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貴族様の成り下がり  作者: いす
二章

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十五話目

十五話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

 片付けを進めている()に時間は他人の問題事でも見るような速さで流れ行き、夕焼けと夜の色が窓の外で溶け合っていた。

 来た時のままであれば廃墟のようにも見えたかもしれない、少なくとも俺にはそう見えたこの家だったが、二階に限ってはまぁ、凡庸な部屋らしい形は思い出させてやったのではないだろうか。

 予想でやった配置上、確実に間違って置いた物もあるだろうが、それは伝えられていない以上どうしようもない。

「ふぅ…。ちっ…」

 俺が大事な制服に付いてしまった埃を手袋を脱いだ手で払っている間、ワッフルはひとまずベットとは反対の右側に置いたテーブルの上で、クマのぬいぐるみをこれまた腰掛けさせるように配置させていた。

「あっ…とと…」

 ぱたりと横に倒れれば、慌てて手袋を外した手を伸ばしてクマの身体を再度起こさせる。

 そんな事を何回かすると上手い具合のバランスが見つかったようで、暗闇の部屋、ようやく落ち着いて着座したクマを見て、ワッフルはよしと唇を緩ませた。

「喜んでくれますかね?」

「知るか」

「むぅ…」

 こちらに振り向いたワッフルの顔、その下唇が不満そうに浅く噛まれる。

「こういう士官科がやるようなのは迷惑なんじゃなかったのか」

「ですけど、やっぱり自分がした事で喜んでもらえたら嬉しいじゃないですか」

 今のクマ然り、不満を垂れていた割には楽しげというか、後ろ向きな顔でやっていなかったが、理由はありきたりな善意の真似事か。面白くない。

 と、一階から馬鹿の声が響いてきた。

「ねー、いるー?」

「あ…。クー、いますよー!」

 ワッフルが階段の方に首を伸ばして張った声を返せば、とたとたそこを駆け上がってくる馬鹿の靴音。

 サイドテールを馬の尾のように揺らして、クーシルが二階に現れた。

「おっ、完璧じゃーん」

「意外にもランケさんが頑張りました」

「へー、ほんといがーい…」

 部屋の後に向けられた視線の肌触りが悪く、堪らず目を逸らす。

「クーの方も終わったんですか?」

「うん、レグがけっこー頑張ってくれてね。それで二人呼んできてっ…て、うっわなにー?この子どしたん?かわいー…!」

 喋るクーシルの目に写った、テーブルに腰掛けたクマのぬいぐるみ。

 本物の少動物でも可愛がるトーンで、それに吸い込まれていく。

「部屋の中に隠れてました。多分、あの子のです」

「怪我は?だいじょぶなん?あるならあたし治せるよ?」

「してないです。なんと幸運にも無傷でした」

「おぉ、やるじゃん」

 言って、ぬいぐるみの頭をぽんと撫でる。

 こいつ…言いかけた目的を忘れてないか。

「…俺達を呼んでくるよう言われたんじゃないのか」

「はっ…!外、待ってるから行かないと!」

 サイドテールが半分を隠した背中に言うと、クマのぬいぐるみの高さに合わせていた馬鹿の身体が跳ねるように起き上がった。

 早く早くと急かされ、ワッフルと並んで背中を押されて玄関まで向かわされた。

 背中を押されたまま、玄関から外に出る。

 規制線の奥、街灯もない薄暗い夜道に立つ二人の影。

「おぉ、来た来た」

 手を上げる片方の影、レグに三人ほとんど横並びで近寄る。 

 馬鹿共と横並びなどしたくなかったが、クーシルが未だに背中を押してきている所為で、離れるに離れられない。

 残る片方、担任がクーシルの方に目を向け、夜色に染まった口でお礼を言った。

「ありがとね。呼んできてくれて」

「んーん。いいって」

「…忘れてたがな。っ…」

 ぽつりと小さい声で指摘すれば、るっさいと俺の脇腹を肘が刺してくる。

「暗いし、戻ろっか」

 が、その光景は自分の後ろに目を向けた担任には見えなかったようで、つぎ振り向いた時の話は、家の中の出来についてだった。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 宿に戻って出されたのは、てっぺんに黄金の卵黄を乗せた、ベーコンと香草のパスタ。

