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第四話


 第四話 第一幕 行方不明


 傍観者 古川楔



 月日が過ぎるのはどうしてこうも早いのだろうか。光陰矢のごとし。そして今日は待っていた練習試合の日だ。会場は陽正高校体育館。相手が強豪校とだけあって燃えているが、俺らの嫌な雰囲気はまだ完全に排除できてはいなかった。島崎が溝口の説得に失敗し、醸し出されている雰囲気で落胆と諦めが混じった溜息をつく。

「島崎…」

 俺は良くない雰囲気の流れる場を読んで、部長の島崎に声を掛けた。既に本校の体育館の自陣ベンチで最後のウォーミングアップをしていた島崎はその動きを止めてこちらに顔を向けた。

「どうした…?」

 しかし、俺も口下手なため、上手く話を伝えられる術を知らないし、雰囲気が悪いことを直接伝える勇気もなかった。必死に言葉を探したが上手いこと言えなくて出た言葉はあまりにも素っ気なかったかもしれない。

「…今日は俺の方が点を取るからな」

 島崎は驚いた顔をしてこちらを見て何か言いたげだったが、審判から集合の合図を出され、それ以上会話もなく整列して相手校と挨拶を交わす。メンバーは溝口が来なくなってからいつも同じだった。

 四番 S 島崎

 五番 SG 原口

 六番 SF 石ヶ守

 七番 PF 古川

 八番 PG 赤間

「では、ジャンパー前へ!」

 審判の声と共に島崎が前へ出る。顔は見えなかったが、その背中からは闘志が伝わってきた。

「いらない心配だったな…。島崎は溝口が来なくて引け目を感じるほど弱くなかったか…」

 島崎は今日の練習試合までに溝口と折り合いをつけるつもりで居たらしい。結果、溝口は来なかった。引け目、負い目を島崎が感じているのかもしれないと思っていた俺だったが島崎の闘志を感じてポジションを相手のゴールに近い場所へと変えた。相手チームに悟られないように、始まった瞬間に走り出せるよう周囲への警戒も最大限にした。後は島崎次第だが、特に問題は無いだろう。

「……負けねぇよ…」

 島崎の呟きが聞こえ、相手のジャンパーは困惑したように彼を見たが、直ぐに気を取り直したようで、審判がそれを見計らい試合開始を告げる笛の音と共にボールが高く飛び上がった。俺はこの瞬間に相手のゴールに走り出す。一人、俺をマークしている相手校の六番が反応だけはしたがもう遅い。ボールが最高点を過ぎて下がり始めるかどうかといった絶妙なタイミングで島崎はボールを俺の方へ弾いた。

「いくぞ!!お前ら!」

 久々に聞く島崎の掛け声が追い風になり俺たち五人は一気に相手コートへ走り出す。原口も赤間も石ヶ守も少なからず溝口に苛立ちと言った感情を抱いていただろうが、この時はただ島崎部長の激を喜んだ。弾かれたボールは石ヶ守が拾い、自慢の高速ドライブで二人抜いて俺にパスを出すと、ゴール下に居た俺はレイアップでシュートを決めた。開始五秒で得点を決めた俺たちは主導権を握り第一クォーターだけで四十点を取る猛攻を見せた。

 この時、俺たち五人は一致団結していたと誰もが思っただろう。試合中は幾度となくアイコンタクトで会話をし、噛み合ったコンビネーションで追加点を重ねて行った。しかし、第二クォーター終了間際から奇妙な感覚に襲われた。得点的には全国クラスの相手校に対して圧倒的な点差をつけており不安は少ないのだが、そんな小さな不安じゃない。違和感や疑問にも似た何かが俺にまとわりついて離れない。

どうしてこんなにも不安なんだろう、

どうしてこんなにも島崎が気になるのだろう。

どうしてこんなにも島崎が危うい存在に見えるのだろう。

「古川っ!」

 島崎のことを思案していると彼の声が聞こえた。今、ボールを確保しているのは俺だ。ドリブルの最中に無駄なことに気を取られていた。目の前には相手校の六番。俺をマークしていたエースナンバーが待っていましたと言わんばかりにボールを奪っていく。

「…くそっ!」

 体を捩じり相手に取られる前のボールを弾こうとしたが届かない。指先の数センチ先を相手の六番が駆けていく。これで点を取られて逆転されるということではないが、流れを持って行かれる可能性がある。センターライン付近に居た俺の後ろにはPGの赤間が居たが、流石は全国区のエース、赤間を綺麗なターンで躱すと後はゴールまで凱旋だった。誰も追いつけない、レイアップでの二点コース。

「……いや…可笑しいだろ…何でお前がここに…」

 相手エースの顔が曇った。血の気が引いたように青白くなり、彼だけなく会場全体が鳥肌を立てた。

「……どういうことだ…」

 俺も驚いた。


「……今日の俺は調子がいいんだ。」


「……敵陣のゴール下に居たはずのお前がどうしてそこに居る…⁉」

 島崎真二は自陣ゴール下で両手を広げ、闘気を纏っているかのように存在感を出していた。相手エースはレイアップを諦め、普通のシュートに切り替え、島崎のタイミングをズラしてシュートを放つ。

