世界を変える瞬間
暗夜がセレナと別れた場所にたどり着くと、セレナは叫びながら地面に倒れている男に応急処置をしていた。男は暗夜を襲った男達と同じ姿をしており、他に人の気配はない。セレナとともに、ここに残っていた青年の姿もなかった。
「死んじゃダメ! 死んじゃダメだよ!」
圧縮カプセルから医療器具や薬品を取り出し、素早く処置していく。だがセレナの意思に反して、地面に倒れている男の体は溶けていった。
「どうして……どうして……?」
セレナは男の消えた地面に両手をつけて俯いた。左腕からは血が止まることなく流れている。
暗夜は黙ってセレナに近づくと、医療器具の中から消毒と包帯を取り出し、ケガをしている腕をとった。白い肌を流れる鮮血は真っ白な雪の中に咲く、真っ赤な牡丹のように鮮やかだ。
暗夜は黙々と血を拭き取ると、消毒をして包帯を腕にまいていった。
その間、セレナは黙って俯いたまま暗夜に腕の治療をされていた。声を出すこともなく、泣くこともなく、ただ黙っている。
「終わりました」
暗夜が素早く医療器具や薬品を圧縮カプセルの中に納める。セレナは右手でゴシゴシと両瞳をこすると顔を上げた。
「ありがとう。暗夜って傷の処置が上手なんだね。全然、痛くなかったよ」
セレナはいつもの笑顔で明るく笑った。
傷は深くなかったが、あれぐらいの浅い傷が一番痛い。消毒がまったく痛くないというわけはなく、それどころか、今だって痛みは続いているはずだ。だがセレナにそんな様子はない。
体の傷より、心の傷か。
暗夜は声に出さず今までとは違ったため息を吐いた。
「あれ? キアラちゃんはどうしたの?」
セレナの質問に暗夜の顔が青くなる。
それだけで全てを悟ったセレナは、ポンポンと暗夜の肩を叩いた。
「そんなこともあるよ。また探そう。ね?」
セレナに励まされ、暗夜はますます落ち込んでいった。
そんな二人の姿をビルの屋上から見下ろしている人物がいた。
吹き上げてくる風が長く伸びた焦げ茶色の髪を悪戯に巻き上げる。黒縁眼鏡の下にある藍色の瞳が嬉しそうに、でもどこか苦しそうに細くなる。
「やっぱり、君は僕の知ってる君ではないんだね」
そう呟くと、風とともに姿を消した。
人通りの多い交差点。見下ろすように建ち並ぶビル。街頭テレビからはニュースキャスターが淡々と同じニュースを繰り返し読んでいる。
「見つからないね」
あれから二時間。そう遠くには行っていないだろうと、襲撃を受けた付近を探したがキアラは見つからない。
暗夜は人の通りそうにない細い裏路地に入った。
「どうしたの?」
セレナが後からついてくる。暗夜は内ポケットから携帯端末を取り出した。
「キアラ・シュナーツ氏と一緒にいた男は、この世界の秘密警察に追われていました。もしかすると、一緒に隠れているのかもしれません。この世界の警察のデータにアクセスして情報を探してみます」
「へぇ。それってそんなことも出来るんだ。性能いいね。どこで売ってるの?」
セレナが興味深そうに携帯端末を覗き込む。
「これは自作ですから売っていません」
「これ、自分で作ったの? すごーい」
はしゃぐセレナの隣で、暗夜は黙々と端末を操作する。
「ねえ、今度私にも作って。私のは……」
話の途中でセレナが黙った。突然静かになったセレナに視線を向けるため、暗夜も携帯端末から顔を上げる。
狭い裏路地の隙間から、まっすぐ先にある街頭テレビが目にはいった。そこに先ほどまで映し出されていたニュースの映像はなく、銀髪、金瞳の少女が映し出されている。ニュースが流れていた時は誰も見向きもしなかったのに、通行人の足が徐々に止まっていく。
