さようなら
しばらく更新できませんでしたが、きょうから再開します。
舞の事故から今日で1週間になる。
その間、舞の容体はほとんど変化がなかった。
目覚めることもなければ、死に至ることもない、完全な停滞。
俺はこの1週間、シャワーを浴びに家に帰る以外はその時間のほぼすべてをこの病室で過ごしていた。
そして昼過ぎのニュースで、舞を撥ねた犯人が逮捕されたことを知った。
正直どうでもよかった。舞をこんな目に遭わせたのは確かに許せないが、犯人が捕まったところで、舞が目覚めるわけではないのだから。犯人の名前だとか人柄だとか、俺には何一つ関係ない。
だから、夕方になって犯人が病院に現れた時も、別にこれといった興味はなかった。
廊下から聞こえる犯人の男の楓さんたちに対する謝罪の言葉を聞きながら、彼の言葉が本心であろうことはよくわかった。だからこそ俺は彼に言いたいことがあった。
扉を開けて廊下へ出る。俺の様子を見て殴られると思ったのか、身を固くした男を見据える。
「あなたを殴って舞が目覚めるのなら、俺はいくらでも殴りましょう。ですが、そんなことをしても舞が目覚めるわけじゃない。それどころか、舞がそのことを知ったらアイツが傷つく。舞は、ほんとうに優しいから。だから、俺はあなたを殴りはしません。そして、俺に謝る必要もありません。ただ、祈ってください。舞が目覚めるように、今まで通りの日常過ごせるように、祈ってください。そして、今あなたの中にある謝罪の言葉を、アイツに直接伝えてください。俺があなたに望むのは、それだけです。」
話しているうちに、涙があふれてきた。舞の笑顔が、泣き顔が、怒った顔が、浮かんでは消えていく。今迄にいろんな表情を見てきた。いろんな声を聞いてきた。その表情をもっと見ていたい。あの声をもっと聞いていたい。俺の願いは、ただそれだけだから。
あの後、情けない顔を誰にも見られたくなかった俺は、すぐに舞の病室に逃げ込んだ。
俺が病室に入ってしばらくして、犯人の男は警察に連れられて行った。
あれから結構経っているはずだが、それでも誰も入ってこないのは、気を遣ってくれているのだろうか?正直ありがたい。
なぁ、舞。お前ほんとにいつになったら起きるんだよ。お前が寝てる間にいろいろあったんだぞ。ってほどでもないか。でもさぁ、お前がいないだけで世界がまったく別のものに見えるんだよ。お前がいない世界は静かすぎるんだよな。だからさ、早く戻ってこいよ。みんな待ってるんだからな。
神様でも仏様でも、悪魔だってなんでもいい。
舞を助けてくれよ。
何だってするから。俺が死んだっていいから。
舞にだけは、生きていてほしいんだよ。笑っていてほしいんだよ。
頼むよ…。
カラカラカラ。
ん?誰か来たのか?
いつの間にか寝ちゃってたみたいだ。
「あれ?誰もいない。気のせいか…。」
「気のせいなんかじゃねーぜー。」
「っ!?」
「よぉ、こんばんわ。」
振り向いたその先。
開いた窓から差し込む月明かりに照らされて佇む一人の男。
どこから入ってきたんだ!?ここは4階だぞ!?
