14.人嫌いという呪いのはなし
ここまで読んでくださっている方にはお分かりのことだろうが、私は、人嫌いである。あまり関わらない人間ならば、正直、表面上のみだけならば友好的な関係を築けるのだが、近しい人間になると、無理だ。崩壊する。近しい人間は、私の場合、憎しみを向けられる人間限定となってしまう。
この感情をうまく説明できる気はしないのだが……嫌いだが嫌いになれないという複雑な状態が悪化すると憎しみに変化する。これは、とても苦しい状態だ。なにがって?心が苦しい。
まさに地獄である。なので、私は、親しい人間はつくりたくない。そして、出来るならばすみやかに死にたい。心をかければかけるほど、信頼は裏切られ、それらが憎しみに変わる。そんなことばかりだ。私は、そんな自分に飽き飽きしている。
私は、愛情が薄い人間ではないのだけれど、薄くないが故に、裏切られる率も半端じゃない。
自分がしたことに対して何かが返ってくるなどと期待はしていないが、あまりの失礼さに言葉を失ったことは一度じゃない。
クズはクズを呼ぶという類ともの法則が発動しているんじゃないかと思うほど、私はクズを呼び寄せて、私はクズに愛情を注ぎ、そして、クズは私を裏切り、私はクズを憎みそうになり苦しむ。
ここまでが一連のテンプレートとなっている。
そういった時は、私が選択したことなのだからと納得することにしている。納得できるものでもないが、無理やり納得し、憎まないようにしている。苦しいが、耐えるしかない。自分を呪っても仕方がないし、私の行動にも原因があるのだろうと納得する。そして私は、私を裏切ったクズよりもクズじゃないと納得しようとする。実際には、団栗の背比べかもしれないし、相手を責めない私の方が傍目から見れば、敗者でクズにみえるのかもしれないが、……そう思うことにしている。私の口が悪くなったのは出会ったクズたちとの影響だが……私は自分で言うのもなんだか、昔はとても素直で真面目で正義感の強い相手に合わせようと努力する子供だった。口の悪い人間に出会い矯正されていったのだ。不幸なことだと思う。やはり、心の闇は人の人生を変えてしまうという良い例だ。
話がそれたが。
私は、未だに人嫌いだ。いつまでもクズに出会い続けるからだともいえる。私は、呪われているのではないだろうかとも勘繰りたくなる。何故か優しそうに話している人間も私と数度話をするうちに私に彼や、彼女らのヒストリー及び人に見せない裏側の醜い部分まで吐き出そうとしてくるのだ。
彼らはいつの間にやら私にそう言ったことを吐き出してくる。私はそうして、また更に人嫌いとなるという寸法である。私は呪われているのかもしれない。
何に呪われているのかと聞かれたら答えられないが。
私は、すみやかに死にたい。