「上手い…」

 近くに居た赤間から聞こえてきた。俺も敵ながら天晴と言わんばかりの技術力。ドリブルの勢いを完全に殺し、フォームを崩すことなく放たれたシュートは入る弾道だ。

「おらぁっ‼」

 何が起きたのか、シュートコースに在ったボールが跳躍した島崎の手中に収まっていた。陽正高校のゼッケン四番が宙を舞う。着地の瞬間に彼は自陣フリースローラインに立っていた。気を取り直した相手エースは島崎から再度ボールを奪おうと左手を伸ばすが、島崎は後ろにジャンプし躱すとシュートを放った。高弾道で美しい弧を描いたボールは相手のゴールに吸い込まれて、静寂に包まれる会場を笛の音が反響した。

「……何メートルのシュート…決めたんだ?しかも…フェイダウェイで…」

 隣に来た石ヶ守が独り言に様に呟いた後、俺に顔を向けて真面目な顔つきで苦笑した。手は震え、顔からは運動で出たであろう汗が嫌な光り方をしていた。

「古川さん…アンタこれでも島崎と俺らと…住む世界が同じだって言えんのかい?とてもじゃねぇ、俺はアイツと同じ世界にはいねぇぜ…ああいうのを化け物って言うんじゃねぇのかよ」

 その日の試合結果は百十二対三十二でウチの勝利。内訳、島崎の得点が七十一点。俺が二十七点。全国区の高校に対して圧倒的点差で勝ったにも関わらず、俺たちの雰囲気は重かった。赤間や石ヶ守や原口の気持ちが伝わってくる。

 この感情は「恐怖」だ。

 格の違う選手を見た時、スポーツマンならばどう思うだろう。俺ならば憧れる、純粋に敵わないことを悟るかもしれないが、それでも恐怖するとは違うポジティブな考えしか持たないのだが、彼らの島崎を見る目には怯えが見える。人間とは違う何かを見るように誰も何も話そうとはしない。ミーティングルームに入ってから既に半時は経とうとしているのに俺たち五人は誰も口を開かない。全員下を向いたまま場の空気に飲まれていた。

「今日は勝てたな…」

 口を開いたのは意外にも島崎だった。一度は島崎を見るも沈黙を貫く他を押しのけて石ヶ守はギラリと光った目を島崎に向けた。

「何が勝てたな、だ。殆ど一人でプレーしてたじゃねぇか。如何にも皆で勝ち取った試合ですなんて飾ったコメントは要らねぇよ。」

「…石ヶ守…」

 赤間が石ヶ守の肩を掴み宥めようとしたが、それを振り払って石ヶ守は島崎の前に進み怒りの篭った拳で島崎の頬を殴った。仰け反りロッカーに頭をぶつける島崎の頭から血がしたたり落ちる。尖ったロッカーの端で切ったのだろう。

「そうやって一人でやって楽しいかよ。俺は確かにお前より弱ぇし、使えねぇ。この際はっきり言ったらどうだ?お前ら全員使えねぇってよ!」

 胸倉を掴み島崎を締め上げる石ヶ守に見兼ねた俺と赤間と原口は直ぐに割って入る。

「石ヶ守やめろ…!」

「放せっ!コイツは駄目だ!はっきり言わねぇといつまでも俺らに気付かねぇんだよ。才能は努力で埋められるとか迷信だ!どんだけやっても、それこそ血の滲むような努力をしてもアンタの前じゃ些細なもんだろ!見えねぇんだアンタにも溝口先輩にも!道に転がる石どころじゃねぇ!どっから飛んできたのかもわからねぇような塵だろうが俺たちなんか!そこにあっても見えねぇ!在っても気付かねぇ!そんな塵が努力したところでデカくなるわけでもねぇ!馬鹿にする対象にすらならないんだろうがっ!」

 石ヶ守は抑えられているのを振り切ってミーティングルームから出て行った。呼び止めるためだろうか、それに原口と赤間も続き、部屋には俺と島崎だけになった。

「……どこで間違えたんだ?俺は…」

「間違えてねぇさ。」

「アイツらの眼ぇ見たか?どいつもこいつも眉間に皺寄せて俺を見てた。」

「お前を羨んでいるんだ。今は誤解しているだけ。何、直ぐ元通りになるさ。」

 頭からの出血は止まったようでゴシゴシと顔についた血を拭う島崎の眼は既に光を失っていた。どこか遠くを見ているようで、意識をどこかに置いて来ているようで、見ているに堪えない絵だった。

