動きに、クーシルが目を見開いて感嘆を呟く。
「速いとこ終わらせよ」
「っ…!?」
相手の振る舞いからしてさして戦い慣れていない人間と見抜いたようで、小賢しい間合いの図り合いをせずに、シルバレードは一気に距離を詰める。
そして、槍で軽々とそれぞれの剣を弾き飛ばしていく。
銀の髪の揺らめきが終わったのは、男三人の手が無を掴んだ状態になった時。
光に照らされていた銀の髪がゆっくりと、眠るように落ち着いていった。
一夜のダンスが終わったかのような静けさが、彼女の周りをふわりと包む。
…見てくれだけ言えば、やはりシルバレードは美しい。内面はやはり正反対だが。
突然無防備にされた男達の顔に、至極当然、動揺が滲んでいく。
さっき剣を取り遅れていた男に至っては間抜けに口を半開きにしたかと思えば、戦意喪失で腰を抜かし、床にへたり込んだ。
「レグ、今度こそお願いね」
「お、おう!」
新たにセットし終えた筒を、レグがバーカウンターに置かれた最後の剣を取ろうとした右の男に撃ち込む。
「ぐっ…!」
喰らった男は無論耐えきれず、床にばたりと倒れ込む。ようやくこれで残るは一人か。
シルバレードは未だ立ち続ける方の男に槍の切っ先を向け、動きを止める。
このまま制圧かと思ったが、不意に、腰を抜かしていた男が悲鳴のような声を上げながら動き出す。
「ひっ…あぁ…!」
「わっ…!」
「お、おいっ!?」
這うような体勢から身体を上げ、一直線に入り口目指して駆け出していく。
あまりに不意の事にシルバレードも驚き、咄嗟に槍の柄を回し止めようとはしたが、既のところで押さえ損ねる。
残った男も場を覆す隙が出来た事など見落として、逃げる男の背中に戸惑いを叫んでいた。
俺も少し驚いた。こんな状況で逃げる選択とは、どれだけ捕まりたくないのか。
「ちょ、ちょっ、あたし槍ないんだけど!」
「あっ、ごめん」
丸腰のクーシルの脇も男は駆け抜けていき、更に先にいたのは、ボウガンに新しく筒をセットしようと俯いていたレグ。
セットし終えすぐに顔を上げたが、既に逃げようとする男は目の前。
「…ん?ぐぇっ…!」
男も一心不乱なのか体当たりされ、大きく後ろにバランスを崩すレグ。
倒れかけたレグの背中を、後ろで疲れていたワッフルが自分の身体をぶつけるようにして支える。
「だ、だいじょぶですか、レグ…!」
「おぉ、サンキュ…。いってぇ…」
レグの手から離れたボウガンは氷の上を走るように床を擦り、そして俺の靴でぶつかり止まった。
男の方もバランスを崩しかけたが、捕まりたくないという執念の強さなのか、またすぐに走り始め、扉の消えたバーから外に出ていく。
「ランケ!ちょ、頼む!」
俺の足元を見て、レグが俺に叫んでくる。
「ちっ…面倒な…!」
シルバレードの協力など……しかし、おいそれとこのまま犯罪者を逃がしてやるのもそれまた腹立たしい。
あんなような下劣な罪人には、いるべき場所がある。
仕方なくボウガンを拾い上げ、追いかけに出た。
傘など指す余裕はない。
濡れていく金の髪。
不快の奥で、男の背中は川沿いの道を行き、今にも転びそうな足取りで階段を駆け上がっていた。
遠退いていく背中。
すぐにでもボウガンを構えるべきなのだろうが、この距離で、それに操作は知っているが使ったことのない武器。
加えて相手は動いている。こんな状況で、素直に狙って当たるかは怪しい。
しかし、雷は使えない。いや、例えこの雨が無かろうとも、それを使う気など露も湧かなかっただろう。
周りには家がある。
元々考えてなどいなかったが、明日は帰るまで外に出れないか。
右足を少しだけ下げ、靴の踵で石畳に横一線を引いた。
「うわぁっ…!?」
最後の一段を上がろうとした男の眼前で、一直線に炎が燃え上がった。
近くの水溜りが一様に、一気に朱色に染め上げられる。
男は恐怖で足を止め、眼前の壁に為す術無く、思考までも止まったように立ち尽くす。
怯んで動かなくなった背中に筒の先端を合わせ、水滴の付いた人差し指で引き金を引いた。
ひゅっと、空気を切り抜けていく音がした。
背中、狙っていたその中心からは逸れ、少し離れた右の脇腹の辺りを刺した筒。
意識を失ったのだろう、炎の壁に向かってふらりと倒れていく男。
後々小言を付けられても面倒だ。
男の頭がまるで剣先にでもなったかのように、倒れるのに合わせて二つに炎の壁を切り分ける。
と、川の先から気まぐれに吹いた弱い風。
後はゆっくり消え去っていくだけだった炎が、その風にあおられ、火の粉として雨粒の隙間を抜けてこちらに舞い散ってくる。
濡れた金の髪も、少しだけふわりと後ろに流された。
「わ…」
「うぉ…」
バーの入り口だった場所から、レグとワッフルが出てきた。消えかかった炎の壁と朱色の粒子を見て、呆然とただ口を開ける。
バーの奥では、最後の一人がシルバレードに槍の切っ先を向けられ、両手を上げて完全に降伏していた。
「雨でもいけんだな…」
「多少弱まりはするがな」
降り頻る雨粒に消される物もあれば、ゆらりゆらりと奇跡のようにそれを躱して、流れる川にひたりと溺れるように溶け消える火の粉。
雨と共に漂い、雨に塗り尽くされた石畳で消える物もいた。
それらを軽く見送ってから、手にしたままだったボウガンをレグに投げつける。
「おぉう…投げんなよ」
連行用の騎士は事前に一定の時間が過ぎたら来てくれと、シルバレードがホテルに騎士が来たあの時に伝えている。
具体的な時刻は訊いていないが、まぁ直に来る事だろう。




