ひとり、この夜1
放課後、わたしは鞄を持って校長室のドアをノックした。
「失礼します」
そっとドアを開ける。
「入りなさい」
司先生の声がした。
中に入ると、美月がもう来ていた。
圭吾さんはわたしを見ると笑顔になって、声を出さずに口だけを動かした。
――おいで
真っすぐ圭吾さんの前に行くと、ギュッと抱きしめられた。
「圭吾、ここは教育現場だぞ」
司先生が文句を言った。
「堅いこと言うなよ。自分は教え子と結婚したくせに」
「付き合い出したのは卒業後だ」
「ご立派!」
圭吾さんはわたしから鞄を取り上げると、これみよがしに肩を抱いて頬にキスした。
「知ってるだろ? 僕は気が短いんだよ」
「困った奴だな」
司先生が笑いながら言ったので、わたしはホッとした。
もうこの二人のケンカは見たくない。
ふと目をやると、美月がウットリした顔で見ている。
あー、また妄想中?
美月の傍らの机の上には、模造紙のような大きめの紙が広げられていた。
赤や青、何色かの線が複雑な模様を描いている。
「それは何?」
わたしは紙を指差した。
「地図だよ」圭吾さんが答えた。「龍道の地図だ」
圭吾さんが使うアレか……
圭吾さんは時々、変な場所から消えたり現れたりする。
目に見えない線上を歩くらしい。美幸は『龍神様の道』って呼んでた。
「美月はその地図、分かるの?」
だとしたら悔しい。
「いいえ、全く分かりません」
よかった。
「でも、龍の卵を見つけた場所に行く時は、大ちゃんがこの線を使って連れて行ってくれるんです」
「一般の道もあるんだろうが、ほぼ獣道だろうな」
圭吾さんが言った。
「要に調べさせるか」と、司先生。「あいつなら、嗅ぎ回っているのを見つかっても言い訳がきく」
要さんは先生のすぐ下の弟で、警察官だ。
「そうだな。僕はスタッフから研究所に見学の申し入れをさせるよ。日時が決まったら知らせる」
「わたしは何をすればいいんですか?」
美月が期待に満ちた声で訊いた。
「君には、あの赤ちゃん龍の世話を任せます。しっかり頼みますよ」
司先生が優しく言った。
「任せて下さい。頑張ります!」
ついでにその口を少し閉じていてくれれば、もっといいわ。
わたしの独り言だったのに、すぐ横にいた圭吾さんには聞こえたようで、プッと吹き出した。
「何ですか?」
美月が怪訝そうにこっちを見た。
圭吾さんは咳ばらいをしてから、『いや、喉の調子がちょっとね』と、ごまかした。
話が終わって帰る時に、圭吾さんが『送って行くよ』と美月に声をかけた。
「ありがとうございます。でも、友達と帰ります。お二人はこれからデートでしょう? それに、わたし達は普段通りに行動した方がいいんです。怪しまれますからね」
すっかり、スパイ気取りだわ。もう! 笑っちゃダメだって、圭吾さん。
「圭吾さん、咳が止まらないならお薬飲んだ方がいいですよ」
美月はそう言って、元気よく手を振ってわたしと圭吾さんを見送った。
「ああ、笑うの我慢しすぎて腹が痛い」
圭吾さんが言った。
「薬飲んだ方がいい?」
わたしも吹き出した。
「やめて、お……おかしいから」
「あの子、前からあんなだっけ?」
「美月は、いつもああよ」
わたしは笑いながら答えた。
「せっかく気を使ってもらったんだ。デートしよう」
胸がドキンとした。
「あのね」
急に気恥ずかしくなって、わたしは口ごもった。
「モールで……ショッピングモールで今、臨時のペットショップを開いてるの。知ってる?」
「知ってるよ」
「友達が彼氏と行ったんだって。ウサギがいて、触らせてもらえるの」
一人がそう言って、今ではクラスのデートスポットになっている。
「えーと……行きたいな」
「じゃあそこへ行こう」
圭吾さんは優しく言った。
やった!
憧れの制服デート。圭吾さんは制服じゃないけど、それはよしとして。
オシャレして、大人が行くような場所での背伸びデートもいいけれど、やっぱり高校生の今しかできないことしてみたい。
わたしは彼氏いない歴十六年で、これが初恋。
圭吾さんは初めての彼氏で、ファーストキスの相手で、いきなりの婚約者。
わたしの世界は、圭吾さんを中心に回っている。
大好き。




