23話目
23話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
シルバレードの思いつきの一言を、馬鹿共が断る筈など当然無かった。
寮に響く、六人目のスリッパの音。
前回のような形の実地訓練であれば、担任が俺達と合わせて寮に向かうなど無かったが、最早細かい支度は諦めたのか、シルバレードがそこら辺は背負っているのか、兎にも角にも当たり前のように荷物をまとめて付いてきていた。
「思ったより綺麗なところだね。もっと古めかしい見た目してるかと思ってたけど」
玄関から上がったシルバレードが吹き抜けの天井を見て、予想外だったと言いたげな表情で口を動かした。
「掃除、頑張りましたからね!」
「やー、ほんとあれ大変だったからな」
どう考えてもシルバレードが話しているのは建築的な部分の話なのだが、違う所を拾い、褒められていると誤解する馬鹿共。
けれどその間違いを訂正する事なく、シルバレードは銀髪を振り、周囲を思うがままに見回す。
「めずらし」
と、そんな中で、クーシルが手近な壁に凭れた俺を不思議そうに見てきた。
「なにがだ」
「いっつもすぐ部屋じゃん」
「そう言えばそうですね」
少し考えればそれぐらいの理由、すぐに分かるだろうに。
「当たり前だ、シルバレードが居るんだぞ。皿に毒でも塗っていくかもしれない」
「そんな事しないよ。酷いなぁ…」
シルバレードを威圧を込めた目で睨むと、彼女は拗ねたような表情を自分に貼る。
が、それも一瞬の事。すぐに剥がれ、唇に指を当ててあの不快な笑みに表情を戻す。
「でも、君の部屋か…」
身体を捻り、俺の部屋を探そうと左右の廊下を覗き込むシルバレード。
「俺の部屋と言うな。不快だ」
「実際ランケさんの部屋じゃないですか」
「違う」
ネカスに俺の居場所があるなど、言われるだけで気分が悪くなる。
そんな俺の心境を分かった上でだろう、まるで優しさからとばかりに、シルバレードが一つの提案をする。
「ネームプレートでも用意してあげようか?」
「ふざけるな。…いつまで玄関で話すつもりだ」
━━━━━ ━━━━━ ━━━━━
俺の言葉でようやく、場所は共用スペースに変わった。
テーブルを囲む椅子の数が六つになり、担任を除いた全員がそこに気ままな配置で腰を下ろす。
馬鹿共が自己紹介をしていた間、キッチンに向かった担任は行儀良く構え相槌を打っていたシルバレードの前に、紅茶を揺らすカップを差し出した。
紅茶の香りが、テーブルの周りを包むように広がった。
「口に合うかは分かんないけど…」
「ありがとうございます」
自信なさげに微笑み席についた担任に、シルバレードは頭を軽く下げる。
その紅茶の結末は、早い内に読めてしまった。
「あの!また質問いいですか!」
紅茶の赤い水面を見つめていたシルバレードを、教室の時の続きとばかりに片手を挙げたワッフルが幾ばくか張った声で呼ぶ。
「うん、なに?」
「ランケさんの話で聞いたんですけど、シルバレードさん、急に勉強スゴくなったんですよね?やっぱりなんか、特別なやり方みたいなの見つけたんですか?」
「それ!あたしも聞きたい!朝やると良いとか色々聞くよね!」
ワッフルの話にクーシルも瞳を輝かせる。残った二人も、多少は興味のある態度だった。
「気になる?」
「気になります!」
鼻息荒く、ワッフルが前のめりで頭を振る。
頭を良くしようという思いは、一応馬鹿共の中にも存在してはいたのか。
ワッフルを見て可愛い物でも愛でるように細められたシルバレードの目が、シルバレードから斜めの位置の席の俺に流れる。
「彼さ、灼熱のお陰」
「くだらん冗談はよせ。また実地訓練の口実のように言うつもりか?それとその名前で呼ぶな」
ここに来るまでの路面電行車での車内。
クーシルがぽろりと溢したのを拾い上げて、シルバレードもその最悪の渾名を使い始めていた。
「本当だよ、本当に君のお陰。君がいたから僕は勉強を頑張れた。それと、灼熱呼びはやめない」
