ぷるぷる、ボク悪いスライムじゃないよ。人を捕食するだけの美味しいスライムだよ。
並木道を通って学校へと辿り着く。村育ちである俺の想像力ではとても予想出来ない広大な土地に築かれた建築物の数々に圧倒され、許可証も無く彷徨いていたら警備員さんに捕まってしまった。
ミュレリッツの人間である証しと、じっさまからの手紙を取り出してなんとか連行は免れたが、厳重注意を受けてしまう。
「これからは紛らわしい行動は控えてくださいね。ここ最近は不審者の目撃証言が多発していて、みなさんピリピリしていますから」
「うっす。気を付けます」
悄然として俯きながら、しおらしい振る舞いを見せる。
事務のお姉さんはこれで納得してくれたのか、じっさまの手紙を机の引き出しに仕舞うと、代わりに何かの札を取り出した。それにサラサラと何事かを書き込むと「はい」と渡してくる。
「手紙はわたしの方から校長へと届けて置きます。本来なら案内の者を付けるのですが、何分、卒業式や入学式の準備に出払っていまして」
「迷子になったらまた警備員さんのお世話になります」
お姉さんは呆れたように苦笑した。
「余り彼等の手を煩わせては行けませんよ。この学校を守るのが彼等の仕事です」
「うっす。気を付けます」
やんわりと嗜められてしまった。
札には俺の名前と日付、そして事務のお姉さんのものらしき名前が記入されていた。紐が通されていて、首から下げる物らしい。
「まだ授業中ですから、生徒の集中を阻害しないよう、お願いしますね」
最後にそんな注意を貰い、静かに事務室を辞する。
二時間程隈無く散策し、学校の全体像は掴めた。
校庭とか体育館とか、村では見られない建物は新鮮で、思わず隅々まで見て回ってしまった。男子トイレから女子トイレまで、それはもう、隈無く。
そして、個人的に滅茶苦茶気になる場所は図書室である。
貴重な紙媒体の書籍がずらりと並ぶ知識の宝庫である。
絶対時間食うから最後に回した場所である。
わくわくしながら戸を開く。独特な匂いが充満する室内。入り口のすぐそこには受付らしきカウンターがあり、そこでは一人の女子生徒が静かに読書をしている。
青みがかった髪を短く切り揃え、眼鏡を掛けた女子生徒。
そんな彼女と目が合った。
「…………ご自由に」
女子生徒の視線が俺の胸元にある札を捉えると、不信感にまみれた目から警戒心が薄れていった。
歳の程は少年ぐらいだろうか。初対面なせいか、淡白な印象を受けた。
許可も貰えた事なので、遠慮無く見て回る。
途中、気になるタイトルを手に取るも、小難しい言い回しが多く勉強中の身には苦しいものがあった。
何故か料理本を見付けたので、読み耽てみる。
体の関節を解したり、トイレに行ったりと休憩を挟みつつレシピを暗記していると、気が付けば夕方だった。
「……しくった」
今日の内に帰るつもりが、うっかり時間を忘れていた。
片道徒歩半日。流石に今から帰る気力はない。
諦めて、昨日と同じところに泊まるとしよう。
料理本を閉じて本棚へと戻し、出入り口に足を向けると、女子生徒と目が合った。少しするとずれて、視線が逸れた先には先程の料理本がある。
女子生徒は、何かを言いたそうに、唇をもごもごさせている。
「料理は簡単なものからこつこつと、が基本だぞ。名も無き女子生徒さん」
「っ!」
言うと、女子生徒は頬を恥ずかしそうに染めてそっぽを向いた。
図書室を出るには女子生徒が居る受付カウンターを横切らねばならない。特に何を思うでもなく歩き出せば、自然と縮まる二人の距離。そして離れる二人の距離。
「……」
会話もなく、図書室を辞する。
学校の敷地を後にしてから、首から下げている札を思い出した。
日付が書かれている事から察するに、その日だけの許可証なのだろう。持って帰って処分する事が常識的な対応だろうけど、捨てるのはちょっと惜しい。
料理本のレシピを全て暗記した訳ではない。実際に作って試し、確認の為にもう一度読みたい所存である。
この札は、大切に保管しよう。
なーに、日付の文字は小さいし、堂々としてればバレないバレない。はっはっは!
