赤羽のトナカイ2
家に帰ると、彩名さんが『見つけられたのね』と、圭吾さんに言った。
「ただ単純に、携帯電話が繋がらない場所にいたらしいよ」
「まあ……だから言ったじゃない。圭吾ったら、本当におバカさんなんだから」
彩名さんがにこやかにダメ出しをする。
わたしの後ろで、圭吾さんがグッと言葉を詰まらせたのが分かった。
「あんなに気をもむくらいなら――」
「彩名」
圭吾さんは彩名さんの言葉を遮った。
「――志鶴、着替えておいで。もうすぐ夕食だから」
「あ、はい」
うん。わたしには聞かせたくない話なのね。何となく分かるからいいけど。
夕食の時に、彩名さんが三月に東京で個展を開く事になったと言った。
「しばらくアトリエにこもりっきりで、二月になったら出かけてばかりね」
「出かけついでにお婿さんでも探してらっしゃい」
伯母さまが言うと、彩名さんはふふっと笑った。
「道端に、お婿さん候補が落ちていたらね」
ふと見ると、圭吾さんがわたしの小皿に醤油をたらし、ワサビまで入れていた。
何だか急におかしくなって、わたしは口に手をあてて圭吾さんを見た。
「ん? どうかした?」
「圭吾さんはわたしが黙っていたら、どこまで世話を焼いてくれるのかなぁと思って」
「お望みなら、ご飯を全部食べさせてあげるけど?」
「わたしなら、そんなわずらわしい殿方は拾わないわね」
と、彩名さんが言った。
「志鶴は拾うんだよ」
圭吾さんが言い返した。
「拾ってくれるまで待つさ」
夕食が終わって間もなく、圭吾さんの携帯電話が鳴った。
司先生からみたい。
これで、わたしと美月の手から問題が離れた。
「部屋にいるから、後で来て」
圭吾さんはわたしにそう言うと、電話に戻った。
母屋のお風呂に入って、自分の部屋で宿題をやってしまって、それから三階の圭吾さんの部屋に行ったのに、圭吾さんはまだ電話で話している。
話の内容が切れ切れに聞こえる。
カメラってなんのカメラ?
ソファーに座って一人でテレビを見ていたけれど、つまらない。
わたしはクッションを抱えたまま、あくびを噛み殺した。
退屈だけどいいわ。だって圭吾さんの声が聞こえるもの。寂しくない
「うわっ! 寝かけてる」
圭吾さんの声が遠い。
「司、続きは明日にしてくれ。学校の方に行くよ。うん、子守はお互い様だろ?」
子守ってわたしの話?
「ああ――優月はごねるからまだいいさ。志鶴は文句も言わずにじっと待ってるんだよ。かわいそう過ぎる。切るぞ」
わたし、かわいそうなんかじゃないわ。
「志鶴?」
圭吾さんにそっと名前を呼ばれた。
「終わった?」
わたしは目を擦りながら言った。
「今日のところはね。眠いかい?」
「ん……でも圭吾さんとお話するの」
あなたの声を聞いていたい。
「おいで。ベッドで話そう」
わたしは圭吾さんに抱き抱えられるようにして、ベッドまで行った。
マットレスがフカフカしてて気持ちいい
思わずため息がもれた。
微かに笑う圭吾さんの声が聞こえる。
「シャワーを浴びてきていいかな?」
「どうぞ」
「明かり、落とすかい?」
「ダメ!」
「志鶴?」
「このままがいいの。暗くしないで」
圭吾さんはわたしの頬にキスした。
「分かった。すぐ戻るよ」
暗いのは嫌い。怖いから嫌い。
もう魔女はいないけど、暗闇に一人でいるのは嫌。
それにしても、わたし、結局夏休みからずっとここで寝てない?
どうも圭吾さんに上手く丸め込まれてる気がする。
まあ……いいか。圭吾さんといる方が落ち着くし。
ウトウトとして、次に気づいた時には、暗闇の中で圭吾さんの腕に包まれていた。
ホッとして体を擦り寄せると、低い笑い声がした。
「志鶴、自分が何してるか分かってる?」
「うん。圭吾さんに抱かれてる」
「僕が好きかい?」
「大好き」
「じゃあ、君に触れてもいい?」
「いいわよ」
「いつもより、もう少し多く触れても?」
意味が分からなかったけれど、言われるままに返事をした。
「いいわ」
圭吾さんの指がわたしの額を撫でる。
その後にそこに軽くキスをされて、その途端にクラッとめまいがした。
何だか体が重い。
「圭吾さん?」
「いいよ。そのまま眠っておいで」
圭吾さんの指がわたしに触れる。
髪に、頬に、唇から喉を通って、胸へ――その跡をなぞるように唇がたどっていく。
胸? ……にキスされてる?
えっ? っていうか、どこ触ってるの!
ちょっと待って!
ダメ ダメ ダメ ダメ
ムリ ムリ ムリ 無理っ!
わたしは慌てて逃げ出そうと、もがいた。
圭吾さんの腕が緩み、わたしはベッドから飛び出しかけた。
すぐに後ろから手が伸びてきて、圭吾さんがわたしを引き寄せる。
「志鶴、落ち着いて」
「嫌。無理だから。絶対ムリ!」
「暴れないで。しーっ、嫌なことはしないよ」
「本当?」
情けないことに半泣きの声しか出ない。
圭吾さんは背中からわたしをそっと抱きしめた。
「僕に触れられるのは嫌?」
「そうじゃないの」
「触れられる事自体が嫌なのか」
わたしはコクンとうなずいた。
「ねえ、もう少しだけ我慢してくれないか?」
「もう少し?」
「ほんのちょっとだけでいい。このまま君に触れるのを我慢してくれないか? ――僕のために」
圭吾さんのために?
いつも、わたしを待っていてくれる大好きな人のために?
「分かった」
言ってしまった。
圭吾さんは後ろからわたしを抱きしめたまま、そっと素肌をなぞった。
少しくすぐったい。
馴染みのない感覚を我慢しているうちに、体の中がフワッと持ち上がって、わたしの目の前が真っ白になった。
圭吾さんがフウッと吐息をもらす。
ああ、そうか。
わたしの心、今、圭吾さんの中に流れ込んでる。
圭吾さんが欲しかったのはこれなんだ。
「病み付きになりそうだ」
圭吾さんが独り言のようにつぶやいた。