渾名について更に物を言おうとしたが、雨雲でも気にする人のようにシルバレードの眼差しは遠くに止まり、口が止まってしまった。
誰もがその唇が語る先を待つ。
無論、シルバレードもそれは分かっている。
遠くを見つめたまま穏やかな口調で、俺だと口にした理由を語った。
「彼と結婚するなんて…僕は、死んでも嫌だった」
「あ…?」
ふと言われ、理解出来ずに顔が歪んだ。
「家の為と思って我慢してたけど…やっぱり、心の底では彼と結婚なんて嫌で嫌で仕方なかったんだ。その気持ちを思い立って勉学にぶつけてみると、これが驚いたことに、勉学も武術も何もかも全く苦にならなかった。むしろ、心から楽しくて仕方なかった…」
「はー、なんか分かるかも…」
「そういう事だったんですか…」
二人揃って共感の声を上げ、怒りの炎が一気に熱を持った。
「シルバレード、貴様それは正気で言っているんだよな?」
「君は僕が何を言っても、そうやってすぐ疑ってくるよね。本当のこと。冗談じゃないよ」
「喋り方を変えたのもか?」
「あぁ。こういう喋り方、ご令嬢らしさが無くて、君は嫌いだろう?」
「すげーのな、お前って…」
畏怖するような顔で見てくるレグに、ちっと舌打ちを返す。
と、至って真剣な顔で、ワッフルが俺を眼鏡に写してきた。
「ランケさん、わたしと許嫁になってくれませんか!」
「あたしも!お願い!実際に結婚すんのは絶対に死んでもヤだけど!」
「貴様らな…!」
こいつらの馬鹿さ加減に、頭を抱えそうになった。
しかし、シルバレードの才覚の発揮の理由、ついでに喋り方も、腹立たしいがどちらもそれで事実なのだろう。
散々こいつに付き合わされてきたのだ。だからこそ、それぐらいはまぁ少し真剣に考えれば判断は出来る。
…まさか俺が理由だったとは。
いまいち受け入れ難く、目を瞑り、静かに一人頭を横に振っていた間、シルバレードは他に質問が無いかと話題を変えた。
「折角だし、色々答えるよ?」
「あ、じゃあ、はいはーい!」
閉じた目を開ければ、手を挙げたクーシルが目に入る。
「今のコルファの級長って、ミヤシロなんでしょ?」
「うん、そうだけど?」
聞きたくもない話。
しかしここで席を離れるのも、逃げるかのようで選ぼうとは思えない選択肢だった。
「あたしらの中で今、あの人、天使なんじゃないか説が一番熱くてさ!どう?近くから見てる感じして?」
「え、天使?」
「…クー達、まだそんな話してたの?」
冗談でしょ?と苦笑したシルバレードが、俺に確認の目を運んでくる。
「ね、これもしかしてからかわれてる?」
「考え過ぎた。こいつらにそんな事を迂遠にやれるような知恵は無い」
担任を除いた馬鹿共の顔は至って真面目。まだそうだと思い込んでいたのか。
「や、でもさ、やっぱそんな感じしない?だって、今まで五色使えるなんて一人もいなかったんだよ?なのに急にで…そう考えちゃうじゃん!」
突拍子も現実味も双方無い話に、シルバレードの顔が困ったように険しくなる。
「天使はありえないと思うけど…常識が少し欠けてるところはあるかもね」
「常識が欠けてる?」
無意識に、口が聞き返していた。
「電結晶とかそういう基礎的な知識がね、あんまり知らないみたいなんだ」
電結晶。
馬鹿共でもこればっかりは知っているだろう、数多の物を動かしている、世界の根幹。
自分自身疑うようにして言い終えた後、シルバレードは少し考え込むように顔を俯かせる。
「でもその割には、路面電行車とか、そういうのに驚くような気配はない。あれ、けっこう最近出来たものでしょ?」
「初めて学院に行く時に見て、それで慣れでもしたんじゃないのか?」
「そうかな?もっとこう、日常って言うのかな…彼にとって当たり前な感じがしたんだ」
担任も言いたい事があるようで、話にその声を混ぜてくる。
「でも、あれって今のとこは王都だけだったよね?当たり前なぐらい使ってるなら、あんなスゴい力なんてもっと前に噂とかになってたと思うけど…」
「…そうだろうな」
