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第五話


 第五話 第一幕 新人の判断


 傍観者 ヴィルマ・ガソット



「島崎真二。私は彼をNOTと認定します。考察…判断は難しかったですが彼がNOTであることはまず間違いはありません。」

 私は神戸教官とタクシーの中で今回の「神隠し事件」について自分なりの見解を述べていた。

「神隠し事件で失踪した人間は十二人。しかし、十三委員会が「神隠し」…NOTの捕食対象にあったと認定しているのは三名。以外九名は何らかの形で存在を確認されています。死体という形で発見された方もいらっしゃいましたが、結果から見ても純粋に食料になったのは三名ですね。一人目、一年A組 副島歩。二人目、同じく一年A組 小子内梨央、三人目は小子内梨央の兄、三年B組 小子内流星。流れからして三年B組の生徒に寄生している可能性が高いことはお分かり頂けると思います。」

「おう…それで?」

「以前より聞き込み調査をしておりましたが、友人の様子がおかしいと証言した女子生徒がおり、彼女の素性を調べたところ彼女は陽正高校男子バスケ部マネージャーであり、特殊な生い立ちをしていましたが、彼女、色芳彩香自体は白。所属の男子バスケ部を調査した結果、島崎真二という突出した動きを見せる存在を発見し、今まで感じたことの無いような昂ぶりと言いますか、同族意識を感じた次第ですね。彼自身三年B組で黒の可能性は十二分にあるかと。」

「もう一人、男子バスケ部には三年B組の生徒の原口という奴と、エースとして名高い三年A組所属の古川楔、溝口俊介という奴らが居るが彼らはどうだ?」

「否定することはできませんが、その線は薄いかと思います。三人目小子内流星が消えたのが六か月半前、島崎真二は六か月…半年前くらいから身体能力が格段に上がったのだという証言を取れたので。そこまで劇的な変化は奴ら以外には考えられないかと」

「そうか分かった。ヴィルマ君は自分の信じた通りに動いてくれ。僕はそのフォローをするよ。大丈夫失敗は無いさ。しかし、君の意欲も目を見張るものがあるよね。単身、私服で陽正高校バスケ部の試合を見に行くとは…そんな丸腰状態で相手がもしNOTと化したらどうするつもりだったの?」

 私は先ほどまでの行為を思い返し反省をする。確かに実際、大事には至らなかったとはいえ、いつ誰がNOTとなるか解らない状況での潜入は不味かったかもしれない。

「それに関しましては私の経験浅はかな部分が…」

「でも怪我しなくてよかったよ。でも中には同族が来ただけで激しく暴走するNOTも居たからね今度から気を付けるといいよ。」

「はい…ご忠告ありがとうございます。」

「島崎真二か…いや、NOTだと思うけども…何か引っかかるな…」

「教官?」

「…ああ、見えて来たね。陽正高校」

「はい。」

 黒地のコートに赤い逆十字。NOTを相手にする手前、一応は正義の団体を気取っているが、彼らの正装に正義といった印象は受けづらい。十三委員会新米のヴィルマ・ガソット、第三室室長の神戸四季はタクシーを降りて陽正高校の校門に辿り着いていた。

「ヴィルマ君。どうだい?」

 神戸教官は解っていることを敢えて彼女に聞いてきた。

「…居ます。こんなに強く奴らの存在を感じたのは初めてです。」

 ヴィルマは少なからず不安を感じていた。腰に下げている不斬黒刀に手を掛けると震える手を宥めるように力を入れた。それでも恐怖は拭えない。両親のことがフラッシュバックして手が止まりそうだ。

「行こうか。君の初陣だ。」

 神戸教官は慣れているようで緊張の欠片も感じられない。市街地にいるのに今日はやけに辺りが暗い。街灯の明かりが一つも付いていないのだ。不気味な世界に迷い込んでしまったのではという錯覚がより手をこわばらせた。

「了解です。」

 しかし、恐怖してはいられない。私ヴィルマ・ガソットの様に恐怖から救われる命だってあるのだ。そういう人の為にも手を拱いている訳にはいかない。

手の震えは神戸さんが言う「武者奮い」というものだ。

さぁ…ここからが私のステージです。私の目のアクアブルーはより光を放っていたことだろう。



 傍観者 神戸四季



 既に事は起こった後だった。僕とヴィルマが体育館へ着いた時には吹き抜けで一階を見ることが出来る二階トラックの落下防止用手摺は抉られ、窓は半分近く割れて散乱、体育館二階トラックは無残な状況になっていた。

「遅かったか。しかし、この破壊は人間さが残っているように感じるな。何かを見られて逆上したとか、邪魔をされたとかという類か?…ってヴィルマ!」

 ヴィルマは手摺を乗り越え二階から一階へと降り立つ。長い銀髪が月明かりに照らされて美しい光を放ち、アクアブルーの目は眼前の影を捉えていた。二つとも人間の姿をしていたが、一人は暗闇でも解るほど体からドス黒い闘気を纏い、目は黄色に輝く。まるで野生の猛獣が迷い込んだと見間違うほどに獰猛な眼をしていた。

「…処理対象『NOT』を確認。第三室室員ヴィルマ・ガソット…行きます。」

 対象の眼を見て覚悟を決めたヴィルマ・ガソットは呟く。

「Not factor patent―code SILVER MOTH」

 ヴィルマの身体から銀色の鱗粉が舞う。不斬黒刀を手に取り対象に切りかかろうと目にした矢先、もう一人の存在が注意を引いた。これではまた一人犠牲になってしまう。良く見るとどちらも陽正高校の男子生徒のようで格好から察するにバスケ部員らしい。男子学生を確保しようと軸足に体重を掛けたところで男子学生が異常な行動を取った。

「やめて!待ってくれ!」

 男子学生はあろうことか両手を広げてNOTを庇ったのだ。ヴィルマを敵と認識したのかは解らないが、ヴィルマとNOTとの間に意志を持って割り込んだ。どうやら男子生徒は私がアイツを殺そうとしていると察したのだろう。

「俺は陽正高校3年!古川楔!彼は島崎真二だ!まだ駄目だ!彼と話をさせて欲しい!もう少し時間をくれ!」

 古川という生徒はNOTへと落ちた島崎という生徒と話をしたいと言った。それがどれだけ危険なことか、ヴィルマは瞬時に察知でき、言葉で語るよりも先に動き出していた。


「そうだ…それでいいヴィルマ君。自分で危険の判定をしろ。」

二階トラックから戦いの輪に参加する意思がなくギャラリーと化していた。元々これはヴィルマの試験な訳で彼女が一人で解決するしかない。合格条件はNOTの討伐。その役目を誠実に守る。




