一致団結
ディーはテーブルに伏せたまま顔だけを上げて、上空に浮かぶ銀色の球体を指差して説明を始めた。
「今、オレ達はこの空に浮かんでいる〝神〟から独立しようとしている。専門家は全員この〝神〟の中にいるんだ」
「中にいるって、どういうこと? これ、そんなに大きいの?」
「あぁ。この世界のほとんどのヒトは〝神〟の中に住んでいて、外に出ることはない。衣食住、全てがそろっている快適空間だからな」
「快適なのに独立しようとしているの?」
セレナの純粋な疑問にディーが苦笑いをする。
「生活が快適でも自由がないんだよ」
「そうなんだ。でも、あなた達はどうやって遺伝子を操作してるの? 怪我をしたら、どうするの?」
「クローンや不老加工はプログラムがあるから、専門家がいなくても機械さえあればできる。けど、アヤメの場合は別だ。オレ達と遺伝子が違いすぎるから、専門家がいないと無理」
その説明にセレナが眉をよせる。ここに来て初めて見せる真剣な表情だ。
「そんなはずない。人間と猿の遺伝子は九十八%が同じよ。他にも、人間と七十%も同じ遺伝子を持つハエさえいるんだから。他空間だからといっても同じ人間同士なんだから、そこまで遺伝子は変わらないよ」
セレナの力説にディーは頭を掻きながら困ったように言った。
「そんなこと言ったって事実なんだから、しょうがないだろ。オレ達の世界に黒髪や黒瞳の人間なんていないし、そんな遺伝子存在しない。逆に言えば、あんたらの世界に、こんなこと出来る奴いないだろ」
そう言うと、ディーは体をテーブルから起こして握り締めた右手をテーブルの上に置いた。
三人の視線の集まる中、ゆっくりとディーの右手が開かれる。何もない手のひらに水が現れ、火の玉のような形を作りながら浮かびあがった。
「あげる」
ディーがそう言うと、水はそのまま氷になり、セレナの手の上に落ちた。
「手品?」
「違うって。そっちの世界でいう……超能力? みたいなもん。こういうことができる遺伝子がオレ達の中にはあるの」
黙って話しを聞いていた暗夜がポツリと呟く。
「興味深いな」
「このことは報告しないでよ」
アヤメが鋭く暗夜を睨む。
「この世界は、まだ不安定なの。安定するまで全て黙ってて」
「安定するまで、どれぐらいかかりそうなのですか?」
暗夜の問いに答えたのは、アヤメでもディーでもなく、何故かセレナだった。
「悠長に話してる場合じゃないみたいだよ。なんか、すっごく嫌な予感がする。すぐ逃げたほうがいい」
セレナの常識外れの勘がここは危険だと感じ取っている。
だが、そのことを知らないアヤメとディーが首を傾げていると、セレナの言葉の意味を理解した暗夜が二人に急いで質問をした。
「ここが攻撃されるようなことは、ありますか?」
何かに気が付いたディーが慌ててテーブルの一部を叩く。テーブルを壊すような勢いだったが、テーブルは見た目より頑丈に出来ており振動する程度で終わった。
「リュノンにつなげ!」
地上と遥か上空にある銀色の球体の映像が消えて、小さな少女の映像が現れる。
「どうしました?」
桜色の髪が揺れ、隙間からとんがった耳が見える。可愛らしいヒマワリのような黄色い瞳が驚くことなく周りを見渡す。
「この方々は?」
「それはあとで説明する。それより今の〝神〟の動きを……」
ディーの言葉を遮るように警報が鳴り響いた。
『〝神〟からの調査隊を確認。この施設の調査、清掃を目的としています。ただちに避難して下さい』
大きく地面が揺れて照明が消える。テーブルの上の映像も波打ちながら消えた。
ディーが無駄と分かりながらもテーブルを叩きながら叫ぶ。
「おい、リュノン! おい! くそ! エネルギー源から通信機能まで全部切断された」
上空から爆発音が響き、その度に城全体が大きく揺れる。
ディーは立ち上がると、ドアの近くの端末を操作した。すると薄っすらと照明がつき、警報が再び鳴り響きだした。
『調査隊侵入』