「古川…」

「ああ。」

 彼は立ち上がると俺を見た。

「実はこの後、溝口と会うんだ。お前も来ないか?」



 俺と島崎、そして途中からアヤカも加わり、三人はいつも1on1をしている無人公園へ到着した。街灯に照らされてバスケットボールを脇に抱える一つのシルエットが見える。

「…案外…早く来てるんだな。溝口」

「…無理矢理来させたんだろうが、島崎。俺は隠居生活してたってのによ。」

 バスケコートに居たのはあの問題児の溝口だ。ボールをクルクルと回して俺たちに放って来た。

「…どういう風の吹き回しだ?溝口俊介」

 ボールを受け取った俺は意図を読み切れず疑念が生まれる。

「どうもこうもないよ。部長様が俺をスタメンに戻したいって言うが、認めなたくない面子も多くいるだろうと思ってな。手っ取り早く俺の実力見ろや。1on2でいいからさ。」

「舐めてんのか?溝口」

「古川…抑えてくれ。…分かったよ溝口お前の望む通り1on2やってやるよ。」

 三人がコートに入るとそれぞれスイッチが入る。こういうところは皆一流のスポーツマンだ。雑念が消えて全員がボールへと集中する。

「いくぞ」

「おう」

「来いよ」

 1on2は溝口対俺と島崎で、ボールを持つのは俺。島崎にパスを出すと時間が動き始める。島崎のドリブルにぴったりと付き、パスの余裕を与えない。フリーの俺がスクリーンに入るがそれも躱されてシュートモーションに入った島崎に追い縋る。しかし、島崎も読んでいた。放たれたボールの軌道は俺が思い描いた通りの基線で俺の左手に納まるとボール内の空気が応力で動かされたかのような速度でゴールネットを揺らした。

「アリウープって…島崎先輩も楔も、溝口先輩の手加減する気無いの?一応怪我人でしょう?」

 外野からアヤカの声がする。行儀よくベンチに座り監督宛らだ。ちゃんと記録を取っている辺りマネージャー魂を感じる。

「1on2だから手抜くかと思ったが…そうでもないのか?」

 俺を見て溝口が言う。冷やかしが含まれていたが切羽詰まった様子はない。寧ろ余裕綽々と言ったところ。

「俺はお前のスタメン反対なんだけどな。実力主義の縦社会だから仕方ない…島崎や監督等の総意は俺一人の意見じゃ変わらないだろうし、ここは挫折してお前を引き戻すことに協力する。」

「お前らに負けたからって戻るとは限んないぜ、古川。」

「じゃあ何の為の1on2だよ?」

「実力誇示」

「馬鹿にすんなよ。」

 苛立ちを覚える溝口の言い草にキレかけるが、俺を制し島崎が前へ出る。バスケ選手なら語るのはプレーで、だろ?と溝口にボールを渡した。受け取った溝口はクイックで島崎にボールを返し、またボールが溝口に帰った時点で1on2は再開された。溝口が攻めで俺と島崎が守り。久し振りに見る溝口のオフェンスは怪我を忘れさせる程に大胆かつ流動的だった。ドリブル、目線のフェイク、切り替えしの素早さ。昔、島崎に完敗したから弱いということは一切ない。寧ろこの超高校級とも言うべきバスケポテンシャルの高さは各高校からスカウトが山ほど来るレベルだ。

「余計なこと考えてんのか?古川。」

 溝口が一瞬の隙をついて俺の脇を抜けると、後ろの島崎もフェイクで躱して同点ゴールを決めた。

「……二人抜き…」

「おい、練習してない奴の動きじゃねぇだろ?それに怪我はどうした」

「んなもんとっくに治ってんだよボケ」

 溝口の顔には街灯を反射する汗が滲み、楽しそうな面持ちをしている。憎まれ口を叩いてはいるが、どうしても嫌い切れないのは彼の根幹のところにバスケが好きな気持ちが燻って居るからだと気付き、バスケをこんなに楽しそうにプレーするのに何で練習には来ないんだ?という疑問が膨らんだ。

「さて、じゃあ次は俺たちだな。」

 ドリブルをし開始点に向かう島崎を追いながら溝口は袖を捲り上げた。闘志に火が付いた子供の様に無邪気な顔をしている。

「……本当…楽しそうにバスケするなぁ…」

 溝口が前線を離れた理由は島崎に完敗したからなのか?

