君さえいれば?
彼女―舞は、あの日と同じように眼下に広がる俺たちの街を眺めていた。
あの日と違うのは、いまが夕暮れ時だということくらい。
けれど、夕日に照らされた舞の姿は酷く幻想的で、あの日、街の明かりに目を奪われていた舞とはかけ離れていて……。
相川猛は二度と、三沢舞の隣に立つことはできないのだと突きつけられた気がした。
できることなら、今すぐこの場所から逃げ出したかった。
夕日に目を細める舞に背を向けて、他の誰かに舞を任せて、すべてを放棄してしまいたかった。
それでも、逃げるわけにはいかない。
舞にこの場所を教えたのは俺だ。だから、ここで舞を連れ戻すことが、俺に残された最後の責任なのだろう。
ここまで走ってきたことで荒くなってしまった呼吸を整え、すべての感情を押し殺して、俺は彼女に声をかけた。
「おい、あんた。」
俺の声に振り向いた彼女に問いかける。
「こんなところで何してるんだ?」
しばらく黙りこんだ後、彼女は躊躇いがちに口を開いた。
「…ねぇ、キミは…よくここに来るの?」
「質問に質問で返すなよ。別にいいけど。ここには今日はじめてきた。」
「そう…。」
「で、あんたは何してたんだ?」
最初と同じ質問を投げかけると、彼女は街の景色を見渡しながら言った。
「別に何も。私も今日はじめてきたはずなんだけど、なんだか懐かしい気がしてさ。ここで何か大切なことがあった気がするんだけど、思い出せないんだよね。」
決意が揺らぎそうになるのを必死で押さえながら適当に相槌を打つ。
「ねぇ、キミ、何か知らない?」
「俺が知るわけないだろ。今日はじめてあって、名前も知らないんだぞ?」
「そう…だよね。変なこと聞いてごめんね。」
そう言ったきり黙りこんでしまった。
コイツを連れ戻さなきゃならないのに、このままじゃ埒が明かない。
「なぁ…あんた、名前なんて言うんだ?」
「え…?」
「だから、あんたの名前だよ。名前聞けばなんかわかるかもしれないし。」
「あ…うん、私の名前は舞。三沢舞。」
よし、もう一息だな。
「三沢…舞?あぁ、そういえば、ここに来る途中であんたのこと探してる連中見たけど、あれはいいのか?」
「あ!そうだった!」
完全に忘れてたみたいだな。こいつらしい。
「ごめん!私行かなきゃ。」
「待てよ、一緒に行ってやる。あんたを探してる連中のなかに俺の知り合いがいたんだ。ここから帰る途中で何かあったら、俺がヤバい。」
「……。」
また考え込んじまった。いったいどうしたんだ?
「…ねぇ、ほんとに初対面?なんか、キミみたいな人を知ってる気がするんだけど…。」
やば、まずったか…?
「気のせいじゃねぇの?…ほら、行くぞ。」
それだけ言って歩き出す。
これ以上墓穴を掘るわけにはいかない。
それに、これ以上こいつと会話をするのはさすがにつらい。さっさと終わらせてしまおう。
気付かれないように母さんに連絡を入れ、ついてきているか確認もせずに先へ進む。
一刻も早く、この苦しみから解放されるために。
不自然にならないように道を聞き出し、三沢の家に向かう。
途中何度か名前を聞かれたが、その度にはぐらかした。
目的地に着くと、そこには四人の人物がいた。俺の両親と、三沢の両親だ。
ここまでくれば、俺の仕事は終わりだ。
「じゃあな。」
とだけ言い残し、その場を立ち去る。
「待って!」
が、思わず立ち止まってしまった。はぁ、慣れってのは恐ろしい。
自分の反応に苦笑していると、予想通りの言葉が聞こえた。
「私、キミと会ったことあるよね?」
答えは決まっている。
「気のせいだ。」
「じゃあ、どうして名前を教えてくれないの?初対面なら何も問題ないじゃない!?」
そうだな…。初対面ならよかったのにな。
「あんたに名前を教えるつもりはない。」
そう言って歩き出す。
後ろで何か叫んでいるが、もう立ち止まるわけにはいかない。今度こそ本当にさよならだ。
下手をすれば、アイツの身に何が起こるか分からない。ヴィンカの言うことが正しければ、俺が自分から名乗るのが一番危険だろうから。
そういえば、ヴィンカの奴はどこに行ったんだ?途中から姿が見えないが。
まぁいいか。いなくなったってことは、居る必要がなくなったってことだろうから。
だったら名乗ってもいいんじゃないかって?
