赤羽のトナカイ1
間もなくわたしを迎えに来た圭吾さんは、美月のお母さんと優月さんに挨拶した後、わたしの方を見た。
表情が読めない。
「携帯はどうした?」
「ごめんなさい」
とりあえず先に謝っておこう。
「謝ってほしい訳じゃない。携帯が繋がらなかったのはなぜ?」
「美月の龍を見ていたの。飼育場がちょうど繋がりにくい場所だったみたいで」
圭吾さんは深々とため息をついた。
「行動をいちいち制限するつもりはないが、もう少し僕の気持ちを考えてもらえないか?」
心配かけちゃったんだ……悟くんに言われた時に、素直に連絡すればよかった。
「ごめんなさい」
やはり、謝ることしかできない。
「帰ろう。カバンはどこ?」
少しの沈黙の後の、圭吾さんの優しい声が胸に痛かった。
圭吾さんは、わたしを怒らない。
誰に聞いても怒りっぽいとか、気難し屋って言われてるのに、わたしには怒らない。
怒られるべき時に怒られないと、何だか後ろめたい。
おまけに優月さんのいる前で、こんな子供っぽい理由で注意されてるなんて最悪。
早く帰りたい。
でも、玄関に出たところで、今度は美月のお父さんに捕まった。
「来客中だと伺ったので、このまま失礼しようと思っていたところです」
圭吾さんがそう言うと、美月のお父さんの後ろから、常盤さんが顔を出した。
「やあ、羽竜。先日は失礼したね」
「こちらこそ、お役に立てなくて申し訳ない」
圭吾さんがおっとりとした口調で答える。
「竜田川さんのところで君の顔を見るとは思わなかったよ」
「あなたが何を耳にしているかは知らないが、僕はこのお宅に何のわだかまりも持っていないよ」
「――のようだな」
常盤さんがわたしの方にチラッと目をやった。
途端に、圭吾さんがわたしを自分の後ろに隠した。
「確か、親戚の子だと言っていた気がするんだが?」
「ああ」
「君自身でわざわざ迎えに来るなんて、随分と大事にしているんだな」
「叔父からの大事な預かり物だからね。髪の毛一本たりとも傷つける訳にはいかないんだ」
それは警告だった。
わたしを利用する事は考えるなという警告だ。
「なるほど」
常盤さんはニヤリと笑った。
「心しておこう」
圭吾さんはもう一度挨拶をして、わたしの手からカバンを取り上げた。
「帰るよ」
わたしはコクンとうなずいた。
外に出て、いつものように圭吾さんが助手席のドアを開けてわたしを車に乗せる。
シュンとしているわたしを見て、『別に怒っている訳ではないよ』と、圭吾さんが言った。
ますます自分が子供みたいで嫌になる。
「後でちゃんと話そう」
車をスタートさせながら圭吾さんが言った。
「後にできない話が一つあるの」
「何?」
「美月のところで卵から孵化した龍がいるんだけど、変なの」
「変って?」
「翼は赤龍なんだけど、体がトナカイなの」
「トナカイ? あの鹿みたいな奴?」
「うん。常盤さんがいたから、圭吾さんに見てもらう訳には行かなかったの。でも、美月が司先生に見せる事になっているから、後で司先生と話してくれる?」
圭吾さんの従兄、司さんは、優月さんの旦那さま。
一時は、優月さんをめぐって仲違いしてた二人だけど、もう平気よね?
「分かった。で、常盤と関係があるのかい?」
「圭吾さん言ってたじゃない。常盤さんが関係している研究所の事、怪しいって。動物実験してるのかなって思ったんだけど。考えすぎかな?」
「いや……今日、常盤と話した?」
「ちょっとだけ。お見合い話があったんだって?」
わたしはむすっとして言った。
「その場で断ったよ」
「うん、聞いた。で、その後、圭吾さんの婚約者を知ってるかって訊かれた」
「自分がそうだと言った?」
「言ってない。教えてあげる事もないしね」
「常盤が嫌いみたいだね」
圭吾さんが笑いながら言った。
「嫌いって言うほど知っちゃいないけど」
わたしはちょっと考えた。
「ああいう気取ったしゃべり方は苦手かな」
「話し方に気をつけるようにするよ」
圭吾さんが笑った。
圭吾さんが気をつけてどうするのよ。
「あのね」
「何?」
「わたしも気をつける。今までずっと一人だったから連絡すること、深く考えてなかったの」
少しためらうような間があった。
「うちでの暮らしは息苦しいかい?」
「ううん」
わたしは驚いて言った。
「すごく幸せ。伯母さまや彩名さんがいて、圭吾さんがいるもの。圭吾さんは、わたしが必要――よね?」
「必要だよ」
わたしは嬉しくなってニッコリと笑った。
圭吾さんが横目で、チラッとわたしを見た。
「今日は、いつもの友達と一緒じゃなかったんだね」
「龍を見に行くって言ったら、美幸も亜由美も逃げちゃった。悟くんは委員会だったし。わたしが美月の家にいるって、悟くんから聞いたの?」
「ああ……うん」
「次はちゃんと連絡するね」
「そう願いたいね」
圭吾さんはつぶやくように言った。