「糞…やっぱり駄目か…」

 古川は自分の願いが聞き届けられなかったのを受け、今度は言葉ではなく行動で止めてやろうとヴィルマを追った。止めようとしているのを察したのかヴィルマはそれに気づき一度目を配らせた。

「無駄です。私は身体を弄ってあるので生身の人間では捉えられませんよ。」

 ヴィルマは古川の横をすり抜け島崎へとさらに近づく。古川が諦めずに食らいつくと黒装束のマントを掴むことが出来た。

「……スポーツ選手をなめるなよ!」

「…まさか…掴まれ…」

 人間死ぬ気になればなんでもできる。走馬灯や火事場の馬鹿力がその例で人間のリミッターを解除する力。そのリミッター解除が働いたのだろうとヴィルマは考えた。そうでなければNOT因子を埋め込み半妖状態の私たちを捉えられる訳がない、と。この少年、古川楔にとっては今回のNOT島崎真二がそれほどに大切な人間だったのだろう。完璧に振り切ろうと古川に裏拳を入れるが彼は一向に離さない。

「行かせねぇよ!」

「…くっ…しつ…こい」

 空いている左手で男子生徒を引き剥がそうと連打を続ける。傷つけるわけにはいかないので不斬黒刀で殴りつけることはできない。いくら殴りつけてもしがみついてくる古川への対応を迷っていると黒い気配がドッと背筋を寒くした。

「古川…!」

 黒い闘気を纏い島崎というNOTは完全覚醒を終えた。最早人間と呼べないその姿は球体に細い手足と羽を取ってつけたような歪な形をしていた。体長は三メートルを越え、それでも人間の言葉を話すNOTは異常としか思えない。

「……島崎逃げろっ!こいつはお前を…!」

「ギィアアアアアア!」

「放して!アイツはもう人間じゃない!殺すしかない!」

 自分の理念とは異なることを言い、身を切るような苦痛を浮かべる。

「駄目だ…島崎は…これから高校バスケ界のヒーローになるんだ‼お前に俺たちの十年間を否定する権利はねぇ!」

「逃げろ…古川…」

 NOTが腕を振り回し古川とヴィルマを見境なく襲った。ヴィルマはその攻撃を不斬黒刀で叩く。NOTに対して使うのは初めてだったが、NOTの体躯を殆ど抵抗なく分解でき、まるで木に付いている葉を薙いでいる感覚で、攻撃の大半を不斬黒刀で薙ぎ払った。腕を分解することに成功するも、再生速度はヴィルマの予想を超えていた。腕は二本で左右片方ずつ攻撃して来るが、右腕を分解すると左腕が襲ってくる、その左腕も分解すると今度は再生し終わった右腕が襲ってくるという終わりが見えない応酬はヴィルマの精神だけを削っていく。何連撃目かヴィルマが不斬黒刀で消し飛ばし損ねるとその腕は後ろに居た古川に向かっていく。

「避けて!」

「……え…?」

 黒い腕は黒いガスを纏いつつ古川の腹部を抉った。ヴィルマの対応が間に合いNOTの腕を薙いだ御陰で古川の腹部は多少抉られた程度で済んだが、人間の彼が耐えられる痛みではない。

「ギィアアアアアアアア!」

 NOTは吠え体育館を揺らす。共振したのか窓ガラスは全て割れ、破片が内と外に散らばる。

「大丈夫?」

 ヴィルマは痛めた左耳を抑えながら古川を横目で確認する。古川は服を真っ赤に染めており、倒れたまま荒くなった呼吸で肩が上下している。返事はどうやらできない。古川自身呼ばれていることに気付いているのか怪しく、意識が朦朧としていた。視界が拉げて平衡感覚が保てず音も反響して上手く聞き取れないようだが、それでも友の名は忘れない。

「しま…ざ…き…」

「まだ…アレを信じているとでも言うのですか?貴方は…」

 NOTに家族を殺されているヴィルマにとってはNOTを信じるという行為が信じられない。彼女にとっては倒すべき敵であり、憎むべき敵。

「ギィアアアアアアアア!」

 三度目の咆哮はヴィルマに向けられたものだった。眼が存在しないNOTだが、ヴィルマは咆哮が自分に向けれた殺意であり、食物連鎖において捕食する存在を見下す飢えだと感じ取れた。

「……ッ!」

 初めて相対した本物の怪物にヴィルマは怖気づかない。呼び動作なしで繰り出された鞭のような両手を不斬黒刀で切断せず、上へ跳躍。後ろの古川に当たらないのは計算済みで伸びた大樹の幹のような腕を足場に二度目の跳躍。今度はNOTの核らしき球体に向かい特攻を仕掛ける。

「…切断するから再生…するッ…」

「……ん…惜しいな。それは間違いだ。」

 僕は文字通り上から見下す。

「NOTは再生しない。破壊された個所を捨てて生まれ変わる。」

 ヴィルマもそれは知っている、養成所で習ったはずだ。異形の怪物は規格外で規定に定まらない。定まった形なぞ存在しないと。

 NOTの球体に肉薄したヴィルマは不意に思い出す。過ぎった嫌な予感に振り被った不斬黒刀にまで緊張が伝わり軌道が逸れた。逸れた刃は左翼を切断し、ヴィルマはNOTの第三の手で吹き飛ばされる。着地は成功したが口から滴る鮮血が内面的なダメージを物語る。

「仕留め…損ねました。」

「ギィ アアアア アアア」

 呻くNOTに隙は感じずそのままの距離を保つ。堰き込んで手に付いた自分の血に昔をフラッシュバックした。白いNOTが顎を切断されて悶え苦しむ姿。消えた母と父の存在。そして漆黒の衣と赤い逆十字。吐き気で脳内がグチャグチャになるが一つ、ヴィルマにとって利点があった。


 ――昔を思い出せた。


 あの時動けなかった自分を救ってくれた人物の顔を思い出した。その人は今でも上で見て自分を支えている。

「醜態を晒しました。教官…」

「いい。君の限界を見せてみろ…ヴィルマ」

 僕は自分の黒刀。こちらはヴィルマの物と違い刃が付いた斬るための黒刀を二階から彼女へと投げる。左手でそれを受け取ったヴィルマは右手に持っていた自分の不斬黒刀と合わせ二刀流になる。

「準備は出来ました。覚悟も決めました。あとは――」

 月明かりが彼女に降り注ぎ黒刀を輝かせる。

「そういえば剣術は今期トップだったな。」

「ギィイ アアア…ギギャギャギャ!」

「―――舞うだけです。」

 黒衣の美女と黒い怪物が激闘を繰り広げる。壁には穴が開き、床は割れる。黒い怪物が刻まれ、黒衣の美女が刻まれる。血が血を争う闘争。平行線に見えた戦闘もいつしかヴィルマが優勢になっていた。