ミヤシロはどう考えても王都には住んでいない。五色の力など、例え眉唾ものであったとしても、それなり話題にはなる筈だ。
だが、他の街に路面電行車が設置されたなどという話は聞いたことがない。王都でさえ今は試験運行中。
他の大陸…は、現実味がなさすぎる。もっと言語の訛りなり、違和感なりが残っている筈だ。
「不思議な人だよね。前まで何処に住んでたんだろ」
「やっぱほら!天使なんだって!」
「全部空から見てたんだな…!」
「絶対そうですよ!」
「貴様らは黙ってろ。ややこしくなる」
「なんでよー!?あたしが聞いたんじゃん!」
「さっさとそんな阿呆らしい考えを捨てろ」
盛り上がる馬鹿共三人の響く声に、堪らず口が動く。
何を話しても、こいつらはどうせその答えに当て嵌めたがるのだろう。
「でもさー、そんな感じでコルファの級長なんて大丈夫なの?」
あの力に魅入られミヤシロを級長にしたのだろうが、確かに、話を聞く限りそんな人間が上に立つなど末恐ろしくて仕方ない。
「だからか分からないけど、あの仲良さげな、ラーコ…ちゃん、だっけ?その子とよく図書館行ってるみたいだよ?」
「あいつが…」
「学費の方も、彼女のお父様が出してるみたい。かなり気に入られてるんだろうね」
あいつの家が…いや、あいつの家は一時、資金難に陥っていた筈だ。
そこに救いの糸を垂らしたのが父…つまり、あの男の学費の元を辿れば、父の金から出されている事になるのか?
「…良い気味だな」
なんだとしても、俺とは正反対にあれもこれも上手く行って…気を抜けば、いつかのような笑い染みた嘆きが溢れそうになった。
「ラーコ…?えっと、誰?」
馬鹿三人の顔に塗られる疑問の色。シルバレードが微笑みながら答えた。
「彼がミヤシロくんと決闘する原因になった子」
「あー、そういやあん時ちかくにいたかもな…」
「あの子でしたか」
決闘の時を思い出し、記憶に揺らめいたらしいラーコの姿に頷く三馬鹿。
「けど彼女も大変だろうね。ミヤシロくん、かなり人気だから」
「ま、モテるか。あんなスゴイ人なんだし」
「なにより優しいしね」
「俺にあんな仕打ちをしておいてか…」
思い出したくもない恐怖の記憶。
勢い良く不意打ちで蹴りつけ、人の前髪を斬り裂いた人間が、優しい奴として扱われている事に脳が悩む。
「強大な悪を懲らしめてくれたからね」
「まさか、それは俺を指してでは無いよな?」
「言わずもがなさ」
忌々しく笑ったシルバレードの目が、針を鳴らす時計に流れた。
「…そろそろかな」
「えー、もう?」
帰ることを察したクーシルが、不満で口を尖らせる。
反対にレグは、時計を見て納得を表にした。
「あっちの寮、門限厳しいしな」
「ごめんね」
門限に加え、電行車の時間もある。
俺としてはさっさと帰ってほしいしで、引き止めの言葉など身体のどこにも存在していなかった。
椅子から立ち上がったシルバレードに続き、見送るからと全員が立ち上がる。
俺も最後の最後まで気を抜いてはいけないと、玄関に警戒をしに向かった。
━━━━━ ━━━━━ ━━━━━
スリッパから外用の靴に履き替えたシルバレードは傘と鞄を手に玄関に向き直ると、馬鹿共から少し後ろで壁に凭れていた俺にくすっと静かな微笑みを送ってきた。
「よかったよ、仲良さげで」
さも重い気掛かりが一つ外れたような顔で言うと、馬鹿共の目が釣られてこちらに向いた。
若干の期待がそこには見えたが、俺からしてみれば尚も変わらずあり得ない事。
はっと、馬鹿馬鹿しさで笑いが飛び出た。
「随分目が悪いみたいだな?」
紐で繋がれていたように、言葉は更に口を出る。
「流石、中途半端から育てられた人間か。審美眼は未だに欠けているようだな?」
「お前もケンカ仕掛けてんじゃん…」
レグの声などどうでもいい。
敵意の目に見据えられたシルバレードは、その言葉に何か思い出したようにあぁと口を開ける。
そして、冷静ぶった顔を崩さないままゆっくりと、口元を三日月にした。
「そう言えばだけど、君の妹さん…あぁ、妹さんだった子って、今、何歳なんだっけ?少なくとも、あの時の僕よりかは歳上な筈だよね?」
