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三話

 幼稚園から小中高大の一貫教育を敷くこの私立大名学園において、初等科から、中等科から、というように途中から入学する生徒というのは非常に珍しい。ほとんどの同級生が幼稚園から学校生活を共にし、中等科にもなれば同じ学年に知らぬ顔はないという程に全員が顔なじみとなる。

 もちろん転入学者はもっと少ない。多くても学年で一人か二人らしい。少なくとも俺の学年ではまだ一人もいなかったのではないか。

 卒業までずっと顔なじみの級友たちと共に切磋琢磨していくものだと、そう思っていた。今日までは。

 学園の中庭で二人組の不審者を撃退した翌日。俺は級友たちの視線が集まる教壇を、目を丸くして見上げながら、心の中でこう叫んだ。

 何でお前らが転入して来るんだよ。

「彼女たちが転校生の、クレア・ウィッチさんとアリス・ジャコランタンさんです」

 教壇に立つ背広姿の男性教員は顔中に笑顔を作って言った。先生の後ろにある黒板には、角張った片仮名で彼女らの名前が書かれている。

「それではお二人に自己紹介をしてもらいましょう。ではまず、ウィッチさんから」

「はい! ただいまご紹介に預かりました、クレア・ウィッチです。イングランドから留学してきたばかりで日本のことはまだよく知りませんが、皆さんどうぞよろしくお願いします!」

 大名学園の制服を着たクレアは深々とお辞儀をした。猫かぶりすぎだろ。普段の態度とまったく違うじゃないか。

「アリス、です。……よろしく」

 同じく制服姿のアリスは表情を変えずに言った。こっちは普段とあまり変わらない。

「二人はこれから皆さんと共に勉学に励んでいく大切な仲間です。日本に来てまだ慣れないことも多いと思いますので、皆さんもしっかり助けてあげてくださいね。では、二人の席は一番後ろの今川さんの隣に用意してありますので、そこに着席してください」

 先生が二人に座るよう促すと、クレアとアリスはゆっくりと席に向かい、座った。くっ、なぜか俺の隣に席が二つも増えていたのはそういうことだったのか。不審だとは思ったが、まさかそんな理由だったとは。気づけなかった。

 学級活動が終わるとすぐに、クレアとアリスは級友たちから質問攻めにあった。本当はすぐにクレアたちに話を聞きたいのだが、知った顔の多い教室内でいきなり接近するのは不自然なので少し待とう。

「ウィッチさん、イギリスから留学してきたんだよね。日本語上手だね。どこかで勉強したの?」

「あ、私のことはクレアって呼んで! 日本語は日本にいつか行ってみたいって思ってて、一生懸命、勉強したんだ!」

「ジャコランタンさんかわいい! お人形さんみたい!」

「アリス、です……」

「やあ、クレアくん。君はすごくかわいらしいね。彼氏とかいるのかい? 僕、佐竹産業の御曹司なんだけど、僕の彼女にしてあげよう!」

「彼氏はいないけど口説き文句の一言目に家の自慢をする人はお呼びじゃないです」

「オーマイガッツ! じゃあアリスくん! 君の肌はまさしく絹のごとく美しい! 僕の彼女になりたまえ!」

「やだ」

「ジーザス!」

 うむ、半分くらい何を言っているのかわからない。そもそもクレアが来たのは『いんぐらんど』という設定ではないのか? 何だ『いぎりす』とは。まあ何でもいいが、クレアが余計なことだけは言わないよう注意を払わねば。

