青年の正体
暗夜は覚悟を決めると一瞬で起き上がり、入り口に立っている見張りにむかって突進した。
全身に痛みが走り、閉じかけていた傷口からじわりと血が滲む。意識を失ってから、そんなに時間が経っていないことが分かる。
暗夜の動きに見張りが慌てて攻撃をかわした。その動きを読んでいたように、暗夜は見張りの腰から銃を引き抜く。そのまま流れるような動作で銃を構えた瞬間、軍服が視界を塞いだ。
「いきなり襲い掛かってくるとは、躾けがなっていないな」
聞き覚えのある声に動きを止める。見張りと暗夜の間で見たことのある金髪が揺れる。
「……ここは時空間軍基地か?」
暗夜が目の前にいるラディル大佐に銃を向ける。
「いや、時空間軍の施設ではあるが基地ではない。とにかく銃を下ろせ……って、これお前の銃だろ? 何故、こいつが持っているのだ?」
ラディル大佐が後ろにいる見張りに声をかける。見張りは悪びれた様子もなく、ずれた黒縁眼鏡の位置を直しながらヘラっと笑った。
「さっき取られてね。すっごく動きが早くて、足を撃たれてるとは思えない動きだったよ」
見張りが笑ったまま長く伸びた焦げ茶色の髪を揺らして答える。
その姿に暗夜は思わず叫んだ。
「あの時の!」
その瞬間、暗夜の手から銃が消えた。
「!」
銃はラディル大佐の手の中にすっぽりと納まっている。暗夜は驚いて叫んだとはいえ、油断していたわけではない。ラディル大佐は暗夜の気配が乱れた、ほんの一瞬を狙って銃を取ったのだ。
初めて会ったときはラディル大佐はセレナに転がされてばかりで気付かなかったが、こうして対峙して判った。
ラディル大佐は動作や雰囲気から実戦慣れした実力の持ち主だ。時空間軍第一部隊所属というだけで、実戦経験のない学力のみのエリート官僚だと判断していたのが仇となった。
相手の強さを見抜けなかったことと、状況がより一層不利になったことに暗夜の表情が険しくなる。
だが、ラディル大佐はそんな暗夜を無視して銃を見張りに返した。
「セレナがわざわざお前のために準備した銃だ。簡単に取られるな」
その言葉には明らかに不快と苛立ちが込められている。
見張りは笑顔のまま何も言わずに銃を受け取った。
「セレナが?」
予想外の名前に思わず声を出したが、よくよく考えればセレナは時空間軍にいたのだから名前が出てきてもおかしくない。
ただ、セレナが銃を準備したということは疑問に感じた。あれだけ人を傷つけるのを嫌うセレナが銃を準備するとは思えない。
しかも見張りの持っていた銃は入手が難しい種類のレーザーガンだ。出力の調整一つで蟻のような小さな的から車のような大きな対象物まで打ち抜くことが出来る。
そして、この銃の一番優れているところはエネルギーが太陽光で済むことだ。つまり銃弾やエネルギーを補充する必要がない。
暗夜の疑問に見張りが銃を腰に収めながら答えた。
「セレナがどんな世界に行っても大丈夫なようにって、準備してくれたみたいなんだ」
「みたい?」
「確認したくても、肝心のセレナは覚えていないから」
「覚えていない?」
このままだと質問ばかりで会話が進みそうにない二人の間にラディル大佐が入った。
「待て。順番に説明する」
ラディル大佐が暗夜の方を向いて話し始めた。
「事の始まりは十数年前だ。その頃、時空間軍は時空間移動について、秘密裏に違法な人体実験を繰り返していた。時空間移動については時空間管理局が最先端の技術を所有していたからな。時空間管理局を出し抜くためだったのだが、その結果として偶然クロノスが生まれた」
そう言うとラディル大佐は見張りに視線を向けた。
クロノスと呼ばれた見張りは微笑んだまま黙って話を聞いている。
時の神……か。
暗夜は黒縁眼鏡に書かれている文字を思い出した。どこかの世界の古代神話に出てくる時の神の名前だ。
「クロノスは時空間移動装置がなくても自由に時空間を移動することが出来た。だが何故、移動出来るのか解らなかった。そして、もう一つ問題だったのが、移動先を自分で決められないことだった。そこで白羽の矢が立ったのがセレナだ。当時のセレナは十五歳という年齢にも関わらず戦場の最前線で軍医をしていた。その類まれなる知識と勘の良さから、この実験施設に配属された」
暗夜は周囲を見渡した。
雑然と並んだ機械は埃を被っている物もあり、しばらく使われていないことを表している。とても最新の秘密実験をしていたようには見えない。
「本当にここで、そんなことをしていたのですか?」
「そうだ。ちなみに貴様がさっき寝ていたところは解剖台だ。解剖台の上で寝ていた気分はどうだ?」
