リベルの街
ごとごと馬車に揺られながらヒロシは、アルベルの商売の拠点であるリベルに向かっていた。
アルベルとの当たり障りのない会話からヒロシはいろいろと情報を手に入れていた。
一つ。この世界の治安はあまりよくない。
盗賊が跋扈し、さらには魔物や凶暴な亜人種、竜なども存在する。
魔王なんてものはいないようだが、ダンジョンの類は存在するらしい。
二つ。レベルの上限が異様に低い。
一般的な冒険者や軍人でレベル20前後。
達人と呼ばれるものたちですらレベル40前後らしい。
50を越えると歴史に名を残す英雄レベルなのだそうだ。
三つ。相場について。
一般的な家庭の月収はおよそ二万アルクくらいだそうだ。おおよそ、元の世界の十分の一といったところか。
食事は一食五十アルクもあればそれなりの食事にありつけ、宿も安宿であれば一泊二百ちょいで泊まれるらしい。
他には雑多な情報はいろいろと入手したが、重要と思えるのはこの三つだ。
自分の作った世界とはいえ、まだまだ設定のしていない部分というのはいろいろ見つかるものだ。
夢から覚めたら今聞いたことは全部書き足しておくことにしよう。
というか、いつになったら目が覚めるのだろうか?
この夢はあまりにもリアルすぎてたまに不安になってくる。もしかしてここって夢じゃなくてマジで異世界に放り込まれたんじゃないか、と。
(さすがにないよな……?)
試しに頬をつねってみる。
「――痛ッ!?」
頬がビリビリする。
いきなり自分の頬をつねりだしたせいかアルベルが奇妙なものを見る目を向けてくるので、愛想笑いでごまかした。若干笑みが引きつっているような気がする。冷や汗が背中をダラダラと流れている。
(――ち、ちょっと待て。普通に痛いぞ? ここは夢じゃないのか?)
自分で言っておきながら、なんとなく夢じゃない方が納得できる部分が多いことに気が付く。
まず、痛み以外にも感覚がリアルすぎる。
風を感じたり、盗賊を殴ったときの鈍い感触などいつもの夢ならありえない。
それに、アルベルの存在だ。
ここが夢の中であるならアルベルもヒロシの記憶が生み出した存在ということになるのだろうが、それならばアルベルの言動の全てはヒロシの記憶の中にある情報によって成り立たなくてはおかしい。
なのに彼はヒロシの知らない言い回しをした。
〝失礼でなければお名前を頂戴してもよろしいでしょうか?〟
彼はそう言った。
ヒロシなら、「名前を教えてくれないでしょうか?」と言うし、そんな言い回しがあること自体ヒロシは知らなかった。
もしかしたらどこかで聞いていたのを深層意識が覚えていたのかもしれないが、それにしても彼の言動はあまりに自然すぎる。ヒロシが無理に大人の商人を演じようとしたらもっとへんてこな感じになるだろう。
他にも考えてみればおかしな点が多い。
どうしてヒロシが設定していない細々としたルールが次々と出てくるのか?
ヒロシの脳内にないものをどうやって夢で見れるというのか。
考えれば考えるほど夢とは思えなくなってくる。
(落ち着け。まだ、そうだと決まったわけじゃない。時間が経てば普通に目覚めてやっぱり夢だったというオチの可能性もある。今は流れに任せてみよう)
「リベルの街が見えてきましたね」
「へえ、あれが……」
表情を取り繕いつつアルベルと会話していると、遠くに城壁のようなものが見えてきた。
盗賊たちを退治してからおよそ半日の旅路だ。
空高く輝いていた太陽は山の裾に半分隠れ、空はオレンジに染まっている。
アルベルが指差した街の壁の高さはおおよそ五階建てのマンションくらいか。
街をぐるっと囲むように無骨な灰色の壁が立ちはだかっている。
正面には大きな門が見え、その前には少しばかりの行列が出来ている。
『神眼』で見てみるとそのほとんどが商人で、門の前に数人の『兵士』が見える。
「もしかして、街に入るには手形とかが必要だったりするんですか?」
「あはは、そんなものは必要ありませんよ。商人は積荷のチェックがありますが、それ以外の人は素通りです。それにチェックされるのは外の町から入ってくる商人だけで、私はリベルに住んでいる商人ですのでチェックはありません」
質問すると、打てば響くように答えが返ってきた。
出会って半日の付き合いだが、アルベルは相当にできた人物だと思う。知識の幅が広く、恩人に対して礼儀を尽くし、不躾な質問に対しても真摯に回答をくれる。
最初に出会った人物が彼であった幸運を神に祈りたくなってくる。
アルベルの言葉通りなんのチェックもないまま馬車は門をくぐっていく。
街に入るとレンガ造りの町並みが一望できる。人の通りは多く、街は活気に満ちている。丁度食事時なのか道行く人達は野菜やパンなどを抱えて忙しそうに立ち去っていく。