「終わり…です!」

「ギギャ!」

 振り被ったヴィルマに力の無い反撃を繰り出したNOT。易々と避けると今まで意識の端に置いてあった存在に気付く。球体からは表情は読めないがその瞬間だけは不敵に笑っていた気がした。

「……怪物が!」

 奴の腕が伸びた先には倒れた男子生徒 古川楔が居た。彼は先ほど食らったNOTの攻撃で身動きが取れず這い蹲っている。後方に跳躍し、NOTの腕を狙う。しかし、怪物も馬鹿ではないらしく、腕を枝分れさせた。無数に伸びる腕を落とすのは困難。二振りの刀は乱舞し尽くを薙ぎ払ったが一本、たった一本のみ無数の乱舞をすり抜けた腕が古川を襲う。

――間に合わない。

刹那に感じ取ったヴィルマは古川を守ることを諦め、NOTに止めを刺すことを選んだ。死ねばNOTは消える。蒸発するように跡形もなく。タイムラグがあるとしてもここで息の根を止めれば男子生徒に被害が及ぶ前に殺せる。

「楔っ!」

体育館に新たな声が響く。どうやら女子生徒らしい若々しい声が聞こえたが、振り向いている暇はない。不斬黒刀にNOTの周波数を纏わせ投擲。NOTに突き刺さり断末魔が聞こえたのと男の悲鳴が聞こえたのは同時だった。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「ああああああああああああああああああああああ!」

NOTは破壊した。黒い怪物は崩れ、元の人間と思しき人物が見えたかと思うと消えて行った。

「任務終了。」

彼女は胸を撫で下ろし、後ろを振り向く。


しかし、そこに男子生徒はいなかった。いや、厳密に言うと元男子生徒は存在していた。眼を緋色に輝かせ、腹部に穴が開いた女子生徒を抱えて泣いていた。

「……何でだ。…どうしてアヤカは死なないとならなかった?」

女子生徒は間違いなく絶命していた。ヴィルマは彼が抱えている女子生徒がこの前校門で話を聞いた生徒だと漸く気付く。

「貴方は…」

「もう隠す必要はない!抑える必要もない!…俺は…お前が憎い!」

黒い煙を吐き出す。闇と表現したらわかりやすいだろうか。光を遮断するような深く暗い空間を彼は作り出した。



陽正高校3年A組  古川 楔。

彼もNOTだった。


 第五話 第二幕 失うこと


 傍観者 色芳彩香



 島崎真二のNOTが最後の攻撃をした時に色芳彩香は体育館に入って来た。眼前に見えたのは怪物と血だらけの彼氏、そして黒衣の美女。状況は全くと言っていいほどに頭に入って来ない。だが、怪物から延びる腕が俺に及ぼうとしていたのを確認すると考えるよりも先に体が動いた。

 「楔っ!」

 黒い腕と楔の間に割り込んだ私は楔に覆い被さり後ろからの衝撃を覚悟した。死ぬかもしれないと直感した。



 傍観者 古川楔



 「アヤカ…」

 俺は朦朧とする意識の中、少しだけ聞こえた彼女の声に視界から彼女を探す。手探りで探すと何かを貫いた音がした。大量の暖かい液体が掛かる。意識が回復していくに連れて現状が段々と認識出来てきた。目の前には彼女である色芳彩香が覆い被さっていて左手が手を掴んでいる。

 「アヤカ…大丈夫か…?」

 心配そうに言うと彼女は顔を上げた。笑顔を見せてくれるのかと思ったが、その表情は悲しみと絶望に塗れていた。

 「……くさび…どうして…?」

 彼女はどうしてそんな顔をしているのか解らない。この可笑しなSF的な状況に巻き込まれているのを怒っているのか?無駄に心配させてしまったのか?

 「…アヤカ…」

 ぐちゃ。俺が動くと左手の辺りから液体が絡まった音が聞こえた。視線をアヤカから左手に移すと左手は色芳彩香の体を貫いて島崎真二、NOTの伸びてきた手を掴んでいた。

 「くさ…び…。私…やっぱりろくな死に方…しなかったねぇ…」

 痛すぎる笑顔が俺の心を滅茶苦茶にした。

 そして心の鎖が千切れた音がした。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」

 島崎が消えていく声。

「ああああああああああああああああああああああ‼」

 人間としての俺の叫びが、友の死と、彼女の死と、自分自身の弱さに。嘆き悲しみ憎しみを覚えた。


くさび…幸せをくれて…ありがとう


光が消えつつある彼女の瞳。動かなくなる口から声が聞こえた気がした。

腕の中で重く圧し掛かる彼女の存在をより一層強く感じた。


色んなことが起こり過ぎてグチャグチャになった脳味噌が絞り出した言葉は誰もが冷静に聞き取れる声音だった。

「……皆…死んだ…」


「任務終了。」

黒衣の美女ヴィルマが島崎真二のNOTを潰し振り返ると、俺はアヤカの遺体を抱き、彼女を睨んでいた。眼からは涙が零れるが、気にしていられない。誰のせいでアヤカが死んだと思っている…。

「……何でだ。…どうしてアヤカは死なないとならなかった?」

自分がやったことを棚に上げて、

「貴方は…」

憎しみの矛先を目の前の女に向ける。

「もう隠す必要はない!抑える必要もない!…俺は…お前が憎い!」

黒い煙を吐き出し、光を遮断するような深く暗い空間を彼は作り出した。暗い闇を。緋色に染まった世界で女からの波動が伝わってくる。今の自分になら近いものを感じられる。同族にも似た何かを。

「……任務続行。対象NOTを排除します。」

 ヴィルマは二振りの刀を八の字に構えた。二振りの黒刀は片方だけ刃がついている。

「……アヤカ…済まない。俺は…なんてことを…」

 闇が焔のように燃え上がる。夜を侵食する闇がヴィルマに襲い掛かる。闇の強大さに三歩ほど下がり、自分に逃げ場がないことを確認する。彼女は覚悟を決め、左手の薬指に嵌められたシルバーリングに目を落とす。装飾のない結婚指輪にも似た地味なデザインだが、婚約者との約束があるのだろうか。

「ギリギリまで絞る…」

 ヴィルマは覚悟を決め、二振りの黒刀を構え直す。

「……?」

 俺はその様子を覗い、下手に手出しは出来ない。

 もう戻れないよ島崎…アヤカ、俺も直ぐにそっちへ行く。

 傍観者 ヴィルマ・ガソット



彼女ヴィルマ・ガソットが何をしようとしているのか。

それは至極簡単なことだ。彼女は自分の中にあるNOT因子とのシンクロ率を上げて運動性能を飛躍的に上昇させようとしている。NOTという怪物の力に近づけば近づくほどに運動性は上昇するのだが、彼ら彼女ら兵士にもリスクは存在する。


