誘惑ごっこ
「あのね、圭吾さんをユーワクしたいの」
志鶴の爆弾発言に、僕は風呂上がりに飲んでいたミネラルウォーターを噴いた。
志鶴が慌てて近くにあったタオルを差し出す。
「いきなり何を言い出すの?」
僕は、咳込んでそう言いながら志鶴を見た。
『誘惑』なんて二文字は、彼女の口に最も似合わない言葉だ。
だけど、志鶴は目をキラキラと輝かせて
「圭吾さんに夢中になってもらいたいの」
と言う。
「いいだけ夢中だろ?」
骨抜きって言ってもいいくらいだ。
「そういうんじゃなくて、愛し合ってる時に、ね?」
ね?――って……
「今のままで、何がいけないんだい?」
「ステキよ。でもね、圭吾さんはいつも落ち着いてる。たまには自分を無くすくらい夢中になってほしいの」
僕に暴走しろって言うのか? 確実に君に嫌われるよ。
こっそりと志鶴を伺うと、小首を傾げてこっちを見ている。
我を忘れるくらい夢中になった男が取る行動――その1……その2……その3……
どれも今の彼女には無理だろう。
参った。どうやってごまかす?
「じゃあ、僕を誘惑してみせて」
恐る恐る言うと、志鶴はニッコリと微笑んで僕の首に腕を回した。
かわいいキス。
甘い唇が、僕の唇をついばむ。精一杯頑張ってる感が、ますますカワイイ。
それより、こんな子供っぽいキスに熱くなる僕はどうかしてる。
だけど――『夢中になれ』って言うんだから、ちょっとくらい羽目を外してもいいんだろうか?
僕は志鶴の腰を引き寄せると、一気にキスを深めた。彼女がたじろぐのが分かった。
『誘惑ごっこ』もここまでか。
でも、もう少し。いつもの穏やかな愛撫に切り替える前に、もう少しだけ……
僕は未練がましく、志鶴を固く抱きしめ、貪るようなキスをし続けた。
ああ、最高だ……
僕がそう思った瞬間、いきなり志鶴の体から力が抜けて、頭がガクッと後ろに落ちた。
うわっ! しまった! やり過ぎた。
失神寸前の志鶴を慌てて抱え直す。
「志鶴? 志鶴、だいじょうぶ?」
志鶴はしばらくパチパチと瞬きを繰り返してから、僕を見た。
「わたし、どうしたの?」
「気が遠くなったんだよ。ゴメン。僕が夢中になり過ぎたんだ」
すると、志鶴はパアッと笑顔になった。
「ホント? 夢中になった?」
「ああ」
嬉しい!――声に出さない言葉が聞こえる気がした。そして、緑の表紙の本のイメージが僕の心に浮かんだ。
本? 何の?
真夜中―――
僕はぐっすりと眠っている志鶴をベッドに残し、部屋の中を探った。
志鶴が私物を置くようになった棚で、お目当ての物を見つけた。
ファッション誌とゲームの解説本の間に隠すように、緑色のブックカバーをかけた本がある。カバーを外して、表紙を確認した途端、僕はぶっ飛びそうになった。
『絶対彼に愛される――恋愛下手な女子のための完全マニュアル』
恋愛のハウツー本……いや……目次の見出しを見る限り、恋愛とラブテクニックのハウツー本だ。
これを、あの子供っぽい志鶴が読んでいる?
僕は声を殺して笑い、
ページをパラパラとめくり、
そして、泣きたいくらい志鶴が愛おしくなった。
しおりを挟んだページのタイトルは
『彼に本当に愛されてる?』
だった。
僕は本を元通りに戻し、ベッドに戻った。
志鶴が身を擦り寄せて来る。
僕は彼女を腕に抱きしめ、そっと囁いた。
「君を愛してるよ」
心から