学校から町へと続く一本道を終え、昨日泊まった宿屋は何処だったかなーとさ迷い歩いていると、背中から衝撃が襲ってきた。
何事かと見ると、エンドウマモル改め少年が後ろから抱き締めに掛かっている。
「どうしたよ、少年」
「……もうやだ。帰りたい」
覇気の無い、暗く沈んだ声音。
これは演技で出せる声ではない。なんの感情も、なんの心も篭っていない、ただの言葉。
虚しい響きを孕んだ声は、実に馴染み深いものだった。
前に回された手は赤黒い血に染まっていた。よく見れば少年の服は泥にまみれていて、何かから必死に逃げた事が窺える。
初めての冒険は、中々にバイオレンスだったようだ。
何度も言うが、世の中は優しくない。
何百、何千という新人冒険者。その内の何割が死に、何割が中堅となるのか、定かではない。少年が引き当てたパーティーは前者だった。それだけの事だ。ほの暗い眼差しの彼に言える言葉はただ一つ。
「よく、生き残った」
前に回された手に自分の手を重ねる。赤黒い汚れが移る事も気にせず、包むように握り込んだ。
昔、父さんにして貰った事だ。
温かく、大きな手に包まれて、お前はここに居る。ここにしっかりと存在している。父さんの力強い手から、そんな励ましを受けた気がする。
少年の手は死人の様に冷えきっていた。そんな手を、自分の体温を分け与えるように包むと、彼はえずき始める。
慟哭する少年を連れて道の端による。彼はえずきながら、とりとめの無い単語を漏らし続けた。
隠そうとしなければ、みんな救えた筈なのに。そんな呟きが、耳にこびりついた。
力が有っても無くても、儘ならない世の中だ。
日を跨いで、英気を養い、完全装備で森林へとやって来た。
依頼の内容はスライムゼリーの納品である。
岩男もそうだったが、魔物はコアを砕いても体はそのまま残る。魔物によっては残った部位にも需要があるらしい。レオンハルトなんかは鉄男で十分な旨味が出たそうだが、どうでも良かったから詳しくは聞いていなかった。
因みに、人を喰らうようなスライム程美味らしい。
「カロリー的な意味で?」
「カロリー?」
「いや、美味しい食べ物ってカロリー高いし」
少年は時々不思議な事を言う。
ギルドで軽くスライムについて調べた限りでは、奴の弱点は魔法全般らしい。その中でも顕著なものが火炎属性らしく、スライム系の依頼を受ける場合、他所のパーティーは必ず魔法師を連れ歩くとの事。
なお、斬撃や打撃は効果が無いか薄いかのどちらかしかない。まさに俺の天敵である。
「まぁ、属性付与された武器なら楽勝らしいけど」
「おじさん、騙されるな。文字だけ見るとスライムは雑魚に見えるけど、あいつ等は手強い」
リベンジマッチであるからか、少年の瞳はギラついている。
スライムに刻まれたトラウマは、スライムを倒す事で克服しよう大作戦のつもりだったが、この様子なら放っておいても問題なさそうだ。
「粘液系なら村の廃坑で何度か潰してるが、少年がそう言うなら注意しよう」
「ホント気を付けてよ? おじさんまで死んだら俺発狂するからな? この国滅ぼすからな?」
「おー、ぶっちゃけ野性動物の方が手強い気がするけど、うん。死なないようにおっちゃん頑張るよ」
「分かってない。おじさん全然分かってない! スライムって擬態するからな!? 気を付けながら歩いてたのに下から捕食されて溶かされてたんだからな!?」
「これだろ?」
と、戦棍の先で二歩前の地面を指し示す。
ぱっと見なんでもない道無き道である。一見するとただ腐植土だが、比較して見ると物凄く分かりやすい。
「……全然分かんないんだけど」
「えぇー、良く見ろって。ほら、他と違って表面がゼリーみたいだろ?」
「え? んー? ……全く分からん」
どうやらスライムの擬態能力は高性能らしい。個人的な事を言ってしまうと、こんな杜撰な擬態に騙される人なんて居るのか疑問なのだが、たんに廃坑に出た粘液魔物で慣れているせいだろうか。
「いいか? このスライムの表面は付近の地面を模してる訳だ。だから、表面と全く同じ地面の僅かな盛り上がりや腐植土の形を探すの、これ」
スライムが模したらしき地面とスライムの表面を戦棍で指し示しても、少年は難しそうに首を傾げている。
「言われて見れば分かる様な、分からない様な。……いやその前にさ、なんで気付けるかって話な訳だよおじさん」
「あー、ちょっとした違和感、みたいな?」
「分かった。俺じゃあ理解できない何かがあるんだと理解した」
「何その分からないけど分かったみたいな言い回し」
「講義はもういいよ。この腐れスライムッ! ファイヤー!」
少年の声に応じて掲げられた手から炎が放たれる。煌々と放射された炎は網膜に甚大なダメージを与えると共に、スライムを蒸発させた。後に残るは、焼け焦げた地面である。
目が、目が痛い。
そして、べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、と粘液の塊が何やら高い場所から落ちたような音が断続的に耳朶を響かせる。