シンクロ率が一〇〇%を超えると人間に戻れない。


つまり、能力を引き出そうとすればするほどに落ちる可能性が上昇する。

「不本意でも仲間の始末すら任務に入ってくる。」神戸四季がヴィルマ・ガソットに言った言葉であり、これが全てを物語っている。人間に戻れなくなったものはNOTとして覚醒し、他のNOTと大差がなくなる。元仲間を殺すと言うこの制度には承服しかねる者も多く今は起爆装置が仕込まれたシルバーのリングを配布しシンクロが一〇〇%を超えると自動的に爆発を起こす仕組みになっている。なので、兵士は始末されないために、落ちないために、シンクロ率を九十九%以内で抑える必要がある。

しかし一〇〇%では爆発しない。この値を「臨魔状態」と呼称し体の一部がNOTのそれと変わらなくなる。「臨魔状態」を意のままに操れる兵士は一握りしかおらず、階級としては室長クラスの実力者に限られる。


彼女、ヴィルマ・ガソットはその「臨魔状態」を狙っていた。決して劣勢に追い込まれている訳ではない、まだ刃を交えた訳ではないのにも関わらず、精神的にここまで追い込まれたのには理由があった。NOTは捕食し終えると捕食した人間の皮を被ったまま、次の捕食対象を探し、食べる前に一度NOT本来の姿である怪物になるのだが、目の前にいる古川 楔は人間の状態のままでNOTの闘気を纏っている。これは彼がヴィルマを捕食対象としてではなく、殺すべき敵として見ているということだ。

「……ヴィルマ君、気を付けなよ。今は殺すべき相手として見ているかもしれないが、NOTは共食いする怪物だ。最後には喰われるかもしれない。」

上に立つ神戸四季は未だ戦闘に加わる素振りも見せず高みの見物。この陽正高校体育館についてから既に二名の命が亡くなっているが教官の表情はドライだった。余程、彼の方が怪物に見えるほどに落ち着いていた。

「はあっ!」

二つの刃が乱舞し、彼女の目は深い青に落ちていく。色が深くなる程に刀身の速度とキレは増していき、最後には彼女自身の腕が見えなくなる。それでもシンクロ率は一〇〇%には達しず、古川も冷静に刀身を弾いていく。

「…アヤカ…何でここに来たんだ…来なければこんなことにはならなかったはずなのに…死ぬなんて残酷なことにはならなかったのに!」

古川が打って出た。不斬黒刀を掴み、へし折る。ヴィルマは一瞬それに気を取られたが意に介さず逆手に握っていた黒刀を古川の喉元へ突き立てる。怪物の速度での出来事、通常の人間には見えもしないレベルでの出来事であったが、緋色の瞳はそれを見越していた。刹那、古川はヴィルマの左手を根元から引き千切った。

「いああああああああああああああああああああああああ!」

「大丈夫。俺は死なない、負けない。」

片腕を失った私を見下す古川。眼は相変わらず緋色に輝き、宝石をも思わせた。姿は人間でも流石は異形、背中から三つ目の黒い手が生え、それは怪物の腕だった。

「仇は取るぞ。島崎。アヤカ…。」

床には服が破け上半身が露わになり、左腕を失っている私。仇は仇。敵は敵。出血死も考えられるが、NOT因子を埋め込まれているので常識は通じない。私は古川を睨み返し、力に屈しない強い意志を感じた。痛覚が鈍い訳ではない。NOTも通常の肉体と同じく苦痛を感じる。悲鳴こそ上げたがそれ以降、歯を食い縛り古川を見ている。まるで何かを待つように。

「ギャギャ…。」

黒い手が襲う。

「間に合った…です。」

古川の視界が光った。視界を一瞬奪われたが、黒い手に反動を感じたのでバックステップで距離を取る。すると視界を奪ったものの正体に気付く。

「銀色の…腕…?」

それは間違うこと無きNOTの腕。しかし、色は黒ではなく銀色。視界が光ったのは銀色の腕の体表が月明かりを反射したからだろう。状況を整理するとヴィルマ・ガソットの切断された左腕がNOTの腕に生え変わり復活を遂げたのだ。

「臨魔状態……まぐれですが出来ました。任務再開します。」

人間離れした脚力で距離を取った古川に接近すると、古川が動き出すより速く懐へ入り込んだ。銀の腕で薙ぐと古川本体には当たらずに黒い腕が防御する。それでも反動で吹き飛ばされた古川は空中で姿勢を立て直しヴィルマの方へと向き直るが、そこにヴィルマの姿はない。

「……!」

「遅い…です」

背後に回り込んでいたヴィルマは両腕が銀色になっていた。

「……これは…!」

「終わり…です。」


 がくん、と全身の力が抜け落ちる。古川に攻撃を叩き込もうとした瞬間、腕が硬直し、力が抜ける。視界には驚きから不敵な笑みへと顔を変えた古川。彼の闇から生み出された刃が腹部を貫くと体育館の中央へと落下して鮮血をぶちまけた。


 靄がかかった様に霞んでいく視界に対して、冷たい床の感覚は痛みを伴って体に突き刺さる。指先の感覚が無くなっていき、徐々に体の感覚が遠くなっていく。

 冷たい。

 ただ、冷たい。

 視界が真っ暗になり、懐かしい自宅の景色が浮かぶ。母さん、父さんと食べた朝食。笑顔でおはようと言ってくれた母さん、ご飯を盛っておいてくれる父さん、陽だまりに包まれたような温かい空間に包まれる。

ああ、ここで私は死ぬんだと、心の底から納得してしまった。

この感覚を前にも感じたことがある気がした。


 第五話 第三幕 十二柱


 傍観者 神戸四季



 体育館を離れ僕は理事長室の前に来ていた。辺りは暗く、非常口の灯りも消えている。休日で関係者以外は居るはずがない学校。古川楔、島崎真二は校則を破り、夜の学校に侵入したため、現時点で校内に誰かが居るのは可笑しい。扉の向こうからは誰かの気配が感じられる。僕は直感する。この気配は十中八九、色芳香子だ。

「入って構わないよ。鍵は開いているから。」

 中から優しい声音で僕を招待する。失礼、とノックせず理事長室に入ると、思った通りに綺麗な部屋でそこで佇む理事長様は子猫でも愛でていそうな雰囲気だ。

「その姿で対面するのは初めてか。」

「いつ以来だろうねぇ。五年前、パルテノン神殿以来かしら?第三室室長 神戸四季。」

 僕は目を閉じ、深呼吸をした後、ゆっくりと眼を開ける。

「僕を覚えているとは…そんなに特徴的だった覚えはないが、褒め言葉として受け取っておこう。」

「貴方は人類の希望でしょう?神戸四季。NOT手術でNOT因子と融合した存在何て前代未聞だったそうじゃない。どういう手品をしたのかしら?」

 そんなことまで調べていたのか。十三委員会のセキュリティは笊もいいところじゃねぇよ。

「…上層部しか知らないはずなんだがな。」

 神戸四季。NOT因子組込手術において人間の細胞核とNOT因子が完全に融合した人類の変種体。NOT因子とのシンクロ率は常時〇%。しかし、NOTのパルス状を帯びていて、NOTを破壊することは可能。この変種体が人類の進化なのか、変化なのか、判断できず安易に判断すべきではないと上層部で会議が持たれているが答えは出ず、時間が経てば神戸四季は室長へと昇格していた。

