モブですね? わかりました、腹くくります
「もう耐えられない、あなたが好きです。お願い、どうか今夜わたしを」
よりによってこの瞬間だった。わたしがすべてを思い出してしまったのが。
わたしの前には、両目を見開いて驚く青年。灯りは蝋燭のみ、周囲は薄暗い。何故なら今は夜で、ここが寝室だからだ。ついでに言うと、目の前の彼の寝室でもある。
そして二人きりだ。わたしと彼――この国の王子、シャウル様との。
さっきの言葉を吐いたのはわたしである。念のためはっきりさせておくが、今のわたしは十七歳の貴族の娘だ。結婚はしていないし、婚約もしていない。王子とも。さらに念を入れて説明しておくと、彼と非公式な恋愛関係にあるわけでもないので、この部屋に入る許可ももらっていない。勝手に押しかけたのだ。
で、冒頭の台詞だ。つまりわたしは、夫でも婚約者でもない男性しかも王子様に、相手の寝室でお誘いをかけている、ということになる。
ああ、こうも表現できるかな。「王子様に夜這いをかけた」、と。
そこからわたしの頭の中では、記憶が一気に駆けた。
生前、何気なく暇つぶしに読んだラノベの内容。生まれは不遇、でも頭がすこぶるよろしいヒロインが、上流の学校へと入学し勉強に励みながら官吏を目指しつつそこで出会った王子や貴族の子息たちとのうふふあははな逆ハー学園生活を楽しむ、というストーリー。そこはお約束なので、悪役令嬢も登場した。
それを思い出すと同時に、現在の自分のことも振り返った。
今のわたしは子爵令嬢ルキノー・フロレンタイン。
ヒロイン? いいえ、違います。じゃ悪役令嬢? それも違う。
ルキノーの役回り――それはモブだ。
しかも、本の巻頭の登場人物紹介にすら名前が載っていなかった木っ端モブ。とどのつまり脇役。
それはそれとして、問題なのは、そのモブがどうして王子様の寝室なんかにいるか、だろう。もちろん理由はある。モブはモブなんだけど、実はルキノーにはもう少し具体的な役割があるからだ(だから厳密にいうとモブではないかもしれない)。
それは、悪役令嬢に対する「噛ませ犬」というもの。
わたしこと子爵令嬢ルキノーは、言ってみれば「大体普通」なスペックだ。適度に身分もあり、でも適度に裕福でもなければ美人でもない、モブ臭ただよう娘である。普段は王子の婚約者である悪役令嬢の取り巻きその三ぐらいを務めている。だがそのくせ、実は裏では王子本人にも何かとちょっかいをかけているのだ。
そしてこの、王子へのアプローチが問題となる。大人しく取り巻きその三を務めてりゃあいいものを、このルキノー、王子に対して本気で恋心を募らせている。でも何しろモブだから、叶わぬ恋だ。ていうか、王子は逆ハーヒロインの本命だし、悪役令嬢という婚約者までいる。今のところ。
叶わぬ恋に身を焦がすルキノーはどうするのか。正攻法で不可能なら、どう落としにかかるのか。
色々やった末、王子の寝室に忍び込むという体張り過ぎな、かつ、貴族の娘として空気読めてないにもほどがある策がルキノーの結論だった。ちなみに今ここ。
もちろんそんな挑戦は失敗するんだけど。王子には丁重に追い返され、さらには悪役令嬢にもばれてしまう。そして悪役令嬢は子分にすぎないわたしの反乱に烈火のごとく怒り、あらん限りの制裁を加えるのだ。その復讐はすさまじく、誹謗中傷、濡れ衣密告新聞炎上追放なんでもあり。お陰でわたしはもちろん実家までもが盛大な没落エピソードをたどり、やがてわたし自身は、娼婦にまで身を落とす、らしい。
ようするになんだ。
ヒロイン及び読者に、悪役令嬢レベッカ様の恐ろしさを教えてあげる、見せしめ的モブってところかな? 捨て駒でもいいかも。
*
人生は挑戦の連続だけど。
なんでも挑めばいいってもんじゃないぞ、ルキノー。
状況を理解したわたしは、まずそう思った。いや自分のことだけど。
それからわたし同様、言葉を失くしたままの王子を見た。夜這いかけられたシャウル様を。
何しろ女性向けラノベの登場人物、さらにヒロインの相手役だ。かっこいいに決まっているし、性格もいい。さらさらの金髪は王子の名に相応しいし、品行方正で絵に描いたような正統派ヒーローだったはずだ。本人目の前にした今だって、目の保養のラッキー感がある。
うん。大体普通な子爵令嬢に手の出る獲物じゃないな、どう見ても。
ルキノー、己を知っていてくれよ。確かに貴族は貴族だが、小説の中だと君はそこそこな扱いだったじゃないか。ヒロインのように底辺から這いあがっていく根性もないくせに、いきなり夜這いってなんだよ。なにゆえそこだけ妙に肉食なんだ。その身の程知らずのせいで、これから地獄が待っているじゃないか。ヒロインのため、捨て駒のような人生を歩まねばならないんだぞ?
