黒服がうちにやって来る3
「あれ? もう見終わったの?」
部屋に戻って来た圭吾さんが言った。
圭吾さんは、わたしが番組を録画してたのも、今日見ようと思っていたのも分かってる――当たり前よね。全部わたしがペラペラと話すんだもの。
「今日は見るのやめたの。気分じゃなかったから」
「ふうん」
圭吾さんはソファーにうつぶせで寝転んでいるわたしの上に屈み込むと、頬にキスした。
「その雑誌、面白い?」
「面白いわよ」
「経済誌に興味があるとは知らなかったな。それ、上下逆さまだよ」
わたしは両手を上げて、バタッとソファーの上に倒れ伏した。
待っていないフリしてたのに。
「待ちくたびれた」
ソファーに顔を伏せたまま、拗ねたように言うと、圭吾さんは優しくわたしの頭を撫でた。
「着替えてくるから、もう少し待っていて」
わたしはソファーの上に起き上がり、膝を抱えた。
「ねぇ、圭吾さん?」
呼び掛けてみたけど返事がない。
わたしは圭吾さんの後を追った。
「圭吾さん?」
「何?」
――おっと! ネクタイ緩めてる
わたしは慌ててウオークインクローゼットの入口にもたれかかってうつむいた。
「あのね――」
何言いたかったんだっけ?
「肉まん、おいしかった。ありがとう」
そうじゃないでしょ、わたし!
「どういたしまして」
あ……笑ってるでしょ?
「お客様ってすごい人だったのね」
「ああ、父の代からの知り合いだよ」
「何の用事だったの?」
「彼の息がかかった研究施設に土地を貸してるんだ。二年後に契約が切れるんだが、更新しない方向で話を進めていたら、考え直してくれと言いに来た」
「どうして貸すのやめるの?」
ちょっと間があって、わたしは目を上げた。
ちょうどTシャツを頭からかぶっていたみたいで、裸の背中が目に入った。
あら、ステキ。
ほらね、わたしだってまるっきり『お子様』って訳じゃないんだから。
「うーん、研究内容が不透明なんだ」
え、ちょっと待って、ベルト外してる?
そこまでの刺激は求めちゃいないわ。
わたしは慌ててまた目を伏せた。
「表向きは農産物の遺伝子研究所なんだけどね」
「表向き? 裏に何かあると思ってるの?」
「思ってる。極秘研究だから研究施設の半分以上を公開出来ないって、おかしくないか?」
「交渉決裂?」
「向こうにとってはね」
うつむいているわたしの視界に、圭吾さんの裸足のつま先が入ってきた。
「お待たせ、恥ずかしがり屋さん」
顔を上げると、圭吾さんが優しく微笑んでいた。
「恥ずかしがり屋なんかじゃないわよ」
「そう?」
圭吾さんは壁に両手をつくと、体を屈めてわたしにキスをした。
一瞬、驚いて逃げ出しそうになったけれど、何とか踏み止まった。
危ない 危ない。
恋人にキスされたくらいで、いちいち逃げてどうするのよ
ゆっくりと穏やかなキスに頭がボウッとなる。
気がついた時には、圭吾さんの体と壁に挟まれて身動き出来なくなっていた。
あれ? これって、そろそろ止めなきゃマズイ状況?
「圭吾さん?」
キスの合間に何とか言えた。
「ん? 何?」
「えーと、その……そろそろ離してもらえる?」
「もう?」
いや、十分長いでしょ?
「このまま寝室に行かない?」
意味が理解できるまで、たっぷり十秒はかかった。
ギョッとして目を丸くするわたしを見て、圭吾さんが苦笑いを浮かべた。
「まだ無理か」
イエスって言うのよ、志鶴。もう無理じゃないって言いなさいよ。
「えーと、まだ明るいし……」
ああ、わたしのバカ!
「ふうん。暗きゃいいの?」
圭吾さんはわたしの耳の下に唇をつけて言った。
うわっ!
脚から一気に力が抜ける。
ずるい! どうなるか分かっててやってる。
「あのね、圭吾さんが嫌な訳じゃないの」
「知ってるよ」
「大好きよ」
「それも知ってる」
「このままじゃダメ?」
「今はいいよ。志鶴が、僕のものだと自覚しているなら待てる」
わたしはホッと息を吐いた。
「ただここまで来て、結婚するのを考え直したいっていうのは無しだよ?」
「それだけは有り得ないわ」
「ならいい」
やっと圭吾さんの腕から解放された。