「貴方の御陰で私たちにも狂いが生じてきた。『三番』を失ったのは貴方の力が大きかったと聞いているわ。その仇くらいは取らせて欲しいわね。」

「相子だろ?お前も僕の同期を十四人も殺しているじゃねぇか。『十二番』さんよ。」

「パルテノンでの話ですか。あの時に貴方を殺しておくべきでしたよ。生き残りが居ない方がこちらとしても都合がよかった。」

「では、何故僕とレーネだけは見逃した?あの時、お前を含めNOTは四体居たはず、殺そうと思えば殺せたはずだ。僕ら五期生を根絶やす以外に別の主目的があったとしか考えられないな。何をした?」

「何もしてないわ。貴方を見て、可能性を感じたのよ。」

「可能性?」

「私たちと人間の完全融合、イエスは次のフェイズに行きたがっている。」

「神にでもなるつもりかよ。」

 爆発に似た音が後ろから聞こえ、理事長室の扉が目の前を転がる。扉を蹴り開けて姿を現したのは早乙女刑事。

「遅かったな、早乙女刑事。」

「俺が来ることが分かったのか?」

「…勘かな」

「勘って…やっぱお前、俺の正体に気付いてんだろ?」

 早乙女がスーツの懐から取り出したのは注射器。容器内には透明な液体が満ちている。

「まあまあ、来客が多いですわね。」

 理事長は人間の姿のまま背中に翼が生えた。初老のおばあさんに翼が生えると言うのも見ていてアンバランスだが、背中から生えたそれは蝙蝠の翼に似ていた。眼は黄色に迸る。理事長室の天井を吹き飛ばし、現れた星一つない夜空は雲が淀み異世界を連想させた。黒い空に浮かぶ悪魔の黄色い眼が異様に煌めく。

「早乙女!」

「分かってんだよ!」

早乙女は自分の首に注射器を突き立てると液体を体内へ流し込む。注射した地点から侵食は始まり、痣のように紫に変色した後、黒く淀んでいく。


 早乙女辰真 二十八歳。

 彼は大学時代、十三委員会に所属した。第一世代の兵士である。第一世代はNOT因子を体内に留めておくことが出来ないため、注射器やボトルでNOT因子を何百倍にも薄めたものを体外から摂取する必要がある。利便性に欠け、一時的なドーピングにしか過ぎず、第一世代は失敗作と言われているが、彼らのシンクロ率は一〇〇%を上回る。化け物として暴れまわる彼らは効力が切れると自動的に人間に戻る。早乙女はこの力を持ちながら日本県警へ十三委員会の門外部署として送り込まれたのだ。


「……十三委員会 第一室室長補佐 早乙女辰真――」

「……第三室室長 神戸四季――」

 宙を舞う悪魔を眼前に、紫雷を纏う室長と、黒煙を纏う全身黒鎧のような悪魔は飛び上がる。ジャンプではなく、飛行だ。

「「―――押して参る‼」」

「ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアア」

 早乙女が理性を飛ばして『十二番』に掴みかかる。『十二番』は黒い腕を生成し、早乙女を襲うが後ろに続く僕の紫電が腕を弾く。

「Not factor patent―code THUNDER LIZARD」

 自分のコードを詠唱し、自己をNOTと同期する。

「これを弾きますか…」

 感心したように眼を細める『十二番』に距離を詰めた早乙女は、『十二番』の腰に自分の足を絡め密着し、拳を溜めた。

「そんな隙あって野生の本能ってのも大変だな。早乙女。」

 僕の雷が届くよりも先に『十二番』の腕が早乙女の心臓を貫く。

「人間は心臓が弱点だと聞きましたよ。貴方もそれは同じ…」

 言葉を遮るように早乙女は溜めていた拳を『十二番』の顔面へ叩き込んだ。老婆の顔は吹き飛び、血飛沫の代わりに黒い靄が生まれる。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」

 早乙女が怒り狂ったように拳を付きまくり、空中でも打音と衝撃派が伝わり振動する。『十二番』が憑いていた理事長・色芳香子の身体は霧散したが、辺りに漂う忌まわしさの塊は消えない。

「そうですか、早乙女さん。貴方は一時的に人間ではなくなっているのですね。道理で心臓を壊しても動くはずです。」

 心臓を異物で貫かれながらも動き回る早乙女を見て『十二番』は言ったのだろう。『十二番』の気配はそこら中から感じるが、闇と淀みしか見えない。

「『十二番』お前は僕らを舐め過ぎだ。もっと真面目に戦ったらどうだ?」

「…いえ、戦う気はありませんよ。この陽正高校にしても私と私の眷属を強化するため塒にしていたに過ぎません。十三委員会に露見してしまっては安息も十分に取れないですし、この辺りで引こうかと思います。」

「…二ついいか?」

 僕は辺りを漂う存在に声を掛ける。無視されるかと思ったが、想像よりも人間に開放的なのか女性の声は帰ってくる。

「答えられる範囲なら聞きましょう。なんですか?」

「溝口俊介、島崎真二あの二人はNOTで間違いないな?」

「それはお答えしかねますが、私がここで育てていたのは三体ですよ。溝口君はこの前、次のフェイズに移動しましたのでここに居るのは私を含めて三体ですね。」

「…ネクストフェイズ…か。」

 空間に反響した声が知らせた数は三。僕が認知できたのは色芳香子を含めて三。それでは数が合わない。一体見逃しているのは…古川楔か。

「やはり…『神隠し事件』はお前が黒幕だったんだな。」

「出来る限り公にしないよう数と期間には気を使ったつもりなんですけれど、悪事千里を走るとはこのことですかね。上手くいかないものねぇ」

 彼女の回答を肯定と受け取った。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 早乙女が咆哮し、闇を切り裂く。夜空に星が見えると『十二番』の存在は徐々に薄れていく。

