暗夜の憂鬱
異世界に転移したことを少年の記憶から消した暗夜とセレナは少年を元の世界に戻した後、自分たちの世界にある時空間管理局に還っていた。
時空間管理局とは異世界転移や時間移動によって生じる問題や混乱を防ぐために作られた組織であり、元々は時空間移動の方法を発見、安定した移動方法を開発した初代が設立したものだった。
現在も時空間移動については随一の技術と情報力を持っており、時空間移動ができるだけの技術力がある世界との情報共有、管理、調整役などをしている。
暗夜とセレナは仕事内容を報告するために時空間管理局の事務室に来ていた。
二人は事務室内の個室に入ると、腰に付けている小さな箱からカードを取り出して壁に刺した。
『報告確認。全身状態オールグリーン。問題なし』
どこからともなく聞こえてきた合成音に暗夜が軽く力を抜く。これだけは何度経験しても慣れない。もし問題があれば詳しい検査と詰問が待っている。
それを分かっているのかセレナも真面目な顔のまま無言だ。いつもの可愛らしい笑顔も声もない。
『何か問題や質問はありますか?』
「「ありません」」
二人の声が見事に揃う。
『お疲れ様でした』
声とともにドアが開く。二人はそろって個室から出て行った。息が合ったその姿は、まるで長年組んでいるベテランのパートナーのようだったのだが……
「やればできるじゃないですか。普段もあの様に静かにしていて下さい」
暗夜の嫌味にセレナが歩調を速める。
「あれは五分間だけの魔法なの」
セレナの後を暗夜が早足で追いかける。徐々に二人で徒競走をしているような光景になっていく。
「そんなこと言って、本当は面倒なだけじゃないですか?」
痛いところをつかれ、セレナの言葉が少し詰まる。
「うっ……あ、暗夜こそ。仕事では私の先輩なんだから敬語はやめてよね」
「あなたは私より年上なのですから、敬語で話すのは当たり前です。あなたこそ敬語を使ったらどうですか?」
暗夜の言葉にセレナの足が止まる。突然のことに、後ろを歩いていた暗夜の足も止まる。
セレナは暗夜の方へ振り返ると、ベッと舌を出した。
「いやよ。年下に敬語なんか使ってられないもん」
セレナは体を反転させると、今度は走り出した。
「廊下は走らないで下さい! あなたの評価が私の評価にも影響するんです!」
セレナを捕まえようと暗夜も走り出す。
「あー暗夜が廊下走ってる! いけないんだー」
ケラケラと笑いながら走るセレナに、暗夜はいつも無表情である顔の口元を少し下に歪めた。
「こんなことをしているから、いつも実年齢より十歳も若く見られるんですよ!」
「八歳よ! 暗夜こそ、いつも十歳も老けて見られるじゃない!」
「そんなに老けて見られません! せいぜい五歳です!」
セレナと暗夜が目の前で言い争いながら走り去っていく姿を見て、立ち話をしていた二十代後半~三十代後半ぐらいの二人組みの男が質の悪い笑みを浮かべた。
「最年少で時空間管理人になったエリート様でも、年上の女には勝てないようだな」
「いや、ママが恋しいだけじゃないか?」
「そりゃ、言えてる」
そう言って男達が笑い合う。実力ではどうやっても暗夜に勝てない男達の妬みだった。そこに冷めた視線が突き刺さる。
男達がゆっくりと視線の主へと顔を向けると、そこには二人の目の前に深い紺碧の瞳でまっすぐ見つめてくるセレナがいた。
その瞳を前に男達はまるで幽霊でも見ているかのように呆然と一歩下がった。
暗夜のことについて笑った時、男達とセレナの距離は軽く五十メートルはあった。にもかかわらず、セレナは始めからそこにいたかのように目の前に立っている。息も乱さず、怒った表情で男達を見ている。
息を飲む二人にセレナはグッと詰め寄った。
「それが大人の言う言葉!? それとも、あなた達は言っていいことと悪いことも分からない程、子どもなの!? それに……むぐっ……」
暗夜に口を押さえられ、セレナは両手をバタバタさせて抵抗する。しかし、それも虚しくセレナは暗夜に腰をつかまれると肩に担ぎ上げられた。
「失礼した」
暗夜はそれだけ言うと、暴れるセレナを肩に担いだまま廊下を歩き出した。
「なんで止めるのよ!」
「ああいうのは、無視していればいいんです。いくら童顔のあなたでも、それぐらいのことは人生の中で学んでいるでしょう?」
セレナは萎んだ風船のように俯いた。
「それでも……悔しいんだもん」
「だからと言って喧嘩を売っていい理由にはなりません」
「はぁーい」
セレナは暗夜の肩に担がれたまま、渋々大人しく返事をした。暗夜は平然と前を向いて歩いて行く。
こういう予定ではなかったのだが……
暗夜は日常的になってしまったため息を吐いた。
時空間管理人はほとんどが時空間管理局直属の学校の卒業生であり、その中でも成績上位者がほとんどだ。たとえ直属の学校の卒業生でなくても、時空間学会で名が知れているぐらい有名な研究者でなければなれない。
ところがセレナは学歴不明、今まで時空間管理人とはまったく違う仕事をしていたという。それだけでも前代未聞なのだが、それでいて時空間管理人の資格試験はトップクラスで合格している。
素性は不明だが、それだけ有能であるならパートナーになっても仕事で足を引っ張られることも、現在の自分の評価を下げることもない。
そう考えて暗夜はセレナとパートナーを組むことを承諾したのだが……
書類には二十四歳と書かれていたが、実際に会うと、外見中身とも十代半ばにしか見えず、思わず本人に質問していた。
「二十四歳? 十六歳の間違いでは?」
「なに言ってるの? 十六歳で時空間管理人の資格試験に合格なんてできないよ」
十四歳で資格試験に合格した資格取得最年少記録を持つ暗夜を目の前に、セレナはカラカラと笑いながら言った。ちなみに現在でも暗夜の最年少記録は破られていない。
あの時、すぐに断っていれば……
パートナーを変えてほしいと訴えてはいるが、他のパートナー候補もおらず、お守り役として現在まで続いている。
暗夜が後悔という二文字が残る記憶に蓋をしていると、左腕に装着している携帯端末が光った。
「先に上がって下さい」
暗夜がセレナを肩から降ろす。
「どうしたの?」
「呼び出しです。お疲れ様でした」
暗夜が質問を許さないという雰囲気で話を切って颯爽と歩き出した。
「また厄介な仕事を押し付けられるのか……定時で上がれると思ったのに」
即帰宅したくなったが、どうにか我慢して歩く。上層階の角部屋にある執務室の前に立つと、名乗る前にドアが開いた。




