放課後~散ればこそ 4
「さて、と。始めるか?」
桜の木の下で、圭吾さんが上を見上げて言った。
地面には白いポリタンクが三つ。それと小振りの米袋みたいな、重そうなビニール袋が一つ。
「涌き水と木灰と――奉納する物は?」
司先生が尋ねると、要さんが胸ポケットからハンカチを取り出した。
「奉納品はこの木の命。不足はないだろう」
「何が始まるの?」
わたしは小声で悟くんに聞いた。
「さあ? 僕は何も聞いてないけど? 巧兄貴は?」
「聞いてる。でも教えない。楽しみがなくなるだろ?」
「見たところ、何か神事みたいだけど」
巧さんはニンマリと笑った。
「お前は力が強いくせに一族の仕事には無関心だからな。まあ、見とけ。羽竜一族は、黴の生えたしきたりを守り続けて来た訳じゃない」
「えーと、枝の上に女の人がいるんだけど」
美幸が、片手で日差しを遮るようにして言った。
「どこ?」
片岡先生がキョロキョロする。
「先生には見えないですよ」
美月が口を挟む。
「わたしにも見えないですけど。滝田先輩は『遠見』なんです」
「うーん……いいや。もう何を見聞きしても驚かない」
「相変わらず肝が据わってるね。男前」
片岡先生のお友達が笑った。
お友達は、総合病院の看護士さんだ。道理で、どこかで見た顔だと思ったはず。
「この中で一番若いのは? アイ?」
圭吾さんに呼ばれて、アイちゃんが怖ず怖ずと前に出た。圭吾さんはビニール袋の中の灰を升で掬い、アイちゃんに差し出した。
「これを持っていてくれ」
「でも……あたし、羽竜家の子じゃないし」
「君は松子さんの娘だろう? 君もれっきとした、僕が守るべき羽竜の子だ」
アイちゃんは耳まで真っ赤になりながら、圭吾さんから升を預かった。
圭吾さん達は袋に残った灰を木の根本に撒き、その上からポリタンクの水をかけた。
それから、司先生が両手を一拍打ち鳴らして、口を開いた。
「百年なる咲良の比女より、綿津見なる竜城の御神へ願い奉る」
要さんが、アイちゃんの持つ升の中に桜の命のかけら達を入れて、言葉を継ぐ。
「今一度の春を纏わん事を、我が玉の緒を納め、伏して願い奉る」
圭吾さんがアイちゃんから升を受け取った。
「言祝ぎ、言祝げ」
圭吾さんが升の中の灰を撒きながら言う。
「今一度の花を咲かせん」
圭吾さんは逆手で升を持ち直すと、左から右へと大きく腕を払った。
升の中の灰が弧を描いて宙に散る。
「咲け」
言葉が空気を震わせた。
――ああ、花が
桜の花びらが舞い、枯れかけた枝に満開の花が咲いた。願いの花が。命と引き換えの最後の花が。
きれい……
「お見事」
悟くんが言った。
「花咲か兄さんってとこだね」
「口が減らないわね」
亜由美が皮肉るように言った。
「でも、本当に見事な花だわ」
夢のような光景。まるで桜色の雲だ。どこか懐かしい光景のような気がして、そして―――思い出した。
小学生の時、親父と二人で行った遊園地で、ピンクのフワフワの服を着た女の子とすれ違った。女の子は泣いて、駄々をこねていた。
『ずるい』と思った。
わたしなら、もっといい子に出来る。わたしなら、わがまま言ったりしない。
なのにどうして?
あの子にはパパもママもいて、わたしのママはいないの? 不公平だ――
やっと分かった。
わたしがゴールデンウイークに出かけたくなかったのは、家族連れを見るのが嫌だったからだ。
いつの間にか、圭吾さんがわたしの傍らにひざまずいていた。
「泣かせるつもりはなかったんだけど?」
「失礼ね、泣いてなんかいないわよ――座って」
圭吾さんの肩に頭を寄せて桜を見る。
「きれいね」
「ああ。そうだね」
「圭吾さん」
「ん? 何?」
「やっぱりゴールデンウイークは圭吾さんと出かける」
圭吾さんは何も言わずに、わたしの頭を撫でた。
「よーし、花も咲いたことだしパーッと宴会しちゃいましょう!」
美月が立ち上がって言った。
「まずは乾杯ですかね?」
「オッサンみたい」
悟くんがボソッと言い、美幸が爆笑した。
わたし達から一人離れて、要さんが桜の木の下で枝を見上げていた。
その耳には何が聞こえているのだろう? 桜は喜んでいるだろうか。
散ればこそ いとど桜はめでたけれ
憂き世になにか久しかるべき
ー第六話 終ー
『散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき』
伊勢物語です。