「……『十二番』恨みは晴らさせてもらうぞ。いつかな…」

 虚空に響く宣誓は暗闇に溶けるだけで返事をしなかった。

 危機が去り、理事長室に舞い戻ると早乙女は薬の効力が切れたのか人間に戻った。

「いつ変身しても辛いなこれは…身体中の筋が伸び切って痛い…」

「悪いな。思ってたより呆気なく終わったから無駄に力を使わせたかもしれねぇ。でも感謝してる。」

 ソファに腰かけると服装を正しながら早乙女はケータイをチェックする。今の騒ぎが街に影響を与えていないか確認しているらしい。僕も外を見渡す限り人影は見えず、遠くで消防やパトカーの音が聞こえるが、到着までは時間がかかるだろう。

「いいさ、気持ち悪い。…誰か通報したみたいだ。確かに爆発音やら雷やら異常なことが重なったからな。誰かが不審がっても普通だ。」

 煙草を咥え火をつける。煙を吐き捨てる。

「ストレス溜まんのか?」

「当たり前だろ。ストレス溜めるなってのは無理な話だ。仕事柄もある。それよりお前、体育館で部下が死にそうになってたぞ。いいのか?」

「ヴィルマ君が……?」

「知らんが、女の子だ。」

 『十二番』の言葉を思い返すと眷属が三体はいることが分かる。どうなるかなんて体育館に置いて来た時点で解っていた。新米兵士のヴィルマ君はまだNOT因子を上手く扱えていないはずだからね。

「いいんだ早乙女、彼女はもう死んでいる。」


 第五話 第四幕 想いの果てに


 傍観者 古川楔



 前にも見たことがあった。誰かが目の前で倒れている姿。床には血溜りが出来て、鉄臭い匂いが立ち込める。生きてやしない。

「また殺した」

(吸収した方が成長できるのよ?なんでいつも殺してしまうの?)

 脳内に反響する身に覚えのない過去の記憶。優しい老婆の声で俺のことを宥めている。やんちゃをしてしまった子供を叱るように。

 でもこれは俺の記憶じゃない…?

(好きなのね…人殺しが…)

「…違う…」

(大丈夫。特殊なことだけど、別に変なことではないのよ。)

「…違う…」

(愛しているわよ。―――。)

「…違う…それは俺の名前じゃない…。俺は古川楔、陽正高校三年A組、男子バスケ部所属の…」

(落ち着いて記憶の継承が上手く行ってないだけだから、直ぐに思い出すわ。)

 頭痛に頭を抱え目の前の女性を見る。血に濡れた銀髪の女性。

「こいつは…誰だ?」

 後ろを向けば腹部を貫かれた黒髪の女の子。制服を着ていることから生徒だと断定できる。

「…お前も…誰だ?」


 記憶が飛んでいる。


「俺は…今まで何をしていた?」


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 全身が熱い。何かを俺は求めている。こんな暗闇じゃ何も見えない。外に出よう。月明かりで少しは落ち着くかもしれない。建物の外へ向かおうと歩き出すと先ほど見た女子生徒と思しき死体が足に当たった。

「邪魔くさいな。」

 死体を蹴り飛ばすとそれは壁に当たり腕を明後日の方向に曲げた。

 何も感じない。何で死体が二つもある場所に俺は居たんだ?

「………び…」

 微かに聞こえた声に俺は蹴り飛ばした死体を三度見た。どうやらかろうじて生きているらしい。

「生きてたのか…」

 どうせこの先は長くない。

「今楽にしてやる。」

 両手を彼女の首に当て、絞めた。

「…くさ…び…」

「!」

 だらん、と首を落とした彼女が最後に呟いた一言が俺の全身を駆け巡る。何か大切なことを忘れている。俺は…彼女を助けたかったんじゃないのか?喪失感に支配されると俺は後ろに不穏な気配を感じた。俺と同じ匂いのする否定的な存在。

 後ろには銀髪の美女が立っていた。



  


 傍観者 ヴィルマ・ガソット



「……古川楔。貴方は自分を守ってくれた彼女を手に懸けたんですか?」

「なんの話だ?」

 男は何を話しているのか解らないと言った表情で女の子を放り捨てた。

「彼女の気持ちを汲んでやれよ。クソガキ」

 銀色の闘気が私を包む。少しずつ思い出してきた過去を握り締め、私はNOTの腕を生成した。二本の腕は元通りに回復し、扱いやすい体の形を取り戻した。

 …この違和感…記憶が飛んでいる…

 そうか…私、死んでたんだ…。

「お前が俺の何を知っている。答えろ。」

「貴方はそんなことを言う資格がありません。俺の何を知っている?そうじゃないでしょう。自分で思い出すんです。自分の犯した罪くらい自分で償えって言うんですよ!」

 武器は既に破壊され刀はもうない。得意の剣術は使えないが、どうすべきか。

思案。過去の潜流。

(養成所で習ったはずだ。異形の怪物は規格外で規定に定まらない。定まった形なぞ存在しないと。)

 NOTは型に嵌らない。あの言葉はそのままの意味だったんだ。意識を集中させ、私は腕から武器を生成させる。不恰好な棒切れのような物体ができあがったが、元々、不斬黒刀も切傷能力は皆無の武器。相手がNOTならば問題はない。

「自分で考えろ?自分で償え?…俺だって忘れたくて忘れたわけじゃねぇ。償う、償うから…返せよ…俺の記憶をよ」

 彼の眼が緋色を灯すと地面から無数の腕が生える。冥府へ誘う死霊の手だ。悪魔は完全体になるために生と死を掌る。無意識に彼は全てを捨てていたのだろう。奢りも誇りも命も、知覚できなくても彼は解っていたはずだ。後ろに倒れる彼女、色芳彩香が自分の恋人で誰よりも古川楔を信じていてくれたことを。

 だって声に出てる。

「……ごめん。アヤカ…ごめん。」

 涙が枯れて流れないのか悲痛の表情で佇んでいる。彼は無意識だ。私を倒すために意識が飛ぶ寸前まで自分の力を開放している。支えているのは目の前の私という敵を倒さんが為。ならば私は貴方が安らかに逝けるように敵を演じましょう。

「その行為が十三委員会の理念に背いているとしても…」

 死霊の草原を刈り進む。一振りで腕が五、六本飛び、空中で霞に消えていく。五メートルくらいしか距離は開いていないが、このままだと気の長くなる程に遠い。跳躍して一気に距離を縮めようにも死霊の手が伸びて来て逆に戻されてしまう。一進一退でもなく、後退ばかり、古川楔を止めないと…色芳彩香が…島崎真二が浮かばれない。

 失う怖さを知っているから、辛い思いをさせたくなかった。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 古川楔は体の端々が少しずつ剥がれ落ち、人間の姿が崩れ始める。

「……NOTを処理すれば、これから山程の人を助けられる…でも、目の前の犠牲者は助けられない…。教官…これはジレンマですよ…どうして私たちは正義の味方に成れないんですか?どうして…人助けができないんですか?」