後悔はしている。だけどすでに誘いはかけてしまった。
見せしめ没落ルートを避ける方法はあったはずなのに、今や完全にそれに乗っている。最悪だ。たぶんこれからあがいてもどうにもならないだろう。ならば。
(しょうがねえ。精いっぱい務めようじゃあねえか、モブって奴をよう!)
わたしは気風のよい江戸っ子になったつもりで決意を固めた。
ここは世のためヒロインのため、おいらが一肌脱いでやろうじゃねえの、みたいな気分で腹をくくった。
では始めよう。まずはさっきの続きから。しばし考え中だったせいで不自然な間ができてしまったがそんなものは華麗に無視し、シャウル様を、うるんでいるつもりの瞳で見上げた。
「わたし、ずっと好きだったんです。でもシャウル様は気づいて下さらないし」
「……」
「レベッカ様よりわたしのほうが、もっともっとあなたを愛しています! お願い、わたしを見て? レベッカ様のことなんかより、わたしを」
いやあ、自分で言っててなんだけど。悪役令嬢っていったって、仮にも友達なんだからさあ。その友達の婚約者にちょっかい出すのもどうかと思うよルキノー? 女の仁義ってものを知らないのかね。
「それに最近シャウル様、あの庶民の小娘をやたら気にしているでしょう? レベッカ様も怒ってるけど、わたしも嫌です。あんな娘を相手にするぐらいなら、わたしを」
さりげなくヒロインも貶しておくとするか。あ、でも。
「確かにサリーネは性格もいいし優しいし、成績も優秀ですけれど。噂では自分が世話になった孤児院にお金を送るため、奨学金をぜんぶ使っちゃったって話を聞きましたし。いい話ですよねえ、うんうん」
この王子様が誰と結ばれるべきなのか忘れちゃうところだった。ここはむしろヒロインを褒めておくべきだろう、さりげなく。
「学園一の成績だし今やクラスの中心だし、それからなんだっけ。ああそうそう、この前の金の卵のガチョウ盗難事件、あれ解決したのもサリーネさんですよね、すごいわあ、大活躍じゃないですか」
うん、思い出せる限りのストーリー話しただけだけど。ヒロインべタ褒めしちゃった。
「素敵な人ですよねえ、サリーネさん。一国民としてのわたしの意見なんですけど、ああいう人が王子様と結婚していつか王妃様になったら、この国もきっと安泰なんじゃないかとつねづね思って」
「その話、いつまで続くんだ?」
相手の反応がないせいでしゃべり続けさせられたわたしだけど、やっと止めてもらえた。
明らかに不機嫌そうな様子の、無防備な寝間着姿の王子がやっと遮ってくれた。
はあ、と内心でため息をついた。ようやく追い出してくれるらしいので。
(くっ。これからが辛い。せめて娼婦にだけはならずに済むよう立ちまわらないと!)