 新たな疑問は俺に一つの答えを導かせた。

「……『神隠し事件』か…」



「どうして戻ってこないんだ?溝口。怪我も治っているし、実力としてはスタメンに居ても文句はないだろ?何かを躊躇してんのか?」

 ゲームが終わりベンチへ戻ると島崎が口を開く、それぞれに汗を拭きながら耳を傾けていた。

(やま)しいことは無い。確かに品行方正な人間じゃねぇけどバスケが好きな気持ちは持っている。バスケ部に戻りてぇけど周りの眼がどうしても気になんだよ。どうして来た、また来た、何しに来たって目で訴えかけてる。息が詰まって気持ち悪いぜアイツらの中に居ると俺も吐き気がしてくる。」

ゲームが終わってみれば実力がそのまま出たスコアだった。いくら上手い選手であっても並々ならぬ選手二人相手に勝てるわけがない。確かに度肝を抜かれるプレーは数多く見受けられ誰が見ても実力はある。勝負は俺と島崎の勝ちで約束通り溝口はスタメンに戻ることになるのだが、問題はそこじゃない。

「実力派なのは解ったが…島崎、俺はコイツを認めたくはない。」

「…古川…」

「バスケが好きなのはプレーを見れば伝わってくる。けどそれ以外の行動が気に食わない。不良ぶって暴力振るうとか問題を起こす辺りスポーツマン失格だろ?監督も島崎も実力ばっか見過ぎだ。」

「古川…スポーツは実力主義の世界だろ?強い奴が勝ち続ける。お前だってそんな世界に居たんだろ?それとも今までの試合で戦ってきた相手は全員悪いことなんて知らない良い子ちゃんだと思っているのか?」

 溝口が言っていることは的を射ていて、自分が一番幼稚な考えだと言うのは解っている。俺は気に食わないとか子供みたいな理由で、一つになろうとしているバスケ部を壊している。島崎だって心の底から戻って欲しいと思っている訳ではないだろう。彼だって溝口の行動に頭を抱える日々だ。

 どうしてお前は我慢できるんだ?

 確かに溝口が居れば全国はぐっと近づくし、全国制覇も視野に入るくらいだ。溝口の実力がどれ位重要かは分かる。でも…

「俺は…溝口を使うのは反対だ。例えどんな理由を背負っていてもチンピラみたいな行動をする奴を仲間だなんて思えない。子供だって笑ってくれていい。俺は自分を変えられないし、変わる気なんてない。」

 俺の名前を呼ぶ島崎の声が聞こえたが心は動かず、エナメルバックを肩にかけて無人公園の出口へ向かう。後ろからアヤカがついて来て、いいの?と聞いてきたが俺は終始無言。それを肯定と汲み取ったのか黙って俺について来た。


 俺と溝口の絡みはこれっきりになる。いいの?というアヤカの言葉が溝口のこれからを暗示していたのだとしたら、俺はあの時戻って話し合うべきだった。意見をぶつけ合ってアイツの心を聞くべきだった。今としては後の祭り、俺は一週間後に溝口俊介が行方不明になったと知った。



 第四話 第二幕 敷かれたレール


 傍観者 早乙女辰真



 青春していた頃の夢を見た。少しばかり都会染みた地元で学校の仲間たちと悪さをしたり、夜まで遊んだり。または一緒に部活をして泣き、笑い。好きな女の子のことを話したこともあった。見栄ばかり張って生きて来た少年時代は大人になる為の重要なステップになったが、変革は突然だった。

 大学一年生で俺はNOTと出会い幼馴染を殺された。

 いや、間違いだ。

 幼馴染がNOTだった。

 人間の皮を被って俺に会いに来た。幼馴染は小学校から大学まで同じで笑顔が素敵な女性だった。講義の帰り、会うのは久し振りで正直困惑していた。

 何故、俺に会いに来たのか?

 幼馴染とは言え、仲が良かった訳でもないし、男女で意識していた訳でもない。けれど彼女が只ならぬ状態であることは一目見ただけで分かり得た。瞳が消えた真っ白い眼をした彼女は俺に襲い掛かって来たのだ。

(どうしてこうなっちゃったの?…辰真くん…)


「………懐かしい夢を見るもんだな…」

 眼を開けると見慣れた小汚い天井が気持ちを萎えさせる。事務所に戻って来た俺は、備え付けのホワイトボードにこれまでの捜査状況を記録しソファで仮眠を取っていた。およそ三十分の仮眠で疲れは取れない。眼の下のクマもいつの間にか取れなくなってしまった。煙草に火をつけるとデスクに置いてあるパソコンをスリープモードから起ち上げる。ネットで十三委員会について調べるも重要な文献は出てこない。「謎の組織」や、「人殺し集団」等の茶化し半分で書き込まれているものが殆どだ。掲示板に目を通していると事務所の電話が猛々しい音で鳴る。

「……はい、早乙女ですが」

「こんにちは、早乙女辰真。」

 静かで落ち着きのある声は数日前に聞いた神戸四季のものだ。どうして番号を知っているのかと疑問に思ったが、喉に押し込めた。

「何の用で?」

「協力関係は築けたかな?」

「色芳香子のことか?」

「それ以外に何があると?」

 神戸四季に言われた情報に寄ると色芳香子はクロ。確かに彼女を調べれば不可解な点がいくつか上がる。彼女が理事を務めるに当たって反対した他の代表者たちは揃って左遷している。脱税やら横領やら汚職事件で理事長候補からいきなり圏外まで落とされている。これ全てが色芳香子の息だとすると一介の一般人とはとても思えない権力だ。