物凄く、嫌な予感。
霞む視界でなんとか現状を確認する。
輪郭だけの判断だが、どうやら樹木の枝からスライムが落ちてきた様だ。今は少年が片っ端からファイヤーしている。この調子のままなら、一分も経たずに殲滅出来るだろうけど、魔物は総じて賢い。
岩男が合体して巨大化したように、スライムもまた巨大化出来る魔物である。
完全に治った視界に映るは、二メートルを越す巨大なスライム。人なんて丸飲みにしてやるぜ! と言わんばかりにぷるぷるしている。
一心不乱にファイヤーを浴びせる少年だが、スライムが蒸発する気配はない。十を越えるスライムのコアが透き通る体内でぷかぷかしている。恐らく、奴等は体積を凝縮させる事で炎自体を弾いているのだろう。熱すらも遮断する圧。少年では相性が悪い。
「なんで突然!? どうして効かないッ!?」
バカの一つ覚えの様に放射される炎を弾きながら接近するスライム。そのままのし掛かる様に上部を傾け始める。普通の冒険者、いや幾らか戦い慣れした者なら回避という選択肢を取るが、少年はただの少年だった。
「っ……!」
炎を放射したまま息を飲み、硬直している。
村の自警団がそうだった様に、訓練した訳でもない人間が死を目前にして咄嗟に動けるのなら、あぁも苦労はしなかっただろう。当然、父さんが死ぬ事も無かった筈だ。
少年が動く事はない。予め分かっている事ならば、自然と次の行動も決まる。
技能発動:急加速。
技能発動:強撃。
棍棒術技能発動:乱打。
融合します。
一歩目から全速力で少年の元まで駆け出し、勢いを付けて戦棍を両手で振るう。紅い輝きに覆われた戦棍と腕なら、スライムの吐き出す酸が直撃しても多少なら持つ筈だ。
間髪置かない五連打。それはスライムのショック吸収という特性と相性最悪な攻撃だが、全く意味がない訳ではなかった。
結果として、巨大なスライムを少し後退させる事に成功した。
名前:アルバート。
種族:人間。
職業:見習い戦士レベル5(適性値D)。
体力:G。
魔力:G(S+)。
攻撃力:G(武器攻撃力C+)。
防御力:G(部分防御力D-)。
敏捷:G(補整敏捷なし)。
熟練度。
斧:F-。
棍棒:A+(乱打)。
剣:D-。
盾:C+。
投擲:F+。
槍:F+。
弓:D-。
両手:B。
技能熟練度。
強撃:A-(ジョブレベル1)。
強靭:A+(ジョブレベル2 常時発動)。
鉄壁:E(派生技能 常時発動)。
筋力増加:D-(ジョブレベル3 常時発動)。
急加速:C+(ジョブレベル■)。
称号。
復讐する者。
家族を喪いし者。
レオンハルトの親友。
ネフェリとの絆(レベル1 補整魔力S+)。
鬼教官。
さてと、どうしたものか。
速度を乗せた全力攻撃が、僅かに後退させるだけである。これにはちょっとショックを隠しきれないアルバートさんだ。技能の重ね掛けなんてものは不正も良いところだから、反則なしの本気も本気、全力の全力よ。
視界の端に映るステータスログを流し見て、随分賑やかになったものだと感心する。見習いを卒業したら、熟練度の諸々がGまで戻ってしまうのだから、悲しいものだ。
結局のところ、AだのBだの有っても、そんなもの、見習いの枠内での話でしかない。なんの自慢にもならない、ただの目安だ。
唯一独立しているのは、レオンハルト印の武器防具ぐらいか。奴のレベルが上がったお陰か、前よりも装備の質は上がっている。どうにかこれで押し切りたいところだが、難しいだろう。
ぷるぷるした奴の遠距離攻撃をかわし、少年を庇いながらどう攻めるかと思案する。体液を飛ばしての酸攻撃は普通に脅威だ。煮詰めたハードレザーがじゅわじゅわと煙を上げて溶けている。
頑張れ防御力D-。お前なら耐えられる。
殴ってみた手応えからして、固くしすぎたゼリーみたいな奴である。衝撃は体内で吸収され、むやみやたらに打ち込んでも効果は薄い。かと言って、同じ場所に、時間差無しで攻撃する事は不可能だ。それこそ次元でも操らない限り実現できないだろう。
段々とこっちの動きが掴めてきたのか、酸がかする回数が増えてきた。それどころか計画的に追い込まれている気配すら感じる。早いとこ決断しなければ、完全に詰んでしまう。
魔法も駄目、打撃も駄目、斬撃は当然駄目。
話に聞くスライムと偉い違いだ。
ネフェリに怒られるから、重ね掛けはもう使わないつもりだったけど、四の五の言って居られそうもない。
「お、おじさん……」
少年が不安に満ちた声を絞り出す。
気付けば、巨大なスライム三体に囲まれている現状である。
一匹見たら三十匹ではないけれど、群れで行動するスライムである。こうなる事は、当然の展開だ。
想定出来る展開。予想して然るべき危機。
だから、俺の横には背の高い樹がある。
技能発動:急加速。
技能発動:急加速。
融合します。
少年を背に乗せ、樹を垂直に駆け登り、枝から枝へ跳躍する。
冒険者ギルドに報告すべく、脇目も振らずに町へと全力疾走である。
主人公が逃げては行けない、なんてルールはない、メンドイ。