 美味しい美味しいとそれに舌鼓を打つ馬鹿共を前に、俺もとりあえず一口、舌に見せた。

 俺が咀嚼していると、パスタをごくりと飲み込んだクーシルが待ちわびたとばかりに覗き込んでくる。

「どう?美味しい?」

「普通だ。食えはするな」

「ん、珍しい感想。いっつも俺らが作んの微妙だ仕方なくだとか言ってくんのに」

 舌が思った率直な感想を言うと、俺から見て左に座るレクが目を見張る。

 席順としては四人掛け用のテーブルに、俺が座る追加の椅子が脇に一つ飛び出ている形。

「いっつもケチつけてくるよねー」

 苛立ったようなトーンの相槌が、クーシルからレグに打たれる。言外に直せと言ってきているようだが、別にこれは直そうと思って直せるようなものではない。真っ当な評価に基づいてのものだ。

「現に仕方なくだからな」

「…どうします?寮に戻ったら、ランケさんにご飯担当させますか?」

「それやったら俺達の飯が一食消えるな」

 と、左奥で静かに座っていた担任が、一心地ついたような微笑でパスタと共に頼んでいた紅茶のカップにそっと唇を付ける。

「まぁでも、こういう所のご飯ってなんでかすっごく美味しいよね。落ち着く味、って言うのかな?」

 なんでか、ではない。

 それにはきちんとした理由がある。

 程々の味はある紅茶で喉を潤してから、担任に顔を向けた。

「精々それしか取り柄が作れないんだ。これで食事まで不味かったら、存在理由が無くなる」

「そんな辛辣言わなくても…ほら、なんかちょっと見られてるし…」

 右に座るクーシルの困ったような目の先を追えば、この町もどきの住人なのか、離れたテーブルに腰掛けた二人の男が俺の方をじっと見ていた。

 聞き間違いを疑っているのか、睨んできてはいないが。

 視線を合わせ返せば、すぐにその目は彼方に逃げる。

「弱気な奴等だ」

「張り合わんくてもいいでしょ…」

 弱気な視線を追い払い、また食事へと戻った。

 パスタを食べ終わってからは風呂に入り、疲れの断片を落として部屋へと戻った。

 頭にタオルを乗せ、ベットに落ちるように腰掛けたレグと部屋を、入ってすぐの扉の前で一望すると、この狭さに当て嵌まる物が見つかる。

罪人(ざいにん)が使う部屋だな」

「まだ文句出るのか…」

 物置とも見間違えたが、人がいるなら牢獄が正しい。

 レグの引きつったような顔を尻目にして、自分の荷物を下に置いた狭いベットに腰掛ける。

 ベッドサイドの奥には窓が設けられていたが、小さいし、ベッドサイドが邪魔でほとんど覗けるようなものではない。

「もう終わりかー…一日やっぱ早いよなー…」

 脱いだ制服を折り畳んで鞄に仕舞っていたレグが、独り言のトーンで言う。

 俺も、それを見ながら白の制服を慎重に鞄に入れる。

 白の制服、(しわ)など作ってはいけない。

 目の前と、前のクーシルの手付きを思い出しながら丁寧に折り畳む。

「他のは一週間が当たり前だからな」

「なー」

 留年したと言えど、こいつも一年は士官科に在籍した人間。

 一般的な仕様についてはあの馬鹿共よりかは知っているし、体感もしている筈だ。

「まっ、一週間丸々いた事なんてそうそう無かったけど」

「…なんだ、まさか逃げたのか?」

「ん?いや?寝坊とかしまくったらさ、そん時の担任に帰れって言われて。だから、二日とか三日ぐらいが俺ん中では基本」

 服を詰め終えたレグは平静としたトーンで言いながら、出来上がった荷物をベットの下にするりと入れる。

 これと言って感情の起伏無く話しているが、留年の理由、それもネカスにまで落とされた理由の一端は確実にそれだろう。

「貴様…それで良いのか」

「良くなかったからここにいんの」

「…まぁ、そうか」

「まほら、なんやかんや今日は寝坊しなかったし」

 何か少し()(くる)められたような気分で詰め終えた鞄をベットの脇に置いた時、扉がこつこつと鳴った。

「なにー?どしたー?」

 扉にレグが目を運ぶ。

 ガチャと、扉が手前に押し開けられた。

「ねねっ、外見た?」

 まず一番に入ってきたのは、いつも通りクーシル。