「っ…」
壁から背中が離れる。
一歩、シルバレードとの距離を足が詰めていた。
「ミアは…貴様よりも何倍も優秀だ。飲み込みも速いに決まってる。人を言い訳にしないと動けないような人間と違ってな」
「溺愛だね。でも可哀想だよ。信頼していた兄から急に大事押し付けられて」
「貴様っ…!」
耐えきれず、足が動いた。
「ちょ!なんでそんなすぐケンカ腰なんの!」
が、シルバレードまでの道を、胸の前で手の壁を作ったクーシルとワッフルが遮ってくる。
「ランケさん、深呼吸です。せーの…」
「するか。…ちっ」
一人胸を張ってすーっと大きく息を吸い込んだワッフルの背後。シルバレードはいつまでも、余裕の表情で銀の髪を揺らしていた。
見届ける気力が失せ、あたふたした担任の脇を抜け共用スペースに戻ろうとした時、シルバレードの声が俺の足を止めてきた。
「実地訓練、行かないなんて言わないで来てよ」
「……」
無視して歩き出そうすると、それが俺の返事だと気付いたシルバレードは一方的に言葉を続けた。
「ま、君にとってこの寮が居心地良いなら、休んでくれても構わないけどね?」
「…ふん」
共用スペースに戻り、椅子に腰を預け天を仰いだ。
俺と相対した時のシルバレードは、常に俺を不快にさせるという考えで動いている。
コルファの頃は、ある程度経った辺りからは気にも止めなくなっていたが、今は常に揺れ動かされてしまっている。
あいつも一時は飽きたのか話しかけてくる頻度を減らしてきていたが、俺が落ちぶれたらこれだ。
しかし、ミア…か。
自分の事ばかりにずっと必死になっていて、大切な妹さえ、蔑ろに扱ってしまいかけていた。
ミアには俺がするべきだった、ミアが背負うべきではない重荷を背負わした。それは…揺るがない事実である。
…だから、言葉で返せないから、感情的にしか動けなくなってしまったのか。
それもこれも、どれも全ての原因はミヤシロだ。
この際、本当にあいつが女神から遣わされた天使だとしても、怨みに怨み抜くしかない。
と、スライド式の扉ががらりと音を立てた。
「…帰ったか」
「うん」
俺の呟きに、廊下から来た担任が大人しく頷く。
その瞳には一瞬、俺の顔色を窺うような意図が覗けたが、冷静になったと知ると端から無かったかのように奥へと消えていった。
「さっき言ってたけど、灼熱って妹いたんだね」
担任の背後から出てきたクーシルが、こちらに近寄りながら訊いてくる。
「はっ、また訊きたいとかか?」
「聞きたいけど…ヤならいいや」
「それよりランケ、お前なんであんなケンカ腰で話すんだよ」
中途半端に下がった状態で放置されていた椅子に、呆れたような顔のレグが腰掛ける。
玄関からなんとなくここに来てしまったが、もう学院も終わったのだ。
部屋に戻ろうと決め、馬鹿共と入れ違いのタイミングで椅子からがたりと立ち上がった。
「あいつに笑顔を見せるなど虫酸が走る」
「別にそこまでしなくても、普通に話すだけでも変わると思いますよ?シルバレードさん、そんなイジワルな感じの人じゃないですし」
思わず、笑うように喋ってしまった。
「なんだ、あの女と仲良くなったつもりか?あいつだってネカスは嫌ってるんだぞ」
その証拠が、都合よくテーブルに残されている。
見てみろと、シルバレードに担任が出したカップを顎で指した。
丁度、担任が片付けようとしていたタイミング。
中を覗いた担任が「あ…」と俺の言いたいところを自分の目に写させる。他の馬鹿共も、そんな担任を囲むようにカップを上から覗き込んだ。
「貴様らはただ、あいつと話していただけだ」
カップに注がれた紅茶は、一滴として減っていなかった。求められる香りも温度も失って、カップの中でそれは死んでいた。
一見親しげな顔をして、こうして明確な拒絶、埋まらない距離の証明を残していく。
「そっ…か」
クーシルが吐息でも吐くように呟く。
「この紅茶…どうしよう…」
