24話目
24話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
実地訓練当日。
シルバレードとの待ち合わせ場所として決められたのは、王都の駅。
梅雨も少し前に王都からは過ぎ去り、空には遠くに旅立っていた青空が戻ってきていた。
駅までの道のり。
靴の先が踏んだ、もう数時間ばかりで消えそうな小さな水溜まりからパシャリと水滴が跳ね飛ぶ。
靴先に歪ませられた水溜まりの中で、同じように空の太陽も歪む。
片や馬鹿共の顔には一切の歪みも曇りもなく、晴れやかな空にクーシルは思い切り両腕を伸ばした。
「んーっ…!やっぱいい!晴れ!」
「これからはもう夏ですね」
「けど、今のとこそんなに暑くないよね。これからなのかな?」
担任の言うように、まだ雨が上がってすぐだからか体感の気温は然程でもない。
今の内になにか済ませたい事でもあるのか、久しぶりの晴れ間を楽しんでいるのか、行く道にはそれなりの人がいた。
「ねんむ…」
レグが自分の人差し指の背で、ぐしぐしと寝ぼけた目を擦る。
朝も既にそれなりに進んでいるというのに、いつもの通り人目を気にせずに大口を開け、長い欠伸を吐き出させる。
「でーもなんで駅なんだろね?一回学院行ったんだし、そこ合流でもよかったのに」
「あー確かに…聞いてなかったなぁ…」
担任が後悔を口にしていた間、学院に行った理由、武器の入ったバッグをクーシルはごそりと持ち直す。
「ネカスなどと一緒にいるところを見られたくないからだろう。ただでさえ貴様ら、喧しいくせに馴れ馴れしいからな」
ユーツと王都の距離は近い。その為、前回の実地訓練よりも出発の時間が遅くなっている。
俺達が学院に向かった頃は既に寮から学院に向かう生徒もいる時間で、それに見られるのをあいつは嫌がったのだ。
そうやって小さな拒絶を散らばしていく、全く以て厄介な女だ。
「む、あたしらだってやろうと思えばあれよ?いい感じの距離感とか出せるよ?」
「見栄を張るな馬鹿」
「いけるって!…です」
「あ…?」
取って付けたかのようなぎこちの無い言葉。意味が解らず、自分の眉が内に寄る。
「そうですよ。…です」
「そーそ、出来って。…です」
残りの馬鹿二人もこくこく頷きながらその語尾を真似る。ようやくそこで、その言葉の目的が解った。
とりあえず敬語…というか、固い形になるものを最後にくっつければ良いと思ったのだろう。おぞましいぐらいに短絡的な結論だ。
「…雑だな、色々と」
「えー…。……あ、です」
自分自身すでに忘れかけだったクーシルから無意味を見せてしまった目を離すと、駅の屋根が遠くに見えてきた。
電行車が少し前に一本出たのか、吸い込み吐き出す人の量はそれなり。
駅の構内で待つかと思ったが、出入り口の扉の近くまで来た辺りで担任は、顔を周囲に巡らした。
「あっ、そこ」
視線の先には人の腰掛けていないベンチが。
「中じゃなくていいんすか?」
「晴れてるんだし、外の方がいいかなって」
「ミーせんせー、ナイスアイディアです」
途中までは路面と言えど、流石に駅まで来ると脚も疲弊を感じ始める。
微笑む担任を追い、駅のすぐ近くにあったベンチに近寄った。
詰めて精々三人が限度のベンチ。
俺が一番に座ると三馬鹿はなんでと言いたげな顔を何故だか浮かべたが、特にこれと言って何か言ってくる事もなく俺以外と目配せをすると、担任とワッフルが残った二人分のスペースを埋めた。
他にもベンチは並んでいたが、多少距離があるのを嫌ったのか、残った馬鹿二人は俺達の目の前に立ったまま動かない。
そういう配置で馬鹿共の雑談に耳を疲れさせながら待っていると、ワッフルが遠くに目を向け「あ」と、口を開けた。
ようやくの登場らしい。
横目で見てやれば、荷物を持った二十の後半ぐらいの歳の執事を脇に、優雅に銀の髪を降ろしてかつかつと遠くから歩いてくるシルバレード。
往来の人間達はその漂わせる雰囲気から上流の人間だと察したのか、単純に見た目に見惚れ躊躇ったのか、シルバレードへと次々道を明け渡す。
一切歩調を緩ませる事なく、その女は俺達の前でかつと靴を止めた。
「おはよ」
「おっはよー」
