アヤメの覚醒
「なんじゃこりゃ!?」
ディーが部屋に入ると鉄の臭いと血の赤が白い部屋に充満していた。殺人事件でもあったかのような血の量にディーは言葉が出ない。
暗夜はツカツカと歩くと、放心状態のディーの前で止まった。
「これから時空間管理局のメインコンピューターに侵入します。こちらの端末の操作は不慣れなので、少々教えて下さい」
「は? いや、それより、これどういう状態なの?」
「後で説明します」
「先に説明してく……うっ!」
暗夜は治療したばかりのディーの傷を躊躇うことなく肘で突いた。ディーが痛みに耐えかねて床にしゃがみ込む。
「後で説明します。こちらは時間がないんです」
暗夜は無表情のままディーを引きずって部屋から出て行った。
「あの、大丈夫でしょうか?」
心配そうなリュノンにセレナは軽く手を振った。
「大丈夫、大丈夫。それより、そこのプログラムで左眼と顔の皮膚を作って。あと、次の治療プログラムを開始して」
「はい」
リュノンが端末を操作すると治療カプセルから数十本の細い管が現れ、アヤメの傷口を覆うように体内に入っていった。
セレナが血まみれの帽子、ゴーグル、マスク、服、手袋を全て脱ぎて新しい服に着替える。
「どれぐらいで左眼と皮膚は出来そう?」
「あと二十分程です」
「そう。じゃあ、さっさと済ませちゃいましょう」
そう元気に宣言したセレナの手にはノミと金槌が握られていた。
部屋に戻って来た暗夜とディーは思わず鼻と口を手でふさいだ。何かが焼けた臭いが部屋中に漂っている。焼けたものが何であるかは簡単に想像つくが、認識したくないためワザと考えないようにした。
その中心で両手、上半身を真っ赤に染めたまま、セレナが眠っている。
部屋の惨状とこの状況で眠れるセレナの神経に、暗夜は思わずため息を吐いた。
「部屋を出た時より、ひどい状態ですよ」
「よく、こんな中で寝れるなぁ」
ディーの感心した声にリュノンはクスクスと笑った。
「あれから八時間ずっと手術をしていましたから、相当疲れたと思いますよ。あの短時間で、手術と同時に治療プログラムの操作を行う知識と技術力。そして、それを持続させられる集中力。本当に素晴らしいかぎりです。この方は、どういう仕事をされているのですか? 医学博士ですか? それとも遺伝子研究ですか?」
リュノンが話しながら治療カプセルの端末を操作していく。
「それは本人に聞いて下さい。それより……」
床に倒れこむように眠るセレナを起こそうと暗夜が手を伸ばす。
「……朝?」
暗夜の手が触れる前に寝ぼけた声を出しながら紺碧の瞳がうっすらと開いた。その姿に手術をしていたときの機敏さや鋭さはない。普通の十代の女の子の寝起き姿だ。
セレナは周囲を見ながら二、三回瞬きをすると、慌てて上半身を起こしてリュノンに顔を向けた。
「ごめん、寝ちゃった。アヤメさんは?」
「状態は安定しています。もうすぐ目が覚めると思います」
「よかった」
セレナは力が抜けたようにヘタヘタと血だらけの床に座り込んだ。暗夜がため息を吐きながらセレナが着けているゴーグルを外す。
「この服を着ている必要はないでしょう? 後処理のほうは終わりましたから問題なく還れます」
セレナは服を脱ぐと周りの物を片付けながら首を傾げた。
「後処理?」
「時空間管理局のメインコンピューターに侵入して、先輩のナノマシンと発信機が壊れた原因をミサイルによる全身損傷のように偽装してきました」
暗夜の言葉にディーが大きく頷きながら続きを話す。
「プログラム書き換えるのは、すごく大変だったんだぞ。ま、アヤメの命の恩人だから文句は言えないけどな」
「あ、忘れてた!」
突然のセレナの叫び声に全員の視線が集まる。真剣な色を帯びた紺碧の瞳が黙って茶色の瞳を見つめる。
