思い出の場所
あの日のことは今でもよく覚えている。
十数年ぶりの大寒波がどうとかで、俺の短い人生の中で一番寒い冬だった。
朝から雪が降り続いていて、学校から帰った俺は早めに風呂に入って冷えた体を温めることにした。
風呂から上がって風呂上りの牛乳を飲もうと冷蔵庫を開けると、いつも入っているはずの牛乳がなかった。
仕方なくコンビニに買いに行こうかと、コートを羽織って外に出た俺は、何となくいつも行く近所のコンビニではなく、少し離れたところにある別のコンビニへ行くことにした。
その途中、舞が走っていくのを見つけた。
一緒に帰ったはずの舞が、何故、こんなところに居るのか不思議に思ったが、舞の様子がおかしいことに気付き、すぐにあとを追った。
俺が舞の腕をつかんだ時、舞は泣いていた。
俺は焦った。舞が泣くところなんて、小学校の低学年以来見ていなかったから。
舞は、腕をつかんだのが俺だとわかると、俺の胸に顔を押し付けてそれまで以上に泣き出してしまった。
舞が泣いている理由は気になったが、泣き止ませるのが先決だと考えた俺は、舞の頭を撫でながら泣き止むのを待つことにした。
その時携帯が鳴った。相手は母さん。
母さんから、舞が親と喧嘩して家を飛び出したと聞いた俺は、今舞といることを告げて電話を切った。
結局舞が泣きやんだのは、それから約十分後のことで、俺はその間、周囲からの痛い視線に耐え続けなければならなかった。
泣きやんだ舞を連れて近くの公園に行き、ベンチに座らせて話を聞く。
そこでようやく喧嘩の理由を知ることができた。
舞の話を要約するとこうなる。
来年の冬、俺達は高校受験をすることになる。
舞は成績が良く、このあたりで最もレベルの高い進学校も十分狙えるらしい。
舞の両親もそこへ進学することを望んでいる。
しかし、舞はそれを拒否した。
それがきっかけとなり、大喧嘩。
そして、舞は家を飛び出した。
「なるほどな。で?舞はどこに行きたいんだ?」
「え…?」
「え、じゃないだろ。舞がそんなに意地になるくらいだ、他に行きたい所があるんだろ?」
「それは…。」
「それは?」
舞の口から出たのは家の近くにある別の高校の名前。俺が行くつもりの高校で、レベルは中の上。部活が強いわけでもない、どこにでもあるようなごく普通の高校だ。舞がこだわる理由が分からない。
「なんでそこがいいんだ?俺が言うのもなんだが、レベルを下げてまで行くようなところじゃないだろ?」
「猛が……から。」
「ん?俺がどうかしたか?」
「猛が行くから!!」
「へ…?」
なんでそこで俺の名前が出てくるんだ?さっぱりわからん。
「どういうこと?」
「う、それは…そ、そうよ、猛が言ったんじゃない!」
「俺なんか言ったっけ?」
「守ってくれるって、言ったじゃない…。」
耳を疑った。七年も前の、それも俺が一方的に宣言しただけの約束とも言えないものを、舞が覚えているとは思っていなかったから。
そして気づいた。今回の三沢家の喧嘩の原因が俺だったということに。
「理由は本当にそれだけか?」
「…そうよ。どうせくだらない理由よ。」
そう言って俯いてしまった。
「別にくだらないなんて言ってないだろ?それどころか、嬉しかったくらいだ。舞があれを覚えてたことが。…それに、理由がそれだけならいい方法も思いついたしな。」
「いい方法?」
「あの約束を守るためには、俺と舞が同じ高校に行った方がいいんだろ?だったらそうすればいい。」
「そんなことわかってるわよ。だから私が猛と同じ高校に行けば…。」
「だからそうじゃない。逆だ、逆。」
「逆?」
「そう。舞が俺と同じ高校に行くんじゃなくて、俺が舞と同じ高校に行けばいい。ほら、簡単じゃないか。」
「…猛。自分で何言ってるかわかってる?あと一年しかないのよ?そんなこと…。」
「出来るわけないってか?」
舞は微かに頷いた。まぁ、そうだろうな。普通はそう思う。
「でも、やってみなきゃわからないだろ?それに、俺が約束破ったこと、あったか?」
俺が立ち上がってそう言うと、考え込む舞。そんなに考え込まれると、ちょっと自信がなくなってくる。
しばらくして、首を横に振った。
「だろ?できれば考え込んでほしくなかったけど。」
そう言うと舞は俯いて、小さく「ごめん。」と言った。
「まぁ、いいけど。」
そこでいいことを思いついた。確かこの近くだったはずだ。
「舞、ちょっとついてきて。」
舞がベンチから立ち上がるのを確認して公園の出口ヘ向かった。
公園を出て歩くこと十数分。俺達は今、街外れの高台に向かう道を歩いている。
母さんには少し帰りが遅くなると連絡を入れたから大丈夫だろう。…多分。
高台の公園の少し手前で脇道に入る。
「ねぇ、どこに行くのよ。」
もう何度目かになる舞からの質問に「いいから。」と答えながら歩き続ける。
しばらく歩くと開けた場所に出た。
ここが、父さんに終えてもらった、父さんと母さんの思い出の場所。
「すごい…。」
「だろ?」
ここからは俺達の住む街が一望できる。
近くに公園があるため人はあまり来ないが、眺めは公園よりも数段いい。
「ここはさ、父さんと母さんの思い出の場所らしい。」
街の明かりに目を奪われていた舞は、不思議そうな顔をして俺を見た。
まぁ、これだけじゃわからないよな。
「で、父さんがこの場所を教えてくれた時、一つ条件を付けたんだ。」
「条件?」
「『父さんと母さんはここでいろんな約束をして、それを全部守ってきた。だから、ここでした約束は必ず果たされるんだ。お前に何があっても果たしたい約束ができた時はここを使え。ただし、その約束は何があっても守り抜け。』ってな。まぁ、験担ぎだな。」
舞は、俺が何を言いたいのかまだ分からないらしい。こいつ結構鈍いな。
「舞、約束する。一年後、俺はお前と同じ高校を受けて、必ず合格してみせる。」
俺がそう言っても、舞からは何の反応もない。
声をかけようと口を開きかけたところで、初めて舞に変化が現れた。
目が潤みはじめ、次第に涙が溜まっていく。
その涙が溢れる直前、舞は俺に抱きついてきた。
「お、おい!」
「約束…だからね…。破ったら許さないから!」
そう言って涙を浮かべながら笑う舞の笑顔は、今まで見た中でいちばん綺麗に見えて、「あ、ああ。」と返事だか呻き声だかわからないような情けない声しか出せなかった。
その後、沢山の参考書を買い込んで片っ端から解きまくったり、先生に教えを乞うなど、思いつく限りのことをやった結果、何とか舞との約束を守ることができた。
あれから三年。
舞をあの場所へ連れて行ったことは誰も知らないはずだ。
だから、まだ見つかっていない以上、あの場所に居る可能性が高い。
そして彼女は、そこにいた。




