鏡よ、鏡
「あんなに広くて手入れの行き届いた庭園、初めて見たよ」
バルコニーから部屋に戻りながら、隣のロザリンドに声をかける。
ロザリンドは私のマントを頭からすっぽりかぶって、顔だけ出した状態だったけど、はにかんでいるのが全身から伝わってくるような様子だった。
「見たことのない花ばっかりだったけど、あれは誰が手入れしてるんだろう」
「庭の手入れは園丁の仕事です。ただ、薬草の温室だけはガブリエラ様が手入れをなさっています」
「ガブリエラが? あまり園芸が好きなタイプには見えないのに」
「ええ、ただ魔法薬の材料として栽培している薬草は園丁に任せるわけにはいかないとご自分でお世話なさっておいでなのです」
「へえ……」
魔法薬。
ファンタジーな響きに、今更ながらにドキドキしてきてしまう。
これまで普通の女子高生だった私が、気が付けば魔王になっていたとはいえ、特に実感があるわけでもなかったし。
「そういえば、この屋敷に鏡はある?」
「鏡?」
「できれば大きいのがいいんだけど」
「魔法に使われるのでしょうか?」
「いや、そうじゃなくて、普通の」
魔王の姿を客観的に見たことがないから、実感がわかないところもある。
鏡でもあれば全身見られるんじゃないかと思ったんだけど。
「それでしたら……あの窓を鏡にしてはいかがでしょう?」
「窓を鏡に?」
現代日本の窓ガラスに比べると透明度も低くて、あまりつるつるしていない質感の窓は、よく磨いても鏡の代わりにはなりそうもない。
「魔法もお忘れになられましたか? 初歩の魔法なのですが……」
ロザリンデは不安そうに眉を寄せながらも、近くの窓に近づいた。
そして小さく華奢な手で窓を撫でる。
「“シュピーゲル”」
その言葉が合図になったかのように窓が一瞬輝いた。
そして次の瞬間には、窓は鏡のようになっている。そこにはロザリンデと、おそらく私であろう大柄の男が映っていた。
魔王なんて言うからもっとゴツゴツとしていて、怖そうな外見をしているのかと思っていたけど、そうでもなかった。
シャルロッテたちのように色黒で、長い耳を持ち、頭にはねじくれた角をはやしている。黒に近い灰色がかった長い髪をゆったりと垂らした、鋭い金色の目の優男だ。
ほっそりとした身体つきだった。コスプレをしたモデルだと言われても信じそうなくらいだ。
「どうされました?」
じっと鏡を見つめていた私に、ロザリンデが不安そうに尋ねてくる。
「ああ、いや、自分の顔も忘れてしまっていたんだ」
「そうでしたか……」
ロザリンデがホッと息を吐く。
このまま、いつまでごまかし続けられるんだろう。私には魔王の記憶も何もないっていうのに。ちょっと不安になってくる。
「そうだ、ロザリンデ、君は他の子たちみたいに支度をしてこなくていいの?」
「はい、私は金銀も輝石も持ってはいませんし……申し訳ございません、魔王様。私も他の方々のように、着飾ることができればよかったのですが……」
「そんな、謝らなくても」
ごまかそうとしただけなのに、悪いことを言ってしまった。
何かなぐさめられないかと思うけど、魔王の服には色々飾りはついているものの、女の子の装飾品になりそうなものはない。
一番ドレスに近いのは、さっきロザリンドに貸し与えたマントだった。
ベルベットみたいな質感のやわらかなマントには、艶のあるマントと同色の糸で全面に刺繍がほどこされている。
「……そうだ」
安全ピンでもあれば、ちょっとした工夫で彼女にドレスを作ってあげられる。
何しろ私は日本にいたときには演劇部に所属していた。特に有名でもなく、部費もそう多くもらっていない演劇部では、色々なものを手作りしていた。
もちろん、衣装も手作りだった。
可愛いとは程遠い私は男役をすることが多かったけど、ドレスを作るのは私の仕事だった。
ただ、きちんと作ろうと思ったら、それなりに時間がかかってしまう。
だからあくまで、今回は急ごしらえのワンピースだ。
元は一枚の布でも、巻き方や結び方を工夫すればワンピースにできてしまう。
今回は首のところで結んでホルターネック風にすることにした。
「あ、あの……」
私の意図がわからないらしく、ロザリンデは戸惑った顔をしている。
「じっとしてて。あと、苦しかったら言ってほしい」
「はい……」
戸惑いは隠せない様子だったものの、私に逆らう気はないようだった。
動くように指示するとすぐに指示通りに動いてくれるのもあって、マントを使ったドレス巻きは簡単にできあがった。
「どう思う?」
ロザリンデを鏡の前に連れていく。
「まあ……」
驚いた顔をしていた。
それはそうだろうと思う。
さっきまではただのマントだったものが、今ではドレスになっているんだから。
ただ、元がマントだけあってどうしても地味ではある。
何かないかと考えて、私は自分の身に着けていた金の飾りを結び目のところにつけてやった。
「これは魔王様の新しい魔法ですか? さっきまで、ただのマントだったのに……」
「魔法じゃないよ、ちょっとした手品みたいなものかな」
「そんな、ご謙遜をなさらないでください。さすが魔王様です、マントからこのようなものを作られるだなんて」
きらきらとした目で鏡越しに見つめられ、なんだか居心地が悪くなった。
そこまで褒められるようなことをしてはいないと思うんだけど。
「あら、ロザリンデ。今日は醜いその白い肌を隠すことにしたのね? 何を飾っても、その醜い肌の色は変えられませんものねえ?」
そこに、後ろから声がかかった。コルネリアだ。
薄く化粧をした彼女は、繊細な金銀のアクセサリーで身体を飾っている。
「どうせなら全身隠してしまえばいいのに」
続いて姿を現したのはガブリエラだった。
豊満な身体を見せつけるように、大ぶりの宝石が胸元や腰を飾っていた。
「そんなこと言わなくたっていいじゃないか、だいたい肌の色が白いくらいで……」
「魔王様おやめください、仕方ないんです」
言い返そうとした私を、ロザリンデが止める。
目に涙を浮かべて見上げられると、どうしたらいいのかわからなくなる。
でも、きっと彼女たちの口ぶりからして、ここでは肌の色が黒いのが“普通”ということなんだろうけど、どうしてロザリンデがここまで委縮してしまっているのかわからなかった。