冗談じゃない。
確かに俺がアイツから離れたのはヴィンカに言われたからだ。だけど、今日の一件でよくわかった。
俺のことを何も覚えちゃいないアイツの隣にいることが、どれだけ苦しいのかってことが。
そこまで考えた時、それまで以上の大声が響いた。
「約束破るつもり!?」
耳を疑った。
ヴィンカは言っていた。
『お前のことは覚えてないだろうが、場所だけが記憶に残ってるかもしれない』と。
確かに、アイツはあの場所を覚えていた。
でも、アイツが『約束』なんて覚えているはずがない。
まさか…、記憶が戻ったのか!?
微かな希望とともに振り返る。
しかし、アイツの顔を見た瞬間、希望は砕けて消えた。
アイツは、自分が何を言っているのかわからないような顔をしていたから。
やっぱりそんな都合のいいことはないか…。
結局、奇跡なんてものは存在しないんだな…。
再び背を向けた時、視線の先にはヴィンカがいた。
驚いたような顔をしていたが、俺と目が合うと、初めて会った時のような皮肉気な笑みを浮かべた。
いきなり出てきたと思ったら、俺が絶望するのを見て楽しんでやがっただけかよ。
やっぱりあの野郎は悪魔だ。
あのときみたいに右手が光っていたような気もするが、そんなことはどうでもいい。
もう、俺には関係ないことだ。
そう思い、もう一度歩き出そうと足を上げた時、体に衝撃が走った。
やっぱりあの野郎やりやがったのか。
まぁ、このまま苦しみを抱えて生きるよりも、死んだ方がましか。
そんなことをぼんやりと考えながら意識が途切れるのを待ったが、一向にその時はやってこない。
不思議に思っていると、ある事に気づいた。
後ろから誰かが抱きついている。しかも震えている?
「ご……なさ…。…め……さい。ごめ…なさ…。ごめんなさい。ごめんなさい。」
聞き間違えようがない。間違いなくアイツの、舞の声だ。でもどうして?
「ごめんなさい。ごめんなさい。謝るから、何でもするから。だから、私の前から消えないで…。」
「ちょ、落ち着けよ。お前、どうしたんだよ?」
「思い出したの、全部思い出したの…。」
「なっ!?ほ、本当…なのか?」
「うん…だから、だからぁ…。」
でも、なんで?舞の記憶が突然戻るなんて。
っ!?まさか!?
視線を正面に戻すと、さっきと同じ場所にヴィンカが立っていた。
今まで見たことのなかった穏やかな笑みを浮かべて。
あ、目、逸らしやがった。
以外とお人好しだったんだ。
まぁ、せっかくの好意だ、ありがたく貰っとくかな。
後ろから抱きついている舞をさりげなく引きはがして向かい合う。
舞は叱られることに怯える子供のように俺を見ている。
「舞、そんなに心配しなくても、どこにも行ったりしないさ。でも、お前に忘れられたのはかなりつらかったんだからな?頼むから、もう忘れないでくれよ?」
俺がそう言うと、舞はすごい勢いで頷いた。
「じゃあ、もう一度だな。」
あの時は、アイツが生きてればそれだけでいいと本気で思ってた。そんなのは撤回してやる。
大切な人に忘れ去られるってことは、その人が死んでしまうのと同じくらいつらくて、苦しくて、悲しいものなんだ。
ようやく気付いた本当の気持ち。
今なら言える。
「舞、約束する。この先何があっても、俺がお前を守ってみせる。」
俺は舞が好きだ。
「猛。それってプロポーズ?」
…………。
「「なっ!?」」
ハモッた。
「あらあら、相性ピッタリ♪」
舞は耳まで真っ赤になってしまった。
たぶん俺も似たようなもんだろうけど。
「か、母さん!」
母さんを睨みつけると、親連中四人+一がニヤニヤしていた。
ヴィンカ、お前もか!?
その後、散々からかわれたのは言うまでもない。
あぁー!せっかく格好良く決めようと思ったのに!!
次回の投稿で完結となります。
次回作以降の参考にしたいと思いますので、感想等頂ければ有り難いです。