黒服がうちにやって来る2
わたしは玄関から入ると、台所に向かった。
悪いわね圭吾さん、女子高生はすぐにお腹がすくのよ。
「ただいまぁ」
そう言いながら台所に入って行くと、お手伝いさんたちが『お帰りなさいませ』と笑顔で言ってくれる。
ここの家最高!
いつだって誰かが『お帰り』って、家にいてくれるんだもの。
「お腹すいたの。何かなぁい?」
「ありますよ」
お手伝いさんたちがクスクス笑う。
何だろ?
「先に手を洗って下さいな」
流しで手を洗って、配膳用のテーブルの下から背もたれのない椅子を引っ張り出して座った。
この家の台所って、やたらとだだっ広い。
冠婚葬祭を全部自宅でやった昔の名残らしい。
「どうぞ」
わたしの目の前に、湯気のたったホカホカの肉まんが置かれた。
「キャー、おいしそう!」
遠慮なくかぶりつく。
うわ~ ホントおいしいわ
「ねえ、お客様って誰が来てるの?」
口をモグモグさせながらわたしが訊くと、
「代議士の常盤道三先生でございますよ」
私の後から、そう答える声がする。
げっ! 和子さん!
この家の家事全般を取り仕切ってる和子さんは、使用人と言うより家族。礼儀作法に厳しいお婆さんだ。
肉まんが喉に詰まった。
「落ち着いてお召し上がり下さいな」
和子さんがわたしの前に水入りのコップを置く。
「あー、苦しかった――さっき見かけた人がそうかな? ずいぶん若い感じだったけど」
「ああ、それはご子息で、先生の秘書をなさってる道隆様ですね」
「へぇ 代議士って国会議員の事よね。圭吾さんってそういう人とも知り合いなのね」
「羽竜家は力のある旧家でございますからね。志鶴様もいずれはそういう家の奥方になられるんですよ」
「はい。よく分かっています」
「そうでございますか? 圭吾様に、真っ直ぐお部屋に行くように言われたのではありませんの?」
あ……知ってた?
「食べ終わったらお部屋にいるようにとの圭吾様からの伝言です」
へっ?
お手伝いさん達がどっと笑った。
「その肉まんは、圭吾様が志鶴様のためにお取り寄せになった物ですよ。帰ってらしたらお出しするようにと」
そうなの?
「『たぶん真っ先に台所に来るから』とおっしゃって」
あー 全部お見通し?
悔しいけど、圭吾さんって、いつもわたしより一枚上手なんだから。
「圭吾さんったら、それなら最初っからそう言ってくれればいいのに……」
わたしはブツブツ言いながら、肉まんの残りをぱくついた。
「もう一つ召し上がります?」
和子さんまでニヤニヤ笑いを噛み殺してる。
「もらうわ」
わたしは自棄気味に言った。
自分の部屋で制服を着替えてから、三階にある圭吾さんの部屋へ行った。
部屋って言っても、フロア全部を使っているからマンションみたいだけど。
階段を駆け上がって、いつものようにドアを開けて――部屋の中はしんとしていた。
誰もいないんだから当たり前よね。
圭吾さんの部屋に足を踏み入れて、ぐるっと辺りを見回した。
いつもと変わらない。
わたしはリモコンを手に、テレビの前のソファーに足を上げて座った。
昨日録画した番組を見ようと思ってたのに、何だかそんな気分になれない。
「圭吾さん、まだかなぁ」
クッションを抱えて、拗ねたような気分を持て余す。
何やってるんだろう、わたし。
いつも一人で見てるじゃない。
わたしってこんなに寂しがり屋だったっけ?
待たない。それが子供の頃からのわたしの習慣。
誰も待たないし、何も期待しない。
そうすれば裏切られる事もなければ、失望することもないもの。
だけど、圭吾さんはわたしにそれを許さない。
決してわたしの期待を裏切ったりしないと、態度で示してくれる。
そりゃあ圭吾さんだって失敗する時もあって、そんな時わたしは怒ったり拗ねたりすればいいらしい。
「変な人……」
わたしは抱えたクッションに向かって呟いた。
自分はいくら待たされても、怒ったりしないくせに。
圭吾さんのプロポーズを受け入れたっていうのに、わたし達は未だにキスから先に進んでいない。
わたしが臆病だから。
ああ、もう バカ志鶴!
どうして、他の女の子みたいに出来ないの?
圭吾さんに喜んでもらいたいのに。
圭吾さんのことが大好きなのに。