「トレインさんはこれからどうされるのですか? 私は店に戻って帰還の報告をせねばなりません。もし、トレインさんがお急ぎでなければ救っていただいたお礼を兼ねて店で歓待させていただきますが」
「……えっと、せっかくの申し出なんですが遠慮しておきます。その、実はちょっとした用事がありまして」
彼の好意に甘えたいというのが本音だが、今後のことを考えて断ることにした。
用事があるというのは嘘だが、やりたいことはある。
ここが夢の世界なのか、それとも本当の異世界なのか分からないが、半日経っても目覚めないことを考えるとしばらくはこっちで生活する必要がありそうだ。
ならばこの奇跡のような状況を楽しみたいとヒロシは思い始めていた。
だってそうだろう。現実世界での自分はただのさえない学生にすぎない。だが、ここならば自分の考えたチート主人公として生きていけるのだ。
さすがに永遠にここで生きていこうと思うほど思い切れないが、戻る方法が分かるまでは自由に生きてみたいと思う。ここがファンタジーの世界ならやりたいと思うことはそれこそ無限にあるのだから。
アルベルには悪いが、一人のほうが動きやすい。
彼の好意を無碍にするのは心が痛むが、ここは是非納得してもらいたい。
「左様ですか……。分かりました。トレインさんがそう仰るのであれば無理にとは申しません。ですが今後なにか私の力が必要なことがありましたら遠慮せずにお頼り頂ければと存じます」
「ええ、そのときは是非」
「有難うございます。では、これが護衛を勤めて頂いた報酬となります」
「どうも」
アルベルから銀貨を受け取る。
「それでは、大変お世話になりました。私の店はこの大通りを抜けた広場にあります。それでは」
最後に握手を交わして、アルベルとは分かれた。
去っていく馬車に心の中で「ありがとう」と伝えてヒロシは雑踏の中へと入っていく。
『神眼』を発動させ街の人間を眺めながら歩いていく。
いろいろな職業があり、レベルもまちまちだ。
街に入ってから気付いたこととしては、『神眼』のスキルが建物にも有効だということだ。
ほとんどが『民家』としか出ないが、たまに『商店』とか『教会』『宿屋』などもちらほら見受けられる。
「まずは宿を確保しないとな……」
初日から野宿はさすがに勘弁したい。
日が傾いてきているのであまり時間はない。初日はあまり欲張らずに適当な宿でも取ることにしよう。アルベルからもらった銀貨があるのでしばらくは生活には困らない。宿が気に入らなければ別のところで泊まればいいのだ。
適当な宿屋を見つけてドアをくぐる。外観は酒場っぽいが『神眼』では宿屋となっているので酒場兼宿屋なのだろう。
「おう、らっしゃい。酒場はまだ準備中だぜ?」
店に入るなり威勢のいい声が飛んできた。
エプロンをした中年の親父が人の良さそうな笑顔を向けている。
『神眼』を発動したままだったので彼のステータスが自動で脳内に現れる。
■
カルロス=ダン 種族:人間 男 年齢:42歳
レベル:4
職業:商人
装備品:やすらぎのエプロン
あの、エプロンは装備品扱いなのか……。
思わずツッコミそうになったが堪える。
「いえ、宿を取りたいんですが」
「おっと、宿の方の客だったか。うちは一泊朝夕食付で四百アルトだ。飯なしの素泊まりなら三百だな。料金は先払いだ。どうする?」
食事がついてきてこの値段ならいい方だろう。
見た感じ店内は清潔そうだし、試しに一泊するくらいならいいだろう。
「お世話になります」
「まいど! それじゃあこっちへ来てくれ」
カルロスに案内されて、店の奥のカウンターへ。
使い古された台帳を開くと、羽ペンとインク壷を取り出した。
「お客さん。名前と年齢を言ってもらえるかい?」
「トレイン=バーネット。16歳です」
「あいよ。トレインさんね。何泊していくんだい? 五泊以上連泊してくれるなら一割料金を引かせてもらうが」
「まずは一泊だけで。まだ今後の予定が決まってないので」
「なるほど、ね。じゃあ、料金は四百アルトだ」
袋から銀貨を四枚取り出して渡す。
「はいよ、確かに。あんたの部屋は二階の右手、一番奥だ。夕食と朝食の時間は決まってないから食いたくなったら俺に言ってくれ。ただし、飯を食わなくても返金はしないからそこは注意してくれ」
「分かりました」
「あと、この宿は見て分かるとおり上等な場所じゃないんでな。部屋に鍵なんかつけてないんで外出するときは貴重品なんかは持っていってくれ。盗まれたりしてもこっちは責任持たないでそこも予め了解してくれると助かる」
「了解です」
苦笑いしながら返事する。