 壊れていく古川と自分の両親が重なった。私が倒せば存在は消滅する。彼一人いなくなることで一体どれだけの人間が影響を受けるのか。肉親、友達、クラスメイト…まだ学校に通っている高校生で私よりも生きていないと言うのに…

「この仕打ちは何ですか…神は…NOTを許さないのですか?」

 神殺しの名を持つ十三委員会には相応しくない台詞だ。嘆くのも終わりだ。私は私の仕事を全うしなくては。

「俺は…俺は!俺は!」

「視界は暗くなり、思考は止まる。身体の感覚が遠くなり、声も発せられない。でも大丈夫です…古川楔。死ぬのは怖いでしょうが一瞬で終わらせます。」



 十三委員会の入会テスト時、私は爆死した。

 NOT因子との適合が悪く悪魔に選ばれなかった。その時私は死んだと思っていた。現に死んでいたのだが、目を覚ますと真っ白な部屋。横を見ると神戸教官が私の起床を待っていたらしい。

「おはよう、君が第一号だ。」

 不敵な笑みは嫌じゃなかった。


「早乙女、お前らは第三室についてもっと知っておいた方がいいと思うぞ。仲間が何を研究しているのかくらい把握して置いて損は無いと思うがな。」

「三室それぞれが独立しているからそれは無茶な話だな。しかし、それが新人のヴィルマと何が関係ある?」

 ソファに座りながらスーツの男は睨みを利かせる。しかし、黒衣の男は淡々と答えた。

「彼女は…僕の作った人造人間だ。」



 私はNOT因子とのシンクロを高めると、銀色の髪を靡かせ身体が数十センチ程度浮遊する。

「古川楔…貴方は人造人間を知っていますか?」

「知ってるよ。機械だろ?」

「いいえ、機械と思いがちですが、私はNOT因子により命を与えられている言わば、十三委員会の契約者よりもあなた方NOTに近い存在。教官は私の存在を『死人種(デッドマンクルー)』と呼んでいます。」

「それが…何だと?」

「私は一度死んでいます。それは無残な姿で一生を終えました。まず死んでいたことを理解するまで時間がかかったものですが、その間私を傍で支えてくれた神戸教官が教えてくれましたよ。現代で化学技術は飛躍的に進化していると。」

「?」

 私は銀色に包まれる自分の身体を見て安らぎを感じる。この体は私一人の物じゃない。第三室の全員が思いを込めて復活させてくれた人類の希望が詰まっている。せめて貴方にも心の安らぎを与えたい。

(世界の運命は僕らに掛かっているんだよヴィルマ君。僕らで世界を助けよう。)

「…はい、教官」

 闘気の激しさが増して周囲に空気の歪みにも似た波動が伝播する。髪や開けた服が風で靡き闘気の奔流を目に見える形で表現する。僅かながら私に反応を見せた古川は首を傾げ瞬きする。緋色の眼が点滅した様に輝くと空間が三度揺れた。地面に倒れているのは私で、視界の隅に両手を赤く染めた古川がいる。腹が抉られていることから三度攻撃されたのだろう。何事もなかった様に起き上がると点滅した光が見えた。同じ攻撃が来るのだろうと身構えると、今度はちゃんと見えた。

「後ろから来るなんてちゃんと頭を使えているじゃないですか…古川楔。」

 着弾する前の拳を棒切れで叩くと古川の拳に銀色の筋が入り炸裂した。拳を失った古川は驚きの表情を作ることも無く、反対の拳を叩き込んできた。常人が目で捉えられる速度ではないが、今の私にとっては間が開いた二連撃。体勢を逸らして逆に回り込むと脇腹に一線を描く。飛び散る深紅の液体と黒い煙。ステージまで飛んだ古川の腹部に大きな傷を残した一撃は、古川のNOT化を助長し、周囲には濃密度の黒い霧が発生する。

「……アンタ…怖くないのか?自分の力が…」

 姿は見えないが正気を取り戻した古川が私に語りかけてくる。罠であることも考慮して戦闘姿勢は崩さない。しかし、恐怖の感情をNOTが持っているのか。

「貴方はNOT?それとも古川楔?」

「俺は古川だ。でもどうしてだろう。俺はアンタに憎悪しか抱いていない。今日まで会ったことないアンタをどうしてこんなに憎いんだ?」

「それは私が貴方を傷つけたからでしょう?」

「いや…違う…。俺には分かる。俺の中に居るコイツはずっと怒ってる。お前ら黒いコートを着た連中に対して…どうにもならない怒りを覚えている。こんな感情がどっから来るのか…見当もつかない。アンタら何をやったんだ?」

 NOTが怒りを覚えている?十三委員会に対して?

 確かにNOTに対し私たちは無知に近い。しかし、奴らの感情が憎しみとはどういう事だ?

「………何に対しての憎しみですか…?」


「同族を殺された憎しみだ。ヴィルマ君。」

 聞き慣れた声に振り返ると私の後ろには、命を与えてくれた神戸教官が立っている。

「教官…」

「ヴィルマ君。試験は合格だ。僕が手を出して終わらせてもいいけど、これからを考えて古川は君が倒すべきだ。罪や罰を背負い僕らは人殺しとして生きるしかない…この世界を助けるためにね。」

 教官の言葉から私は一つ覚悟を決めねばならない。

 『人殺し』として生き、『正義の味方』を諦める。

「…教官。私は目の前の犠牲者を助けられる方法を探します。例え世界を救えても人が居なくなってしまったら無意味ですから、私は人助けを諦めません。この力も命もそのために使います。」

 教官の顔を確認するのが怖かった。十三委員会の理念とは異なる考えを持ち、剰え自分の師も拒絶した考えだ。似て非なる世界を救うことと、人助けをすること。

「NOTが同族殺しで怒っているのであれば、上等です。私だって人を殺されて、餌にされて怒っているのですから!」

 主に両親の事だ。私が十三委員会に入ったのも両親を殺された恨みを晴らすため、しかし私の考えは訓練期間を経て変わった。殺すことから守ることへ考えをシフトした。過去に囚われては誰も救えない。仲間と共に今を生きたい。そう考えてしまった。

 こんな考えだから悪魔との契約は結ばれず、爆死したのだ。教官には申し訳ないことをした。折角救った兵士がこんな体たらくでは一銭の得にもならないだろう。身を切るように黒い煙を向くと棒切れを構え直す。相手の呼吸も整っている頃だ。別れも済ませた。もう何も怖くない。足に力を込め、煙の中心を見定めると教官の声が届いた。


「…行って来い。ヴィルマ君。」

「え…?」

 予想していない言葉だった。

「僕が十三委員会の理念通りに動いていたら君を復活させないだろ?そんなこと今まで会話してきたら解っているもんだと思ってたよ。僕は君だから復活させたんだ。世界を救うには君が必要だ。ヴィルマ・ガソット!君は僕の手足と成りこれから大いに活躍してもらう‼最初の司令だ…古川楔を救って来い!」