「検討中。不確定要素が多過ぎる。」

「…そういうと思ったよ。『色芳香子』と言う単語だけでは白黒がはっきりしない。しかし、君は直に会って感じている筈だ。色芳香子が普通の人間ではないことに気付いている筈だ。頑張って人間を信じようとするな、世の中は既に腐り始めてる。信じたいなら疑え、勝ち取りたいなら利用しろ。人間なんて全員が善人じゃねぇからさ。挫折も妥協も必要だ。自分の眼を信じろよ、早乙女辰真。」

「お前は協力関係を築きたいと言うが俺に判断を任せるとはどういう根端だ?何がしたいのか意味が分からない。」

「腹の探り合いは必要だろ?早乙女辰真。僕は君が考えていることが手に取るように分かるよ。僕に対する疑心、任務達成のための責任感。」

 受話器越しに俺を揺さ振る。神戸四季は俺よりも年下だが、頭の回転は速く、とても下には見られない。下手をすると喰う前に喰われる。

「大人だから慎重にもなるさ。正直お前が何を考えているのか分からないが、俺はお前を信じきれないぞ神戸四季。俺はお前を同格には見ていない。俺とお前では種別が違うから同格に見るのは間違っているがな。」

「あまり十三委員会を敵視するなよ。敵に回すと後悔するぞ。」

 人殺しにして神殺しの十三委員会。

 全三室で構成される委員室の第三室総括を任されている神戸四季の言葉は重い。一個人に対して組織が敵意を示すとは思えないが、邪魔だと判断されれば始末するのは容易いだろう。事務所の番号も知られているくらいだ。情報網も生半可ではない。

「…残念だが利用するのは俺の方だぞ。」

「協定成立かな。また連絡するその時は情報交換を頼むよ。」

 案外あっけなく通話は終わる。耳に付く切断音を止めると、沈黙した事務室の外は慌ただしい気配に包まれていた。事務室を出ると中年刑事の加藤が声を掛けてくる。

「…早乙女君またやりおったで。」

「どうしたんですか加藤さん。」

「三年A組 溝口俊介…神隠しや」

 単語だけで心臓が締め付けられる。これで神隠し十三人目だ。

「すいません。俺出てきます。」

「わかった。特別待遇やからな君に文句は言われへんよ。成果があったら教えたって。」

「当たり前じゃないですか。では急ぎますので。」

 上着に袖を通すと身なりを軽く直してから急ぎ足で廊下を進む。携帯端末で最新のニュースをチェックする。流石に警察よりも早い情報は無く、平和なニュースが一面を締めている。街の平和を確認して俺はパトカーへ乗り込む。壊した車は経費が降りたので新車を拝借した。

(どうしてこうなっちゃったの?…辰真くん…)

 先ほど見た昔の夢は何かを暗示しているのだろうか?俺は行き先を陽正高校に決めアクセルを吹かす。チューンされたパトカーはあっという間に加速し公道を疾駆する。

「もう…犠牲は出したくないんだよ。悪魔共覚悟しろ、一番力を持っているのが人類だってことを教えてやるよ。」

 今行動したのは彼女の言葉が蘇ったからだ。真面目だったあの子が消滅した時の喪失感が今も胸を締め付けた。責任感だけで押しつぶされそうだ。誰かがやらないと奴らは増えるばかりだ。警察を選んだ理由もそれらが大きい。

 死んだ者たちへの贖罪。

 ズレた自己犠牲。誰かにお願いされた訳でも命令された訳でもない。自分の意志で一銭の特にもならない感情で職を選んでしまった。

対特異捜査担当刑事 早乙女辰真。

俺のことを知る人間は県警内でもそうは居ない。邪険にされ端に追いやられた部署。担当は俺一人で全てを熟す。だから自由にできるとも言えるが、これだけは言える。


過去に縛られた俺はそのうち殉職する。


 第四話 第三幕 見えない涙


 傍観者 古川楔



「古川君に気を付けてって伝えておいてってさ。楔」

 携帯端末を弄りながらアヤカはいつも通りのテンションで俺の腕に絡まってくる。登校中や下校中限定で恋人っぷりを発揮している俺たちだが、今日の話題はいつもより暗い。練習試合が終わってから一週間が経ち、インハイ予選も間近に迫っているのだが、練習試合後、正確には無人公園で溝口と四人でバスケをした後から島崎が学校へ来ていない。見兼ねたアヤカが理事長へ連絡し、担任を通して島崎に連絡を試みると今日から練習に来るとのこと。詳しい事情は知らないが、風邪と言ったらしい。高校最後の試合を前にダラけ過ぎだ。その節の心配で理事長・香子さんがアヤカにメールをくれたのだそうで。