「そういえば、クレアさんたちはどこに住んでるの? この辺?」

「うん。私たちは氏実の」

「クレアさん! 隣の席になったよしみだ! 校内を案内しましょう!」

 俺はとっさに立ち上がった。お前、何いきなり同居の件をばらそうとしているんだ。

「え、案内してくれるの? ありがとう、うじざ」

「初めまして、クレアさん! 今川氏実です!」

 俺はクレアの手を握り、言葉を制止した。もともと知り合いであることもばれると面倒なことになりそうだ。

「な、何? そのよそよそしい態度」

「いいから! 早く行きましょう! アリスさんも! さあ!」

 俺はさらに語気を強め、クレアに顔を近づけた。頼む。そろそろ俺の意図に気づいてくれ。

「は、はい……」

「では! 張り切って行きましょう!」

 俺はクレアの返事を確認すると、勢いよく教室を飛び出した。うむ、級友たちには逆に不自然に映ったかもしれないぞ。

 クレアとアリスを連れて、屋上に向かう階段の踊り場までやってきた。ここなら人もそんなに来ないはずだ。

「お前、いきなり秘密をばらしかけるなよ! というかそもそも何でお前らが転校なんてしてくるんだよ!」

「そ、それはその、何と言いますか……」

 クレアは下を向いて言葉を濁した。何だその態度は。今さらそんなしおらしくしたところで、お前の本性はもうわかっているんだからな。

「えっと、だから、その……」

「かぼ」

「む?」

 しばらくクレアがもじもじと答えを出し渋っていると、不意に俺の左肩に何かがぶつかった。すぐに確認すると、左腕にアリスがしがみついている。

「な、何の真似だ、アリス?」

 俺は裏返った声で聞いた。

「クレアだけずるい」

「な、何がだよ?」

「手」

「手?」

 俺は自分の手を確認した。俺の右手はしっかりと目の前の人物の右手を握っていた。いや、握り続けていた。

「お? おお?」

 数秒間、行動が止まる。俺の手とつながっている女性の手は極上の絹でさえも敵わない程に滑らかで透き通った白さだった。

「おおお!?」

 ふと我に返り、己の行動の恥ずかしさに気づいた。少しずつ体温が上がってくる。

「うわあ、すみません! べ、別にやましい気持ちとか、そう言ったものは一切なくて、とにかくすみません!」

 俺はとっさに手を放す。うう、何だか変な感じになってしまった。クレアの様子がおかしかったのも、もしかしてこれが原因だろうか? しかし何だこのさっきから止まらぬ動悸は。何だか息もしづらいぞ。

「だ、だいたいクレア、お前は何度も俺に触ったりしていただろ! 今さらそんなに恥ずかしがるな!」

「いや、だってあんな風に男の人に手を握られたことなくて、氏実が初めてだったから……」

「そ、そんなこと! ……そうなのか?」

 あれ、なぜだ? なぜ俺は少し安堵しているのだ?

「というかアリスはいつまで引っ付いているつもりだ!」

 今度は俺の左腕にくっつくアリスに顔を向けた。それでもアリスに手を離す気配はない。むしろ抱き付く力が強くなった気がする。表情もいつもは無表情だが、今は心なしか怒っているような感じだ。いや、正直ほとんどいつもと変わらないが。

「て、本題はそうじゃない。何でお前らが転校してきたんだってことだ」

 俺はやかましく鳴り響く心臓の鼓動を無理やり抑え込み、平静を装って話題を戻した。

「あ、うん、そうだね。理由はまあ、暇だったから以外には特にないんだけど」

 クレアは未だ紅潮した顔のまま言った。

「ああ、うん。そりゃそうだよな。聞いた俺が悪かった。じゃあどうやってこの学校に転入してきたんだ? お前らだけじゃ転校の手続きなんてできないだろ」

 だいたいこんな怪しい奴らをこの学校が簡単に入学させるとも思えないのだが。

「アリスがこの学校の校長先生に催眠術をかけて契約させました」

「催眠術って、お前そんなことができるのか」

「かぼ」

 アリスは俺の二の腕に顎を乗せ、上目づかいでうなずいた。アリスの瞳は吸い込まれそうな程の青さで、本当に催眠術でもかけられそうだ。実際にこうして正式に入学してきたのだから信じてもいいのだろう。