「お〜い。聞いてんのか〜?」
奴の声にはっとした。とっさに奴と舞の間に割り込む。
「誰だ!?」
奴を睨みつける。奴はそれを気にする様子もなく、皮肉気に笑って見せた。
「そう怖い顔すんなって。別に取って食おうってわけじゃねぇんだからよ〜。あぁ、俺はヴィンカ、悪魔だ。よろしくな!お前は?」
「あ、相川、猛。…って、悪魔!?」
「そっ、悪魔。」
「そんなもんいるわけないだろ!?」
「おいおい、お前が呼んだんじゃねぇか。『神様でも仏様でも、悪魔だっていい』って。せっかく来てやったのにそりゃねぇだろ。」
「っ!?本当…なのか?」
「ああ。俺と契約すりゃ、そいつを助けることだってできる。当然、代価は貰うけどな。」
「代価?」
「契約者の魂、つまり命ってのが一般的だな。契約者の願いを叶える代わりに、そいつの一番大切なものを貰う。これが、契約の唯一の条件だ。簡単だろ?」
「ああ、これ以上ないってくらいな。」
「それで、どうする?契約するか?俺の見立てだと、その女、起きねぇよ…永遠に。その女が猛、お前にとって一番大切なものを投げ出すだけの価値があるってんなら、俺と契約すりゃあいい。心配すんな、俺は自分に誇りを持ってる。その誇りに誓って、きっちり叶えてやるよ。お前の願いを。」
「…わかった、契約しよう。俺の願いは、『舞が目覚め、笑っていられる』事。そのためなら、俺の命でもなんでもくれてやる。」
皮肉な笑みを消したヴィンカの目を見据えて、言った。
「いいぜ、契約完了だ。」
「ところで、俺の代価は何なんだ?やっぱり…命…なのか?」
「いや、違うな。もっとふさわしいもんがある。」
「…?なんだよ?」
「『記憶』だ。」
「記憶…?」
「お前、その女のためなら死んだっていいと思ってんだろ?なら、そんな命ならいらねぇ。」
ヴィンカはそこで言葉を切り、愉快そうに顔を歪める。
「俺がいただく代価は、その女の持つお前の記憶だ。その女に忘れ去られたら、お前はどうなるんだろうなぁ?」
「なっ!?」
アイツが、舞が俺を忘れる?今までずっと一緒だったあいつの中から、俺がいなくなる?
…でも、それで舞が助かるんなら…。
「…それで、舞が助かるんだな?」
「ああ、約束する。まぁ、それがいやだってんなら、今から契約を破棄することだってできるぜ?そのときはあの女が死ぬだけだ。」
舞が死ぬか、舞が俺を忘れるか、か…。そんなの、悩むまでもないだろうが。
「いや、その必要はない。頼む。」
「そうか。なら、そうさせてもらうぜ?」
ヴィンカがそう言って舞の額に右手をかざすと、ヴィンカの右手が淡く光り、すぐに消えた。
「これでいいはずだ。ああ、一つ言い忘れた。お前、あんまりこいつにあわねぇ方がいいぞ。」
「…?どういうことだ?」
「俺さぁ、あんまこーゆうの慣れてねぇんだわ。だから、下手にお前に会うと何が起こるかわかんねぇ。どうせこいつもお前のこと覚えてねぇんだしよ、お前もこいつのこと忘れちまえよ。そうすりゃ、お前も苦しまずに済むだろうしな。」
俺が苦しいだけなら俺が耐えればいい。でも、俺が近くにいると、舞がどうなるか分からない。
だったら、俺は舞から離れたほうがいいんじゃないか?
「まぁ、まだ目が覚めるまでもう少し時間がある。その間に考えとけよ。じゃあな。」
そう言って、ヴィンカは窓から飛び出して行った。
…舞から離れる、か。そのほうがいいんだよな。
「舞、ごめんな。俺にできるのはここまでみたいだ。約束…したのにな。守ってやるって言ったのにな…。ごめん。…舞、今までありがとう。さよなら…。」
病室を出るところまでが限界だった。涙がこらえきれない。
こんなとこで泣いてたら邪魔だよな。
…帰ろう。
「猛君?」
あ〜あ、楓さんに見つかっちゃたか…。まあいいや、楓さんには言っておくか。
「楓さん。そろそろ、舞が起きると思います。ついててあげてください。」
「猛君はどうするの?」
「俺はいいんです。もう、舞の中に俺はいませんから…。それから、舞の前で俺の名前は出さないでください。」
「ちょ、ちょっと!何言ってるの!?」
「お願いします!」
もう耐えられなかった。
楓さんの制止の声を振り切って、俺は病院を飛び出した。
舞、今までありがとう。そして、さようなら…。
今回の投稿分を含めてあと4話ほどで完結になると思います。
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