街頭テレビに突然現れた銀髪、金瞳の少女は白い光沢のある長い布で覆われたドレスを身につけていた。そして音のない世界で少女は軽やかに踊り始めた。
少女を包む白い布が波打ち、白色から空のような青色、青々と茂る植物のような緑色、野に咲くタンポポのような黄色、真っ赤に燃える夕日のような赤色…………と次々に布が意思を持っているかのように色を変えていく。
その姿に誰もが意識を手放して、その映像を眺めていた。黒色以外を知らないこの世界の人間にとって、初めて見る色彩の数々はあまりにも鮮やかで強烈だった。
暗夜は携帯端末が手から滑り落ちそうになって我に返った。急いでこの電波の発信源を突き止めると、街頭テレビに映っている少女に見とれているセレナの肩を叩いた。
「場所がわかりました。行きます」
セレナが不満そうに頬を膨らます。
「もうちょっと見たい」
セレナの気持ちが分からなくもない暗夜は、今回はため息を吐かずに説得をした。
「私達は仕事で来ているのです。そのことを忘れないで下さい。第一、この映像が流れた時点で私達の評価は減点です」
異空間の文化を大勢の民衆に触れさせてしまった。これは、防ごうと思えば防げたことであり、始末書、減俸、最悪の場合は停職などの処罰が考えられる。
ただ、今回は時空間軍に襲われたというアクシデントがあったため処罰は免れるだろう。それでも、現在の評価を落としたくない暗夜にとっては痛手になる。
「すっかり、忘れてた」
セレナの視線が街頭テレビから暗夜に移る。
「この近くです」
暗夜が走り出す。セレナも後を追って走り出したが、一度だけ振り返り街頭テレビを見た。
世界の全ての色に包まれた少女は、資料にあったような神秘的で神々しくも無機質な顔ではなく、活き活きとした生命力あふれる表情をしていた。
半地下の一室。音楽も歓声もない、静かな空間。眩しいぐらいに明るく照らされたライトの下、銀髪、金瞳の少女が踊っている。
あふれんばかりの笑顔なのに、どこか哀しく。怒りのごとく荒々しいのに、どこか繊細で。全ての感情を体の動きのみで表現している。
そして、その姿を生で見ている観客は昴のみだった。それもカメラを操作しながらなので、完全な観客とはいえない。それでも、キアラが布を大きく翻し、地に伏せて踊りを終了させたときには拍手を送った。
「今までで、一番良かったぞ」
昴の素直な賛辞に、キアラは少し照れくさそうに笑った。
「いろいろ考えてたんだけど、踊ったらすっきりしたわ」
「では、元の世界に帰ってもらえますか?」
突然の暗夜の声に昴もキアラも驚かなかった。
キアラが暗夜のほうを見て返事をしようと口を開いた瞬間、セレナが飛びついてきた。
「すごく、すっごく綺麗だったよ。もう、見ててなんだか……」
と最後のほうは言葉にならず、セレナは紺碧の瞳を潤ませながらキアラに抱きついた。
これには昴とキアラだけでなく、暗夜まで驚いた。
仕事中だというのに、何故ここまで感情のコントロールが出来ないのか?
暗夜は無表情のまま、無造作にセレナをキアラから引き剥がす。
「あー暗夜のいじわる」
感動の余韻に浸っていたかったセレナの抗議を無視して、暗夜は再びキアラに訊ねた。
「元の世界に帰りますか?」
キアラは瞳からコンタクトを外すと、銀髪を掴んで思いっきり引っ張った。金瞳が黒瞳になり、銀髪のカツラの下からは黒髪が現れた。
黒瞳と短い黒髪姿で白い布を優雅になびかせながら、キアラが昴の隣に立つ。
「帰らない」
キアラの確固たる明確な返事。暗夜は説得が無理だと判断して強硬手段にでようとした時、昴がキアラの首に手刀をあてた。