「じゃあ学費はどうするんだ? さすがにそれは踏み倒せないと思うが」

「給費生ってやつの枠が余ってるらしいから、それで何とか……」

 大名学園では各学年の成績優秀者二名が学費を無償にできる給費生制度がある。高等科二年の給費生該当者は知頼さんと影勝だったわけだが、二人とも断っている。というか毎年断るのが通例らしい。だからちょうど二枠開いているのだ。

「でも給費生ってかなり成績がよくないと駄目なんだろ?」

 二人がそんなに頭がいいとは思えないが……。

「大丈夫。英語とか得意だし、日本語もいっぱい勉強したから。大丈夫。きっと……」

 何か最後の方、自信なくしてなかったか。

「まあ、余計なことは口走らないようにしてくれよ」

 俺は小さくため息を吐いた。

「およ? 今回はあんまり怒らないの?」

「もうあきらめたよ。お前ら怒ってもどんどん面倒なことを巻き起こすし」

 あとまあ、何だ。あんまり怒るのもかわいそうになってきたからな。

「じゃあ私たちが大名学園に入学するのは氏実の公認ってわけだね」

「公認というか、まあそうだな。何度も言うが迷惑だけはかけないでくれ」

「うん、大人しくしてるよ!」

 クレアは元気に返事した。

「あれ? 氏実くんと転校生さんたち、こんなところで何してるの?」

 突然に背後から声がして、一瞬心臓が止まる。そして嫌な汗が体から一気に噴き出た。

 息を止めて振り向くと、そこには清楚で賢そうな女性がいた。知頼さんである。その周りには政美と影勝もいる。

「な、何でここに?」

 俺は震えた声で問うた。屋上は常に閉まっていて、普通は用などないはずだ。偶然通りかかるような場所でもない。

「もうすぐ授業なのに氏実くんがクレアさんたちと教室を出て行ったから、呼びに行こうかと」

 知頼さんは心配そうに言った。

「いつから聞いていました?」

「さっき来たばかりだから特には何も聞いてないけど……何か話してたの?」

「い、いや、何も話してないです!」

 俺はさらに余計な詮索をされないように強く否定した。よかった。何も聞かれていないなら問題ない。

「な、な……」

 俺が一時安心していると、知頼さんの隣にいる政美が何かに怯えたような声を発した。そして俺をまっすぐ見つめながら指差してくる。だから人を指差すな。

「氏実! あたしという許嫁がありながら、何だその左腕は!」

「え、ひだ……って、あ!」

 自分の左腕を確認し、子供のように俺にしがみつくアリスの姿を再度認識した。

「い、いやこれは誤解だ! 決して政美が思っているようなことではないぞ! アリス! ……さん! とりあえず今は離れてくれ! ください!」

 まずい。こうなった女性は手が付けられないと何かの本で読んだ気がするぞ。ああ、しかも知頼さんにまで見られているのか。

「うるさい! 氏実がそんな光源氏だとは思わなかったぞ!」

「光源氏って何だよ!」

 俺はあんな女たらしではないぞ。

「うう、だいたい何だよう、お前は!」

 政美は俺を指していた人差し指をアリスに向けた。アリスは表情を変えずに政美を見つめる。

「何だよう、その顔は! そんな勝ち誇ったような顔をするなあ!」

 え、表情変わったか? 俺には普段の顔との違いがまったくわからないのだが。

「ま、まあ政美さん、抑えて抑えて。もうすぐ授業も始まっちゃうから、とりあえず教室に戻ろうよ」

 影勝が政美をなだめた。

「うう、あたしは浮気なんて絶対、許さないんだからな!」

 政美は半泣きで叫んだ。いや、してないからな。完全に誤解だからな。

 その後、俺たちは政美を何とか落ち着かせ、教室に戻った。アリスは最後まで離してくれなかった。


 本日、金曜日の最初の授業は英語である。日本人なのになぜ海外の言語を学ばなければならないのかは疑問に思うのだが、学校の授業なので仕方ない。