「非常エネルギーはついたが、通信機能は死んだままか……おい、暗夜とか言ったな?」
ディーが初めて暗夜を正面から見た。茶色の瞳が髪と同じ赤色に燃えている。
「アヤメを連れて還れ。素直には還らないだろうから、それぐらいの時間かせぎはオレがしてやる」
そう言うとディーは大股で歩き出した。その姿に先ほどまでアヤメに振り回されていた雰囲気はない。毅然と自分のやるべきことを理解している戦士の姿だ。たとえ、その先にあるものが死だとしても。
「ディー!」
アヤメが慌てて走って手を伸ばしたが、ディーを捕まえる前にドアが閉まった。
「ちょっと、何一人で決めてんのよ! ここ開けなさい! 私、絶対帰らないわよ!」
アヤメが開かないドアを必死に叩く。
「待ってるから! ここで待ってるから! 絶対、死なないでよ!」
叫びながらアヤメは泣き崩れるようにドアにすがりついた。爆発音や銃撃戦の音がドア一つを挟んで聞こえてくる。
「先輩」
暗夜がアヤメに手を伸ばす。しかし、その手はアヤメの肩に触れる寸前で弾かれた。
「触らないで!」
アヤメが銃を構えて立ち上がる。黒い瞳から一滴の涙がこぼれた。
「還るぐらいなら、この世界で死ぬわ。後で脳でもなんでも取りに来れば!」
「しかし、私はディー氏に先輩を連れて還るように頼まれました。彼の気持ちを考えて下さい」
二人の間に沈黙が流れる。そこに爆発音と共にドアに何かが叩きつけられる音がした。
アヤメの意識が一瞬、ドアの外にいるディーに向けられる。
「すみません」
暗夜は謝ると同時にアヤメの銃を叩き落として腕を掴んだ。
「行きます!」
「ダメ!」
セレナはアヤメの腕を掴んでいた暗夜の手を外し、二人の間に入った。
「二人を離れさせたらダメだよ」
セレナの脳裏に想い出される微かな記憶。
黒に近い茶髪に藍色の瞳をした少年。やさしい眼差しなのに、浮かべるのは悲しそうな微笑み。
誰なのか、わからない。全てがわからない。でも、できれば……と願った。その気持ちだけは覚えている。
「アヤメさんの気持ちはよく分かる。私は二人に一緒に生きて欲しい。一緒に生きられる可能性があるのに、なんで一緒に生きたらダメなの?」
セレナが小さな体でアヤメをかばうように精一杯両手を横に広げている。
暗夜は責めるわけでもなく淡々と訊ねた。
「何故そこまでするのですか? 先ほど初めて会った人に対してどうして、そこまでできるのですか?」
爆発音と銃撃音はますます大きくなっていく。
いつ、このドアが壊され命を失うか、わからない。それでも、セレナは自分より他人のことを考える。友人でも先輩でもなく、ついさっき出会った、なんの繋がりもない他人のことを。
「したい、と思ったことをしたらいけないの?」
ごく当たり前のようにセレナは答えた。
「しなかったら後悔する。そんなのヤダ」
セレナの言葉に暗夜の記憶の中にある青年の声が重なった。
『僕は行動しないで後悔しながら生きるより、死ぬかもしれないけど行動して後悔しないほうを選んでいるだけなんだ』
唐突によみがえる記憶。自分を縛り付ける過去。
「暗夜?」
覗き込んできたセレナに暗夜が首を横に振る。
「あなたはそれで満足でしょうけど、もしそれで死んだ場合、残された人の気持ちはどうなるのですか?」
暗夜の消えそうな呟きにセレナは凛と答えた。
「私がいなくなっても悲しむ人はいないよ。だから大丈夫」
思わぬ返事に暗夜は黒い瞳を閉じた。目を閉じても紺碧の瞳がまっすぐ見つめているのがわかる。
あの頃より成長した体と、少しは強くなった力。この絶望的な状況で自分はどう動くか……
暗夜は気怠そうな表情で瞳を開けた。だが表情とは裏腹に、黒い瞳は黒曜石のように強く輝いている。自分のするべきことを決めた、迷いのない瞳。
「そういう人ほど、自分の価値をわかっていないんです」
そう言うと暗夜は銃をアヤメに返して、中指で黒縁眼鏡の真ん中を押し上げた。