さっさと部屋に戻ろうとしたが、カップの中を寂しげに見ていた担任の目が、俺をちらと捉えてくる。
その眼差しに詰められた言葉を瞬で理解し、呆れと拒否を返した。
「残り物を押し付けようとするな」
何が好きで死んだ紅茶など飲まねばならないのだ。ましてやあの女が残していった物。
が、そんな物に手を挙げる馬鹿がいた。
「あ、じゃああたし飲む!」
「クー、紅茶飲めないでしょ?」
「でも捨てるのももったいないじゃん?これをキにさ、私もオシャレに…………むぁーっ!変な味ーっ!」
一口飲むや否や、ぐにゃりと顔を歪ませ悲鳴を上げる馬鹿。
そのままの顔で慌てたようにカップをソーサーに置く。
サイドテールがわたわたと揺れ、見ていて鬱陶しい。
ソーサーに置かれたカップに、今度は張り切った顔のレグがそれに手を伸ばした。
「しゃーなし、俺も飲むか…!クー、仇は取るぞ…!」
「わ、わたしも挑みます…!」
「…また馬鹿馬鹿しい事を」
シルバレードの話、一瞬はなんとも言えないような顔を見せていたが、すぐに切り替え紅茶に悲鳴を上げ始めた馬鹿共には呆れを越えた感情が芽生えてくる。
横目から馬鹿共を外し、廊下へと出た。
それのすぐ、他の馬鹿二人の悲鳴も聞こえてきた。
━━━━━ ━━━━━ ━━━━━
「ラ、ランケくん!」
実地訓練がそろそろ近づいてきた日の夜。
風呂上がり、梅雨の音が程々落ち着いてきた廊下を抜けて部屋に行こうとした時、共用スペースから出てきた担任がとたとたと小走りで近寄ってきた。
「あ、あの、実地訓練の事なんだけど…」
おずおずとした声が、自分の身体を後ろに引かせる。
俺が目を向けたその時が、担任の踝付近までを隠す薄生地のスカートの、最後のはためきが終わるタイミングだった。
「行くつもりだ」
「へ…?」
実地訓練についてはいずれ、なんならもっと早くに言われるだろうと予感はしていた。
ただ担任の方は俺のこの答えを全く予感も予想もしていなかったようで、間抜けに口をぽかんと開けた。
もう一度言ってやる必要があるか。全く面倒な。
「実地訓練だが行くつもりだ。不服か?」
「い、いや!嬉しいんだけど…でも前…」
色々食い違うと、瞳の中を悩ませる担任。
何もこいつの喜ぶ顔が見たいなどと、そんな純然無垢な生徒意識からではない。
行きたくない理由がシルバレードだったように、行く事に決めた理由もまたシルバレードなのだ。
「どうせあいつは俺がどんな選択をしようと嘲笑うんだ。なら、あいつの街の問題とやらを見て、何か効果的な手の一つでも探した方が懸命だと思ってな。それに説得だ何だと嘯かれて、部屋の前で騒がれるのも面倒だ」
行くには行く。だが。
「律儀に手伝ってやるつもりはないがな」
「そう…なんだ。うん…でも、よかった」
「あぁ」
「…うん」
「…微妙そうな顔してなんだ」
担任の、言った通りの微妙そうな表情。
喉の辺りでなにか言葉を止めているような振る舞いで、訊かない内は部屋に戻る気になれない。
「その…色々説得考えてきたんだけどなぁ…って思って」
恥ずかしがるように、照れるように、ぽつんと担任は目を横に逸らして呟く。
足元に出てはいけない丸でも描かれたように、担任は小さな範囲でスリッパをこそこそと鳴らす。
「…それが使えないからと?」
「…うん」
こくっと、担任は素早く頭を縦に振る。
「くだらん…訊いて損した」
やはりこいつも、あいつらから移ったか元からか知らんが相当な馬鹿だ。
踵を返し部屋に戻ろうとしたが、また担任の声が足を止めてくる。
「ほ、ほんとに来てくれるんだよね?」
「言った通りだ」
「そうだ、服っ!畳めないってクーからまえ聞いたけど…」
「あれぐらい一回見れば分かる」
「そ、そうなんだ…スゴいね…。えとじゃあ…おやすみ!」
「まだ寝はしない」
「うぅ…なんか上手くいかないなぁ…」
上手くいかないのは俺の方だ。
諦め気味に付いていくのを決めたが、そもそもどちらを選んでも嘲笑われるなどという状況が既におかしい。
項垂れているのだろう担任を放って、一直線の廊下を突き進んだ。




