ひとり、この夜4
いろいろな事が目まぐるしく過ぎていく。
まず、悟くんが学校を休んだ。
三日ぶりに登校してきた時は、目が赤くて何だか疲れているみたいだった。
『風邪?』ってきいたら、『徹夜明けだよ』という答え。
圭吾さんもとても忙しそうで、毎日夜遅くまで電話ばかり。
わたしは黙って、圭吾さんが振り向いてくれるのを待つ。
ママが早くに亡くなって、わたしは親父と二人っきりの家庭で育った。
親父は仕事から帰って来て、わたしが待っているのを見ると、いつも後ろめたそうな顔をした。
そんな顔をさせたくなくて、わたしはいつの間にか待つのをやめた。
圭吾さんは、わたしが待っていると微笑む。
もう少しだからと、目が語る。
僕も早く終わらせたいよと、あきらめたように上を向く。
だから待つの。待っていてって圭吾さんが言うなら、ずっと待てる。
「明日だな。明日の夜に決めたよ。十時に集まってくれ」
圭吾さんは電話を切ってわたしを見た。
「明後日は出かけよう」
疲れたような声。
わたしは圭吾さんの側まで行って、腰に手を回して身を寄せた。
圭吾さんが、わたしの髪に顔を埋める。
「君と一緒にクリスマスツリーを探すんだ」
次の日の夜、うちに悟くん達がやって来た。
司先生、巧さん、悟くん、末っ子の大輔くんまで。
あれ? 要さんは?
「要は非番じゃないんだ」
圭吾さんが言った。
「だが、今晩中に片をつけたいんでね」
みんな上下とも黒っぽい服装で、何だか泥棒にでも入るみたいだった。
みんなは客間の和室に入って行き、わたしは入れてもらえない。
わたしは母屋の居間で、伯母様や彩名さんといることにした。
三十分くらいして、悟くんが顔を出した。
「しづ姫、圭吾が呼んでいる」
和室に行くとみんなは立っていて、どこかに出かける風だった。
圭吾さんは部屋の一番奥にいて、手招きをした。
側まで行くと小振りのハサミを渡されて、
「髪をくれないか? ほんの少しでいい」
と言われた。
わたしは髪を一房つまみ、三センチくらいのところで切った。
「ここに乗せて」
圭吾さんは白い和紙を差し出した。
「いつもは彩名に貰うんだけど、今回は君がいるからね」
わたしが髪を乗せると、圭吾さんは和紙を折り畳んでポケットに入れた。
「それ、何するの?」
「お守りだよ」
圭吾さんはそう言うと、身を屈めてわたしの頬にキスをした。
「すぐに帰って来るから待ってて」
わたしは黙ってうなずいた。
圭吾さんはわたしの髪を一撫でして、悟くん達の方を向いた。
「僕の支度も終わったよ。行こう」
圭吾さんは和室の奥隅まで行くと、カーテンを開けるような仕種をした。
壁が歪んだように曲がって見え、そこからみんなは出ていってしまった。
わたしはしばらく立ち尽くしていたけれど、ゆっくりと手にしたハサミを座卓の上に置いて正座した。
どのくらいたってからか、襖の向こうから和子さんの声がわたしの名を呼んだ。
「なぁに?」
襖が少しだけ開いた。
「皆様お出かけになられましたか?」
「ええ。あ……和子さん?」
「はい?」
「このハサミをしまってもらえる?」
襖を開けて和子さんが入って来た。
「これでございますか?」
わたしはうなずいた。
和子さんはハサミを手に取ると、わたしに向かって静かに声をかけた。
「志鶴様、ここでお待ちになるおつもりですか?」
「ええ」
「帰ってらしたらお知らせしますよ。お部屋にお戻りになられては?」
「ここにいるわ。圭吾さんが待っていてって言ったの」
「かしこまりました」
和子さんは頭を下げて部屋を出て行った。
一人ぼっちになると、部屋の静けさが心に刺さる。
本当は、行かないでって言いたかった。和子さんにも。圭吾さんにも。海外勤務になった親父にも。
そして、亡くなってしまったママにも。
時間が経つにつれ、不安が募る。
こんなに誰かを待ったのは、子供の頃にサンタクロースを待って以来だと思った。
あの夜、サンタクロースは来なかった。ママを返してって願いは叶わなかった。それから、わたしは願う事をやめ、待つことをやめた。
一番大切な願いが叶わないなら、他の願いが何になるの?
でも、今は――大丈夫。圭吾さんは必ず帰って来る。明日はクリスマスツリーを探しに行くって約束したもの。
どのくらい待っただろう。
カタッと微かな物音がして、部屋の隅がキラキラと光った。目をやると、壁が布のようにグニャっと歪んで、そこから人が出て来た。
巧さん、悟くん、大輔くん――圭吾さんは?
「しづ姫、ただいま。データ消去は完了したよ」
悟くんが笑顔で言った。
わたしは混乱して、悟くんを見た。
「圭吾さんは?」
怖くて声が震えた。