「それでは今川さん、二十項の英文を音読してみてください」

 教壇に立った婦人の英語教師は優しげな言葉で俺を指名した。俺は一言返事をして教科書を手前に持ち、立ち上がった。

「てい」

「ちょ、ちょっと待ってください、今川さん。今、何と?」

「……『てい』、と言いました」

「ああ、なるほど、そういうことですか。わかりました」

 先生は一瞬、取り乱した表情をしたが、すぐにまた優しい教員の顔に戻した。

「これは漢字の『丁』ではなく『アイ』と読む英語です」

「え、そうなのですか? てっきり縦と横の棒の組み合わせだったので『丁』だと思いました。しかし文章の最初に『愛』がくるとは、英語もなかなか情熱的ですね」

「いや、この『アイ』は一人称を……いえ、何でもありません。いつまでもその純粋さを忘れないでください」

 何だか知らないが褒められた。

「氏実、英語ぼろぼろだね」

 俺が音をたてないように座ると、隣のクレアが小声で話しかけてきた。

「授業中にしゃべるなよ」

 俺は前を向いたまま返答した。

「真面目だねえ」

「では、そうですね。ウィッチさん、転校初日ですが読んでみてください」

「はーい」

 クレアが間延びした返事をして立ち上がった。

「アイルビーバック!」

「はい、正解です。さすがイングランドの留学生ですね。素晴らしい発音です」

 クレアは照れたように笑いながら座った。そしてまた小声で話しかけてくる。

「この通り、私は英語ぺらぺらなのです」

「よくわからないが、まあ先生が素晴らしいと言っていたからな。でも俺も褒められたぞ。何だか知らないが」

「いや、あれはたぶん皮肉……いや、何でもない。いつまでもその純粋さを大切にね」

 なぜだ。同じ言葉なのにこいつに言われると腹が立つ。


 ほとんどの内容が分からないまま英語の授業が終わった。二時間目は高等科の校舎に隣接する道場に移動して剣術の稽古である。

「へえ、この学校ってこんなことも習うんだ。変わってるねえ」

 少し大きめの白い道着と紺色の袴を着たクレアは、道場を見まわしながら言った。

「そうだね。他にも薙刀、槍術、弓術、馬術と、いろんなことを学べる。こんな学校は日本でも珍しいだろうね」

 影勝は笑いながら言った。

「え、剣術習うのって珍しいのか?」

「氏実くん、それ本気で言ってるの?」

「そうなのか!? どこの学校でも同じような稽古をすると思っていた……」

 一般教養だと思っていた。

「氏実くんの世間知らずも筋金入りだね……」

 影勝は少し呆れたように言った。

「でも私たちの予備の道着、大きさ合っててよかったね」

 俺が衝撃の事実に驚愕していると、後ろから知頼さんの声がした。今回の授業では、クレアとアリスが道着を持っていないというので、知頼さんと政美がそれぞれに貸したのである。

「うん、ありがとう、知頼! ちょっとある部分のサイズが違うせいで、ほんのちょっと大きめなのがちょっと気になるけど……」

 クレアは自分の鎖骨辺りを触りながら知頼さんを見つめた。

「大きさ的にあたしのが一番合うから仕方なく貸しただけなんだからな。つまりこれは敵に塩を送ったんだ。武士の情けだ!」

 アリスに道着を貸した政美はよくわからない言い訳をした。アリスはそんな政美を無表情で見つめる。

「何だよう、その目は! 氏実は絶対に渡さないからな!」

 アリスはしばらく政美を見つめると、自分の懐に手を入れて橙色の小さなかけらを取り出した。たぶん南瓜である。というか何て場所に入れているんだ。

「あげる」

「な、何、それ?」

「顔」

「か、って、え? ほんとに何?」

 政美は困惑した表情をした。予想通り、アリスが差し出したものは南瓜のかけら、アリスにとっての顔のかけらである。まあ何も知らないのにそんなよくわからないものを渡されても困るよな。いや、知っていても顔を渡される意味はわからないけど。