「俺は大丈夫だよ。バスケ部では一番丈夫だからさ。」

 河川敷を歩く俺とアヤカの他には誰も居ない。時間がバスケ部の朝練前だから朝六時を回った辺りだ。アヤカは誰もいないこのシチュエーションをいいことにイチャついて来る。

「楔。今日はお弁当作って来たから一緒に食べようね。」

「そだな。」

 今日は土曜日。学校は休みだが、休日練習で学校の体育館を借りている。一週間休んだ島崎が訛っていないことを祈りつつも校舎とは別棟の体育館へ着く。時刻は六時半、朝練は七時からなので三十分は早いが鍵当番なので仕方ない。鍵を開け、誰もいない体育館に入ると世界が終ってしまったのではないかという錯覚に陥る。静寂に包まれる空間に自分一人でいると淋しさが募る。だが俺は一人じゃない。

 アヤカが重そうにウォータージャグを持って来て、出しておいた長机に置いた。ふぅ、と一仕事終えたマネージャーは運動する訳でもないのに体を動かして気合を入れ直している。

 彼女が居れば、俺は一人じゃない。

 七時前になると徐々にメンバーが集まり始め七時ちょうどには溝口を抜いたバスケ部全員が集まった。練習前に円陣を組むと島崎が声を上げる。

「陽正ぇファイ‼」「「オゥ‼」」

 野太い声と共に通常通りの練習メニューが始まった。部員それぞれがインハイ予選に向けて意識を高めているのか声がよく出ている。島崎も一見いつも通りでインハイ予選前の活気が蘇る。そんな中、島崎は俺とところまで来て囁く。

「…溝口は先に行ったよ。俺らも後を追わないとな。」

 何の脈絡もない発言に言葉が詰まった俺は聞き返した。

「どこに言ったんだよ?」

 彼から返って来たのは意外そうな表情。続けられた言葉は真面目なトーンだった。

「どこって…次の段階に決まっているだろ?」

 島崎から感じていたズレは俺との間に深い谷を刻んだ。しかし、俺は諦めなかった。

「島崎!」

 練習に戻ろうとしていた島崎を強引に止めると、きょとんとした顔がこちらを向く。

「今日の夜1on1やろう…ここで。」

 陽正高校体育館。俺たちはここで溝口と出逢い夢を語った。強豪高校相手に圧勝した。全校生徒からの祝福を受けてインハイの壮行式を行った。何かの節目には必ずここが絡んでいた。無人公園ではなく、ここならば島崎の心に響くかもしれない。

 何かがズレてしまった島崎の心に。

「分かった。」

 笑顔で練習に戻る島崎の後ろ姿を見て俺は思う。

 もう、歯車はズレてしまった。歯が欠けて回らなくなった欠陥品。

「…俺たちはいつから名前で呼ばなくなったんだ?…真二。」

 二度と戻らない二人の関係は乾燥した空気によく似ていた。



 静まり返った体育館には二人以外には誰も居なかった。照明は付いておらず、俺は照明を付ける理由を探すように体育館中を見回す。島崎の顔を見て何を話しかけたらいいのか解らず、ただ待っていた。

「見えるか?」

 島崎は久しぶりとも思える言葉を口にしてこちらを向いた。

「問題ないな。視力は両目5.0だ」

「俺もだ」

 ハーフラインに立つ島崎の手にはバスケットボールがあり、試合開始を今か今かと待つように燻っている。無言で俺はその前に立つとディフェンスの構えをしてボールに集中した。何も語らなくても解るものがあるのかも知れないが、お前の心は解らない。何を考えているのか、迷っているのか…

 解らねぇよ島崎。


 ボールが島崎の腕に合わせて上下に動き、時間が動き出す。思考に飛んでいた頭を現実に引き戻すと指先、足先まで運動神経を尖らせる。即座に反応できるようにボールと島崎の体にだけ集中する。余計なことは考えない。島崎は呼吸を整えると目つきが変わり、低姿勢になった。正面から抜くらしい。フェイントをかける前にボールを弾けばこちらの勝ちだ。俺は正面からドリブルしてくる島崎にこちらから近づいた。

「さすが…だな」

 島崎は俺の行動を察して抜けないと判断すると高速ドライブをいきなり切り替えし一八〇度後方にバックステップした。

「…⁉」

 それにはさすがに追いつけない。しかし俺が驚いたのはそこからボールだけが更に後方へと投げ出されていたことだった。こんなのボールがそのままコート外に出て終わりじゃないか…

「油断…したな?」

 ボールに一瞬気を取られると島崎は俺の脇をすり抜けてゴール下へ走り込んでいる。まさかと思いボールを凝視するとバックスピンが掛っていたしかも尋常じゃない回転数だ。ボールが地面に着くとギャシュッというゴムと床が擦れる音がして俺の遥か上を飛び、島崎の右手に収まるとそのままゴールへと吸い込まれた。

「島崎…お前はどこまで進化する気だ?」

「決まっている…(かつ)て誰も到達したことのない高みまでだ」

 島崎の眼は色が変わっていた。

 攻守変わって俺の攻撃。ここで外すと負けは確定。化け物染みた異形の強さを持つ今の島崎に俺が敵う筈もないが、この勝負に負けると何かが終わってしまいそうだ。今日の練習試合での圧倒的な強さを見たチームメイトは島崎に恐怖を抱いて、俺の彼女である色芳彩香も何があったかまでは知らないが心の傷を負っている。彼の存在を懸念し注意すべきだと警告している。


 島崎は人間の顔を被った化け物じゃないのか?