指差された先には人が一人寝られるぐらいの幅しかない黒い手術台がある。
暗夜は無表情のまま手術台を一瞥しただけで、ラディル大佐の次の言葉を待った。その反応にラディル大佐が口を尖らす。
「無反応ではつまらないではないか。まあ、いい。配属されたセレナは期待通りの成果を出した。そしてクロノスが時空間移動できる秘密が全て解明されるという時に、セレナは突然この研究施設の記録を全て消してクロノスを封印した。そして、自分自身の記憶も消した」
「そんなことをしても、脳の中にある記憶を強制的に引きずり出されて研究が続けられるのではないですか?」
電脳空間と精神を接続することにより、無防備になった精神から強制的に記憶の中に入り情報を引き出す技術がある。そんなことをされた人間は精神が壊れて廃人になるのだが、形振り構わない軍が気にするはずもない。
「甘いな」
ラディル大佐は勝ち誇ったような表情で話しを続けた。
「セレナは医師だ。記憶を強制的に引きずり出させず、かつ自分の身を守れる記憶の消し方をしたのだ。セレナは優秀な軍医であり軍人だった。軍はセレナを廃人にするより、手元に置いて記憶が戻るのを待つことにした。それにその頃、時空間軍が人体実験をしているという噂が流れて、あやうく政府の審査が入りそうになっていた。そこで時空間軍はほとぼりが冷めるまで、この施設を閉鎖することにした。あれから八年が経ち、数日前クロノスが突然目覚めた」
クロノスが微笑んだまま少し肩をすくめる。
「別に突然じゃないよ。セレナは僕の治療が終わったら自然に目覚めるようにしていただけなんだから」
「治療?」
暗夜の問いにクロノスが頷く。
「そう。セレナは僕が自分で時空間の移動先を決められないのは遺伝子の病気が原因だっていうのを見つけてね。治療プログラムを作って僕を治療のために眠らしたんだよ。おかげで今はすっかり治ったて、自分で転移先を決められるようになったよ」
「話しを続けるぞ。目覚めた後、突然消えたクロノスに時空間軍は慌てた。多少の無茶をしてでもクロノスを捕まえるため情報を集めた」
時空間を移動出来るクロノスを見つけることは、広大な砂漠の中で砂粒を見つけることと同じぐらい難しいことだ。それに、時空間軍の持っている情報だけでは見つけることさえ出来るかどうか分からない。結局、この世界で時空間の情報を一番保有しているのは時空間管理局だからだ。
「……もしかして、時空間管理人の情報を得て殺していたのは?」
「察しがいいな。クロノスを見つけるため。そしてクロノスの存在を時空間管理局に知られないために、時空間軍が指示していたことだ」
暗夜は無表情のまま何も言わない。ラディル大佐は暗夜から視線を逸らして話を続けた。
「さて、ここからが本題だ。今、時空間軍は時空間管理局への総攻撃の準備をしている」
「何故?」
冷静な暗夜にラディル大佐がつまらなそうな表情をする。
「もう少し驚いてもいいだろ。攻撃命令の内容だが、表向きには時空間管理局に不当に拘束されている軍人の救出だ」
「不当に拘束されている軍人?」
「セレナのことだ。軍はセレナの辞表を受理していないことにした。元々、辞表を受理したのは情報と賄賂に目が眩んだバカ将軍の単独行動だからな。この機会にセレナを軍に戻したいんだろう。あとは、攻撃による混乱の中でクロノスを捕まえれば任務終了だ」
「クロノスはここにいるのに?」
「軍はクロノスがここにいることを知らない。軍はクロノスが貴様を連れて消えたため、時空間管理局にいると予想したようだ」
クロノスが時空間管理局にいると勘違いした時空間軍が焦っていることは、無理のある理由を作ってまで時空間管理局に攻撃を仕掛けているところから分かる。
暗夜は静かにラディル大佐を観察した。クロノスがここにいることを時空間軍に報告せず、しかも時空間管理局が攻撃されることを暗夜に教えた。その意図はどこにあるのか。
暗夜は口角を少し上げて笑みを作った。
「私は何をすればいいのですか?」
暗夜の質問にラディル大佐は満足そうに茶色の瞳を細めた。
「時空間軍のメインコンピューターにある人体実験の情報が欲しい。ほとんどセレナが消しているだろうが、証拠となる情報だけでもいい。あとは何をしようが貴様の好きにしろ」
つまり時空間軍のメインコンピューターを乗っ取っても良いということで。
「わかりました。ところで私の銃は何処ですか?」
ラディル大佐は思い出したように懐から二丁のサイレンサー銃を取り出した。