わたしはこれからの身の振りかたについて思案を始めていた。悪役令嬢レベッカ様にどう謝るかとか、没落回避について真剣に検討を始めた。続きわかってるから簡単、とか思いたいけれど、そこは哀しいモブの宿命。原作での「子爵令嬢ルキノー」扱いが軽すぎて、具体的にどういじめられるのか詳細がわかんないんだよね……。ああ、モブって辛いわ。
「じゃ、そろそろおいとまを」
頭の中で他のことを考えながら、自分から去ろうときびすを返したわたし。だけど。
「こら」
「はい?」
「最初に戻れ。『どうか今夜わたしを』の続きは? 何が言いたかったんだ」
「……」
いやわたし、あなたの安眠のため、ここから退散しようとしてるんですけど? 別にわたしをどうにかする気もないでしょうが、あなただって。
それなのに何故止める。何故わたしの腕を掴んでいる。
「……身の程知らずな真似をして、申し訳ありませんでした?」
ああ。謝るのを忘れていたっけ。そうだよね、いきなり寝室に忍んでこられた上にわけわからんこと散々しゃべられて、怒ってないわけないか。そう思って謝ったのに。
「謝れと言いたいんじゃない。『わたしを』の続きを」
「えー……」
なにその要求。めんどくさいなあ、それ聞いて意味あるのか。
もう、しょうがない。
「そうですねえ……あ、そう。あんな人を相手にするぐらいなら、わたしを抱いて下さい。お願い、今夜だけでもあなたのものになりたいの……。これならどうです?」
即興だけど、我ながら渾身の演技だった。まあわたしもルキノーとして生きてきたし、ずっとこの人に恋してたのは、つまるところわたしでもあるわけだし? 本物の恋心を籠めるのは難しくなかった。
「悪くない」
「え、そ、そうかな。えへへ」
偉そうだな。この王子、品行方正なはずなのに。褒められて悪い気はしなかったけど。
「だから、こっちも期待に添うよう努力しよう」
「はい? ってちょっと」
「君の気持ちをはっきり知れてよかった。いきなりだとは思うが、まあいいか。来い」
いやあの、待って。わたしの腕放そうよ、シャウル様。って、向かう先はさっそくベッドですか? 何、マジでその気になってないよね?
「嬉しいぞ、ルキノー。やっと覚悟を決めてくれたということだろう?」
「か!? 覚悟って」
「なんとなくわかっていたんだ……君が柱の陰から私を見ていることに気づいた瞬間から」
口ではそう話しながらも、シャウル様の手は止まらない。簡素なワンピース姿のルキノーの、つまりわたしのボタンをどんどん外していく。
あわわ。脱がしにかかるの早すぎないか王子様!?
え、冗談? ドッキリ? それともノリつっこみとかしたほうがいいの? やだあ王子様ったら手が早いんだからあ、とか?
「~~ちょ、ちょっとストップ! シャウル様、何してるの?」
ファーストもセカンドもとっくに通り越した長いキスの後、やっとわたしはしゃべることができた。声がうわずってしまったのは、もうしょうがない。片思いの相手にちゅーされたら、誰だって……って。
「何って、君の希望を叶えようと。せっかくここまで来てくれたのだから」
「かかか、叶える!? 希望って」
つまるところあれじゃないか。本気か。丁重に追い返すんじゃないのかシャウル様。
王子は肉食だったようだ。せっかく自分のところに来た若い娘、どうせなら食べてしまえという程度の軽さがあるらしい。え、どうしよう、このまま美味しくいただかれたら……だめだ、レベッカ様が怖い! 娼婦どころの騒ぎじゃないよ! 木っ端モブが王子を寝取ったら、死亡フラグ級の緊急事態じゃないのか!?
「だめです、お願い今日のところはご勘弁」
「何故? 自分から来ておいて、今さら怖気づいたのか」
お願いだから。お願いだから、わたしの身体を触りながら言うのはやめようよ。少し落ち着こう、ね?
「だって、シャウル様には婚約者がいるでしょう!」
わかってて夜這いかけたルキノーの言うことではないけれど。
だって怖いじゃないか悪役令嬢の復讐が。こっちはヒロインでもないモブなんだ、闇から闇へ葬られても誰も気づかないだろうに。陰に日向に助けてくれるようなサブヒーローの存在は、ヒロイン限定の特典なんだからね!?
