第十話
十話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
食器の上で、スプーンがからんと鳴った。
「ごちそうさま」
俺含めた全員の皿が空になると、四人は手をぱちんと合わせ、揃ってそう口にする。
そんなしきたりなんかどうでもいい。今の俺には、部屋の鍵の解錠が最優先。
「食べ終わったぞ、早く鍵を…」
「ごちそうさま、言ってからね」
珍しく、担任の目が真剣だった。
「………ごちそうさま」
その目に負けたのでは断じてない。
たった六文字言えば満足するのだろうと、こちらが折れてやっただけである。
「えっと…鍵は…」
満足したのか担任はうんと頷くと、着っぱなしだったエプロンの腰辺りのポケットに手を入れる。どうやら、そこに俺の部屋の鍵か、もしくはマスターキーを入れていたらしい。
と、ワッフルが「先生」と名前を呼んだ。
「どうしたの?」
「開けるついでに、ランケさんに一通りの部屋、教えときませんか?自分の部屋とここだけしか知らないというのもあれでしょうし」
「あ、だね」
「ゴミ出しの場所とかもじゃないか?これから分担一人増えるんだし」
「色々やらないとだね…」
俺の部屋の鍵らしいのこそ担任のエプロンからは取り出されはしたが、今すぐにでも俺の部屋が開くという雰囲気では欠片もない。
馬鹿共に言われた事に頭を使っているようで、担任の目はうーん…と宙を捉えていた。
「分担だと?」
「日ごとに決めてるの。ゴミ出しとか、お皿洗い担当とか」
宙に向かっていた視線が、俺に落ちてくる。
「それを…俺もか?」
貴族寮であれば…いや、やる内容の数の差はあれど一般寮でさえ、それをする人間は専属で学院から付けられている。
この寮にこの四人以外の誰かがいるような気配はそう言えばしていなかったが、まさかそんな事もこいつらは自分でやっているのか?
「当たり前です。ここに住んでるんですから」
「…ふざけてるのか?」
言うと、ワッフルから、というか四人全員からため息のような吐息が聞こえた。
「…まぁ、ひとまずは部屋の紹介が先では?分担の話は明日、お買い物から帰ってきてからでも。この調子だと、やる事の説明とか説得とか、かなり時間掛かると思いますし」
「俺はそんな事絶対にやらんぞ。バイトだけでも億劫だと言うのに、貴様らの後片付けなど…」
何を好き好んでそんな事までやらねばならないのか。
決意を強固に告げたが、皿の片付けをかたかたと始めた馬鹿共から、まともに反応が返って来ることはなかった。
━━━━━ ━━━━━ ━━━━━
寮案内と言われ、最初に向かったのは共用スペースの奥。
背後では、今日がその『担当』らしいレグとクーシルの皿洗い、もといジャージャーと使われる水の音が聞こえていて、あれを俺がしなければならないのか、納得出来ずに一人、首を傾けた。
「ここがお風呂ね」
共用スペースの奥の壁。
その一部がへこんでいて、右と左に短い通路の後、両方に一枚のスライド式の扉が。
担任と、言い出した身だからなのか付いてきたワッフルが、その左右の扉の前にそれぞれ立つ。
「右が女子用ので」
「左が、レグとランケさん用です」
「…そうか」
右が女子用で…左が男子用…そうか…そうだったのか…。
「どうかしましたか?」
「…いや、なんでもない」
「そういやさ」
ふと、皿を洗っていたレグがこっちを見て声を放ってくる。
隣で皿を拭いていたクーシルも、当然反応していた。
「お前さ、夜、風呂使ってなかった?」
「え、そうなん?」
「かなり遅い時間な。多分、みんな寝てるぐらいん時」
「…風呂に入らないと、寝れなくてな」
ただでさえ、こんなゴミ溜めに入れられて毎日毎日嫌な汗をかかされているのだ。
そんな身体そのままで、ベットになぞ転がれるか。
だが、レグが求めていたのは俺が風呂を使っていた理由だけではないらしい。更に質問が続いた。
「それは別にいんだけどさ、お前、右と左どっち使ったんだ?」
「……」
「黙りましたね」
ワッフルの少しトーンが下がった指摘の声が、背中を怖がらす。
クーシルの睨むように冷めた瞳が、視線の先を決められない俺の目をほうと覗いてくる。
「使ったんだ。気付かなかった」
「……まぁ、次からは気を付けてやる」
どっちが男子用かなど知らなかったのだ。
女子用だと思わせるような、そういう如何にもな柄の道具も無かった。
扉やその付近で、判断が付くようなマークや文字がないかも探した。しかし見つからなかったのだ。
普段は寝ているような時間帯で、多少頭も眠気にやられていたのかもしれない。早計で決めた節はあったのだろう。
「じゃ、許す」
「怒らないんですか?」
予想外だと言う声が、俺の背中を越えてクーシルに送られる。
俺も少なからず言われるのは覚悟していて、肩透かしを喰らったような気分になる。
「知らなかったんだし、こればっかりはしょうがなくない?」
「…わたしは、ちょっと嫌なので」
背中にとすっと、何かが当たる感触。