さすがはファンタジーというべきか。まあ、今は貴重品といえるようなもんはないので別に気にはならない。
さっそく部屋で横になろうかと思ったが、着の身のままで寝るのはどうかと思う。それに体を拭くためのタオルとかが欲しい。
「すみません。着替えとかを買いたいんで、良い店知りませんか?」
「そうだな。この時間ならまだ市がやっているはずだから大通りの広場に行けばいい。上等な服が欲しいなら西通りにある服屋が一番だ」
「ありがとうございます。それじゃあ市のほうへ行ってきます」
店主に礼を言って宿を出る。
資金が潤沢にあるわけじゃないので、相場を見て必要なものを買い揃えよう。
来た道を戻って大通りへ。
そういえば広場にはアルベルの店もあるらしい。分かれてすぐに会うのも気恥ずかしいので会わないように祈るしかない。
『神眼』を発動しながら街を歩いていると、様々な職業や種族が見て取れる。
『獣人』『竜人』『エルフ』『ドワーフ』などなど。
ファンタジー定番の種族は一通り揃えているようだ。職業もいろいろあったが、目を引いたのは『奴隷』だ。
ファンタジー世界なのでいるとは思っていたが……。
重そうな荷物を運んでいるのはほとんどが奴隷身分の人間だ。首には無骨な首輪が着けられている。
奴隷を見ても周囲の人間は気にした様子もなく歩いているところを見ると、奴隷というのはこの世界では別段珍しくもないものなのだろう。
ヒロシも「可哀想だ! 助けないと!」と思うほど青くはない。ここはこういう世界で、こういう場所なんだと割り切れる程度にはルールというものを知っているつもりだ。
少しばかり気持ちにしこりはあるものの、広場に着いた。
広場には露天がところ狭しと並んでいる。
半数が野菜や干し肉などの食品を扱っている店で、雑貨や服などを扱っている店は少ない。適当に露天をひやかしながら必要そうなものだけ買っていく。
大きめのカバンに、肌着などの衣類、タオル代わりになりそうな布。
衣類は多めに買っておく。
締めて合計は銀貨七枚なり。
買うものは買ったので宿屋に戻ろうかと思ったところで、本を売っている店をみつけた。この世界の文字って何語なんだろうか?
興味本位で覗いていると店主の女性が話しかけてきた。
「そこのお兄さん。興味があるなら見ていかない? 多少なら中を見てもらってもいいし」
「いいんですか? それじゃあ……」
適当に一つ取ってぱらぱらとめくってみる。
本はアルファベットを崩したような謎の文字で埋まっている。
これは読めそうにもないなと本を閉じようと思ったら、少しずつだが読める単語が出てきた。もしかして、と思いそのまま読み進めていると、
――Pスキル:識字 を取得した
案の定スキルを取得した。
改めて本を読んでみるとさっきまで分からなかった言葉が勝手に脳内で翻訳されていく。
スキルまじ便利。
手に取った本はこの国の歴史に関する本だった。興味がないので戻し、他の本の表紙を見ていく。
「お、これ……」
分厚い革で装丁された本に手を伸ばす。
表紙には『初期魔法入門』と書かれている。
魔法……なんて良い響きだろう。
ファンタジー世界に来たのだから是非一度は使ってみたい。
「おや、お兄さんは魔法使いなのかい?」
「違いますけど、魔法に興味はありますね」
「魔法は才能がないと使えないよ?」
そういえばそんな設定にしていたような気がする。
魔法の素養を持つ人間は大体千人に一人だかそれくらいだったはずだ。
「そうなんですか?…………ああ、でも多分大丈夫だと思います。これいくらですか?」
「買ってくれるっていうならアタシがどうこう言うこっちゃないけど、魔法が使えなかったからって返品はよしとくれよ? 値段はそうだね……、あんまり売れそうにないし四千アルトでいいよ」
結構、高い。
宿十日分の値段である。
魔法は使いたいがあまり手持ちに余裕もないのでダメ元で値切ってみよう。
うまくいけば御の字ということで。
「ちょっと高いなあ……。三千とか無理?」
「お兄さん、さすがにそいつは無理ってもんだよ。三千七百だね」
「三千三百は?」
「三千五百。これ以上は負かんないよ」
「う~ん、それくらいならいいか。これください」
「まいど」
――Pスキル:交渉 を取得した
なにげなくスキルを取得してしまった。これがあれば今後も値切ったり出来そうだ。
代金を支払い、本を受け取る。
内容は気になるが読むのは宿に戻ってからにしよう。
必要なものは買ったので宿に戻るとしよう。
気がつけば太陽はほとんど山の中に隠れてしまっている。オレンジ色の空が濃い藍色に染まっていく。
幻想的な風景を眺めながら、ヒロシは早足に宿屋へと戻った。