誇りとは
「でも、ついて来ちゃったんだ」
セレナの言葉に暗夜が苦い表情で頷く。
振り切るつもりで本気で走ったのだが、青年は意外にしつこく追いかけてきた。暗夜の後ろには息を切らした青年が笑っている。
「いやー、にいちゃん達のおかげで無事に逃げれたよ。ありがと、ありがと」
そう言いながら青年が何事もなかったように少女の手を引いて歩いていく。
「はい、そのまま逃げないでね」
セレナが青年の肩を掴む。暗夜は探るように少女の顔を見た。
「キアラ・シュナーツ氏……ですか?」
疑うような暗夜の視線に、少女は怒ったように声を出した。
「そうよ! 私がキアラ・シュナーツよ! なんか用?」
キアラの迫力に圧され、暗夜が一歩下がる。代わりにセレナがキアラの前に出てきた。
「元いた世界に還りたくない?」
セレナは軽く訊ねたが、キアラの黒瞳の瞳孔の大きさが変わる。コンタクトなどで瞳の色を黒く変えているのではなさそうだ。
「還れる……の?」
「うん」
セレナがしっかりと頷く。
キアラが慌てて青年のほうに向くと、青年は笑ってキアラの背中を叩いた。
「よかったな」
「……いいの?」
呆然とするキアラに青年が笑顔をむける。
「還りたかったんだろ?」
キアラの顔が真っ赤になる。
「私が一度でも還りたいって言った!? 昴のバカ!」
キアラはそう叫ぶと、その場から走り去った。
「ちょっと待って下さい!」
暗夜が慌てて後を追う。だが、セレナは走っていく二人の姿を見送るだけで動く様子はない。
青年が不思議そうにセレナを見る。
「あんたはキアラを追いかけなくていいのか?」
「ちょっと気になることがあって。私はセレナ。あなたは?」
にっこり微笑むセレナに合わせて青年も笑う。
「昴でいいよ。気になることって?」
「国家反逆罪って何をしたの?」
「何もしてないよ。……今のところはね」
昴の黒い瞳が鋭く光る。
「これから何をするつもりなの?」
「んー秘密」
二人がニコニコと笑い合う。
「……五人だね」
昴の呟きにセレナは笑顔のまま訊ねた。
「さっきの人達?」
「違うね」
「んー、なら私が目的なのかな? 昴は避難しててね」
セレナが服の下に隠していた銃に手をかけると同時に黒色の防護スーツで全身を包んだ人間が襲い掛かってきた。
暗夜は建物の角を曲がったところでキアラの肩を掴んだ。
「待って下さい!」
大人しくキアラの足が止まる。
「どうしたのですか?」
暗夜の問いにキアラからの返事はない。
「還りたくないのですか?」
キアラは顔を上げると黒い瞳でまっすぐ暗夜を見た。
「……あなた、私がキアラ・シュナーツだってわからなかったよね?」
暗夜が無表情で頷く。
「でも、これが本当の私なの。だけど誰も本当の私を見なかった。着飾ったマネキンのような私しか見なかった」
黒い瞳にうっすらと涙が光る。
「そんなところに、あなたは還りたい? 本当の自分を見てくれない世界に還りたい!?」
暗夜の視線がキアラから周囲に移る。暗夜は返事をするかわりにキアラの頭を押さえつけた。両手にサイレンサー銃を持ち、建物の影に向かって撃つ。
「このままここで伏せていて下さい。絶対に動かないで下さい」
暗夜は地を這うように低い姿勢で目標に向かって走る。ほとんどの銃弾が頭上を飛んでいくが、中にはそうでないものもある。体に命中しそうな銃弾もあるが、暗夜はそれを走りながら撃ち落としていった。
その姿に暗夜に銃を撃っていた男達が硬直した。生身の人間がどうすれば銃弾を目で確認して、しかも撃ち落せるのか。防御を念頭に置いた攻撃方法だが、とても人間業ではない。
驚きのあまり動きが止まった男達の耳に次の指示が出る。
男達は少しずつ建物の中に入ろうと移動を始めた。だが建物の中に入る前に、横や後ろから飛んできた銃弾に手や足を貫かれ動きを封じられていく。
撃たれた男達は皆、銃弾の飛んできた方を見たがそこは壁だった。次に暗夜の位置を確認するが、狙撃出来る位置にはいない。
だが実際、暗夜がサイレンサー銃を撃つたびに男達の呻き声があがっている。
次々と負傷していく部下の姿に指揮官は素早く撤退命令を出した。
「こんな話、聞いていないぞ。ただの時空間管理人ではないのか?」
指揮官が思わず本音を洩らすと背後から足に衝撃と激痛が襲った。
「動くな」
声とともに額にサイレンサー銃を突きつけられる。
「どうやって背後から撃った? 他に仲間はいないはずだ」
指揮官は背後から撃ち抜かれた足を押さえた。致命傷ではないが血は止まらず手を赤く染めていく。
暗夜は黒色の防護スーツで全身を包んだ指揮官の言葉には答えずに当然の質問をした。
「何者だ?」
周りから聞こえていた呻き声は消え、静寂が周囲を包む。気配も完全に消えていることから、部下は命令通り撤退したようだ。
暗夜は指揮官が逃げられないように時空間移動装置を左手のサイレンサー銃で撃ち抜いた。
「話したくないなら、それでもいい。一緒に来てもらう」
暗夜が拘束具を取り出し、指揮官の腕に付けようと手を伸ばす。狙った相手に捕まるというのに指揮官の表情は変わることなく、それどころか不敵に笑った。
その表情に暗夜の手が止まる。指揮官は奥歯を強く噛むと、そのままその場に倒れた。
「おい!」
暗夜が声をかけるが反応はない。呼吸と心臓が停止している。
「しまった……」
自害した指揮官の前で暗夜の脳裏には評価が下がることや後処理の問題より、可愛らしい声で永遠と怒り続けるであろうセレナの姿が浮かんだ。
暗夜はため息を吐くと隣に歩いてきていたキアラを見た。
「ケガはありませんか?」
キアラは暗夜の声が耳に入っていないかのように立ち尽くしている。
「どうして……? どうして死んだの?」
キアラの質問に暗夜は当然のように答えた。
「情報を守るためです。自分が捕まることで、いろいろな情報が敵に流れます。そうなる前に死を選んだだけです」
二人の前で死体となった指揮官の体が溶けていく。
その光景にキアラは小さな悲鳴をあげた。
「死体にも情報はあります。全てを残さない。それが重要なんです」
体が消えた後、持ち主を追うように服や銃も溶けていく。
「だからって……死ぬことないのに」
「ここで死ななければ、あの男は死より辛い生を生きることになったかもしれません」
「死より辛い生……」
キアラが言葉を噛み締めながら呟く。
「はい」
男は死ぬ前に不敵に笑った。その瞳に恐怖や恨みはなかった。自分の生き方に誇りを持ち、悔いのない死を選んだ強い意志を持った瞳だった。
「誇りを失って生きることに、なんの意味がありますか?」
「誇り……」
暗夜の質問にキアラは答えることが出来なかった。
暗夜が周囲を見渡す。
男の持っていたコンパクトな時空間移動装置、武器、防護スーツのデザインから考えて、襲ってきたのは十中八九、時空間軍だろう。だが、何故自分が襲われたのか。いや、襲うというより、建物の中に誘導して長期戦を狙っていたような…………
そこまで考えて、暗夜はもう一つの仕事を思い出した。
「セレナ!」
叫ぶと同時に暗夜の足は走り出していた。




