クリスマスまでの準備1
悟くんは、わたしの前に座った。
「ちょっとだけ怪我をして、病院へ行った。司兄貴が付いてるから大丈夫だよ」
「に、に、入院する?」
「しないよ。帰りに怪我をしたまま龍道を通ったから傷口が開いたんだ。二、三針縫って、タクシーに乗って帰って来るよ」
うなだれていた大輔くんが、悟くんの横に座ってわたしに頭を下げた。
「ごめんなさい。俺が悪いんだ」
「どうして?」
「そいつがドジ踏んで、シャッターに挟まれそうになったんだよ」
巧さんが険しい口調で言った。
「圭吾はそいつを庇ったんだ」
「俺……本当は司にぃに来ちゃダメだって言われてたんだ。でも、悟にぃまで行くのに俺が行けないのが悔しくて、圭吾に無理矢理頼み込んで連れて行ってもらったんだ」
「ったく! 年が近いって言ったって、悟とお前じゃ力に差がありすぎだろ」
大輔くんは鼻をグスグスさせながら、うつむいた。膝の上の両手が微かに震えている。
落ち着きなさい、志鶴。あんたは三田志郎の娘でしょ? ジャーナリストの娘が、何かあったからって、いちいちうろたえちゃダメ。
「皆さんお疲れ様でした」
わたしは言った。思ったよりも落ち着いた声が出た。
「何か飲みません? お茶か、コーヒーでも」
巧さんがニッコリと笑った。
「お言葉に甘えて。コーヒー、貰おうかな」
「僕、手伝うよ」
悟くんが腰を上げて、わたしについて来た。
「詳しい話、聞きたい?」
廊下に出ると、悟くんが言った。
わたしは首を横に振った。
「圭吾さんから聞く」
たぶん、サラっと流されるだろうけど、その方がいい。圭吾さんが怪我をするような話を、冷静に聞けるとは思えない。
台所に行くと、和子さんがいた。
「コーヒーを入れに来たの」
「六つ、でよろしいですか?」
「四つ。圭吾さんと司先生は少し遅くなるんですって」
和子さんはうなずくと、戸棚からコーヒーカップを出した。
「あ、インスタントでいいよ」
悟くんがそう言うと、和子さんはジロッと悟くんを見た。
「当家にはインスタントなどありません」
本当の事を言うと、彩名さんのアトリエと圭吾さんの部屋にはインスタントコーヒーがあるけど。
「和子ばあちゃん、寝たら?」
悟くんが陽気に言った。
「時間も遅いしさ、後は僕らがやるし」
「まだ、そこまでは老いぼれてはおりませんよ」
和子さんはピシャリと言った。それから意外にも、ふふふっと笑った。
「相変わらずどうしようもない方ですね、悟様」
「でしょう?」
悟くんはニヤリと笑うと、真っすぐ戸棚まで行ってごそごそと中を探った。
「ほら、見ーっけ!」
悟くんの手にはインスタントコーヒーの瓶。
「えっ? どうして分かったの?」
わたしは驚いて尋ねた。
「僕は羽竜一の器用貧乏なのさ」
悟くんはカップにコーヒーの粉を入れながら言った。
「能力の種類は誰よりも多いし、強さも兄弟で一番。ただし意欲に欠ける。今まで一族のために役立とうなんて思った事もない。だから大輔は僕を軽く見る。僕に出来るなら、自分だって出来ると思ったんだろう。許してやって」
「わたしは、許すとか許さないとか言える立場じゃないわ」
わたしがそう言うと、和子さんと悟くんは顔を見合わせた。
「そろそろ自分の立場に慣れた方がいいよ」
悟くんが言った。
「結婚すれば、羽竜一族で圭吾の次に発言力があるのは君ってことになる」
そうなの?
「ましてや君は、圭吾に対する影響力が大きい――少なくとも一族のみんなはそう思っている」
「いやね。買い被りすぎよ」
わたしもミルクとお砂糖をトレイの上に並べた。
「悟くんだって言っていたじゃない。わたしはすぐ圭吾さんに騙されるって」
「そうだね」
悟くんは微笑んだ。
「それでも圭吾が一番に耳を傾けるのは君の意見だよ」
圭吾さんに必要とされたい。役に立ちたい。でも――
「今、すごい重しを乗せられた気分」
「だろうね」
「前に悟くんは、わたしがそこにいるだけでいいって言ったのに」
わたしがぼやくと、悟くんは笑った。
「圭吾にとってはね。でも、僕ら他の者が君に期待していることは違う」
「どうしろって言うのよ」
わたしは少しばかりふて腐れて言った。
「圭吾を幸せにしていて欲しい。あいつが怒ったら宥めて欲しい。迷ったら助言して欲しい」
「ハードル高いわよ」
「もう全部クリアしてるじゃないか。君は言わば龍神の巫女だ。僕らは、君を通して圭吾にとりなしてもうらおうとするだろう」
難しすぎて分かんない……
「例えばさっきの大輔だ。君が許すと言えば、圭吾も許すだろう。君が許さないと言えば、圭吾は大輔を末席に追いやる――分かる?」
「言いたい事は分かった。でも、わたしが何も言わなくても圭吾さんはそんな事しないでしょ?」
悟くんはカップにお湯を注いだ。
「たぶんね。でもそれは、しづ姫の目があるからだよ」