 嬉しかった。教官の第三室に迎えられ限りない喜びが全身を包む。銀色の闘気が再び波動を生み、黒煙を吹き飛ばす。

「Yes, my God.」

 古川楔はステージ上で臨戦態勢。吹き飛ばした拳も再生して緋色の眼を点滅させている。こちらに手を出さなかったのは神戸教官が居たからだ。

「教官…帰ってきたら私を抱きしめて下さい。」

「おう、良い子良い子してやるよ。」

「救って来ます。あの若い少年を。」

 飛翔してステージへと肉迫すると古川楔は雄叫びを上げて威嚇する。意に介さず棒切れを振り貫くと古川の左手を殆ど抵抗なく切断した。驚いたのは手を切断された古川よりも私自身。棒切れ同然だった銀色の生成固体がいつの間にか鋭く砥がれた日本刀に変わっていた。色が全て銀色のことから私が生成した固体であることは確かだが、意志の違いでNOT因子のコントロールも可能になるらしい。

「アアアア!」

 左手を失った古川は失った部位の再生をせず、背中から新たな手を生み出し私を襲う。指先は鋭く尖りコンクリートすら易々と穿ちそうな形状をしているため、回避を余儀なくされる。古川の右手と第三の手を刀で払うと頭を蹴り飛ばして距離を取る。古川は体勢を崩してステージに片膝をつく。私は銀色の闘気を両腕から放ち空中でブレーキをかけた。

 今ならば…逝ける。

NOTの因子をバラ撒き続け戦った私はシンクロ率が極限まで高められていると実感した。これから行うことの不安は既にない、左手に嵌められていた銀色の指輪。シンクロ率が一〇〇%を超えると嵌められた銀色の指輪が爆発し絶命する。十三委員会から悪魔落ちを出さないための政策でこれまで何人犠牲になったのかも知る方法はない。一〇〇%のラインでは爆発しない、この一〇〇%の状態を臨魔状態と呼称し、否定存在NOTの能力を等価で扱うことが出来る我々十三委員会の切り札。能力の等価、つまり食事状態のハイブリッドNOTではなく完全に悪魔化したNOTと同等の力を発揮できる。そのレッテルが無い為、私は限界まで力を絞れる。

押しているのは私、しかし、このままだと一手足りない。

そうこうしている間に古川はステージ上で立ち上がっている。身体から人間の皮が剥がれ、七割程度NOTと化している。


「……殺して…くれ…」

 目を見張る。確かにNOTから古川楔の声が聞こえた。彼は消滅を望んでいる。現段階での私では古川楔を人間に戻すことは出来ない。人助けにこの命を使うと叫んだばかりなのに恥ずかしいが、自分の実力は理解している。

「ごめんなさい。貴方を助けられなくて…」

 悲しみは悔しさに変わり、思考を冷静にさせた。背中から銀翼が生え、客観的に見れば天使にも似た姿だ。

「ヴィルマ君…臨魔状態成功だ。」


 意識はクリア。自分がヴィルマ・ガソットであることも理解しているし、覚えている。視界にあるモノも今までと同じ何も変化はない。取り敢えず成功と言えるでしょう。

 Code SILVER MOTH…銀色の蛾だが、教官は天使の様だと言った。

「ギリシア神話に天使は登場しませんが…これも宗教を捨てた十三委員会の宿命ですかね。大丈夫…です。意志は保っています。」

 天使だなんてそんなことは一切ない。私はただの汚い蛾。

 銀翼を広げ日本刀を構える。死霊の手が草原を作り、彼の防御を手伝う。少しずつ手が成長し始め、数秒経つと古川の姿を確認できなくなった。しかし、この臨魔状態ではNOTの存在をかなり近くに感じることが出来る。視覚的に見えなくても彼の位置は手に取るように分かる。意を決し、死霊の草原へと突入すると無数の手が私の行く手を阻もうと集まってくる。滑空の勢いを殺さないように日本刀の入射角を四十五度に合わせ、更に加速する。間もなく視界に悶える古川を確認すると有無を言わさず両断した。死霊に囲まれて反応が遅れたのか、それとも古川の意志が死を望んだのかは解らないが、抵抗は見られなかった。切り口から黒い闇を放ちながら倒れると苦しそうに喚き出す。

「お前ら…俺を許してくれるのか?駄目な…俺を…」

 仰向けに倒れ誰もいない虚空に手を伸ばす彼を見て胸が痛んだが、彼の思いまでは汲み取れない。ただ最後の時を人として迎えられることを祈るばかりだ。死霊の草原が消滅したのち臨魔状態を解く。古川は未だ苦しみながら虚空に手を伸ばしていたので私は遠目から手を組んで神に祈った。

「どうか…死後の世界があるのなら、彼をお救い下さい。」

 古川の手が微かな音を立てて倒れると今まで感じていたNOTの気配が完全に途絶えた。これで今回の初任務は無事成功したと言っていいが、後味が悪く自分の中でも気持ちの整理が上手くいかない。体育館に転がる死体は三つ。私がNOTを倒すまでに犠牲にした人の数。

「ヴィルマ君。」

「……教官」

 神戸教官は動けない私の元までやって来て、組んだ状態で固着してしまった手を優しく解いてくれた。手を力なく下ろすと教官の胸に倒れ込む。蓄積した疲労感と自分の志を達せなかった悔しさ、責任感が重く圧し掛かる。

「……重いかい?」

「とても…重いです。」

 今回は三人の犠牲で済んだ。しかし、今度は何人になるか。たまたま人の居ない深夜、人が居ない休日の学校という環境だった。

 それに倒すべき相手は否定存在のNOTだというのに、事実上人間と戦っているに等しい。化け物相手なら倒すのに躊躇いは無い。寧ろ死んでくれと言って倒すだろう。だが、今回の古川は人間の皮を被ったままNOTとして戦った。彼は自分が異形の存在であることを自覚していたのだろうか?人の感情が前面に出てきてとても戦えない。NOTに憑かれている彼らでさえ、私は守るべき対象として見てしまう。十三委員会の理念からも外れ、養成施設でも再三言われてきた。

(人助けは出来ない。我々は正義の味方じゃない)

 今になって自覚する己の未熟さ。誰一人として助けられていない。NOT伝染者は勿論、一般人の色芳彩香ちゃんも助けられなかった。私は調子いい事ばかり言う餓鬼だ。神戸教官が言った世界を救うなんて夢のまた夢。

 私は教官の胸にしがみついて泣いた。今までの感情を吐露しながら、涙が枯れるまで泣き尽くした。教官は私の頭を撫で、不安を少しずつ溶かしてくれた。


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