「友情の印だって」

 しばらく様子を見ていたクレアが政美に言った。

「ゆ、友情って……勘違いするなよ! あたしとアリスは敵同士なんだぞ!」

 政美は裏返った声で言った。

「かぼ……」

「……ま、まあ、せっかくだしもらってあげてもいいけど」

 政美はそっぽを向きながらも南瓜を受け取った。アリスの表情に変化はない。いや、少しだけ口角が上がっているように見えなくもない。

「それでは皆さん、今日も自習にしますので、各自で試合をしてください」

 しっかりと道着を着込んだ男性教員はそう言うと、道場の端っこの椅子に座った。

「クレアさんとアリスさんも私たちと一緒にやりましょう」

「いいの!? ありがとう!」

 知頼さんは先生の言葉を聞くとすぐにクレアとアリスに声をかけた。俺、知頼さん、政美、影勝、クレア、アリスで稽古をすることになった。

「でもクレアさんたちは剣術ってどんなものか知らないだろうし、まずは教えてあげないとね」

 倉庫から六本の竹刀を持ってきた影勝は、その竹刀を両腕で抱えたまま言った。竹刀は黒漆を塗った革をかぶせた袋竹刀だ。竹刀をそのまま使うと殺傷能力が高くて大参事になる。

「だいたいのことはわかるよ。これを相手の頭に当てて『めーん!』とか言うやつでしょ?」

「それは剣道だね。大名学園の剣術はもっと実践的なんだ。面とかを狙うんじゃなくて、鎖骨を割ったりする。刀でいかに相手を戦闘不能にするかを目的にしてるんだ。防具もつけずにやるんだよ」

「その技術は現代社会においてどう活きてくるの?」

「それを言ったらお終いだよ……」

 つまり習う意味は特にないということだ。平和な現代社会においては実践的ではない。

「ま、こんなのは習うより慣れろ、だよね。さっそくだけど氏実、試合やろ!」

 クレアは説明を最後まで聞かずに影勝の腕から竹刀を取り、俺に正対して構えた。足も手も逆だし明らかにおかしいが。

「えっと、氏実くんと戦うのはよした方がいいと思うよ……?」

 影勝は竹刀を配りながら苦笑いした。賢明な判断だな。初心者がいきなり俺の相手では格が違いすぎて話にならないだろう。

「何で? 氏実はそんなに強いの?」

「いや、まともに形も知らない初心者同士で戦ったら危ないなあって」

 む、聞き捨てならないな。俺が初心者とは。

「仮にも俺は初等科から竹刀を握ってきたのだが?」

「実力が初等科から変わらないというか、むしろ小学生の方が強そうというか……」

「つまり氏実は超弱いと」

 クレアは俺を見ながら聞いた。何だよ、その目は。

「じゃあこの中で一番強いのって誰なの?」

「うーん、知頼さんかな?」

「いやいや、私なんか全然。たぶん影勝くんだよ」

 この二人はたぶんどっこいだ。それどころかこの学年で一、二を争う実力者同士だろう。

「じゃあ氏実と政美はどっちが強いの?」

「それはもちろん俺だろう」

「誰がどう考えてもあたしだと思うよ」

 先の二人とは対照的にどちらも譲らない。考えなくても俺の方が強いことは明白だが。

「知頼と影勝はどう思う? あたしと氏実」

「どっちかというと政美ちゃんかしら……」

「ほら、氏実くんは文化芸術系得意だし」

 知頼さんと影勝は俺から目をそらして答えた。俺ってそんなに弱いのか?

「でもたしか氏実くんのお父さんは剣術の達人だったよね? 強くなりたいなら稽古付けてもらったら?」

 影勝が提案してきた。

「……お父様のお手を煩わせるわけにはいかないからな」

 俺は開け放たれた窓の外を見た。少しずつ冬が近づいているのか、肌に当たる風は涼しいというより冷たかった。

「あ、そういえばずっと気になってたんだけど、氏実のお父さんってどんな人なの?」

 クレアはふと思いついたように質問した。

「俺から話すことは何もない」

「えー、教えてくれたっていいじゃん。影勝は何か知ってる? 氏実のお父さんのこと」

「僕はまあ、そこそこのことは知ってるけど、話していいのかな?」

「勝手にしてくれ」

「ありがとう。じゃあ話すね」

 影勝は俺の許可を得ると、クレアに顔を戻し話し始めた。アリスと、親父のことを知っているはずの知頼さんや政美まで聞き始めた。

「氏実くんのお父さん、今川義本さんは僕が最も尊敬する人の一人なんだ。何たって今川和菓子を一代で日本一の企業にした人だからね。いや、今川グループって言った方がいいかな。義本さんはそう呼ばれることが嫌いみたいだけど。

