夏の思い出 1
「龍に囲まれて、ついに竜宮城のお姫さまになったのかい?」
からかうような声に振り向いた。
「悟くん!」
「ハイ! 君の遊び相手のご帰還だ」
「ベビーシッターじゃなくて?」
「まあ、その役も兼ねている」
「ここ座って」
わたしは自分の横を指さした。
悟くんが、わたしの座っているピクニックマットに膝を投げ出して座る。
「すごいね。これ日よけの簡易テント?」
「うん。圭吾さんがつけてくれたの」
「外でおままごと遊び?」
「失礼ね。外が気持ちいいんですもの。コーラ飲む?」
横のクーラーボックスからペットボトルのコーラを取り出すと、悟くんはゲラゲラ笑った。
「やっぱり、おままごとじゃないか。至れり尽くせりの高価なおもちゃっていうだけでさ」
わたしもおかしくなってクスクス笑った。
「ここの裏庭くるの何年ぶりかな」
「龍はお嫌い?」
「幼稚園児にゃでか過ぎたけど、今見ると大したことないね。しづ姫は怖くないの?」
「平気。小さい時うちに一匹いたの。ママが飼ってて」
「へえ。はい、これお土産」
「ありがとう、開けていい?」
「どうぞ」
包みを開くと、ブロンズ製のエッフェル塔が出てきた。
「かわいい」
「圭吾に腹が立った時、それで殴るといいよ」
「パリってどうだった?」
「異常気象だかなんだか知らないけど、ものすごく暑かったよ。そして毎日、部屋とルーブル美術館の往復だ」
「でも楽しかったでしょ?」
「まあね。こっちは僕がいない間、大事件だったんだって?」
「話を聞いたの? でも、わたしは三日も眠ってたから、実際は何も分からないんだけど」
「僕の聞いた話によるとだ、しづ姫が倒れてこっちに戻ってこないと知った途端、圭吾がキレた。司兄貴が一発殴られて、止めに入った要兄貴は投げ飛ばされた」
要さんって警察官じゃなかったっけ。
「圭吾の方が昔っから強いんだよ。柔道でも剣道でも」
「じゃ圭吾さんの手のケガって、先生を殴った時のもの?」
「いや、その後腹立ちまぎれに壁に拳をぶち当てた時のものさ」
そうだったの?
「圭吾は何も言わないだろ?」
「うん。想像もつかない」
「しづ姫の前じゃいつもおとなしいからね。心配しなくてもいいよ。君が怒られることは絶対ないから。圭吾は君に当たるくらいなら、自分の頭を壁にぶつけるタイプだよ」
「わたしきっと、いっぱいいっぱい心配かけたのね」
悟くんは、うなだれたわたしの頭をポンポンと軽くたたいた。
「その分埋め合わせしてやれよ」
「そうする」
悟くんは両手を上に上げて伸びをすると、ゴロンと仰向けに転がった。
「で、圭吾とはデートから先に進んだ?」
「ちょっとだけね」
「しづ姫の『ちょっと』って本当にちょっとだからな」
悟くんは笑った。
「でも、前より自信持ったみたいに見える」
「圭吾さんがわたしを愛してるって、よく分かったから」
「今さら? 僕はずっと前から分かってたよ」
「そうなの?」
「そりゃそうさ。あんな圭吾は今まで見たことないもの」
「優月さんと付き合ってた時も?」
「なんだ。優月のこと気にしてたの?」
「気にするわよ。あんなに綺麗なんだもの」
「まあ美人だね。あの時はあの時で、圭吾も真剣だったと思うよ。でも、今は君に夢中だ」
「悟くんは優しいのね」
「僕を信じろ。本当だから」
それから、わたしと悟くんは残りの休み中に美幸と亜由美を誘って遊ぶ計画を立てた。
二人でケラケラ笑っていると、螺旋階段を下りて圭吾さんがやって来た。
「僕より悟の方がよっぽど兄妹っぽいじゃないか」
圭吾さんが言った。
「うらやましいだろ」
悟くんが軽口をたたく。
「『兄貴』なら、うらやましくはないね」
「僕としづ姫は気が合うんだよ。ひょっとして生き別れの双子ってことはないよね」
「ないね。お前の家は男しか生まれないんだから」
「そうなんだよな――さてと、圭吾も戻ってきたから僕はもう行くよ」
悟くんは立ち上がった。
「コーラごちそうさま。ああそれと圭吾、右手の怪我お大事に」
「失せろ」
圭吾さんが笑って言った。
悟くんのいたところに今度は圭吾さんが座った。
胸がドキンとする。
悟くんの時は平気だったのに。
「容子オバサンと梓さん、帰った?」
「ああ、ご丁重に送り出したよ」
「わたし、ちゃんとご挨拶しなかったけど、ホントによかった?」
「いいんだよ。志鶴は静養中って事になってるんだから」
ここ数日、圭吾さんはそれを口実に自分の部屋にわたしを閉じ込めてる。
庭には出られるんだから閉じ込めてるって言わないのかな?
とにかくおかげで夏休みの宿題だけは終わった。
「それに、また来るって言ってたしね」
ターミネーター?
それに近くはあるけど。
「ねぇ圭吾さん、そろそろお出かけしちゃダメ?」
圭吾さんはわたしを横目でチラッと見た。
「悟と?」
「悟くんよりも、圭吾さんとお出かけしたいんだけど」
「どこ行きたい?」
「うーん、とりあえず映画。それと、花火大会に連れて行ってくれる約束よ?」
「忘れてないよ」
圭吾さんが手を延ばしてわたしの髪に触れた。
「圭吾さん」
「ん? 何?」
「手、見せて」
「悟に聞いたな」
圭吾さんは苦笑した。
わたしは圭吾さんの右手を両手で受けた。
腫れは引いたようだけど、指の関節の色が青黒い。
「痛かったでしょう?」
「僕に八つ当たりされた司と要の方が痛かったと思うよ。壁の方は平気だったみたいだけど」
わたしは圭吾さんの手に頬を寄せた。
「心配かけてごめんなさい」
そう言った途端に抱き寄せられた。
「圭吾さん?」
「逃げないで。キスしていいって言って」
「いいわ――」
言い終わらないうちに圭吾さんの唇が下りてきた。
えっ
ちょっと待って
長い?
長すぎる!
どこで息継ぎすればいいの?
圭吾さんの胸をたたいて合図した。
「何?」
「息できない」
圭吾さんはクスッと笑った。
「ペース落とすから鼻で息してごらん」
圭吾さんはもう一度唇を重ねた。
今度のキスはゆったりしてる。
そっか
パニクらなきゃ息できる
「息できた?」
「うん」
圭吾さんは、わたしの頭を胸に抱き寄せた。
「あんまり無茶しないでくれよ」
「うん」
「あんな思いをするのはもうたくさんだ」
「もうしない」
「怪しいもんだな」
もうっ!
圭吾さんの胸をたたくと、おかしそうに笑う声が胸からわたしの耳に響いた。