するとシャウル様、不思議そうに首を傾げる。
「婚約者? 今のところ決まっていないが。いるのはただの候補だな」
「候補お!? 何言ってるんですか、レベッカ様がいるのに!」
「レベッカも今のところ候補だ。――ああ、あいつが勝手に吹聴しているのは知っているが、違うよ、ルキノー」
その、最後にわたしの名前を呼んだシャウル様が。
ふわりと笑ったその顔が、最高にかっこよかった。このまま食べられてもいい気がした。
(はっ)
いかん、まただ。うっとりしてる場合じゃないのに。うわ、いつの間にか完全にベッドで押し倒されてるんだけど。やばいよ、いろんな意味で。
「いやでも、ヒロイン、じゃなくてサリーネが」
「またあれの話か。最近鼻につくんだよな、平民の分際で学園の女王気どりで」
「ええ!? そ、そろそろ気になり始めてるはずじゃ。『彼女を見ると胸が騒ぐ』とか、モノローグにあったでしょう!?」
「それは誰の話だ? まさか私じゃないだろう」
いやあんただよシャウル様。ただひとりの平民の生徒として健気に奮闘するヒロインに、勇気づけられてるはずだろうが。
「さっきからどうして……ああ、わかった」
いぶかしそうな顔したシャウル様は、やっと止まってくれた。半裸にされた状態で止まられても困るけど。だからって進んだほうがいいって意味でもないけど。
わたしの両側に手をついたシャウル様は、真剣な表情だった。
「ルキノーにばかり言わせていたな。不安にさせたか」
「はい?」
「そうか、悪かった。――女性から来させることになって面目ないが、私も真剣だ」
そしてわたしの髪をひと房取り上げると――その仕草に「くさっ」とドン引いた自分と、「やだ素敵」とときめいた自分がいて、わたしは戸惑う――口づけた。
「君が好きだ」
「……」
「柱の陰から常にこっちを見る君、山のようなラブレターをこっそり送ってくる君、私の使った消しゴムのカスすら拾って宝物にしている君が」
立派なストーカーだよ? ていうか、レベッカ様の取り巻きその三を務めながら王子にストーキングしている暇がよくあったよね、ルキノー。
他人事みたいにしてるけど。それは確かにわたしのやったこと。
そう、わたしはルキノー。この人を好きなのはわたしだ。偏狂的なまでに恋した挙句、ほぼストーキングに近いつきまとい方をしていた。
わたしは自分から手を伸ばした。シャウル様の頬に。
「……本当に? これからもやっていい?」
「ああ。大歓迎だ」
笑って受け入れるシャウル様もシャウル様だ。常軌を逸していると判明した、わたしもこの王子様も。
でも――だからこそ、こんな人ほかにいないと思った。“この人だ”と、強く感じた。
「もう本望。殺されてもいいや」
「そんなことは誰にもさせない。愛しいルキノー、さあ」
お互い相手の身体に腕を回す。大好きな人に抱き締められると、脳天に来るのだと初めて知った。
*
……えーっと。うん。
詳細は省くけれど、あのあと結局、子爵令嬢ルキノーは綺麗な体のまま朝を迎えました。もちろんシャウル様もです。
うん。だってさ、やっぱりいきなりはまずいじゃん。貴族ですから、そこはやはり結婚までは綺麗な体でいないと色々問題が。シャウル様も最終的には納得したし。
そして見せしめモブのルキノーの運命はというと、わたしはいまだにその役目を果たせていない。そのため物語も動いていない部分がある。
なのでわたしは、その隙を突こうと考えている。というかそれしかない。
「学園の卒業までに、王家に相応しい貴婦人になります」
ストーキングはやめた。その体力とバイタリティは、真っ当な方向へ伸ばす。
「私はルキノーの、その変態的なところがいいんだが……いや。そうか、嬉しいな」
「レベッカ様にも、サリーネにも負けないような女になります」
シャウル様が誰にも明かさず、朝もこっそり家に戻れるように手配してくれたので、夜這い事件は発覚していない。今のところ。お陰で没落エピも始まっていない。今のところ。
ただし、ヒロイン・悪役令嬢・木っ端モブの関係はそのままだ。相変わらずサリーネは学園のアイドルのごとく活躍しているし、レベッカ様はシャウル様がどれだけ否定しようと自分が婚約者だと吹聴している。
しかし。もうここは元のラノベとは同じじゃない……と信じたい。大変だけど、実際。ヒロイン補正もご都合主義も、わたしなんかのためには動いてくれないだろうし。
(でも諦めないけど。諦めたらそこで終わりだって、エラい先生が言ってたし!)
武器にできるのは自分自身の、ストーカー化するほどのバイタリティと、元のラノベに関する知識だけだ。でも諦めない。内心で決意するわたしに、シャウル様は笑いかけた。
「実はだいぶ前からルキノーも婚約者候補に入っていて」
「え。それは初耳です」
「私の希望で入れてもらった。だから」
見た目は大体普通なスペックの子爵令嬢、だが病的執着を内に秘めたわたしをこの上なく愛しげに見つめる変わった王子様シャウルは、こう告げた。
「私たち次第だ。実現できるかどうかは」
「……はい。わたしは諦めせんから、シャウル様を」
レベッカ様の取り巻きも辞めたわたしは、正々堂々、王子の妃の座を狙うモブに変わったのだ。ヒロインよりも根性みせて、悪役令嬢とも戦ってやることにした。
覚悟を決め、原作に立ち向かうモブとして。
*
……それにしても。
あの夜、わたしは確かに腹をくくった。くくったけど、こういう方向じゃなかったはず。どうしてこうなったんだろう。