 今川和菓子はもともと関東ではかなり力のある財閥だったんだ。何人もの一流の職人を生み出している、まさに質実剛健の企業だね。それに食品だけに限らず、金融や流通でも活躍していたんだ。けど戦後の解体から、職人ばっかりいい人は出てくるんだけど、経営の方であまりいい時代が続かなかったんだ。

 でも義本さんが社長を継いでから、その洗練された職人としての腕前と卓越した経営手腕で、見事かつての今川財閥の威光取り戻したんだよ。

 このグローバル化の時代にひたすら日本志向を貫く信念には感服したよ。何でもその究極にまで高められた日本の味に、虜にされた外国のお客さんも多いとか」

 影勝は自分のことのように得意げに話している。こんなに饒舌な影勝は初めて見た。

「やっぱりすごい人なんだね」

「うん。それに義本さんはここの卒業生でもあるんだ。勉強はもちろん、剣術も馬術も何をやっても完璧だったらしいよ。特に弓術においては並ぶ者はいない、つまり無双とまで評されてる人なんだ」

 聴衆は影勝の話を興味津々で聞いている。

「へえ。で、その息子が氏実と」

 クレアは相槌とともに振り返り、俺を無言で見つめてきた。

「何だよ」

「いや、勉強も剣術も完璧な人の息子がさっきの英語力かと」

「うるさい。そもそも英語という言語そのものがおかしいんだよ。何で教科書が左開きで横書きなんだ。読みにくいだろ」

 同じ理由で数学も理科も社会も、とにかく国語以外の教科書は非常に読みにくい。そもそも読むために作られていないのではないか。それに件の親父だって英語は苦手だったらしいし。

「ところで氏実くん。そろそろ稽古を始めないと怒られそうだよ」

 影勝が先生の座る方を見ながら言った。先生は怪訝そうな表情でこちらを見ている。

「ああ、それもそうだな」

「じゃあ氏実! 今度こそ私と勝負だ!」

 またクレアが俺の前で竹刀を構えた。だから足と手が逆だ。

「いや、だからちゃんとした形を知らないと危ないって!」

 影勝の制止も聞かず、クレアは竹刀を振り上げて向かってきた。礼もせずに襲い掛かってくるとは、失礼なやつだ。しかし礼を欠いたからといって、向かってくる敵を呑気に見ているわけにもいかない。まず次に飛んでくる一撃をよけなければならない。よし、では一歩後ろに下がろう。

 が、俺が後ろに跳んでかわそうとした瞬間、俺の頭に竹刀が当たっていた。もともとこの威力なのか手加減したのかは知らないが、当たりは弱かった。というか狙うのは頭ではないとさっき影勝に説明されただろ。

「氏実ってさ、どんくさいよね」

 クレアは俺の頭に竹刀を乗せたままつぶやいた。

「どんくさくなどない。とりあえず竹刀下ろせ」

 俺は左手でクレアの竹刀を払いのけた。

「いや、すっごいどんくさいと思う。ほら、昨日も何かあほそうな連中に簡単に捕まってたし」

「あれは、ちょっと柊の花に見とれていただけだ」

 あんなに美しい花々に囲まれれば鑑賞せずにはいられないだろう。うむ、きっとそうだ。俺は団子より花なのだ。いかなる状況でも花を楽しめる男なのだ。

「何て苦しい言い訳……。そういえば私たちが初めて氏実の部屋に入ったときも簡単に捕まったよね。アリスを引き上げてる間に逃げればよかったのに。まあそのおかげで氏実の部屋に泊まれてるんだけど」

