新しい任務
暗夜が室内に入ると、そこには神妙な顔をした上司が椅子に座って待ち構えていた。
白銀の髪を頭になでつけ、鋭いダークブルーの瞳が値踏みをするように睨んでくる。外見は三十代半ばだが、その年齢以上に経験を積んだ冷徹で切れ者という雰囲気が漂っている。
「忙しいところ悪いな」
誰のせいで忙しいと思っているんだ?
暗夜は喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込み、無表情のまま訊ねた。
「いえ。用件はなんでしょうか?」
「詳細は端末に転送した」
暗夜が左腕の端末を確認して顔を上げる。
「裏の仕事ですか?」
「あぁ。同時に表の仕事もある」
「つまり通常業務をこなしながら裏の仕事も遂行しろということですか?」
「そうだ」
暗夜が思案するように眼鏡をかけ直す。
「この内容ですと勤務時間外も仕事をするようになりますが?」
「そこは時間外報酬と特別休暇をつける」
「あとセレナ氏も狙われると思いますが?」
「それはこちらで対処する」
時空間転移している間はセレナは自分の側にいるから狙われても問題はない。もし、この世界にいる時は狙われても大丈夫なように影から護衛でもつけるのだろう。
納得した暗夜は軽く了承した。
「わかりました」
淡々と返事をした暗夜に上司がニヤリと笑う。それだけで冷めた印象が消え、人好きのする顔になった。
「いやぁー、助かった。他の連中はみんな出払ってるのに、上の連中が早く処理しろって言うからさ。本当、中間管理職は辛いね」
上司がダークブルーの瞳をくしゃりと細めると、目元に薄いシワが浮かんだ。世間ではこういうのをイケオジとか言うのだろうが騒がれる理由が一切わからない。
暗夜がため息を吐くと、上司が悲しそうな顔になった。
「そんなため息吐いていると幸せが逃げるぞ。あ、そうだ。セレナちゃんはどうだ? 仲良く仕事しているか?」
軽く地雷を踏み抜いた発言に暗夜のこめかみが引きつる。
「最悪だ。早く代えてくれ」
「なんで? 暗夜が希望した通り超優秀な子だぞ? なんだって資格試験を満点で合格したんだからな」
「成績は優秀かもしれないが性格が問題だ」
「そうか? うまくやってるって聞いたぞ」
「誰から?」
上司がここぞとばかりに茶目っ気たっぷりな顔でウインクをする。
「風のう・わ・さ」
「失礼する!」
暗夜は荒々しく執務室から出ると、眼鏡を外して目頭を押さえた。
「面倒な事ばっかりだな」
度が入っていない黒縁眼鏡のフレームには古代文字で時の神の名が刻まれていた。
翌日。
暗夜が定時に出勤すると、セレナが時空間管理局の入り口で手を振って出迎えた。
「おはよう。新しい任務が出てるよ」
「……そうですか」
新しい任務については昨日上司から聞いたので知っているがワザと知らないフリをした。それは表向きの仕事であって、裏には別の仕事がある。それをセレナに悟られるわけにはいかないからだ。
セレナがジッと見つめてくる。
「どうしました?」
暗夜の質問にセレナがにっこりと笑う。
「なんでもない。早く次の世界に行こう」
クルリと回って歩き出したセレナを暗夜が止める。
「その前に行く場所があります」
「どこ?」
「ついてきて下さい」
先を歩く暗夜の後ろをセレナがついていく。しばらくして暗夜は薄暗い部屋に入った。
「なんの部屋?」
セレナが体全体を動かして部屋の中を見る。
薄暗かった部屋は人の動作を感知して、遥か頭上にある天井から明るすぎない光を降り注いだ。整然と並んでいる本棚の先にある壁は点にしか見えず、この部屋の広さを表している。
「ここは資料室です。今回の任務は二ヶ月前に異世界転移をして連絡が取れなくなった時空間管理人の保護です。転移先の状況によっては武器や道具が必要ですから、ここで情報と必要な物を揃えて行きます」