重い沈黙が続く中、ディーは固唾を呑んでセレナの言葉を待った。
どんな重大な話なのか。
緊張感に張り詰めた空気をリュノンの軽い声が壊した。
「そういえば、アヤメさんの外見を変えたことをディーに言い忘れていましたね」
「へ?」
ディーの間の抜けた声に、セレナは頭を下げてあやまる。
「ごめんなさい。先に言わないといけなかったのに。アヤメさん、死んだことになってるから、ちょっと顔を整形して遺伝子を少し操作して髪と瞳の色を変えたの。でも、アヤメさんは、アヤメさんだから。だから……」
必死に何かを訴えようとするセレナの後ろで大きな欠伸が聞こえた。
「騒がしいわね、何事?」
治療カプセルから体を起こした人物を見て暗夜とディーは目を丸くした。
黒く切れ長だった瞳が、少し大きくアーモンド型をした蒼い瞳に。長かった黒髪は、亜麻色のショートカットに。鼻は以前より高さがある小鼻となり、シャープだった輪郭は少し丸くなっていた。
「ちょっとどころか、別人になっていますよ」
顔を整形すると整いすぎるためか作り物のような、不自然な違和感がどうしてもある。だが、アヤメの場合は整形手術の痕はもちろん違和感や不自然なところは一切ない。
暗夜とディーが驚く中、アヤメ本人は訳が分からず四人を見た。
「何? 私の顔に何かついてる? あ、もしかして傷? あれは油断したわ。で、どこに傷があるの? 鏡ない?」
外見が変わっても中身は変わらず。
その様子にディーが安心したように息を吐いた。
「驚いたけど中身が変わってないなら問題ないさ」
ディーの言葉にセレナよりアヤメのほうが大きく反応した。
「当たり前よ。外見がどう変わろうと、私は私。そうでしょ? ディー」
「そうそう。ほれ、鏡」
アヤメはディーに手渡された鏡を覗き込むとそのまま動きを止めてディーに蒼い瞳を向けた。
「これ、誰?」
「お前」
「ドッキリ?」
「いや。お前死んだことになったから、知り合いに会ってもバレないように、ちょっと整形したんだって。生まれ変わったみたいで、いいだろ」
ディーの説明を聞いてアヤメは再び鏡の中の自分を見た。
「そうね。これは、これで悪くないわ。そんなことより」
アヤメは自分の顔のことをそんなことで済ませると、しっかりと聞き逃さなかった言葉をもう一度確認した。
「死んだことになっているなら、ずっとこの世界に居られるのよね?」
「はい。そのようにしました」
暗夜の返答にアヤメが首を傾げる。
「今さらなんだけど。あなた達二人とも、こんなところで悠長にしてていいの? 理由なしで他空間に長期滞在してると上が五月蝿いわよ」
そうなる原因を作った本人に言われたくない。
暗夜は喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込んだ。
「そのことなら、ご心配なく。爆撃で負傷して、ここで治療していることになっています。先輩が死亡したように偽装するより、その方がずっと大変でした」
「なら、そんなことしてないで、とっとと帰ればいいのに。私なら平気よ」
他人の苦労、本人知らず。
暗夜はドッと疲れが増した気がした。
「とりあえず、あと一日は治療のため、この世界に滞在するようにしています。ですから、もうしばらく滞在します」
「でしたら部屋がありますので、そちらで休んで下さい」
「わーい。もう少し休みたかったんだよね」
血だらけだった荷物をポーチの中に片付けたセレナが両手を挙げて喜ぶ。その姿にリュノンは微笑んだ。
「素直な方ですね。さ、こちらへどうぞ」
「ほら、暗夜も行くよ」
部屋にアヤメとディーを残して三人は部屋から出ていった。