「あれは」

「花のようにかわいらしい私に見とれた?」

「いや、それはない」

 確かに極稀に美しいと感じたこともないわけではないが、あのときは見とれていたなどということはなかった。

 む、だとするとなぜ遅れたんだ? 俺がどんくさいなどということは確実にないし、実は見とれていたのか? いや、それもさすがにありえない。

「あの、少し質問があるのですが」

 俺がいろいろと思案していると、知頼さんが後ろから手を上げて問いかけてきた。

「クレアさんが氏実くんの部屋に泊まってるっていうのはいったい……」

「……はい!?」

 俺は反射的に聞き返す。そして同時に記憶を整理し、つい先程クレアとしていた会話を思い出した。クレア、余計なことを……。

「いや、それはですね! 何と言いますか、言葉の綾と言いますか!」

 まずいぞ。ごまかせる気がしないぞ。

 横を見るとクレアは口に手のひらを当て、しまったというような表情をしている。政美はわなわなと震えだした。噴火寸前である。

「あたしも、許嫁のあたしだって氏実の部屋になんか泊まったことないのに、何でそんなことになってるんだよお!」

 政美は泣きながら怒ってきた。おおお、神聖な道場が修羅場と化し始めている。何だか他の級友たちの視線も集まってきたし。

「アリスも、アリスも泊まってるのか?」

 アリスは相変わらずの無表情のまま、一回だけこくりとうなずいた。

「何でだよう!」

 政美の泣き声がさらに大きくなった。だんだん収拾がつかなくなってきたぞ。

「政美、とりあえず落ち着こう。今からしっかり説明するから聞いてくれ」

 政美は俺の言葉を聞くと、瞳に涙を溜めたままいったん大人しくなった。逆上していても人の話をしっかり聞けるところが政美のいいところだ。

「え、言って大丈夫なの?」

 今までおろおろしていたクレアが聞いてきた。

「もうごまかせないだろうからな。それにちゃんと理由を言えばわかってくれると思う」

 その後、俺はクレアとアリスを部屋に泊めることになった経緯と、できるだけ他人に知られたくない理由を簡潔に説明した。知頼さんも政美も影勝も黙って聞いてくれた。しかしアリス、お前は当事者だろ。三人と並んで聞く必要はないだろ。

「そうなのか。それは確かに仕方ないな。急に怒ったりしてごめん」

 政美は瞳に残った涙を拭いながらアリスに謝った。

「家に帰れないのは大変だもんね。大丈夫だよ。私たちは誰にも言わないから。私たちにできることがあったら何でも言ってね」

 知頼さんはクレアを気遣って言った。

「ありがとう、知頼!」

 クレアは満面の笑顔で答え、知頼さんに抱き着いた。

 しかし本当によかった。非常に複雑難解な事情なので信じてもらえるか不安だった。特に『まじょ』や『はろうぃん』などは信じられないどころか聞いたこともないような言葉のはずなので余計に心配だった。

 そういえばそれらの言葉に対して一度も説明を求められていないな。みんな知っていたのか。だとするとやはり知らなかったのは俺だけということか……。

「ところで皆さん、稽古はどうしたのですか?」

 予想以上にものを知らなかったことに我ながらあきれていると、遠くで座っていたはずの先生がいつの間にか背後で立っていた。音も気配も感じなかった。この人、できる。

 先生は俺たちの返事を待たず居直った声で続ける。

「いやね、別にいいのですよ。別に私はそんなこと全然気にしませんし」

 明らかに作り笑顔である。そもそも初心者が二人もいるのに面倒だからと自習にした先生の判断が間違っているのではないかと思うのだが。

「あ、いや、すみません。これから稽古を始めますので。クレア、試合をするぞ」

 俺はクレアを呼び、竹刀を正面に構えた。クレアの放った滅茶苦茶な構えの竹刀が俺の額に当たったのは、それからすぐのことだった。



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