 風呂に入ってきたからかあのサイドテールが今日はほどかれ、ロングになっている。

 その次に入ってきたのはこれも大体いつも通りのワッフル。

 その紫がかった黒髪には、まだ水気が付いていた。

「星、スゴいキレイですよ」

「マジ?あぁでも、こっち窓ちっさいからな…」

 言われて俺もちらと窓を見たが、格子状に入った木の線とそもそものサイズが、視界の見通しを壊滅的に悪くさせている。

「あ、じゃあたしらん部屋来てよ。見やすいから」

 行こ行こと踵を返したクーシルに、ベッドから降り、素直に付いていくレグ。

 頭に乗せていたタオルは、軽く折り畳んでベットの上に置いていく。

「ゴーです。ほら、ランケさんも」

「おい…」

 さして星に興味もないしでベットに腰掛けたままでいると、ワッフルがわくわくとした声で俺の手を引っ張ってくる。

 幅の狭い廊下の対面が女子用の部屋。

 その中で、俺達の部屋のとは違う(ひら)けるタイプの窓から外に顔を出していた担任。

 音に反応し振り向くと、柔らかそうな生地の寝間着と湯上がりの髪がふわりと膨らんだ。

「あれ?あっち見れなかった?」

「うん、なんか窓の感じ違うみたいで。ほらっ、ね、スゴくない星?」

 俺達の部屋よりも数倍は広いだろう四人部屋。

 その窓際までレグは自力で、俺だけ強引に手を引かれ、ため息をこぼしながらも窓から夜の空を見上げた。

「おぉ…すげぇ…」

「………」

 遠くの夜空にまで散らばった、光の欠片。

 月のアクセサリーだと言わんばかりに、その光を瞳に写させる。

 純粋な光が招いたように吹く、草原を駆け抜けてきた夜風。それが上がった体温を部屋の片隅にまで運んでいく。

「キレイだよねー…キラキラーしててさー…」

「王都だともう見えませんからね。新鮮です」

 クーシルとワッフルが俺達の間にぐいと割り込んで入ってくる。

 その視線はなんでわざわざ間に入ってくるのかと苛立った俺ではなく、夜空に散りばめられた何処かの星の煌々とした光を一点に捉えている。二人とも、口が開けっ放しだった。

 こいつらの言うように、もう王都では星は見えない。

 一体いつからだったか、俺が生まれる前からか、気付いた頃には空から消えていた。 

 担任は、一歩離れた場所に足の位置を変えていた。

 と、真横にいたワッフルが俺を眼鏡越しに見てくる。耳のピアスが夜風に揺れていた。

「そう言えば、ワクレールはどうなんですか?」

「王都とさして変わらん」

「あ、そうなんだ…」

 初耳のことを聞いたらしい、ワッフルのへーという頷きに当てるように、担任が背後で声を漏らした。

 とりあえず星は見てやった。

 サイズのある窓と言っても、四人も並べば当然狭い。馬鹿共と距離が近くなるのが嫌で、そこから離れた。

「外で…見てみたいですね」

 入り口から入って数歩の位置にあったテーブルを傍にした椅子に腰掛けるとほとんど同時に、ワッフルが夜空を見上げたまま、独り言のトーンでそう口にした。

 確かにここからでは、目の前に並ぶ家の屋根や二階に点る明かりが見えてしまい、壮観とまでは言えない。

 余計な物は一切目に入れずに、目の前の綺麗を一直線に楽しみたい。

 その気持ちは、馬鹿相手にはなるが理解は出来る。

 劇でも、別に興奮する観客を見に来たわけではないのに、やけに目立つ歓声を上げ、出しゃばる奴がいたりして気分が落ちる事がある。

 あくまで、一対一でを求めたいのだ。

 まぁ、理解はしても賛同はしないが。

 こんな時間に外に出て土の風を浴びるなど、眠りの質が落ちてしまいかねない。

 理由は違えど、担任もそれは流石に安易に許可出来ないようだった。実地訓練用にだろう、腕に巻いていた時計に視線が落ちる。

「うーん…でももう暗いし…」

 担任の瞳が窓の外を写す。

 片付けた家から宿までの道に、街灯は一本として設置されていなかった。他もほとんどそうだろう。

 となれば必然、外に出る人間は大幅に減る。開かれた窓から人らしい声はろくにしてこない。木々と草の心地よさげなざわめきばかり。

