暗夜とセレナの裏の顔
暗夜は廊下に出るとセレナの方を見た。
「荷物は全てまとめていますか?」
「うん。いつでも還れるよ」
予想していなかった二人の言葉にリュノンが慌てる。
「まだ、あと一日居られるんですよね?」
「先ほどはそう言いましたが、実際この世界からの侵入では完全に偽装は出来ませんでした」
「すぐ還って仕上げしないといけないのよね」
セレナが眠そうな目を擦りながら欠伸をする。
「では、お二人にお知らせしないと」
部屋に戻ろうとするリュノンをセレナが慌てて止める。
「いいの、いいの。二人には黙ってて」
「ですが、お二人が還られた後、この世界はそちらの世界との移動経路を封鎖します。もう二度と会えなくなりますよ」
セレナが自信を持った顔でニッコリと笑う。
「そんなことないと思う。近いうちに、また会えるよ」
「そう言われましても……」
リュノンが言葉を暗夜が止める。
「そちらの世界が安定すれば交流も始まるでしょう。あとはお願いします」
「またねー」
手を振るセレナの腕を暗夜が掴む。二人の周りの空間が波打ち、陽炎のように姿を消した。
二人の移動先は机と数台のパソコンが並んでいる質素な部屋だった。
「ここは?」
部屋を見回すセレナに暗夜が机の引き出しを開けながら言った。
「自分の個室です。時空間管理局に気付かれないように特殊な経路を通って還ってきましたので、この部屋には誰もいないことになっています。作業が終わるまでは、この部屋から出ずに大人しくしていて下さい」
時空間管理人にはデスク業務用として中央棟に個室が用意されている。セレナの個室もあるが、二人ともお互いの個室には入ったことはなかった。
暗夜が机の引き出しから顔半分を覆う大きさのゴーグルを取り出して、パソコンから延びている十数本のケーブルを繋げていく。
「なんか手伝うことある?」
暗夜は黒縁眼鏡を外すと、重そうなゴーグルを顔につけながらセレナの方を向いた。
「メインコンピューターへの侵入に集中しますので、誰かがきたら足止めして下さい。と、言ってもここには誰もいないように偽装していますので、訪れる人はいないでしょうけど」
「うん、わかった。それにしても、なんか凄い格好だね」
暗夜のつけているゴーグルからケーブルが髪のように全身を覆ったあと床に這っている。
「時空間管理局のメインコンピューターへの侵入するんですよ? これでも心もとないぐらいです」
暗夜はそう言いながら椅子に座ってパソコンの電源を入れた。
「これで心もとないの?」
驚くセレナに対して暗夜が平然とした声で答える。
「直接、精神を電脳空間に接続しますから」
暗夜の説明にセレナが慌てて暗夜からゴーグルを奪った。
「危ないよ! もし攻撃をうけて傷ついたら……最悪の場合、死ぬんだよ!」
それは肉体的な死ではなく、精神的な死を意味している。精神を繋げることで素早く思い通りに操作できるが、精神は無防備であり攻撃をうければ直接傷つく。
セレナは俯いて両手に持っているゴーグルを見ながら言葉を続けた。
「それに、法律でも禁止になったばっかりだし……」
近年、精神を電脳空間に接続したことが原因による死亡者数が上昇しており、政府は精神と電脳空間の接続を禁止する法律を施行したばかりだった。
暗夜はセレナを説得する様子もなく淡々と語った。
「不正に侵入する時点で立派な違法行為です。ですが、これぐらいしないとメインコンピューターには侵入できません。それとも、お得意の勘は私が死ぬと言っていますか?」
セレナは顔を上げて紺碧の瞳を丸くしたが、すぐにいつもの笑顔で暗夜にゴーグルを返した。
「早く帰ってきてね」
「わかりました」
暗夜は無表情で受け取ると再びゴーグルをつけて深く椅子に座った。そして深呼吸をするとゴーグルについているスイッチを押した。
ゴーグルに電脳空間の映像が流れる。同時にザワザワと体の中に何かが入ってくる奇妙な感覚に襲われた。
この奇妙な感覚を好み、この感覚を味わうためだけに精神を電脳空間に接続する人もいるという。だが、暗夜は体の一部を取られるようで、この感覚は好きではなかった。
精神が安定すると暗夜は時空間管理局のメインコンピューターの中へと移動した。最初は偽造IDで簡単に侵入できたが少しずつ警備が厳しくなっていく。
「ここらが限界か」
ある程度メインコンピューターの内部に入ったところで、暗夜はプログラムを流した。
ゴーグルに映っていた映像が消え、映像を構成していた電脳言語が隙間なく並ぶ。その中の一部の電脳言語が雪崩のように崩壊し、メインコンピューターまでの道を作った。そこにゴーグルの端が赤く点滅して、時空間管理局の防御プログラムが発動したことを報せる。
「予想通りだな」
暗夜がもう一つのプログラムを発動させると、ゴーグルに蛇のような形をしている電脳言語が現れた。蛇の形をした攻撃プログラムは周囲の電脳言語を文字通り食べていく。
そこにメインコンピューターの防御プログラムが現れた。それは電脳言語が並んでいるだけの四角い布のような形だった。すぐに暗夜の発動した攻撃プログラムが喰らいつくが、防御プログラムは大きくなり、蛇の形をした攻撃プログラムを全て包み込もうとする。
暗夜は二つのプログラムの攻防戦を見ながら、メインコンピューターの中心部までの道を進んだ。
セレナは机の端に座り、床に届かない足を空中でブラブラと動かしていた。暇そうにしていながらも視線は壁や窓、ドアなどにさり気なく動いて周囲を警戒している。
そこに突然ドアが開き、時空間管理局の制服を着た男性が入ってきた。年齢は五十代前半ぐらい。白髪混じりの髪と、顔に深く刻まれたしわが男性をより厳格な人間に見せる。
セレナはその男性の姿を見るなり、机から飛び降りて硬い表情で敬礼をした。
「ノルア准将、お久しぶりです。軍服姿でないので見違えました」
「久しぶりだな、セレナ少佐。覚えていてくれて嬉しいよ。まあ、そう硬くなるな。軍の立場上、私が上官になるが君は命の恩人ではないか」
セレナは敬礼していた手を下げて笑顔になるが、それは口元だけで作られた笑みで、いつもの無邪気な様子はない。
すました笑みのままセレナは訊ねた。
「どういったご用件しょうか?」
「話が早くて助かる。君が任務で先程までいた世界の情報がほしいんだ」
前置きのないストレートな要求にセレナは少しの沈黙を作って答えた。
「私があの世界に行っていたという情報を、こんなに早く得られるほどの情報網をお持ちであるノルア准将に、改めてお教えできる情報などあるかどうか……」
渋るセレナにノルア准将は詰め寄った。
「君も知っているだろう? あそこは危険指定世界、特一級になっている。軍としても、あの世界の情報は必要不可欠なのだ」
「そう言われましても……」
と、言いかけたところでセレナはふと思い出したように話題を変えた。
「ところでノルア准将、許可証はお持ちですか? 准将とはいえ、時空間管理人から情報を得るには時空間管理局からの許可証が必要ですよ」
ノルア准将が眉間にしわをよせながらも、ぎこちない笑顔を作る。
「みずくさいことを言うな。私と君との仲ではないか」
セレナは口元の笑みを消してキッパリと言った。