クーシルが片手を挙げて親しい友人かのような軽さで挨拶を返すと、他の三人も多少の差はあれ、似たような振る舞いで挨拶を返す。
拒絶をしている女と伝えた筈なのに、知った上でこの気楽なのだろうか。だとしたら、元からではあるが意味が解らない。
「執事さんも、どうもっす」
クーシルの軽い挨拶は、前にはいなかった執事も狙う。
他の馬鹿二人も「どうもです」と、同じ調子で続く。
が、担任の方は幾らか真面目にさせた顔、大人に向けるべき顔で執事に頭を下げた。
「おはようございます。ネカスの担任してます、ミミコです」
「…」
執事は無言のまま、控えめに頭を下げ返す。そこには若干の固さが見えた。
普段であれば、執事やメイドは挨拶などされない。当たり前だ、小間使いに頭を下げてやる理由など無い。
それはきっと、当人達も理解している当たり前だろう。
表情には見えないが、内心戸惑ったのだろうか。…まぁ、どうでもいいか。
「ごめん、遅れちゃったっぽいね」
「…わざとらしい。遅らせたんだろう」
「ふふ♪色々言ってた割に来てくれたんだね、ちょっと予想外」
否定も肯定もないまま、微笑みが話をすり替える。その声のトーンには、何処か気分を良くした機嫌が潜んでいた。
「あー…言ってましたね、そんな事」
「なんで心変わり?」
「何でもいいだろう。…おい、時間は」
俺の視線を受け、担任は自分の腕に文字盤の部分を手首の内側にして巻き付けた時計を見下ろした。
と、その時、電行車特有の駆ける車輪の音と、地震よりもかなり小刻みな振動。
時間は知らないがこのタイミングだ、待っていたユーツ行きが到着したのだろう。
担任も同じように思ったらしく、すぐに腕時計から顔を上げ、振動と音が止まっていない内に「これかも」と周りに告げる。
俺が一番にベンチから立ち上がれば、一部不思議そうな顔を残している奴はいたが、他も続いて動き出した。
駅の構内。
担任が駅員に学院が用意したユーツ行きのチケットがある事を説明し用意させている間、クーシルからひとりでに楽しげな吐息が漏れた。
「ふふふー♪ほんとよかったー、晴れて。写真ちょー撮ろー」
「え?晴れ…?」
「…へ?なに?」
シルバレードがした不思議そうな表情に、クーシルはきょとんと視線を合わす。
「…ううん、なんでもないよ」
「?」
疑問符を浮かべるクーシルを放って、銀の髪を左右に振った後、視線を外したシルバレード。
クーシルが指す晴れも、シルバレードが言葉をこぼした理由も、なんの気も無かったがどちらも分かってしまった。
「言ってやれば良いだろう」
何故言わないのか、気になってシルバレードに小声で尋ねる。
「楽しみにしてくれてるみたいだし、なんかね」
「遅かれ早かれの問題だろうに」
と、担任が駅員からチケットを受け取るのが見えた。
主の家に帰るのだ、執事も荷物持ちとして同伴らしい。
ユーツに着くのは、昼の手前になるか。
梅雨も終わり、また被らなくてはいけなくなった帽子を、執事よりも後ろで深く被り直した。
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「雨じゃんっ!」
固い椅子に揺られ、ユーツの駅。
駅から出てすぐの軒下の所で、クーシルから耳を塞ぎたくなるような、自然と頭が反対側に逃げる大きさの悲鳴が上がった。
「なんで雨!?梅雨終わったんじゃないの!?どゆことせんせー!」
空から降り落ちる無数の水滴。
王都から去った筈の灰色の雲が、遠くの空にまで覆い被さっていた。
あの雲の奥では、昼手前の太陽が寝転んでいるのだろう。
「もう…前に言ったでしょ。どこもかしこも王都と一緒の天気じゃないって」
「うち、王都より梅雨が始まるのも終わるのもの遅いから。なんかごめんね?」
「うぅ…」
悪びれた様子も無い中、謝るシルバレードに、わざとらしく見えるぐらいに肩を落とすクーシル。
行きの調子を、すっかりと折られた顔だった。
「お嬢様、こちらを」
執事が王都の駅からずっと肌見放さず掛けていた傘をシルバレードに渡す。
一度ぐらいはクーシルの視界にもそれは入っていただろうに、ユーツは未だ梅雨が続いているという結論に至らなかったのは、脳みそ不足が原因なのだろう。