「みんなで行けば大丈夫です。それに、町の外には出ないようにするので」

「さんせー!星なんて滅多に見れないんだし、やっぱ楽しんどきたいじゃん!」

「あー、まぁ俺もいいかな。暇だし」

 窓の枠に腰を預けた三人が肩をくっつけ徒党を作れば、担任の顔がうーん…と弱くなる。

 距離が近いからこそ、教師としての力がいまいち器用に使えてないように見える。

「…ランケくんは?」

「興味ない。行くんなら勝手にしろ」

「うぃ、よに〜ん♪」

 担任の問いに答えると、嬉しそうに笑ってとたとた俺の背後に回り込んでくる馬鹿三人。

 まるで徒党が一人増えたような雰囲気だが、こいつら話を聞き違えているな…。

 顔を頭が椅子の背もたれに乗っかるぐらい真上に上げ、背後にいる馬鹿三人にはっきりと俺の意思を告げた。

「違う、集まるな。貴様らだけで勝手に行くなりなんなりしてれば良いと言っているだけで…」

「んな事言ってー、結局なんやかんや付いて来るんでしょ?」

「照れ隠しは大丈夫です」

「貴様ら………」

 俺が絶句している間も外で見たい派は四人賛成の扱いだったようで、目を閉じ唇を尖らせんーと悩んでいた担任は瞼を持ち上げると、仕方なさそうに最低限の注意をしてきた。

「…遅くならないようにね?私がもう帰るって言ったら、ちゃんと聞くんだよ?町の中でも、あんまり宿から離れたとこは禁止ね?」

 その条件の元でならと許可が出れば、三人から「はーい!」と、子供のような喜びの返事が来る。

 真後ろから来る所為で果てしなく煩い。

 なんにしても外に見に行くことが決まり、四人部屋の中で軽い準備の時間が始まった。


 ━━━━━  ━━━━━  ━━━━━


 準備と言っても、ワッフルと担任が一枚上に羽織るだけで終わり、結局、言い直すタイミングも貰えずに外にまで連れ出されてしまう。

 帽子は被っておきたかったが、夜道には一人として人がいない。わざわざ取りに行く気にはなれなかった。

 行き先の候補として挙がったのは、昼間通った騎士の詰め所を近くにした噴水。

 あそこは町もどきの広場的な場所だったのか、地面が広く、傍に建物が少なかった。

 星空を見上げた時に良い具合に何も視界に入らないのではないか、心置きなく楽しめるのではないかというのが出された結論。

 テーブルの上で立派に話し合ってではなく、宿の階段を降りている時に出された程度の品質の物ではあるが。

 前を意気揚々と歩いていく馬鹿三人と、ついでに担任。

 提案された最初は如何にも深く悩んだ顔をしていたが、それはあくまで教師として必要な手間だったのか、今となっては割と期待を足運びに宿しているようにも見えた。

 少し離れて、そんな四人に付いていく。

 どれも、影は夜道に沈んでいた。

 このままスローペースに歩いて距離を離し、最終的に宿に戻るのも手ではあるが、あいつらに見つかればすぐにでも連れ戻される。それは明白。

 手を握られぐいぐいと引っ張られるよりかは、まだ両手を自由に付いていってやった方が気は良い。

 ある程度を我慢してやれば、多少の自由は保証されている。ネカスにいて、一つ気付いた教訓である。

 と、横目で俺に気付いた担任が、歩調を緩めひっそりと隣に並んできた。

「どうかな?私のクラス、慣れてきてくれたかな?」

「慣れるつもりはない。諦めてはいるがな」

「ぁ…そっか…」

 言葉を返せば、俺と担当の間に幕のようにしばらく掛かった沈黙。

「……」

「………」

 その幕を退ける理由もなく、夜道の先、前で後ろ髪を揺らす馬鹿共を見た。

 話に華でも咲かせているのか、お互いの笑った顔を何度も見合わせている。

 と、担任から聞こえた、妙に意識を惹きつける呼吸の音。

 視界に入った自分の横髪でもを見るように、その横顔を覗いた。

「…もう少しさ、頑張ってみない?」

 担任の瞳が、俺をジッと見つめてくる。

 風でなびくクリーム色の髪を、指でそっと押さえていた。

「何が言いたいか分からん。藪から棒過ぎる」

「私ね、思ったの。ランケくん、ずっと無気力な感じでいるけど、でも、お風呂ちゃんと入ってたでしょ?」