肩越しにそこを見れば、ワッフルがこちらの背中に腕を伸ばし、親指と人差し指でデコピン…だったかの形を作っていた。
「悪いのは、目印でも掛けておけかなかった貴様らだろう」
目印さえこいつらが用意していれば、こんな事にはならなかった筈だ。
「はいはい。言っとくけど、ニ回目は無いからね?使ったって分かった瞬間電気撃ち込んでやっから」
冗談ではなく本気だと、目が語っていた。
「誰がするか」
「次からは、本当に気を付けてね?」
担任の声音までも、幾らか温度が下がっていた。
…共用スペースから廊下に出たところで、担任が「あっ」と、何かを思い出したような声を出した。
「ここなんだけど、夜の10時になったら鍵閉めちゃうから、お風呂とかはなるべく早めにね?」
「あれ、でも…」
「普通に開いていたが?」
風呂に入っていた時間はまちまちだったが、どれも、その時間は確実に越えていた。
「私も、さっき聞いてハッとしたんだけど…鍵、閉め忘れてたみたいで…」
はぁと項垂れて、自分の失敗を悔やむ担任。
それを見たワッフルは優しげな声で話しかけながら、途中、俺を横目で見上げてきた。
「ミー先生、最近忙しかったですから。しょうがないですよ」
「別に、俺が頼んだ訳じゃないだろう。こいつが勝手にやって、それで疲れて勝手に忘れた事だ」
「…そうですか」
「大丈夫、これからはちゃんと閉めるから!」
もう他に、急ぎでやる手続きの書類がないと言う事なのだろうか。
そうであるなら、こちらとしても平穏な夜の時間が持ててありがたい。
今のところ毎日、必ず誰かが俺の部屋の扉を叩いてきている。
共用スペースの説明が終わると、次に向かったのは反対側、俺の部屋もある、ドアノブ式の扉が片側三つ並んだ廊下。
その手前、広めの幅が設けられた階段で二人はスリッパを止めた。
「上は私達の部屋があるぐらいだから…特に話しとかないといけない事は無いかな?」
家に比べれば当然何倍も狭いが、それなりの範囲が吹き抜けということもあり、目には広いという錯覚が起こる。
階段上がってすぐの場所には一部床が敷かれているが、置かれたテーブルや椅子から見るに、歓談スペースか何かなのだろう。
「寮母なのに、部屋は二階か」
大抵、寮母や管理人というのは玄関すぐ傍、そうでなかったとしても一階に部屋が用意されているのが基本の筈。少なくとも、俺の知識はそうだと言っている。
現に、それかどうか見た限り正確な判断は付かないが、玄関のすぐ近くにはそれに当て嵌まりそうな扉が何枚もある。
「あー、うん…そうなの」
「…あの馬鹿と同じか」
触れてほしくなさそうな表情からして、勝手に二階の生徒用の空き部屋を自室にしたのだろう。
簡単に見抜けば、正解だと担任は訳を話してきた。
「あの部屋、みんなの部屋と比べるとちょっと狭くて…他の先生方には、な、内緒でね?」
「ふん、言う相手などいるか」
こんな所でしか引き受けられなかった腫れ物。
それと会う人間、ましてや話を真実として聞く人間など、この指が一本折れるかすら怪しい。
寂しいですね…と、ワッフルが同情なのだろう目を眼鏡の先で向けてきていた。
その後も、やれ洗濯機の置かれた部屋だの、使われた形跡のろくにない自習室だの一階の部屋全てを案内され、ようやく自分の部屋のある廊下に進んだ。
昔ながらの趣を大事にする貴族屋敷や王城と違い、時代に合わせられた内装には、見ていて少しばかり新鮮味があった。
落ちこぼれの寮と言っても、貴族から多額の寄付を受けている学院が建てた物。清潔感もあり、まぁまぁ立派な建物にはなっている。
だが、ここまで来るとさっきの食事が消化され、感じた新鮮味を容易く押し潰せる程の、立派な眠気が底から湧いてくる。
バイトの所為でその回りは普段よりも格段に早く、そして強い。
だと言うのに、三つある内、右側の真ん中の扉に向かう途中でまたスリッパが止まる。
左側の、一番手前の扉。
「ここが、レグの部屋です。何かあったらまずここを訪ねてください」
「…分かった」
さっさと終わってほしく、適当な相槌で話を終わらせる。
「うん、これで案内はおしまいかな。ちょっと待ってて、鍵開けるね」
俺の部屋の前まで担任はとたとたとスリッパを鳴らすと、俺の部屋の鍵をシリンダーに差し込む。
それを眺めている間、漏れかけた大きな欠伸を噛み殺す。
「この後ってどうするんですか?眠そうですけど」
「風呂に入る。今日から鍵が閉まるんだろう」
「左ですよ」
「分かっている。二度と間違えるか」
「あっパジャマ、ごめんね?今日だけ我慢してもらうことになるんだけど…」
「いいから、早くどけ」
鍵を捻ったままの体勢で、扉の前で話を長引かせようとする担任。
風呂に入るにしろ寝るにしろ、そこから退かなければ俺は何も始められない。
言って担任との距離を詰めると、ハッとした担任は飛び退くように扉から離れた。
狙ったわけではないが、そんな反射的にしたような離れ方だと言うのに、鍵だけはきちんと引き抜かれていた。