念の為とかうっかりして持ってきたとか、自分に都合良く解釈したに違いない。
「はっ!ヤバ…傘!持ってきてって言ってたの、あれこういう事だったの!?」
俺も含めた全員、朝起きてすぐ、担任から玄関に折り畳み傘を置いておくから取って置いてと言われていた。この言い方からして忘れてきたに違いない。
それもまた、自分に都合の良い解釈で済ました結果だろう。
頭を抱えぐぬぉぉぉと気品もない呻きを上げるクーシルに、担任が一本の折り畳み傘を差し出した。
「はい。…私も、まだこっちは降ってるって、急がないで言っとけばよかったね」
「せんせー…!うぅっ…ありがとぉ…」
担任からの折り畳み傘を、神から神器でも授かるように重々と受け取るクーシル。
だが、担任の手にはまだ、自分のではないだろう二つの折り畳み傘があった。
「しれーっと黙ってるけど、レグ、ワッフル、二人もでしょ?出るとき三つ残ってたけど」
「…わたしも、降ってるとは思ってませんでした」
「ふつーに忘れてたな…。…なんかその、すんません」
こいつらも忘れてたのか。
寮母として戸締まりだ何だと最後まで残って確認していたが、玄関の鍵と同時に残されていた折り畳みも纏めて回収したのだろう。
二人共頭を下げて、担任から申し訳無さそうに折り畳み傘を受け取った。
「無くしたりしたら、替え無いからね?」
担任の少し温度の低い声に、馬鹿共が揃って「はーい…」と縮こまって返事をした。
「ランケくんは大丈夫だよね?一個無かったけど」
「そこの間抜け共とは違うからな」
「本当に間抜けじゃないなら、ミヤシロくんの力も見抜けてた筈だろうけどね」
「だよねー」
肩に下げていた鞄から玄関で取った折り畳み傘を取り出していると、不快な横目達が俺の顔を覗いてくる。
「余計な口出しを…」
それから目線を外す。
と、シルバレードは傘を空に広げ、俺達の列から一歩前に歩み出た。
そして踊るように振り返ると、一応の上品さは備えた微笑みをくすりと全員に配った。
「こんな天気だけどようこそ、僕の街に」
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案内は任せてと自身に満ちたシルバレードを先頭にして、駅からそのまま正面に伸びていた大通りを歩いていく。
実地訓練でレビーテの為の足がかりとして少しばかりいたコタと、街の出来はそう変わらない。
王都より無論劣れど、決して不便ではない程には作り上げられた街。大都市の中で言えば、ここが王都に最も近い。
だいぶ昔、いつ息絶えるか分からない記憶の中よりも、些か発展しただろうか。
シルバレードの家に行くまでは、常に馬車を使っていた。
あの時小さな窓から見ていたのと、少し建物は大きく見えるだろうか。
背は伸びたが、馬車はそれ以上に背を高くしてくれる。
足元にふと罠のように現れる水溜まりを避けて、目の前のワッフルの傘に向けて歩いていく。
と、それが右折した。
大通りよりも一回り細くなった道をしばらく歩いていると、目の前の傘がぴたと止まる。
「着いたよ」
右を見てみれば、そこには三階建てのホテル。
田舎町の宿のような場所より、見た目としてはそれなり綺麗で整っている。あくまで比較して、だが。
こんな天気だ。
入口前でなにか談笑する事もなく、全員、見上げるなりほーとかへーとか呟くなりの小さなリアクションだけして、傘を閉じてそこへと入っていく
ホテルのロビーを少し歩いた所で、シルバレードはまた足を止めた。
そして、足を器用に運んでこちらに身体を回した。濡れた傘が床をとんっと小突く。
「じゃあ、僕はこれで」
「うん、また後で」
「何処か行くんですか?」
何も訊かずに頷いた担任の背後で、黒髪が斜めに傾く。
「家に顔、出しとかないとだから」
「えー、一緒にお泊りじゃないの?」
「家があるから。流石にね」
「残念です…」
単純に嫌なだけだろうに。それを上手く隠した笑顔に腹が立つ。
「お昼もそっちで済ませるつもりだから。午後、すぐで良かったですよね?」
「うん、じゃあまたここでね」