「…その話は蒸し返すな」

「あ、ちがくて、文句とか言いたいんじゃなくてね?」

 俺が嫌な顔を浮かべると、担任の両手が慌てた様子で胸の前辺りに違うからと上がる。

 なら何の話なのか、目で先を促した。

「えっとね、無気力になって、生きることも諦めちゃったみたいな人って、綺麗でいたいとかそういう事、考えるのかなって」

「……」

「私も、そんな人生経験豊富じゃないから、絶対そうとかは言えないんだけど…少なくとも君のそれは、そういうのとは違ったんじゃないかな?ちゃんと人らしくして寝たいって、そんな感じだったんじゃないかな?」

 ………。

「…だからね、もう少し頑張って…その、生きてみようよ。君も、きっとそう思ってるんだと思う」

 俺の胸に住み着いていた死への恐怖にふと手を添えられ、何を言おうとしていたのか、何を言うべきなのか、考えていた事が夜風にひらりと流されていく。

 月光だけに照らされた担任の穏やかな顔が、とても見れなかった。

 何に反発したのか、顔が反対に逸れた。

 こんな哀れな奴に、どうして俺の心を見抜かれないといけないのか。

「生きたい…か」

 ゆっくりと、口が動いた。

「…うん」

 独り言のつもりが、担任の頷きで会話の一部に取り込まれる。

 俺がその足を止めれば、一歩遅れて担任も止まる。

 蹴られた土は一瞬だけ宙を舞い、そしてまた土の中へと紛れていった。

「…例え、俺がどれだけ真剣に生きようとしても、どうせ周りは馬鹿にして嘲笑(わら)うだろうがな」

 言おうとして、途中で笑ってしまった。

「他の…ふっ、それこそ誰も俺を知らない、全くの異世界にでも行けたのであれば、前向きに考えてやったかもしれないが」

 心底馬鹿みたいな、頭の悪い夢だ。

 あの馬鹿共と接して、脳の何処かが侵食されたのかもしれない。

 自分自身を嘲笑(わら)い蔑む顔なら、担任の事を正面に見れた。

「私は、嘲笑わないから」

 笑うという感情を封じ込めたかのような澄ました顔を、担任は俺に返してくる。

「…はっ。良い教師と思わせたいだけの、独りよがりな台詞だな」

 どうにも信じられない。

 気取りたいだけの人間なのだろう。

「要するに、だ。これからもあのゴミ溜めに居ろ、そう言いたいんだろう?」

 言った瞬間、担任の眉がむっと寄った。

「その呼び方、やめてほしいな。大変なクラスだとは思うけど…でも、みんな私の大事な生徒だから」

 ただの不機嫌ではない、真剣さと確かな怒りが混じった、(しか)められた顔がそこにはあった。

 発せられた声も、次また言えば本当に怒ると、棘が小さく飛び出ていた。

 だからと素直にやめると返してやるのも不快極まりなく、違う方向に話を広げた。 

「君も含めて、とかそういうくだらん事は言うなよ。良い教師様の台詞はもう聞き飽きた」

「……」

 真剣な顔を忘れた担任の口が、ぱくぱくと空気を取り込もうとする魚のように開閉する。

「ぁ…」とか「ゃ…」とか、無意味な小さい声しかそこからは聞こえてこない。

 目の中を泳ぐ瞳。風呂上がりで血色の良くなった頬を垂れる珠の汗。

 出鼻を挫かれた人間、まさしくそれだ。

 言うつもりだったなこいつ…。

「その…えと…ほ…本当に、もう少し頑張ってみよ?うん、ねっ?」

 言いたいことだけ勝手に早口で言いきって、担任は馬鹿共の隣を目指し、とたとたと走り去っていった。

 …呆れ果てた。

 寄り添ったように見えて結局は、思った事を言って、ただ自分が満足する事をしただけではないか。言った通りの独りよがりだ。

 …………。

「……全く」

 足を止めていればいる程、遠くの影と同化していく馬鹿共の後ろ姿。

 ひとまず歩き出そうと片足を動かした瞬間、首にバチリと強い衝撃が走る。

「っ…!?」

 意味が分からないまま、身体はどういう訳かバランスをぐらりと崩し、土に迫る視界がゆっくりとぼやけていった。

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