「武器かぁ。戦うのやだなぁ」
「それが昨日、喧嘩を売っていた人の言葉ですか?」
「あ、あれはつい、勢いというか……えっと……あの……」
セレナは最後のほうはゴニョゴニョと聞き取れない声を出しながら、本棚の隅に隠れて行く。
暗夜は姿を隠したセレナを放っといて、スクリーンの前にある端末を操作した。
遥か遠くの本棚から機械音が響くと同時にスクリーンに草原の中に円形に出来た荒地と、荒地の中心にある左右対称に造られた絢爛豪華な白亜の城の静止画が映し出された。
「どうりで記憶にないわけだ。ここにも情報がないとは」
暗夜がスクリーンの映像と左腕に装着している携帯端末の情報を見比べる。
そこに本棚に隠れていたセレナが出てきて、暗夜が見ている携帯端末の情報を覗き込んだ。
「ねぇ。現在で保護するのが難しいなら、連絡の取れなくなる寸前に行って保護したらいいんじゃないの?」
名案とばかりに自慢げに言ったセレナに対して暗夜はため息を吐いた。
「二ヶ月前の人をここに連れてきても、それは二ヶ月前の人であり現在の人ではありません」
「なら、なら。二ヶ月前の人を二ヶ月前に届けたら?」
嬉しそうに言うセレナに暗夜は携帯端末の情報を指差した。
「そのような指令は出ていません。勝手に行動して歴史に歪みが生じたら、どうするのですか? そうならないためにも私たちは指令通りに動くのみです」
「つまんなーい」
セレナがプーと頬を膨らまして顔を逸らした。
「そういう問題ではありません。それより、今回の任務地について何かご存知ですか?」
暗夜はまともな返事は期待していなかったが、とりあえず聞いてみた。
セレナは暗夜に促されるように振り返りスクリーンを見た。少しの間、腕を組んで悩んだあと、思い出したようにポンと手を叩いた。
「あぁ、あそこだね。そうそう、きれいに円形のドームに囲まれていて、そこから外に行けないの。こっちの政府が交流したいって言ったら、内政が安定してないから待ってくれって、一方的な返事で交流終了。納得できなかったこっちの政府がドームを壊して外に行こうと攻撃したけど、まったく壊れなくて草原が荒地になっちゃったんだよね。あそこの世界の情報って少ないけど、捜せる範囲は狭いから。すぐ終わるね、この任務」
まったくの予想外の答えに、暗夜は眉をよせた。
「まるで、行ったことがあるような話し方ですね?」
暗夜の質問に笑顔だったセレナは一瞬、硬直したように動きを止めた。
「時空間管理人以外の時空間移動は限られた人にしかできません。何故、行ったことがあるのですか?」
セレナは少し考えた後、ニコっと笑った。
「女性はね、いくつもの秘密と神秘を持っているの。特に私の勘はすごいんだから」
その笑顔はセレナにしては珍しく、どこか作為的だったが、次に発せられた言葉の内容にそんな疑問は全て吹き飛んだ。
「時空間管理人の資格試験の時だって、マークシートだったから勘で答えたら全問正解しちゃったし。ほかにも……」
「は? ちょっと、待って下さい! 五千問ある筆記試験を勘で全問正解したんですか?」
「そうだよ」
当たり前のように答えるセレナに、暗夜は頭を抱えた。
絶対に、この仕事が終わったらパートナーを代えてもらおう。いや、その前にこのことを報告しないと。
暗夜が痛む頭を抱えながら顔を上げると、セレナのきれいな白い人差し指がそっと唇に触れた。
「二人の秘密だからね」
そう言って紺碧の瞳をウインクする。
その姿はいつも見る無邪気なセレナではなく、まるで恋の駆け引きをする大人の女性のよう……だったが、その姿は一瞬で崩れ去った。
「じゃあ、任務に行っくよー!」
セレナが自分と暗夜の腰に付いている箱にカードを差し込む。
「ちょっ!? いつの間に転移カードを!? いや、それより、まだ準備が……」
無情にも暗夜の声は途切れ、資料室に静寂が戻った。