担任の言葉にえぇとシルバレードは頷くと、銀の髪を気ままに揺らして執事と共に、入ってきたばかりのホテルの玄関を目指して歩いていく。
そのまま扉の音をさせるのかと思ったが、ふと俺の肩をシルバレードの指がとんと突いてきた。
「ねっ、これから少しどうかな?父様が会いたいんだって。久しぶりにさ、お昼、一緒に食べようよ?」
可愛らしさを狙って引き出したような、磨かれた微笑が誘ってくる。
他の馬鹿共に聞かれるのを嫌がったような、少し動きを抑えた唇だった。
思惑通り、フロントに向かう担任を追う馬鹿共は振り向く気配を見せない。
はっ、と小馬鹿にする笑いが漏れた。
「目的が透けているぞ。くだらん事を思い付く物だな、全く」
その裏に隠れた意図など、余程の馬鹿に囲まれていようが容易く察せられる。
縁が絶たれようと、俺が因縁のある相手の血を受け継いでるのは違いない。
そんな奴の落ちこぼれた姿を見て、貶し笑いたいのだろう。
言うなれば、俺を最後のデザートに仕立てたいのだ。実にこの女の父親らしい、浅慮で下衆な考えだ。
拒否の意を込めた睨みを返すと、シルバレードは端から分かっていたように「そっか」と言って、ホテルの中に一瞬雨音を招き込んだかと思うと、壁に嵌め込まれた窓の奥へと執事と連れ立って消えていった。
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ホテルの部屋に通され、適当に荷物を広げた所で昼食を取るからと、二階の階段を四人を前に降りていく。
「あいつが選んだにしてはだな…」
「なにしてんの?」
周囲を見回していると、クーシルと不意に目が合う。
「シルバレードが選んだにしては、地味な所だと思ってな」
外面を見た時も思ったが、あいつが選んだにしては一般向け、旅行客向けのような気がする。
例えネカスであろうと、あいつの持ち込みで始まった事。一応扱いは客人と似たものだろう。それなりの宿に通すのが礼儀だ。
隠すことでもない。俺が考えていた事を言うと、クーシルは一段早めに降りて担任の顔を覗き込んだ。
「ねーせんせ。ここって、シルバレードが決めたの?」
え?と、不意の質問に戸惑ったような声が担任から漏れたが、すぐに担任は首を横に振った。
「ううん。一応シルバレードさんも候補は出してくれたんだけど、なんかちょっと…聞いた感じ豪華過ぎるって言うのかな…実地訓練な感じしなかったから…」
「へー、そうだったんだ。ありがとね。……だってさ」
足を遅め、俺と横並びになってくるクーシル。
なるほどな。最終的に担任が決めたからか。
思えば、電行車だってクイクルには自家用車があった筈だ。
それも担任が実地訓練らしくないからと断ったか、はたまたあいつの父親がネカスなど乗せられないと断ったかの二択か。
ふと話しかけられたかと思えばすぐに後ろに去っていったクーシルを疑問に思ったようで、担任の目がちらりと後ろに向く。
その眼差しが、俺の顔の辺りで止まった。
「今日はランケくん、帽子なんだね?」
「まぁな」
眼差しの先は、正確には俺の金の髪を隠す帽子だったらしい。
「あれ?雨のときって被ってましたっけ?」
「や、してなかったろ?」
階段もある程度降りきり、一階のロビーが見えてくる。
ロビーの横に、食事が取れる場所が併設されているのをそれらしい扉を見て確認はしていたが、折角ユーツに来たのだからとかいう平々凡々な理由で、ある程度読めてはいたがそれを踏まえた上での外食となった。
「察しの悪い…。ここはあいつの父が治めてる地だぞ。それで俺は、その娘と破断になった男」
「あー、知名度ある感じ?」
「…知らんが、念には念をだ」
ユーツに来たのなど、縁談が破断になってからこれが初。
クーシルの言葉に断言こそ出来なかったが、その可能性は無闇に隅に追いやるべきものではない。
そういう貴族の縁談話を好む奴は、貴族の中にも、平民の中にも一定数いるものだ。
最後の階段を降り切る同時に、帽子を深く被り直す。
そんな俺の様子を見ながら、レグは軽く首を傾げさせた。
「それ着てんならあんま意味ないと思うけどな…」
白の制服を見つめて、不安げに呟くレグ。
それに脱がないからなという意思を込めて、ふんと鼻を鳴らした。