 無機質に俺の中で響く声はそれが真実だと語っている。だが、島崎は化け物じゃない。俺は小さいころから一緒に練習し、お互い技を磨きプロになろうと誓い合った親友だ。そんな訳がない。

「…お前は人間だよな?」

 暗い体育館には小さい声でも十分に響く。他のメンバーが何て言おうと世界の人間が何て言おうと俺だけは島崎を化け物何て呼ばなかった。住む次元が違う住人だとも言わなかった。でも、彼の反応を見たかった。彼が本当は何者なのかを知りたかった。島崎は質問の意図が分かったかのように体育館の天井を向く。見えなかったが天井の上にある夜空の星を見るように彼の眼は遠くを見つめていた。

「古川…お前もそう言うのか?俺を化け物って…」

 激昂して暴れ出すかとも思ったが、彼は至って冷静になっているように見えた。異質なのは彼の眼だけ。俺はハーフラインからドリブルを始め、ゴールを目指す。島崎はダランと両手をぶら下げこちらの様子を覗っている。

「島崎…例えお前が化け物でも何でも構わね。けどよ、お前は俺に1on1で勝った記憶があるのか?」

「!」

 空気が張り詰めるほどの気迫が島崎から伝わってきた。アヤカが言っていた島崎先輩が病欠で一週間休んだ後の能力値が飛躍的に伸びていたと。だが、成長していたのは溝口だけじゃなかった。島崎の覚醒も始まっていた。溝口との1on1もマグレではなく、単純に実力差が出たのだ。その時以来、俺は島崎に勝っていない。しかし、負けてもいない。

 「確かにお前はアヤカの練習メニューで飛躍的に成長した。けど、以来俺と本気の1on1を避けるようになったのは理由があるのか?一度も勝てなかった俺に勝ってしまうのが恐ろしかったのか?」

「………」

 島崎は無言のままこちらを睨みつける。彼の異彩を放つ眼光の鋭さを増し、自分の背後が底の見えない崖になってしまったかのような錯覚を覚えた。不安から汗が吹き出し足が強張る。

「…どうしたよ。…急に黙って?何か気に障ったか?それとも図星で動けないでいるのか?そんな気の抜けた守備で俺を止められると思っているのか?」

 俺は思っていることを口にする。根拠のない事実ということではないし、偶然が重なったから生じた実力の伴わない歪みなのかもしれない。しかし、ここは強く出ておかないといけない気がした。混乱することもなく、無駄な動作を極限まで省いた彼の体から発せられている見えない闘気に俺は少なからず怯えていたのだ。軽口を叩いていないとやってられない。ドリブルを続けながら島崎との距離を少しずつ詰めて行く。

「………五月蠅いぞ…古川…」

 ゆっくりと島崎は動いた。流れるような美しく円滑な動きで反応が遅れた。島崎の右の指先があと数センチでボールに触れるというところで俺は反応した。取られかけているということを漸く反応できた。

「…ッ!」

 ゆっくりとした動きが幸いして左でドリブルしていたボールを背面に回し右にサイドチェンジするが、待っていましたと言わんばかりに島崎の左手がボールを捉えようとしていた。二人の距離は三十センチもあるだろうか俺に抱きつくような形で島崎は密着した守備をしている。 取られたら終わってしまう。どういう意図で彼が望んだ1on1なのかは解らない。俺なんか余裕で倒せるだろうと予想できる。

 このまま終わっていい筈がない、こんな結果を俺も彼も望まない。


 俺は強引に体を捩じった。ボールを庇うように右手を後ろに引っ張る。床とゴムが擦れる音が響き、さらに体を回転させて島崎と対面していた角度から右に二七〇度捩じると、足が縺れ倒れ込みそうにもなるが、島崎の守備から何とか脱出できた。しかし視界の右には常に島崎の右手が映り込んでいる。ボールを取らないまでもぴったりとつけて追ってきている。それもそうだ。彼はスター選手へと成り上がったのだ。化け物なんかじゃない…島崎はバスケットボールの境地へと到達したのだ。俺は全力で答えなくてはならない。

 島崎真二。彼に弱点はない。強靭な肉体と神速とも言える反応速度。動きも早く、ボール捌きも技巧派と言っていい。バスケットセンスも人並み外れている。

「……!」

 そんな島崎の予想をも上回る動きをして見せる。

「……悪いな島崎…」



 傍観者 島崎真二



 古川にスター選手とまで思われていた俺に今の古川の動きが見えなかった。単に俺がスター選手ほどの実力を持っていなかったという話ではない。客観的に見てだが俺は間違いなく現時点でプロでも一流に属するバスケットボウラーであるが、体育館の床に反射した月の光に目が眩み一瞬行動を停止させてしまったのだ。一瞬の間に古川は体勢を反転させて一気にゴール前へと駆け上がりレイアップを決めようとしていた。

 古川…お前は俺を愚弄するのか?実力ではなく運で勝とうとしているのか?小さいころから同じ夢を見ていた俺とお前の戦いは正真正銘の実力をぶつけ合う男の勝負じゃなかったのか?

