夏休み計画 3
「圭吾とケンカでもした?」
夕食の後、圭吾さんが部屋に引き上げると、彩名さんにそう訊かれた。
「えっ? してませんよ」
「そう。それならよいけれど……」
うーん……いつもどおりだったと思うけどなぁ。
「わたし、何かツンケンしてました?」
「いいえ。ただ、圭吾がとても緊張していたようだから」
緊張? どうして?
「心当たりはなくて? あの子、話す言葉も仕種も、とても慎重だったわ。志鶴ちゃんの様子をずっと窺っていたし。そうね……強いて言えば、自分が嫌われないように気をつけていた感じね」
あっ! 今朝の事気にしてる?
嫌だから手を離してって言っちゃったし。
「誤解してるかも。あー、また失敗しちゃったかなぁ」
わたしは、頭を抱えた。
「誤解なら解いてらっしゃいな」
「はい……」
「『どこか遊びに連れて行って』っておねだりするといいわよ。あの子、喜ぶから」
「そんなんでいいんですか?」
「いいのよ。志鶴ちゃんが喜ぶ顔を見るのが好きなんだから」
わたしと圭吾さんの絆はとても脆いと思う瞬間。
彩名さんはちゃんと圭吾さんのこと見てるのに、わたしは何も見えていない。圭吾さんには、いつでも笑顔でいてもらいたいのに。
「二十年以上あの子の姉をやってるのよ。分かって当然。でもね志鶴ちゃん、あの子の心をなだめたり喜ばせたりすることは、あなたにしかできないの」
本当?
わたしは圭吾さんを幸せできる?
「いまいち自信ないです」
「だいじょうぶよ。行ってあの子を安心させてあげて」
「そうします」
わたしは居間を出て行きかけ、思い直して振り向いた。
「彩名さん」
「何かしら?」
彩名さんは、ママによく似た優しい笑顔でわたしを見た。
「えっと……ありがとう」
「どういたしまして」
さすがに圭吾さんの部屋に行くのには口実が必要で、わたしは勉強道具を抱えてドアをノックした。
返事がないので勝手にドアを開けて『圭吾さん?』って声をかけた。
テラス窓のカーテンが揺れて、圭吾さんが外から入ってきた。
「志鶴? どうした?」
「えっと、ここで勉強していい? 分からないところ教えてほしいの」
圭吾さんの口元が微かにほころんだ。
「おいで」
わたしは中に入ってドアを閉めた。
圭吾さんの前まで歩いて行くと、抱えたノートとテキストを静かに取り上げられた。
「数学?」
「うん」
でも数学より今の圭吾さんの方が難問だ。
勉強が口実だって二人とも分かってる。
こういう場面で『キスして』って言えばいいんだよね。
ああ、でも今のわたしには無理!
ここに立ってるだけでいっぱいいっぱいだもの。
圭吾さんはすぐ横にあるサイドテーブルにノートとテキストを置いて、
それから そっと
ふんわりと
わたしを抱きしめた。
「リラックスして」
圭吾さんが静かに言う。
「志鶴には難しいかもしれないけど僕を信じて」
わたしは言われた通りに体の力を抜いて圭吾さんにもたれかかった。
「圭吾さんが好きなの」
「知ってるよ」
「でも、圭吾さんが怖いの」
「そうだろうね――僕とこうしているのは嫌い?」
「ううん」
「もう少ししっかり抱いてもいい?」
「うん」
「今朝は何が嫌だった?」
「手首つかんだから」
まるで子供みたいな答えに、圭吾さんは『ああそうか』ってつぶやいた。
「時々、僕は焦って志鶴が嫌な事をしてしまうんだね?」
「うん。でもわたしが子供っぽいせいなのは分かってる。他の女の子ならもっと圭吾さんが望むように振る舞えるよね?」
「他の女の子は欲しくないし、志鶴が嫌な事もしたくない」
「嫌って言っても、圭吾さんが嫌いなんじゃないの。分かってくれる?」
「覚えておくよ」
「じゃあ仲直り?」
「ケンカしてたんだっけ?」
「してない。でもギクシャクしてたでしょ?」
圭吾さんは低い声で笑った。