 怒りが、失望が、体を包む。古川は既にシュートモーションに入っていて、二人の距離は二メートルも開いている。普通ならばまず間に合わないが、俺は跳躍した。自分の桁外れの力を信じ。

「…負けるかっ!お前にだけは…!」

「…!」

 跳躍は間に合う筈のない間合いを詰め、古川の視界に右手が侵入した。しかし、俺の眼に映った古川の次の行動は予想を超えた。古川はレイアップのシュートモーションに入りながらもボールを手から放そうとしなかったのだ。

「…ダブルクラッチ…」

 ゴールの左から右に抜けると後ろ向きながら放たれたシュートは静かにネットを揺らした。これで勝負は振り出しに戻る。


 一矢報いて古川は顔から滴る汗を拭き、俺の方に振り返ると気を引き締めた。まだ振り出しに戻っただけで勝ったわけじゃない。今は姑息な手を使ったがもうそんな余裕もないだろう。一瞬の攻防に体力を使って息を荒げている古川と違い、俺は落ち着いたものだった。落ち着きすぎているとも取れたが、目線は未だ揺れ動くゴールネットに向けられていた。

「島崎…まだこれからだろう?俺たちの戦いは…」

 古川の言葉が気になり過剰反応してしまう。目を見開き古川に目を向ける。

「ああ…そうか…。お前はまだ俺を人間として見てくれているんだ」

「当たり前だろ。さっきお前は人間だよな?って聞いただろうが。最初っからバケモンだなんて思ってねぇよ。」

 光が差した気がした。既に目の色が変わり、異常であることは間違いないのだが、それでも俺は俺の中に希望を見た。

「…島崎…お前は何で皆を敵に回すようなことをする?どうして自分だけお前らとは違うんだって俺らを見下す?俺はお前が普通の人間にしか見えないし、ちゃんと話せば皆もお前を怖がったりしないだろ。バスケが並はずれて上手くても完璧じゃないんだよ。今みたいに俺に抜かれることだってある。人間皆欠点を持って生まれるっていうじゃないか、お前は長所が目立ち過ぎているだけなんだよ。」

 古川は俺が悪いものにならないよう懸命に訴えた。けど、俺は下を向く。お前の声は届かないと言うように。

「…古川…お前、俺がいつからこんなになったか覚えているか?」

「半年くらい前だったか?溝口がいきなり病欠した後だよな?」

「ああ…その通りだ。その時からだよ。バスケの練習で周りが弱いって感じ始めたのは…今までそんなこと考えたこともなかった。アヤカの考案した練習で皆が徐々に実力をつけて来ているのも知っていたし、第一俺がこんなことになるなんて思わなかったんだ。」

 胸がちくりと痛んだ。

今、何かが…歪んだ…。

「…溝口の足をやったのは俺だ…。努力もしないで実力がある風なことを言うアイツに苛立ちを覚えて階段から突き落としたんだ…」

「島崎…誰だって自分が…」

 親友の吐露に慰めを入れようと古川は何か言いたげだったが、俺は敢えて無視した。

「俺は…自分の実力を誇示したかっただけなんだ。自己満足で相手を下に見ることに優越感を覚えていただけなんだ。俺は…」

 体から黒い何かが溢れだした。瞳から溢れた滴は透明ではなくどこまでも淀んでいた。まるで闇を模しているかのようなそんな色だった。

「島崎…」

「俺は負けたかったんだ…すまん…迷惑かけた…これで諦められる。化け物の力を借りてもお前には勝てなかった…お前は正真正銘のヒーローだよ。」

 さっきまでの怠さが消えた。全身の力が抜けて視界が今までよりもクリアに見えた。古川の悲痛な顔が見え、俺のためを思ってくれていると感じる。

(島崎…俺は次へ行く。お前も早く来いよ…)

 溝口が一週間前の1on2の後に言った言葉を思い出す。

(あんな糞みてぇな連中ほっとけ、俺と来い。)

 古川…違うんだ…。俺は説得しに行っていたんじゃない。説得されていたんだ。

 優しいな古川…。化け物に成っちまった俺を、化け物の力に負けちまった俺を見てまだ人間だと、友達だと言ってくれて嬉しかったぜ。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「…島崎……お前…泣いてたのか…」

 雄々しい咆哮はどこか女々しくもあった。


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